安藤昇

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安藤 昇(あんどう のぼる、1926年大正15年)5月24日 - )は、日本ヤクザ俳優小説家歌手プロデューサー東京都牛込区余丁町出身。

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[編集] 来歴

15歳で感化院に、18歳で多摩少年院に収監されるなど、荒れた少年時代を送った。予科練の試験に合格し恩赦で少年院を退院、三重海軍航空隊に入隊後海軍飛行予科練習生へ配属。1945年(昭和20年)6月、神奈川県久里浜の伏龍特攻隊に志願し配属が叶い生死を伴う苛酷な訓練を受けるも、2ヶ月後に終戦となり、除隊。1946年(昭和21年)、法政大学に入学するが、翌1947年(昭和22年)退学し、仲間達と共に愚連隊(不良青少年グループ)を作った。

1952年(昭和27年)、サンドイッチマンを手配していた東京宣伝社を発展解消し、渋谷東興業を設立。当初は不動産や各種興行など真っ当な仕事を扱っていた(銀座洋品店も開いている)が、やがて賭博の開帳なども仕切り始め、会社は次第に暴力団の様相を呈してくるようになった。これが世に言う「安藤組」の始まりである。

安藤組は、従来の暴力団とは異なるファッショナブルなスタイル(背広の着用を推奨し、刺青指詰めを厳禁した等)で、当時の若者の絶大な支持を集めた。最盛期には500人以上の構成員が在籍し、中には大学生高校生の姿も珍しくなかったという。安藤自身いわく、早大や、慶大の学生も多くいたという。安藤組の幹部には、後年 安藤組の回顧録『修羅場の人間学』(1993年には映画化もされた)を執筆した森田雅や、本田靖春の小説「疵・花形敬とその時代」の主人公として知られる花形敬らがいる。また作家の安部譲二が、中学生の頃から末端組員として安藤組に出入りしていたことが知られている。

1958年(昭和33年)、横井英樹債務取立てのトラブル処理を請け負うが、その話し合いの席上での横井の態度に激怒した安藤は、組員に横井襲撃を命じる(横井英樹襲撃事件)。35日間の逃亡生活の末殺人未遂罪逮捕され、1961年(昭和36年)前橋刑務所に収監。リーダーを失った安藤組は、警察頂上作戦で幹部が逮捕されるなどあって規模縮小を余儀なくされ、そして3年後の1964年(昭和39年)、出所した安藤の意思で組は解散となった(余談だが、一部残党は解散後もしばらく東興業(安藤組)を名乗って活動していた)。

1965年(昭和40年)、たっての願いで松竹配給の『血と掟』で主演し映画俳優へ転向。短身だがその端整な顔立ちと有名な元暴力団組長という類を見ない経歴から、数々のヤクザ映画に出演し、人気を博した。松竹日活東映各社で多くの主演作を持つ。主題歌を歌いレコードも数枚出したが、あまり上手ではなかった。俳優となった後も暗黒街との交流は続いていた。友人がある一家の跡目を襲名した際には、その記念に開かれた賭場に顔を出し、後日警察に逮捕されている(安藤の話によると、この時警察で著書へのサインを頼まれたという)。 1979年(昭和54年)、「総長の首」出演を最後に俳優を休業。以後はごくたまにVシネマに出演する程度で、現在は専らVシネマのプロデュースや文筆活動の方に勤しんでいる。

長男のニック安藤と、次男の安藤章は、ともに映画プロデューサー。

[編集] エピソード

  • 愚連隊となった当初は新宿で勢力を拡大しようとしていたが、敗戦直後の新宿は古豪と新興勢力とがひしめきあう激戦区であったため、やがて渋谷へ転進。当時の渋谷は、渋谷駅世田谷方面からのターミナル駅として利用する学生が集まる、いわば「子供の町」であった。そのためか、1950年代半ばまでは警察も飲食店での揉め事に関知しない「無警察地帯」であったとされ、そこに目をつけたものと思われる。
  • トレードマークとして知られる左頬の傷は、1949年(昭和24年)朝鮮人に銀座通りで言い掛かりを付けられ喧嘩になりかかった際に『待ってくれ!上着を脱ぐから』と云うので律儀に待っていたところ咄嗟に上着に隠してあった短刀で切り付けられた。
  • 映画「網走番外地 吹雪の斗争」に出演した際、監督・石井輝男に無断で撮影現場を離れて帰ったことがある。石井は含むところもなく、安藤と これ以降の映画でも仕事をしている。
  • 俳優として出演していたのは専ら映画だったが、1970年(昭和45年)にはテレビ時代劇新・三匹の侍」にも主演している。監督を務めた五社英雄とは互いに義兄弟と認めた間柄であり、五社自ら自分の映画への出演を安藤に打診していたが、1974年(昭和49年)、東映配給の映画「暴力街」において安藤は江川紘一役で主役を務めた。
  • 唐十郎監督映画「仁侠外伝・玄界灘」撮影中に本物の拳銃を使い、監督とともに小田原署に逮捕される。
  • 俳優として人気も実力もあったが、あまり出演しなくなった事には理由がある。撮影中のカメラリハーサルで拳銃を撃つシーンがあり、この時「バン!バン!」と銃を撃つ声を自ら出さなければならなかった。それをたまたま知り合いに見られてしまい、さすがの安藤も恥ずかしい思いをした事がきっかけと言われている。
  • 安藤本人と安藤組には数々の逸話武勇伝があり、現在でもたびたび小説やVシネマの題材として取り上げられている。
  • 本項では便宜上ヤクザとして扱ったが、安藤には博徒的屋と認められる組織の所属歴がないため、安藤ならびに安藤組は厳密には『愚連隊』(青少年不良団)と分類する方が正しく、警察関係の資料でもそう扱われている。ちなみに警視庁に保管されている安藤組の構成員名簿では、安部譲二(本名・直也)の名前が安藤に続いて2番目に位置している(五十音順で整理されている関係)。
  • 現在は、渋谷に拠点を持つ右翼団体「日本民族連合」(住吉会住吉一家石井会系)の相談役でもある。
  • 野球評論家関根潤三や元西武ライオンズ監督の根本陸夫は大学の同級生であり渋谷でつるんでいた事もあったという。

[編集] 主な出演

[編集] 映画

  • 「血と掟」
  • 「望郷と掟」
  • 「炎と掟」
  • 「男の顔は履歴書」
  • 「続組織暴力」
  • 「懲役十八年」
  • 「懲役十八年 仮出獄」
  • 「網走番外地 吹雪の斗争」
  • 「新網走番外地 嵐を呼ぶ知床岬」
  • 「新網走番外地 吹雪の大脱走」
  • 「安藤昇のわが逃亡とSEXの記録」

[編集] 主な著作

  • 『男の顔は履歴書』
  • 『餓狼の系譜―実録・安藤組』
  • 『自伝安藤昇』
  • 『映画俳優安藤昇』 - インタヴュー本
  • 『激動』
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