さまぁ〜ず

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 さまぁ~ず
SUMMERS
メンバー 大竹一樹
三村マサカズ
別名 バカルディ(旧コンビ名)
結成年 1988年
事務所 ホリプロ
活動時期 1989年 -
影響 ビートたけし とんねるず など
出会い 東海大学付属高輪台高等学校
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 コント 漫才
ネタ作成者 大竹一樹
現在の代表番組 さまぁ〜ず×さまぁ〜ず
モヤモヤさまぁ〜ず2
さまぁ〜ずのヤリタ☆ガ〜リ〜
トゥルルさまぁ〜ず
内村さまぁ〜ず
東京都さまぁ〜ZOO
過去の代表番組 神さまぁ〜ずさまぁ〜ず式ホリさまぁ〜ずマルさまぁ〜ずさまぁ〜ずのヤリタ☆ガ〜リ〜まさかのホントバラエティー イカさまタコさま
同期 雨上がり決死隊
芋洗坂係長
山崎邦正など
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2003年 ゴールデン・アロー賞芸能賞
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さまぁ~ずSUMMERS)は、大竹一樹三村マサカズの2人からなる日本お笑いコンビ。所属事務所ホリプロ。キャッチコピーは「東のコント職人」。

目次

[編集] メンバー

[編集] 略歴

[編集] デビュー前

大竹・三村共に東海大学高輪台高等学校工業科(現:東海大学付属高輪台高等学校)に単願推薦で入学[2]し、2年生時に同じクラスとなったことがきっかけで出会う[3]

1988年5月、既に事務所からスカウトされていた高校時代の同級生に連れられ、ホリプロの事務所に遊びに行ったことがきっかけでお笑いの道へ進む事になった。当初は元同級生・大竹・三村のトリオ(トリオ名は「しゃぶしゃぶ」)として活動を開始した。しかし、元同級生がいつの間にか他の芸人とコンビを組んで舞台に出ていたため、三村が「お前は1人で舞台に立ってた方がいい」[4]と発言しトリオを解散する。(後年、『リンカーン』に元同級生が登場した際、さまぁ~ずの二人は昔からとにかく面白かったと語り、盛り上げ役の三村に対し「タケ(大竹)はキレのある鋭い笑いを入れ込んでくるタイプだった」と評した[4]。)そしてこの後、東海大学在学中であった大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。その友人は三村とは一切面識はなく、三村はその人物について「そいつが気にくわない奴で、ダメな大阪の人みたいな、大阪の人ってセンスがある人はすごいけど、大阪の最低と東京の最高が同じぐらいっていう最低な感覚を持っている奴だったから、蹴っ飛ばしてやった。」と発言しており、三村の意向でそのトリオも解散した。なお、2度のトリオ結成について三村は「俺と大竹はちょっとやる気がなくて、一人引っ張ってってくれるリーダー的な人を立てないと一生売れないだろうなと思っていた」と発言している[5]

[編集] バカルディ時代

1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演し、お笑いコンビ「バカルディ(『バカルディー』の表記も混在[6])」として活動を開始。「バカルディ」はネタを考えていた時に着ていたバカルディのTシャツの文字から取った。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」も込められている[7]。同期に田口浩正小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたお笑いコンビ「テンション」等がいる[8]

1990年代前半、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。同時期に人気を博したホンジャマカと共に、当時の人気力士に準えて「お笑い界の」とも称され、各局にレギュラー番組を持った。しかし90年代半ば頃からメディア露出の機会が減り、しばらく不遇の時期を過ごした。当時、後に90年代のお笑いブームの一角となる『ボキャブラ天国』の出演打診を受けるも大竹は断った。後に番組はヒットし、ボキャブラブームが到来する。その後番組から途中出演の打診を受けるも「一度決めた事を今更変えられない」という想いを固持し続け、『ボキャブラ天国』への出演はなかった。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。

[編集] さまぁ〜ずに改名

2000年に出演した『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を「さまぁ〜ず」に強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を集め出し、三村独特の「〜かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知され再びブレイク。これを足掛かりに徐々にその活動の場を広げていった。

2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中にあって、ゴールデンタイムから深夜番組まで、八面六臂の活躍が出来る中堅芸人としてテレビ番組を中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。

2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞[9]

2007年フジテレビNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから業界関係者からは「深夜の帝王」という異名を付けられた[10]

2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員に選ばれた。最終決戦では笑い飯に投票し、笑い飯が優勝した。

2011年、『日経エンタテインメント!』の「好きな芸人ランキング」で2位となった。

2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員に選ばれる。

[編集] 芸風

深夜帯の番組が多いことから、テレビタレントとしてのさまぁ〜ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。

