北川博敏

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北川 博敏
オリックス・バファローズ #23
OB-Hirotoshi-Kitagawa.jpg
2008年6月8日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県伊丹市
生年月日 1972年5月27日(39歳)
身長
体重
180cm
95kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1994年 ドラフト2位
初出場 1995年8月16日
年俸 5,500万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

北川 博敏(きたがわ ひろとし、1972年5月27日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手内野手)。2007年度、2008年度のオリックス選手会長。

常に笑顔を絶やさず阪神タイガース時代からスマイリーの愛称を持ち、顔が似ていることからアンパンマンとも言われている。また自身のヒッティングマーチにもあるように近鉄時代の優勝を決めた代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打のインパクトの強さから「奇跡を呼び込む男」ともいわれている。

目次

[編集] プレースタイル

三振が少なく粘り強い打撃が持ち味。勝負強い中距離打者だが、2003年、2004年をピークに長打は減少傾向で、併殺打もやや多めである。あまり機会はないがバントは高校時代に猛練習をしたこともあり自信を持っており、試合でも決めている[1]

守備範囲は多少狭いがグラブ捌きは上手く、2007年は福浦和也の.995を上回るリーグトップの守備率.998を記録している(ゴールデングラブ賞は福浦が受賞)。

元々のポジションである捕手は長年務めていない。ただし、2004年には捕手を使い果たした試合で、梨田昌孝が「延長戦となったら北川を捕手で使うつもりだった。久々に北川の捕手が見られると思ったのに(同点に追い付けず敗れて)残念。」と語り、オリックス移籍後も2005年8月3日西武ライオンズ戦で、捕手がいなくなった際にベンチでマスクをかぶって準備し、的山哲也からサインを教えてもらっているシーンがTVに映されていた。

[編集] 来歴

兵庫県伊丹市出身。中学1年のときに埼玉県志木市へ転居。埼玉県立大宮東高等学校では3年時に主将を務め、夏の埼玉大会決勝戦では本塁打を放つなど、同校初となる夏の甲子園出場に貢献。

卒業後、東都大学野球連盟所属の日本大学に進学し、同級生の高根澤力と正捕手のポジションを争う。捕手としてレギュラーに定着した3年の春季リーグ戦で首位打者を獲得、ベストナインにも選ばれ、同年の日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。4年時には主将を務め、日米大学野球日本代表に再選。リーグ通算75試合出場、244打数66安打、打率.270、4本塁打、33打点。

1994年ドラフト会議阪神タイガースから2位指名を受け入団、背番号は9となった。

[編集] 阪神・近鉄時代

1年目のジュニアオールスターでMVPを受賞するなど、打力のある捕手として期待されたが、チームには関川浩一矢野輝弘などが活躍しており、セールスポイントの打撃も一軍では結果を出せなかった。それに追い討ちをかけるかのように、2000年には野村克也の息子・カツノリが加入して出場機会が激減。同年オフに湯舟敏郎山崎一玄と共に、酒井弘樹面出哲志平下晃司との3対3のトレードで大阪近鉄バファローズへ移籍、背番号は46となった。

2001年梨田昌孝に認められて一軍に定着し、4月28日にプロ初本塁打を記録。5月27日は29歳の誕生日だったが、生まれて初めてサヨナラ安打を放ち、お立ち台で涙を流した。9月26日、のちに所属することとなるオリックス・ブルーウェーブ戦で、3点リードされた9回裏無死満塁の場面で代打出場、当時新人だった大久保勝信からプロ野球史上初の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」を放ち、12年ぶり4度目のパ・リーグ優勝に大きく貢献、「ミラクル男」と呼ばれた。日本シリーズでのヤクルトスワローズ戦では1勝4敗と敗れたが、全試合に出場して14打数7安打、打率.500の好成績を残した。優勝決定サヨナラ本塁打について、球団は同年の契約更改で「あの本塁打は10万円分の価値しかない」と言ったが、これはジョークで、前年のほぼ倍となる大幅年俸アップで更改した[2]

