秩父宮ラグビー場

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秩父宮ラグビー場
Chichibunomiya3.JPG
秩父宮ラグビー場の位置(東京23区内)
秩父宮ラグビー場
施設情報
所在地 東京都港区北青山二丁目8番35号
位置 北緯35度40分21.4秒
東経139度43分5.43秒
座標: 北緯35度40分21.4秒 東経139度43分5.43秒
開場 1947年(昭和22年)
修繕 1973年(昭和48年)
2003年(平成15年)
所有者 日本スポーツ振興センター
運用者 日本スポーツ振興センター
グラウンド 天然芝
照明 鉄塔式4基1000ルクス
大型映像装置 1基
旧称
東京ラグビー場(1947年-1953年)
使用チーム、大会
ジャパンラグビートップリーグなど
収容能力
24,871人
アクセス
東京メトロ銀座線外苑前駅徒歩5分

秩父宮ラグビー場(ちちぶのみやラグビーじょう)は、東京・明治神宮外苑にあるラグビー専用競技場である。独立行政法人日本スポーツ振興センターによって運営される国立霞ヶ丘競技場の一施設。

施設の概要・歴史[編集]

戦前の関東のラグビーの試合は、明治神宮競技場を専用グランドに近い格好で使用していたが、戦後はアメリカ軍が同グラウンドを接収し「ナイルキニックスタジアム」と名を変え、日本人は自由に使うことができなくなったため、神宮球場後楽園球場(現東京ドーム)でラグビーの試合を行わざるをえない状態となった。

そこで関東ラグビー協会は、昭和22年頃から新しい専用ラグビー場を建築すべく、候補地捜しを開始した。明治大学出身で協会理事であった伊集院浩氏(毎日新聞記者)が見つけてきた土地が、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって焼失した女子学習院跡地で、アメリカ軍の駐車場になっていた現在の秩父宮ラグビー場の地であった。香山蕃 理事長(当時)の戦災火災保険金と各大学OBの浄財等によって、建設資金のめどがつき、難波経一(東大)、岡田秀平(東大)、鹿島建設の尽力で1947年昭和22年)4月に着工され、ラガーマンの汗の勤労奉仕が加わり、同年11月「東京ラグビー場」として完成した。

香山蕃 は「その集めた資金は血のにじむような尊い結晶でありました。あるものは時計やカメラ、またあるものは家のじゅうたんを売ってひたぶるに自分たちの心のふるさとをきずきあげようという情熱に燃えた。工事が始まったある日、雨のふるなか秩父宮様がこられご病身をかえり見ずゴム長ぐつを履かれて励まし下され、鹿島の関係者に“ラグビー協会は貧乏だからよ ろしくたのむ”と頭を下げられました。私は流れる涙をこらえることが出来なかった」と後日、毎日新聞の中で感動的に綴っている。

杮落としは、明治大学OB対学生選抜と明治大学対東京大学戦であった。また1949年1月に第28回全国高等学校ラグビーフットボール大会が行われた。今のところここが全国高等学校ラグビーフットボール大会の開催会場となったのは今大会のみ。

なお、日本ラグビー協会総裁だった秩父宮雍仁親王薨去1953年昭和28年)に「秩父宮ラグビー場」に名称が変更された。

施設は1964年昭和39年)の東京オリンピックでは、サッカー競技の会場として利用された。現在では「西の花園・東の秩父宮」と称され[1][2]日本のラグビーにおける中心的な競技場である。

最大収容人員は2万5,194人。2003年平成15年)シーズンから電光掲示板を一新[3]し、映像も取り込めるようになった。主要な試合では、場内ミニFM放送を行っている。

当初はナイター設備も完備されていたが、1973年昭和48年)の改修工事の際、オイルショックによる資金難から照明を撤去された。しかし、2007年平成19年)にナイター設備が再び設置され[4]8月10日に再建後最初の試合(日本代表対アジア・バーバリアンズ戦)が行われた。

関東におけるラグビーのメッカであり、1971年昭和46年)に日本代表イングランド代表と3対6の大接戦を演じた試合、1989年平成元年)に日本代表がスコットランド代表を28対24で破った試合など、日本ラグビー史に残る数々の名勝負が行われた。現在、日本代表の試合やトップリーグラグビー日本選手権全国大学ラグビー選手権、関東大学ラグビー(対抗戦Aグループ・リーグ戦1部)、全国高校ラグビー東京都代表決勝など頻繁に使用される。それゆえ、シーズン終盤である1月~2月には芝の傷みが激しく、プレーに支障が出ることが多い。そのため、整備強化や競技場増設の議論が巻き起こっている。[要出典]2009年平成21年)6月にラグビージュニア世界選手権の会場の1つとして使用され、決勝戦も行われた。 2012年平成24年)6月に東京セブンズの会場として使用された。また同年8月14日に、アイドルグループNEWSにより、本競技場史上初のコンサートが開催された。

本競技場でのサッカーの試合は東京五輪以降開催されていないが、2012 FIFA U-20女子ワールドカップにおける日本代表が練習場として使用している[5]

こぼれ話[編集]

  • 1964年昭和39年)東京五輪のサッカーの会場となった際、更衣室・シャワー室を2チーム分作ってはという意見があったが、「ラグビーの伝統」である「ノーサイド」後の儀式(出場選手が対戦チームの枠組みを超えてシャワーを浴びたり、着替えたり、談笑したりする行為)を重視したいという意向もあり、それらの計画は却下されたという経緯があった(出典:フジテレビジョン番組「かんぽスポーツいい話」のブックレット掲載のラグビー特集より)。

アクセス[編集]

開催されている主な大会・イベント[編集]

関連項目[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 独立行政法人日本スポーツ振興センター - 秩父宮ラグビー場. 2014年11月29日閲覧。
  2. ^ 公益財団法人日本オリンピック委員会 - 東京オリンピック1964 - メモリアル・プレイス - 秩父宮ラグビー場. 2014年11月29日閲覧。
  3. ^ 開設当初はそれぞれの得点種別(トライ・ゴール・ドロップゴール・ペナルティーゴール)ごとの得点と合計得点を掲示したの手書きパネルと、合計得点の部分だけを電光表示したものの2種類があった。1986年(昭和61年)のスタンド増築に伴う改修で表示板を磁気反転の1本に統合している
  4. ^ フジテレビジョン・上田昭夫のページによると、ナイター用の照明鉄塔は4基あるが、新たにナイター用に常設の電源設備を整える場合に費用がかかるという事由で、当面は電源設備を取り入れた車両からナイター用の電源を付けている。そのためナイターを開催する場合は、あらかじめナイターでの開催が予定されている試合だけでしか使われず、冬季の薄暮開催(15時台後半以後)ではナイターの電源が入れないというデメリットもある。
  5. ^ 秩父宮ラグビー場、48年ぶりのサッカー使用許可…U―20女子W杯 - スポーツ報知、2012年8月24日配信、2012年9月15日閲覧

外部リンク[編集]

昭和四十六年二月二十二日(月曜日)]