お笑いタレント

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お笑いタレント
Kenichi Enomoto 1945.jpg
かつて「日本の喜劇王」と呼ばれた榎本健一
基本情報
職種 エンターテインメント
業種 芸能人
詳細情報
就業分野 テレビ番組舞台など
関連職業 コメディアン落語家
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お笑いタレント(おわらいタレント)は、主にテレビ番組において面白い言葉の表現や、体や顔の表情の面白い動きなどで視聴者や観客を笑わせる役割を担うタレントの総称。お笑い芸人(おわらいげいにん)とも呼ばれる。「お笑いタレント」と呼ばれる人物は、おおむねコメディアン落語家漫才師/漫談師コント俳優・声帯/形態模写芸人・マジシャンコミックバンドメンバー、歌手などの芸域のどれかに属する。

バラエティ番組におけるお笑いタレントは、司会者やそのアシスタント、レポーター、クイズの解答者などの立場で出演し、あからさまな嘘をついたり、意図的に非常識な態度や発言や行動をしてみせたり、意味のわからない態度や発言や行動をしてみせたりすることで、笑いを誘発する。これにより視聴者に対し、番組進行のテンポ的起伏、番組で扱う事物への客観性、番組内容への感情移入のしやすさなどを提供する。

歴史[編集]

「お笑い芸人」「お笑いタレント」という呼称は、日本国内のテレビの普及に伴い、本来舞台をはじめとする多くの場所で様々な分野で活動してきた人々がテレビのバラエティ番組に活動の比重を移すにつれ、彼らを総称する呼び方が必要になったため生まれた。

したがって、お笑い芸人の走りはテレビ放送が始まった当初から存在した。当時はほとんどが漫才師と呼ばれる2人組で漫才をしたり、数人のグループでコントを行ったりして、笑いを取っていた。関東では占領下でジャズ・バンドを結成していたバンドマンたちがコミック・バンドに転じてさらにテレビでコントを披露するようになったり(ハナ肇とクレージーキャッツザ・ドリフターズ等)、浅草を地盤とする芸人たちがコントを中心に活躍しテレビにも進出していった(コント55号ツービート等)。1970年代ごろになると関西の吉本新喜劇松竹新喜劇などで、藤山寛美間寛平のように大舞台で演技する多数のコメディアンが一世を風靡した。のちに、これらがお笑い芸人として活躍することになる。漫才界ではいとしこいしなどがテレビに登場するなど、お笑いを取る芸人として活躍する。

1980年代中盤には漫才ブームが発生した。フジテレビ系列『オレたちひょうきん族』では、複数のコントから構成されるため、出演する芸人がベースとする演芸の領域を超える内容となっていた。必然的にこれらの領域は(特に漫才/漫談とコントの間で)ボーダーレス化し、やがて一括して「お笑いタレント」「お笑い芸人」 という言葉で総称されるようになった。 「ひょうきん族」以降、お笑いタレントの主な活動拠点は演芸場からテレビに移っており、その結果、持ちネタや持ち芸を披露する機会は少なくなり、本来の職分である芸人としての彼ら自身と、一般視聴者との中間的存在であることが求められるようになった。 この過程で漫才師出身のビートたけしや形態模写出身のタモリ明石家さんまのように、本来の芸域の痕跡を喪失したお笑いタレントも見られるようになった。

お笑いタレントというカテゴリーが確立して以降、NSCなどお笑い芸人養成学校が開校したり、インディーズ出身のお笑い芸人が出現し、隆盛するにつれ師弟制度が衰退した。また、先輩・後輩関係は年齢に関係なく芸歴を基準とされており、後輩は先輩に対して敬語を使うことが義務づけられる風潮があるが、プロダクションやメディアの多様化によって現在はやや緩和されている。

特に吉本興業松竹芸能などの大手は今でも芸歴での基準を継続させており、養成所へ同時期に入っても一日でもデビューが早い方が先輩となり、当然敬語を使わないといけない[1]。ただし他事務所の同い年の芸人に対しては、芸歴が浅くても当人同士が良ければ相応の対応も見られる。

また、バラエティ番組などで、司会者や出演者が漫才や落語の大物芸人に対しての敬称として「師匠」を付けることが一般的となっている(こういう人物の場合は往々にして志願して来た弟子がいる)。

傾向[編集]