2002年オープン戦で負傷し、43試合・打率.266・1本塁打・8打点と精彩を欠いた。

2003年5月25日に不振の中村紀洋に代わって自身初の4番に座り、いきなり4安打3打点の大活躍をするなど、打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。

2004年、打撃を活かすため内野手へ転向する。開幕前に吉岡雄二が負傷したこともあって開幕スターティングメンバーに名を連ね、タフィ・ローズ読売ジャイアンツ移籍や球団の身売り・合併問題といった雑音にもめげず、ストライキのあった2試合を除く133試合にフル出場、打率.303・20本塁打・88打点の自己最高成績を収めた[3]。シーズン最終戦だった9月27日の対オリックス戦では、4回表に具臺晟からソロ本塁打を放ち、これが近鉄球団最後の本塁打・打点となった。シーズン終了後、東北楽天ゴールデンイーグルスとの選手分配ドラフトでオリックスに所属することとなり、背番号も23になった。

[編集] オリックス時代

2005年、5番・一塁手として開幕スタメンに名を連ね、第2戦の対西武戦では7回表にオリックス・バファローズ第1号本塁打となる3ラン本塁打を長田秀一郎から放った。チームの主軸・ムードメーカーとしての期待に応え、成績は前年に比べて打率こそ落ち込んだものの、チームトップの打点をマークするなど、主軸としての活躍を見せた。

2006年も開幕から中軸打者として活躍したが、シーズン中盤の試合中にダイビングキャッチを試みた際に、右肩を損傷。右肩関節唇損傷で選手生命を左右するほどの重傷と判明するが、8月13日の対ソフトバンク戦まで強行出場した。その後、一軍登録抹消されて同月17日に手術を受け、残りの試合は欠場した。

2007年、選手会長に就任し、故障も癒えて引き続き主軸として5番を任された。9本塁打を放ち、グレッグ・ラロッカ、ローズとともに3人で78本塁打と、12球団有数の破壊力を持つクリーンナップの一角を担い、右肩の故障から復帰できた。その一方で、チームは3年ぶりの最下位と低迷した。

2008年、春季キャンプ中に肉離れをおこし、開幕2軍スタートとなった。4月29日の対楽天戦より1軍に合流。ラロッカの離脱に伴い、三塁手で起用されることとなった[4]。合流直後はそこそこの活躍を見せ、5月16日の対ロッテ戦では、渡辺俊介から2打席連続本塁打を放ち、自己最多の1試合6打点を記録した。しかし、夏場以降は調子を落とし、復帰直後は5番だった打順も終盤は6・7番あたりに下げられるケースが多くなる。得点圏打率も.244と伸び悩み、規定打席にも5年ぶりに到達しないなど、自身にとって不本意なシーズンとなった。一方で、2005年以来の2桁本塁打を放ち、2年連続で犠牲フライ数がリーグトップを記録した。

2009年ホセ・フェルナンデスの加入、ラロッカの復調により前年より更にスタメン出場が困難になった。主に右の代打を務めつつも、外国人4人が次々に戦線離脱したため、シーズン最後までスタメンに名を連ねた。しかし、打率以外のほとんどの面で前年の成績を下回り、本塁打は近鉄移籍後では自己ワースト2位の2本に終わった。

2010年、開幕戦を4番DHのスタメン出場で迎えた。本職である一塁手はアレックス・カブレラT-岡田に奪われ、DHでの出場が多かったが、打撃ではハイアベレージを記録。6月2日の中日戦では、7点ビハインドの8回裏に3点返したあとの無死満塁の打席で、高橋聡文から同点満塁本塁打を放ち、チームの逆転サヨナラ勝ちに貢献した。その後も主力打者として活躍し続けたが、8月13日から登録抹消はされなかったものの10試合を欠場した。これは、7月14日のロッテ戦で左脛に自打球を当てた影響で、蜂窩(ほうか)織炎による発熱を発症したためであった。復帰後は、戦線離脱前ほどの打棒は見せられなかったが、9月に100本塁打、1000本安打と節目の記録を次々と達成した。最終的には119試合に出場して打率.306、12本塁打61打点の成績を収めた。