ネタ作りは2人が共同で行い、大竹がツッコミのフレーズを考える三村と同じ場所にいる時に行われる。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「〜かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的。毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独ライブはチケットが即日完売するほど人気や評価が高い[11][12]。メンバーは自分たちの本分は舞台にあると考えており、多くのレギュラー番組を持っている2011年現在でも、ライブに重きを置いており[11]、「東のコント職人」と評されている。

明石家さんまは「あの位置で今でもライブを続けているのは凄い。他の芸人も見習うべき。」と評された。[8]また、『さんまのまんま』に初出演した際、さんまに「悲しいダジャレ」を披露したところ大絶賛された。

爆笑問題の太田光は、バカルディは「シュールなコントの草分け」で、シュールを売りにした若手がやっているネタも全部バカルディが元だ、と語っている。爆笑問題が事務所を独立して仕事が無かった際にはバカルディの活躍を見て奮起したという[13]

即興芸の場では2人ともに下ネタを好み、セクハラネタも多い。オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが[14]、情報誌『日経エンタテインメント!』が毎年行っている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差は、それほどない[15]。また、同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり、同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している[15]

漫才形式のネタの際は、登場時の「つかみ」として、汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁ〜ず!」と言うものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ〜ず!」となる)。このつかみの原案を考えたのは有田哲平(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はこの動作をやらず、三村に「やれよ!」とつっこまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBEの『SUMMER CITY』などが使われる。

デビュー当時はツッコミ・ボケ担当を入れ替えてネタを行っていたが、三村がボケていると自覚する笑顔が不評だったため、ツッコミを担当するようになった。元々は、コント以外のフリートークやバラエティ番組などでも、ボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』に出演するようになって以降、こうした番組では両者が等しくボケ合ったり、むしろ大竹がツッコミ役に回ることも多くなった。これについて三村は、「以前はいいボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている[16]

ゲスト出演した『グータンヌーボ』で精神科医の名越康文に「ボケがドSで、ツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出たことがある。実際、コント内でも理不尽な大竹のボケの連続に三村が対応しきれなくなり慌てふためいたところに笑いが起こる、といった状態がよく見られる。

冠番組を多数持つが司会業には苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力の自己分析の結果「司会はできない」と公言し、周囲も認めている(ただし『Qさま!!』など司会を務める番組の進行は強制的に三村が担当)。その為か「さまぁ~ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と二人の意見は一致している(3人目のメンバーの例として、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!プレッシャーSTUDY』で一緒に進行しているテレビ朝日の清水俊輔アナウンサーを上げている)。[8]

[編集] エピソード

  • 楽屋が2人とも一緒(『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』など一部の番組を除く[17])、新幹線飛行機などの移動の際に隣同士で座るなどから、「仲がいい」と言われる[18]ことが多い。後者に関して、大竹は「隣に知らない親父が来るより"知ってる親父"が来たほうがいい」と理由を述べている[18]
  • 喧嘩なども少ないが、理由としては「他の芸人と戦わねばならないのに、コンビで喧嘩をしている場合ではないから」と語っている[11][18]
  • 共演者などから「想い出が一緒」と言われることがある。高校の同級生から始まったコンビであり、バイトも一緒にしていたことから二人共通の想い出が多いことが所以である。また、童貞を捨てた瞬間も一緒だった。
  • 低迷していた頃、三村は大竹に「バカルディの核は大竹だ。ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い続けていた[8]
    • あくまで本業はお笑いであると、お笑い系でない仕事を多く断っており、社内では売れていないくせに態度が大きいと不評だったという[11]
    • 三村はその間、ほぼ手しか映らないようなレポーターなど、やや毛色の違う分野で活動し、コンビを支えた[19]
    • 大竹は地上波などのバラエティ番組の構成を担当する時期もあった。[8]
    • コンビ愛は強く、三村は『いろもん』ソロで出演した際のことを「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている[8]
    • 出川哲朗はさまぁ〜ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記逸話を好むが、大竹曰く「(レポーター等の)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていたわけではない」と語っている[16]
  • 冠番組にはほぼ全てコンビ名「さまぁ〜ず」、もしくは「さまぁ〜ず」を文字ったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見たときに誰が出ている番組かすぐに分かるようにするためと、これならさまぁ〜ずに興味のない人はまず見ようとしないだろう、という大竹の戦略によるもの。これを続けている以上、ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうとメンバーは語っている[8]
  • 伊集院光は、『大石恵三』が視聴率が悪く打ち切られた事がバカルディ時代の低迷・不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている[11]
  • 1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史は当時から三村を「関東一のツッコミ」と呼び、各所で三村のものまねを披露していたようだが、当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されることはまれだった。また『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演。これらもまたさまぁ〜ずがのちに再び脚光を浴びる下地となっており、当人たちも様々な場所で「(再ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている[11]
  • メンバーは学生時代からビートたけしに憧れている。[8]
  • 所ジョージは、彼らが売れてないバカルディの頃から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いだけで売れないかもしれないけどね」とそのコントを評価している。[8]
  • 下ネタセクハラも辞さず、既に「エロ芸」の域まで高めている二人だが『モヤさま』アシスタントの大江麻理子アナは「さまぁ~ずのお二人は普段非常に紳士的。だからセクハラも気にならない」と語っている[11]
  • 事務所の後輩優香には兄と慕われている。さまぁ~ずが新堂本兄弟に出演した際、VTRコメントを寄せ、「さまぁ~ずのお二人は、本当にカッコいいです。ルックスとかではなくて、ネプチューン名倉さんや、つぶやきシローさんなど、自分たちも売れていない頃から、後輩に対する面倒見が本当に良いのがすごいと思います」「ホリプロにタレントさんとして入ったばかりの女の子は、皆一度はさまぁ~ずさんに惚れる」とも発言している。「A-Studio」出演の際は、「大竹の結婚には嫉妬してしまった」「仕事でどん底まで落ち込み部屋で塞ぎ込んでいたとき、親よりも先に三村に電話した」というエピソードを披露している。
  • 出川哲朗ネプチューンキャイ~ンよゐこTIMらと共にウンナンファミリーと呼ばれている[20]
  • 2010年はリリースしたさまぁ〜ず関連のDVDが30本を超えた。冠番組のDVDについて大竹は「気がついたらこんなに増えていた」「DVDに相応しくないものは出したくないっていうスタンスじゃないとダメ」、三村は「あらかじめDVDにしますって番組が始まるのが一番嫌い。結果、作品としてよかったらDVDにしてくださいって言っています」と述べている。