バラエティ番組に多く出演し、それなりの芸歴になるとネタをしなくなる傾向があり、劇場付きの芸人、若手はネタ見せをするが、テレビが活動の中心になると年末年始の特番か、笑点の演芸コーナー程度になる。だが、ベテランとなっても定期的にライブを行ったり、テレビ番組などでネタを披露したり、作品をリリースすることに拘るお笑いタレントもいる(爆笑問題さまぁ〜ずなど)。

お笑いタレントを目指す者は数多くいるが、デビューしてもテレビ番組に出演できるお笑いタレントは少数の厳しい世界である為デビューして後、出世・成功したお笑いタレントは、ほんの一握りである。また収入も安定していないため、挫折や苦労する者が多い。ずっとお笑いタレントでいられる保証もなく一時的には第一線で活躍していたお笑いタレントでも現在はほとんど仕事がない人もいる。

この為、いい思いをしてきた大御所芸人でさえ弟子入り志願者に対し上記の理由を挙げ丁重に断る場合が多いとされている。ビートたけしはかつて「俺はどんなに見込みや才能がない奴でも本人が志願すれば一定期間面倒を見てきた。世間はボランティアなんていうが俺ほどのボランティアはいないな」という趣旨の文章を「週刊ポスト」の連載や著書で書いていたが、たけしのような例は稀である。

売れても休みもほとんどもらえず、若手だけでなくそれなりに顔が売れている中堅芸人でさえも休暇を請求するとマネージャーなどにお叱りを受ける場合もある。また過労やアクシデントで負傷しても大手企業のサラリーマンのような潤沢な福利厚生は受けられず会社によっては自己負担になる場合もある(雇用関係がないので社会保険もなく、よって国民健保)。山本圭一がかつてラジオで過労で倒れた時、会社から一銭も治療費がでなかったと嘆いていた。加えて、芸能人という職業の性格上、定期健康診断も行わない事務所も多く過密スケジュールの中での体調管理は至難である。実際に芸人の中には中島忠幸村田渚など早世した者も少なくない。

お笑いタレントとして夢破れてから放送作家に転身する者も多い。その場合芸人同士の繋がりから、仕事をもらう(いわゆる座付き作家)。また、世界のナベアツのように、芸人と放送作家の二足のわらじで活動するものもいる。

デビューするには、NSC等の芸人養成学校、専門学校に入学、師匠と呼ばれる先輩に師事し弟子入り、面接によるオーディションスカウトはあるもののネタ見せで認められてのもので、外見がおかしい、顔が面白い等の理由で路上スカウトを受けたという例は無い。いわゆる受け身の性格や、指示待ち人間は向いていないとされている。

お笑い芸人のコンビ仲は、競争意識の高さから「隣の相方が一番のライバル」と呼ばれ、昔から『仲が悪くないと、売れない。』と言われ、舞台では丁々発止のやり取りをするコンビも楽屋では雑談もせず、他の芸人の楽屋に入り浸りというのも珍しくない。しかし2000年代辺りからは、仲がよいコンビも登場している(さまぁ〜ず、おぎやはぎなど)。

近年のお笑い芸人の志向も変わり、おぎやはぎによれば昔は司会者や冠番組を持とうと殺気に満ちていたり、ライバル意識丸出しの芸人ばかりだったが、最近では2番手や所謂ひな壇芸人志望で、丸く収め安定志向と言う芸人が多いそうである[2]

また、俳優同様、伝統的に政治的発言は将来の仕事の幅や一部の消費者離れを恐れて政治色をあまり出さない傾向にあるが、東日本大震災福島第一原子力発電所事故後、福島県への支援、被災した瓦礫の処理を巡りブログTwitter等で政治意見を述べるものもいるが、名声があり政治活動として一方向に意見が偏ることを恐れる層や社会貢献が比較的薄い事から、「所詮は社会に何も貢献してない『芸人ふぜい』」「電波芸者、一つも笑えない」と中傷される等、炎上することも多く、これを期に閉鎖する者もいたが、2000年代のお笑いブームの頃、社会現象が飛び交ったもので笑い者にできることでは番組やネタで述べられ、ウケればなんでもやってもいいという風潮に報道番組にニュースのバラエティー化に拍車がかかった[3][4]

お笑いタレントの人の数を性別に分けると男性の方が比較的多く、近年では脱サラ俳優女優エキストラ宝塚歌劇団を早期に退団した女優、歌手アイドルなど芸能界からの転向の他にアスリート公務員キャリア、ノンキャリア、地方公務員問わず)、青年実業家、果ては歳の離れた親族(親子祖父)、教育職定年退職後に余暇として芸人に転向するなど『人気転職先』としてお笑いを選ぶ異色の経歴を持つ者も増えている。

