建山義紀
| テキサス・レンジャーズ #22 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大東市 |
| 生年月日 | 1975年12月26日(36歳) |
| 身長 体重 |
5' 10" =約177.8cm 170 lb =約77.1kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1998年 ドラフト2位(逆指名) |
| 初出場 | NPB / 1999年5月3日 MLB / 2011年5月24日 |
| 年俸 | $ 1,000,000(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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建山 義紀(たてやま よしのり、1975年12月26日 - )は、テキサス・レンジャーズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
中学時代はボーイズリーグの「大東畷」に所属。この時オーバースローから現在のサイドスローとなり、6番手ピッチャーから一気にエースとなる。
東海大仰星高校時代は、上原浩治を差し置きエースを務める。また、ラグビーの大畑大介とも同じ高校の同級生で友人。
1998年にドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。
[編集] 日本ハム時代
1999年、新人ながら6月から完全に先発ローテーションに定着し、防御率2.89で6勝を挙げる好投を見せた。名護市のネオパークオキナワ内にあるヤンバルクイナ保護施設を訪れた際には「勝利の数だけ寄付する」と約束。
2000年も開幕3戦目に先発登板するなど前半はローテーション入りして6勝を挙げたが、防御率は5点台に悪化し、後半は中継ぎ登板も多かった。この年より前年に寄付を約束したヤンバルクイナ保護施設に1勝ごとに1万円を寄付する活動を続けている。この年のオフには施設に連絡なしで募金箱へ6万円を投入し、突然大金が入った募金箱に一時は「警察に届けよう」と騒動にもなった。後に建山の善意による寄付と判明し、ネオパークではヤンバルクイナ会という私設応援団も結成されるようになった。
2001年は14イニングで5本塁打を浴びる不安定な投球で、わずか10試合の登板にとどまり、二軍でも成績を残せなかった。
2002年は中継ぎに起用され、45試合に登板して防御率2.29の成績を残す。短いイニングに専念することでストレートの球威が増し、持ち球の鋭いシンカーとスライダーも生きるようになった。シーズン後半にはプロ初セーブを記録。
2003年は前年2桁セーブを挙げていた芝草宇宙・井場友和が共に安定感を欠いたため、シーズン前から抑えとしての登用が予定されていた。序盤故障で出遅れ、阪神から移籍してきた伊達昌司(後に巨人に移籍)が暫定的に抑えとなったが、6月に復帰後は安定した投球で抑えに定着。自己最高の防御率2.17で、15セーブを挙げた。9イニングあたり1個未満と四球を急激に減らし、パ・リーグでは豊田清(現・広島)に次ぐ安定感を見せた。
2004年も抑えの起用が予定されていたが開幕2戦目のシーズン初登板でサヨナラ負けを喫し登録抹消。代役で好投していた伊藤剛が故障した際、横浜から移籍した横山道哉(後に横浜に復帰)が起用され、抑えに定着したため、6月に復帰後は横山に繋ぐ中継ぎとして起用された。41試合に登板して防御率2.33と、3年連続防御率2点台前半の安定した内容で、セットアッパーとして活躍した。リーグ最多の13ホールドを挙げ、自身初のタイトルである最優秀中継ぎ投手を獲得。最優秀救援投手に輝いた横山と共に「タテヨココンビ」の愛称で呼ばれた。
2005年も45試合に登板したが、防御率3.68とやや安定感を欠いた。前年抑えとして活躍した横山がシーズンの終盤には代役で抑えも務め、2年ぶりのセーブを挙げた。
2006年には自己最多の46試合に登板し、武田久・岡島秀樹・マイケル中村と共に強力リリーフ陣を形成、チームのリーグ優勝、日本一に貢献した。
2007年は先発復帰を志願。4月1日に6年ぶりに先発登板し、7年ぶりに先発勝利を挙げた。しかし5月中旬に試合中に右足を痛めて降板するとそのまま二軍落ちし、自己最少のシーズン7試合の登板に終わった。チームは2年連続でリーグ優勝し、クライマックスシリーズも勝ち抜いて日本シリーズ出場を果たし、日本シリーズでは1軍に合流し第三戦に登板。
2008年は再び中継ぎに戻り、自己最速148km/hを記録したストレートと100km/h台のスローカーブのコンビネーションで自己最多58試合に登板し、23ホールドポイントを記録。8月頃からは調子を落とし救援失敗が目立ち始めていた武田久に代わりMICHEALに繋ぐセットアッパーを務めた。しかし、レギュラーシーズン終了後に痛めた右内転筋痛でCSの前日に登録抹消になった。最終的に自己初のシーズン50試合登板を達成した。
2009年の前半はセットアッパーを務め防御率1点台も、後半に腰痛を発症した影響で制球が甘くなり、7敗(うち2009年シーズンのチームのサヨナラ負け3度はいずれも自身が打たれての負け投手になっている。)を喫している。
2010年は宮西尚生と共にセットアッパーをこなし、不調の武田久に代わり抑えを務めることもあった。9月12日自己2回目のシーズン50試合登板を記録した。最終的に武田久と並ぶチーム2位(リーグ8位)の58試合に登板、チーム1位(リーグ6位)の26ホールドポイント、自己最高の防御率1.80を記録。オフにはジョー・ビックと代理人契約を結び、海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明。11月30日にテキサス・レンジャーズと1年契約(2年目以降の2年間はオプション)を結んだ。2011年2月には「半井小絵と不倫関係にある、交際は日ハム当時から」と週刊文春で報じられたが、双方とも「誤解を招く行動はあったかもしれない」と否定した。
