北原千琴

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北原 千琴(きたはら ちこと、本名:寺尾 真知子<てらお まちこ>、寺尾は旧姓、6月30日 - )は、元宝塚歌劇団花組トップ娘役。

東京都中野区出身。東京文化学園卒業。公称身長は160cm。愛称はマチコちゃん。

来歴・人物[編集]

幼少時より本名名義で『週刊マーガレット』、『なかよし』などの少女雑誌のモデルとして活躍。表紙を幾度も飾る人気モデルであった。

1969年宝塚音楽学校に入学。1971年57期生として宝塚歌劇団に入団。同期には謝珠栄汝鳥伶京三紗らがいる。花組公演『花は散る散る/ジョイ![1]で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は55人中8位[1]1972年3月2日[1]月組に配属。

1974年、初演『ベルサイユのばら』にて少女時代のマリー・アントワネット役に抜擢。翌1975年、『ラムール・ア・パリ』にて新人公演初ヒロイン。

1976年、東京公演『ベルサイユのばらIII』にてロザリーを、役替わり公演ではマリー・アントワネットを演じる。

1977年、初演『風と共に去りぬ』でスカーレットIIを演じた後、同年5月に花組へ組替え。上原まりと並び、安奈淳の相手役としてトップ娘役に就任。お披露目公演は『宝舞抄ザ・レビュー』。

1978年、安奈の退団公演である『風と共に去りぬ』の新人公演(東京)にて主演のスカーレット・オハラを演じる。その後、後任トップスター松あきらの相手役となり、1979年7月31日[1]、『花影記紅はこべ』の東京公演千秋楽を最後に宝塚歌劇団を退団。

同年、劇団四季のオーディションに合格し、同じ宝塚出身の室町あかねや加奈霞と共に『コーラスライン』の日本初演メンバーとして舞台に立ったが、これを最後に結婚引退した。

現役当時は可憐な美貌の娘役として知られ、愛らしい顔立ちと華やかさから子役・少女・プリンセスの役が多かった[2]。しかし、北原は人形的イメージからの脱皮を目指し[3]、『バレンシアの熱い花』『ホフマン物語』で徐々に脱皮[4]。退団公演『紅はこべ』(スカーレット・ピンパーネル)ではコメディ・フランセーズの元人気女優でイギリス社交界の花形である准男爵夫人・マルグリート役を演じ、可憐さの中にも大人っぽい芯の強さを見せ、貫禄のある集大成となった[4]

宝塚歌劇団時代の主な舞台[編集]

月組時代[編集]

花組トップ娘役時代[編集]

  • 1977年8月、『宝舞抄』 - 蝶々夫人/『ザ・レビュー』 - デュエットの女、白い鳥 役 *お披露目公演
  • 1978年2月、『風と共に去りぬ』 - スエレン 役、新人公演(東京):スカーレット・オハラ 役(本役:安奈淳
  • 1978年4月、『ホフマン物語』(バウホール公演) - ジュリエッタ 役
  • 1978年8月、『ヴェロニック』(バウホール公演・PARCO西武劇場) - エレーヌ 役
  • 1978年9月、『遙かなるドナウ』 - リーザ姫 役/『エコーズ <絵光図>』 - 画学生、光の精、スザンヌ、コロンビーナ 役
  • 1979年3月、『花影記』 - 王女スミアティ 役/『紅はこべ』 - マルグリート・ブレイクニー 役 *退団公演

宝塚歌劇団退団後の主な活動[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』82-83頁 2014年4月1日 阪急コミュニケーションズISBN 9784484146010
  2. ^ 宝塚グラフ』1979年7月号 79頁 宝塚歌劇団発行
  3. ^ 『宝塚グラフ』1979年5月号 44頁 宝塚歌劇団発行
  4. ^ a b 歌劇』1979年7月号 83頁 宝塚歌劇団発行