2011年、キャンプ中に左腓骨骨折と肉離れを併発する。その後震災の影響で開幕が遅れたこともあり、開幕戦の復帰には間に合ったものの、完治していない状態で強行出場することとなる。主に5番指名打者・代打で出場し、6月12日の巨人戦では8回裏に澤村拓一から決勝2ランを放つ活躍も見せた。しかし、6月26日のロッテ戦で、7回表の先頭打者で、左翼線に二塁打性の打球を放ったが、二塁への走塁中に左足を負傷。左翼手の南竜介からの返球が逸れた事で、辛うじて一塁へ帰塁できたものの、そのまま立てなくなり担がれて退場[5]。診断の結果、全治6ヶ月のアキレス腱断裂の大怪我であったため、翌日手術をした。この結果、残りシーズンを棒に振った。

[編集] 人物

兵庫県伊丹市出身のスポーツ選手で結成されているNPO法人「伊丹アスリートクラブ」に所属し、シーズン中は「北川ホームラン基金」、シーズンオフにはイベントを行っている。

ひょうきんな性格で知られ、現在のテーマ曲は逆転イッパツマンタイムボカンシリーズ)のテーマである(2009年よりチャンス時のみ)。2002年は「KC&ザ・サンシャイン・バンド」の「That's the way (I Like It) 」だった。

「いつも笑顔」がトレードマークだが、いつも笑っているわけではなく、喜怒哀楽の見分け方は「鼻をみてほしい」とのことである[6]。しかし、阪神時代には中日ドラゴンズ戦で捕手としてリードする北川の顔が笑っているように見えたため、内角攻めに怒って詰め寄るレオ・ゴメス山崎武司が激怒し、乱闘にまで発展したことがある。

近鉄に移籍してから大活躍したが、阪神時代も死のロードでチームが不振の中、大阪ドームでの試合で1人大活躍したことがあり、大阪ドームでプレーすると調子が良くなる傾向がある。

趣味は釣り・ザリガニ飼育で、オフには自身のブログにその様子を掲載している。

球団では「きたがわびっクリあんぱん」と「キタガワビッくりームパン」を発売している。

好きなアーティストはスピッツで、2009年から自身のテーマ曲にもスピッツの楽曲を使用している。またライブにも度々訪れている。メンバーの草野マサムネとは交流も深く、ブログにも登場している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1995 阪神 13 21 16 1 2 0 0 0 2 0 0 0 2 0 3 0 0 4 1 .125 .263 .125 .388
1996 28 32 29 4 6 1 0 0 7 1 0 0 0 0 3 0 0 5 0 .207 .281 .241 .523
1997 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1998 8 19 18 1 1 1 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .056 .105 .111 .216
1999 39 74 66 4 10 3 0 0 13 1 0 0 5 0 2 0 1 10 2 .152 .188 .197 .385
2000 10 8 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .125 .000 .125
2001 近鉄 81 229 200 27 54 14 1 6 88 35 2 0 1 1 25 0 2 29 13 .270 .355 .440 .795
2002 43 99 94 7 25 7 1 1 37 8 0 0 0 0 4 0 1 16 2 .266 .303 .394 .697
2003 99 359 317 57 98 23 1 13 162 50 5 0 1 3 37 0 1 38 7 .309 .380 .511 .891
2004 133 580 508 75 154 27 0 20 241 88 7 2 4 2 62 3 4 70 15 .303 .382 .474 .856
2005 オリックス 127 487 444 57 115 28 1 16 193 67 3 3 1 2 36 2 4 64 11 .259 .319 .435 .754
2006 100 403 373 39 108 29 2 8 165 55 2 2 0 3 23 2 4 47 8 .290 .335 .442 .777
2007 144 602 557 60 156 23 1 9 208 61 4 2 0 7 31 1 7 79 23 .280 .322 .373 .696
2008 105 399 343 41 91 24 0 13 154 49 4 2 2 10 37 3 7 51 8 .265 .340 .449 .789
2009 103 302 267 29 73 18 0 2 97 31 0 0 4 6 19 1 6 37 9 .273 .329 .363 .692
2010 119 403 362 42 111 25 0 12 172 61 2 1 0 6 28 0 7 65 6 .307 .362 .475 .837
2011 51 172 159 11 41 11 0 1 55 17 0 0 1 2 8 0 2 23 4 .258 .298 .346 .644
通算:17年 1205 4191 3762 455 1045 234 7 101 1596 525 29 12 21 42 320 12 46 540 109 .278 .338 .424 .762
  • 2011年シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績