司会業[編集]

1980年代頃から、お笑い芸人の司会業への進出が目覚しく、お笑いブームになると明石家さんま(公式には落語家なのだが高座に上がった事はほとんどない)、島田紳助山田邦子などの大御所ばかりではなく、タカアンドトシオリエンタルラジオなどの若手もメインの番組で司会を務める事が多い。これをフジテレビジョン編成制作局バラエティ制作センター部長の吉田正樹は「お笑いブーム以降、テレビ局にお笑いのテイストが欲しいと考えられた」と語っており、加えて「90年代に吉本興業が本格的に東京進出してから、芸人がMCを務めるという関西の文化が輸入されたのではないか。」と吉本興業の存在が深く関っていると述べている。一方、芸人は、より上を狙う意味で番組を仕切る司会者を目指す人が多い。制作者側と芸人本人のニーズが合致した結果、芸人が司会を務める事が多くなってきた[5]

関西芸人と関東芸人[編集]

関西芸人は文字通り、関西を地盤とする芸人である。基本的には関西弁を使う。東京で活動していても、関西出身であれば関西芸人と呼ばれる。一方、関東芸人は狭義には関東地区出身の芸人をさすが、関東地区出身者でなくても、関東で活動していればこう呼ばれる。しかし、東京でデビューした関西出身者や、関西人と他の地域の出身者とが組んだコンビなども存在すること、また関西ローカルで放送される吉本興業系の番組では上京してからデビューした芸人や、大阪でデビューした後に上京し現在は東京に所属している関西弁芸人を「関東勢」に括り、生粋の大阪所属芸人のみを「関西勢」とすることも少なくないため、どちらに属すのかの基準は曖昧な部分も多い。このような用語は、関西では吉本興業を中心として伝統的にお笑いの文化が根づいているという事実を反映しているが、元々は上方落語と江戸落語の区別に端を発しているといえる。関西出身だが関東芸人の部類はロンブー亮、ラサール石井 レッド吉田 ロッチなどがいる。また関東出身だが大阪デビューである山里亮太は関西芸人である。また 博多華丸大吉やパラシュート部隊などの芸人は福岡芸人とも分類されることもある。

構成[編集]

  • 1人の場合「ピン芸人」、コンビ等を組みつつ単独で活動する事を「ピン」と呼ぶ。
  • 2人組を「お笑いコンビ」、または「お笑いグループ」と言う。これが一番好まれる。
  • 3人組を「お笑いトリオ」、または「お笑いグループ」と言う。
  • 4人組を「お笑いカルテット」[6]、または「お笑いグループ」と言う。
  • 5人組を「お笑いクインテット」、または「お笑いグループ」と言う。
  • 6人組を「お笑いセクステット」、または「お笑いグループ」と言う。
  • 7人以上メンバーで構成される場合は「お笑い大人数」、または「お笑いグループ」、または「お笑いユニット」と言う。

事務所[編集]

主なお笑いタレント[編集]

ここでは2014年現在、テレビの第一線で活躍している者を指す。( )内は現在も継続している代表番組。

関連項目[編集]


テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

  • JUNK(TBSラジオ)

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 吉本や松竹においても、稀に例外が存在する。例えば今田耕司は、年下だが芸歴が2年先輩の吉田ヒロに対して呼び捨てし、タメ口で接しているほか、オセロ松嶋尚美は芸歴無視で完全に年齢順で上下関係を判断して接しているため、先輩のよゐこTKOに対して「君」付けをしている。しかし、このような例は、当事者同士がよほど親しくてお互い理解を示しているか、本人のキャラクター性が極めて強くない限り許されることがないのが通常である。
  2. ^ 2010年10月14日放送回『おぎやはぎのメガネびいき』(TBSラジオ)でのおぎやはぎの発言より
  3. ^ カンニング竹山のツイッターが炎上状態に
  4. ^ ブラマヨ吉田、ツイッターをやめる…「俺にむいてないですね。ノーギャラでやるような事じゃない」
  5. ^ 「エンタ業界の大疑問100 Q2「大物芸人が司会者になる理由は?」」、『日経エンタテインメント!』第10巻第15号、日経BP、2006年10月、 pp.28。
  6. ^ 2009年、吉本興業主催のお笑いセンター試験から引用。
  7. ^ お笑い第三世代と同時期にデビューし、お笑い第四世代と同時期にブレークした芸人。