[編集] 改名のエピソード

TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは半年間(後にもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。

「さまぁ〜ず」というコンビ名は有田哲平によって命名(長音符の部分のみ、「こう、波線な」と内村も助言している)。由来は三村・大竹とも好きな季節が夏だから、という単純なもの。脱力感のあるひらがなと「~」の表記、また「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり、改名決定直後の本人たちは当然ながら大きな抵抗があったようだが、所属事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁ〜ず」に移行したという。

当初この改名は期間限定だったが、その期限が過ぎる頃になると徐々にブレイクして「さまぁ〜ず」で定着し始めたため、元に戻す必要性がなくなってしまった。そのため、ビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田哲平が、さまぁ〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件を突きつけた。しかし結果は海砂利水魚の負けとなり、これらは幻の芸名となった(逆にこの敗北により、海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」に改名する羽目になる)。以降、コンビ名は「さまぁ〜ず」で完全に定着し現在に至っている。

しかし、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。

余談だが、めちゃイケの笑わず嫌い王決定戦の常連(2回目の登場時点で、既に「さまぁ〜ず」に改名していた)であり、めちゃイケ大百科事典の出版の際に、彼らの記載についての項目名をどうするかという話になった際、三村の「じゃ、バカルディで」の一言により、「バカルディ」で記載されることになった(改名の経緯については、同書では記載されていない)。

[編集] 出演作品

[編集] 現在の出演作品

[編集] テレビ番組

[編集] ネット配信

[編集] 特別番組

[編集] 過去の出演作品

「バカルディ」時代を含む。

[編集] テレビ番組

レギュラー番組
単発・スペシャル

[編集] ラジオ

[編集] コマーシャル

[編集] 映画

[編集] 舞台

  • ハンブン東京 (2007年11月16日 - 18日)
  • こどもさんかん日 (2008年11月26日 - 30日)
  • エルダーソルジャーズ (2009年11月26日 - 12月1日)

[編集] DVD/CD

[編集] ライブDVD

「バカルティライブX」以降は全てポニーキャニオンより発売。 「ライヴV」のみ株式会社ハゴロモより発売されている。

  • バカルディライヴV せんたくもん (1994年、新宿スペースゼロ)絶版
  • バカルディライヴX 〜サラダで白飯くえねーよ! (1997年、銀座博品館劇場)
  • バカルディライヴ なまたまごかけ御飯 (1998年、青山円形劇場
  • バカルディライヴXII 少年と犬と公園と私 (1999年、新宿シアターアプル)
  • 冬なのにさまぁ〜ずライブ (2000年、朝日生命ホール
  • さまぁ〜ず ライブ2 (2001年、グローブ座
  • さまぁ〜ず ライブ3 (2002年、天王洲アートスフィア)
  • さまぁ~ず/バカルディライブ DVD-BOX (ライヴXからさまぁ〜ずライブ3までのDVDをまとめたもの。マイナスターズのCD付き。)
  • さまぁ〜ず ライブ4 (2003年、天王洲アートスフィア)
  • さまぁ〜ず ライブ5 (2005年、原宿クエストホール)
  • さまぁ〜ず ライブ6 (2007年、恵比寿ザ・ガーデンホール)
  • さまぁ〜ず ライブ7 (2009年、恵比寿ザ・ガーデンホール、初回限定版はおまけ付き。)
  • さまぁ~ず ライブ8 (2011年、天王洲銀河劇場、初回限定版はおまけ付き。)