年度 一塁 三塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1996 - 6 1 1 0 1 1.000
1999 4 25 5 0 3 1.000 -
2000 3 2 0 0 0 1.000 -
2001 16 144 4 0 10 1.000 -
2002 1 1 0 0 0 1.000 -
2003 58 453 35 1 45 .998 -
2004 133 1347 85 6 121 .996 -
2005 121 1070 71 8 104 .993 -
2006 76 706 62 0 60 1.000 -
2007 140 1307 84 3 104 .998 -
2008 24 117 10 0 8 1.000 87 37 129 10 10 .943
2009 42 289 24 1 31 .997 35 26 46 5 7 .935
2010 38 290 27 4 24 .988 -
2011 6 41 0 0 5 1.000 -
通算 662 5792 407 23 515 .996 128 64 176 15 18 .941
年度 捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1995 13 43 5 1 0 0 .980 13 11 2 .154
1998 7 20 3 1 0 0 .958 2 1 1 .500
1999 23 89 11 0 4 3 1.000 12 6 6 .500
2000 1 1 0 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2001 55 211 8 2 3 2 .991 30 25 5 .167
2002 18 35 2 4 0 0 .902 12 12 0 .000
2003 15 40 4 0 1 0 1.000 9 6 3 .333
通算 132 439 33 8 8 5 .983 78 61 17 .218

[編集] 表彰

[編集] 記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  日付 対戦球団 球場 相手投手
1 2001年4月29日 ダイエー5回戦 福岡ドーム 7回表 斉藤和巳
2 5月29日 日本ハム10回戦 東京ドーム 7回表 生駒雅紀
3 6月15日 オリックス12回戦 大阪ドーム 6回裏 戸叶尚
4 8月11日 西武20回戦 大阪ドーム 2回裏 三井浩二
5 2003年5月18日 ロッテ9回戦 大阪ドーム 3回裏 神田義英
6 2005年4月26日 楽天5回戦 山形県野球場 5回表 ケビン・ホッジス
7 5月6日 中日1回戦 スカイマークスタジアム 6回裏 川上憲伸
8 5月12日 巨人3回戦 東京ドーム 4回表 工藤公康
9 5月24日 阪神1回戦 倉敷マスカットスタジアム 9回表 牧野塁
10 6月11日 横浜5回戦 横浜スタジアム 3回表 土肥義弘
11 2007年6月10日 広島3回戦 広島市民球場 10回表 永川勝浩
12 2008年6月23日 ヤクルト4回戦 明治神宮野球場 9回表 林昌勇

[編集] 背番号

  • 9(1995年 - 2000年)
  • 46(2001年 - 2004年)
  • 23(2005年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ 岡田マジックよ「5番にバント」デイリースポーツ 2011年4月24日
  2. ^ ただし、球団は前半戦での活躍を評価しており、北川自身も本塁打のみが評価の対象となることを嫌っていた。また、代打逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝決定というあまりに劇的な幕切れから度々その映像がメディアに流されたことで、着弾点近くに広告を出していた大装が「優勝決定ホームランの映像が繰り返し放映されたことで、うちの広告が何度も全国放送で流されて良い宣伝になった」として、北川に感謝を込めて10万円を贈呈した(球団側の発言に出てくる金額は、この話を受けてのもの)。北川はこの本塁打について「人生で一番嬉しかった出来事」と語っている。
  3. ^ 同年のパ・リーグで全試合出場を果たしたのは、北川・中島裕之川崎宗則の3人だけだった。
  4. ^ 本人のブログによると、三塁を守るのは約12年ぶりのことだった。
  5. ^ YouTube - ‪『故障発生です!』 北川が負傷も根性の走塁 6月26日 ロッテ-オリックス‬‏
  6. ^ オフのトークショーでの本人の発言。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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