[編集] メジャー時代
2011年はスプリングトレーニングでは4試合の登板で防御率7.71、WHIP2.57と結果を残せず、3月15日に傘下のAAA級ラウンドロックが行うキャンプ行きを通告された。ラウンドロックでは14試合の登板で1勝0敗1セーブ、防御率2.14、WHIP1.00、奪三振率11.14、与四球率1.71という好成績を残し、5月23日にメジャーに昇格[1]。24日のシカゴ・ホワイトソックス戦の7回にメジャー初登板を果たし[2]、28日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では3回2安打1失点でメジャー初セーブを挙げた[3]。6月21日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初勝利。8月23日まで32試合の登板で防御率2.60、WHIP0.78、被本塁打4と安定した投球を続けていたが、24日のボストン・レッドソックス戦で本塁打を浴びて以降5試合で4本塁打を浴び、特に9月3日のレッドソックス戦と10日のオークランド・アスレチックス戦では、メジャー史上2人目となる2試合を挟んでの2者連続満塁本塁打を浴びた[4]。その後2試合の登板は無失点に抑えレギュラーシーズンを終了。
ポストシーズンではタンパベイ・レイズとのディビジョンシリーズのロースターからは外れたが、デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでロースター入りし、第3戦で初登板を果たした。しかしセントルイス・カージナルスとのワールドシリーズのロースターからは外れ、チームは第7戦で敗退。10月31日には球団が年俸100万ドルのオプションを行使して契約を延長した[5]。
[編集] プレースタイル
跳ね上がるようなフォームのサイドスローから最速90mph(約145km/h、日本での最速は148km/h)の速球(ツーシーム、フォーシーム)を繰り出し[6][7]、スライダー(球速からカーブとも認識される[8])とシンカー(アメリカではチェンジアップと呼ばれる[8])を決め球にしている[9]。特にスライダーは110km/h台前半から130km/h近くまで緩急をつけることもでき[10]、2010年の投球割合は全投球の51パーセントに及び、さらに奪三振時の決め球としての投球割合は63パーセントを占め、被打率は.121をマーク[11]。すぽるとのインタビューではダルビッシュ有から「球界で1番いいスライダー」と絶賛された。日本での通算与四球率2.12とまとまった制球力も備える。
[編集] 人物
家族は2002年に結婚した4歳年上の妻と1女。
ワイン通であり、家にワインセラーがあるとよくインタビューで語っている。先輩の片岡篤史が引退する時に家にある「1番いいワインを飲ませてくれ」と頼まれたが、その前にたくさん飲んでいた片岡は建山がワインのふたを開けてすぐに、突然「帰るわ~」と言い、ワインを飲まずに帰ってしまい、泣きながら朝食の準備の下ごしらえに使ったと『FFFFF』で語った。
レンジャーズではキャッチボール相手のネフタリ・フェリス[12]や英語を教えてもらっているデレク・ホランド[13]、ワインのやり取りをするというダレン・オリバー[14][15]らと仲が良い。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | 日本ハム | 22 | 16 | 1 | 1 | 0 | 6 | 5 | 0 | -- | .545 | 442 | 106.0 | 101 | 11 | 29 | 0 | 1 | 62 | 0 | 0 | 43 | 34 | 2.89 | 1.23 |
| 2000 | 28 | 13 | 2 | 0 | 0 | 6 | 8 | 0 | -- | .429 | 396 | 89.1 | 106 | 15 | 29 | 0 | 2 | 55 | 1 | 0 | 57 | 55 | 5.54 | 1.51 | |
| 2001 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 72 | 14.1 | 22 | 5 | 9 | 0 | 2 | 9 | 0 | 0 | 17 | 17 | 10.67 | 2.16 | |
| 2002 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 4 | -- | .600 | 231 | 59.0 | 40 | 7 | 13 | 2 | 4 | 41 | 1 | 0 | 16 | 15 | 2.29 | 0.90 | |
| 2003 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 15 | -- | .667 | 138 | 37.1 | 24 | 5 | 4 | 1 | 0 | 31 | 2 | 0 | 9 | 9 | 2.17 | 0.75 | |
| 2004 | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 190 | 46.1 | 39 | 4 | 7 | 1 | 2 | 39 | 1 | 0 | 17 | 12 | 2.33 | 0.99 | |
| 2005 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 2 | 10 | .400 | 211 | 51.1 | 50 | 10 | 8 | 1 | 2 | 35 | 1 | 0 | 22 | 21 | 3.68 | 1.13 | |