[編集] その他

  • ライブミランカ さまぁ〜ずトークLIVE 三村もいるよ! (2006年、原宿BlueJayWay)
    • ミランカVOD配信されていたソフトのDVD化。ネオから発売。
  • さまぁ〜ずの笑ってキレイ!(ビデオヘッドクリーナ内収録、TDK
  • バカルディーの通販コント「ほっぷ、すてっぷ、じゃんぷ通信販売&契約」(1991年、啓発用ビデオ(社)日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会[1])一般流通はしていない。

[編集] CD

  • ヤリー BE GOOD!(1998年07月23日、ヤリリン・クリリン名義、プロミスCMソング)
  • 逆境ファイター(2006年7月19日、コーラス、所ジョージアルバム「安全第二」収録、総合格闘家所英男入場曲)

[編集] 書籍

  • さまぁ〜ずの悲しいダジャレ(宝島社
  • RUN! DOG! RUN! さまぁ〜ずの紙コント(角川書店
  • ドッグとキャットとトリとほか(光文社
  • さまぁ〜ずの悲しい俳句(宝島社)

[編集] 脚注

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  1. ^ a b ホリプロオフィシャルサイト さまぁ〜ず”. ホリプロ. 2011年7月12日閲覧。
  2. ^ 木曜Junk さまぁ〜ずの逆にアレだろ!?』2003年1月23日放送回、TBSラジオ[出典無効]
  3. ^ いろもん弐』1999年10月29日放送回、日本テレビ[出典無効]
  4. ^ a b リンカーン』2010年5月4日放送回、TBS[出典無効]
  5. ^ バナナマンのバナナムーンGOLD』2010年10月22日放送回、TBSラジオ[出典無効]
  6. ^ 例として、ジャンプ・コミックスこちら葛飾区亀有公園前派出所』第78巻巻末に2人がコメントを寄せた際は、この表記が用いられていた。
  7. ^ 象印クイズヒントでピント』にゲスト出演した際、コンビ名の由来を尋ねられた大竹は「最初は『バカ』というコンビ名にしようと思ったが、周りからの評判が悪かったので、ちょっと変えて『バカルディ』にした」とも発言している[要出典]
  8. ^ a b c d e f g h i QuickJapanvol.85 「22年目のさまぁ~ず」内の20000字インタビューより
  9. ^ GOLDEN ARROW AWARDS 受賞者一覧”. 社団法人日本雑誌協会. 2011年7月12日閲覧。
  10. ^ 「人気者の賞味期限『PART③お笑い芸人編 芸歴15〜20年「ミドル世代」が人気のワケは?』」、『日経エンタテインメント!』第12巻第5号、日経BP社、2008年4月、 p.42頁。
  11. ^ a b c d e f g 日刊スポーツ、2011年7月10日付紙面 p.10
  12. ^ 大竹の「M-1グランプリ2010」登場時の紹介ナレーション
  13. ^ 2009年12月19日放送『王様のブランチ』内にて発言
  14. ^ “好きな男性芸人は「世界のナベアツ」と「チュートリアル」が同率首位”. オリコン. (2008年7月9日). http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/56184/full 
  15. ^ a b 「2008年版お笑い芸人人気ランキング 好きな芸人嫌いな芸人」、『日経エンタテインメント!』第12巻第8号、日経BP社、2008年4月、 pp.36,37頁。
  16. ^ a b 雑誌「QuickJapan」(第74号、2007年10月刊)のインタビューにて。
  17. ^ 「さまぁ〜ず×さまぁ〜ず DVD-BOX (1・2)」特典DVDなど。
  18. ^ a b c SMAP×SMAP』「BISTRO SMAP」2010年6月7日放送回、フジテレビ[出典無効]
  19. ^ 発足したてのフジテレビ739で毎週土曜昼過ぎから放送されていた『CXスポーツサンデー』では三村のみが出演(MC)。フジテレビのアナウンサー(当時)吉沢孝明が泥酔状態で電話出演することが許されたほど視聴契約者が少ない番組だった。[出典無効]
  20. ^ QuickJapan vol.88 ウッチャンナンチャンのインタビューより

[編集] 関連項目

  • マイナスターズ - 自身のコントライブから派生したバンド。
  • NO PLAN - 『内村プロデュース』から誕生したさまぁ〜ず参加の歌手ユニット。
  • ミドル3 - 『アメトーク!』 の特別番組内で使用している3組のお笑いコンビの総称。

[編集] 外部リンク


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