| 2006 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 8 | .500 | 193 | 47.0 | 42 | 6 | 10 | 0 | 2 | 30 | 1 | 1 | 18 | 16 | 3.06 | 1.11 | |
| 2007 | 7 | 7 | 1 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | .333 | 167 | 41.0 | 33 | 7 | 9 | 1 | 5 | 31 | 0 | 0 | 20 | 19 | 4.17 | 1.02 | |
| 2008 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 | 22 | .333 | 276 | 67.1 | 61 | 3 | 12 | 3 | 4 | 53 | 1 | 0 | 23 | 23 | 3.07 | 1.08 | |
| 2009 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 7 | 0 | 19 | .417 | 209 | 47.2 | 53 | 3 | 15 | 2 | 1 | 43 | 1 | 0 | 24 | 20 | 3.78 | 1.43 | |
| 2010 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 4 | 25 | .333 | 218 | 55.0 | 43 | 3 | 11 | 0 | 2 | 59 | 0 | 0 | 11 | 11 | 1.80 | 0.98 | |
| 2011 | TEX | 39 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 181 | 44.0 | 37 | 8 | 11 | 4 | 2 | 43 | 1 | 0 | 23 | 22 | 4.50 | 1.09 |
| NPB:12年 | 438 | 37 | 4 | 1 | 0 | 35 | 43 | 27 | 84 | .402 | 2743 | 661.2 | 614 | 79 | 156 | 11 | 27 | 488 | 9 | 1 | 277 | 252 | 3.43 | 1.16 | |
| MLB:1年 | 39 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 181 | 44.0 | 37 | 8 | 11 | 4 | 2 | 43 | 1 | 0 | 23 | 22 | 4.50 | 1.09 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] タイトル
- 最優秀中継ぎ投手:1回 (2004年)
[編集] 記録
- 初登板・初先発:1999年5月3日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(東京ドーム)、7回3失点
- 初奪三振:同上、4回表にフランク・ボーリックから
- 初勝利・初先発勝利:1999年7月21日、対西武ライオンズ17回戦(西武ドーム)、5回1/3を2失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1999年9月19日、対大阪近鉄バファローズ27回戦(大阪ドーム)
- 初セーブ:2002年7月31日、対西武ライオンズ22回戦(西武ドーム)
- 初ホールド:2005年4月26日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(札幌ドーム)
- オールスターゲーム出場:1回 (2000年)
[編集] 背番号
- 22 (1999年 - )
[編集] 脚注
- ^ レンジャーズ建山、メジャー初昇格 2011年5月24日付記事
- ^ 建山、メジャーデビュー!1Kも1失点 サンケイスポーツ 2011年5月26日付記事
- ^ 建山、初セーブに「気分はもちろんいい」 サンケイスポーツ 2011年5月29日付記事
- ^ 建山メジャー2人目“屈辱”連続満塁被弾日刊スポーツ、2011年9月13日。
- ^ Rangers pick up 2012 option on TateyamaMLB.com、2011年10月31日
- ^ MLB投手白書 主要250投手ピッチ・アナリシス/救援投手編 主要107救援投手 持ち球一覧/球種別平均球速 『月刊スラッガー』2012年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、51頁。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、104頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ a b Yoshinori Tateyama PitchFxFanGraphs
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、38頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、85頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ 選手分析 ~日本ハム #22 建山 義紀~ プロ野球 データスタジアム、2010年11月02日。
- ^ 建山の夢…守護神に託す「彼の直球は違う」SANSPO.COM、2011年10月23日。
- ^ 建山の先生・ホランド8回1/3、0封SANSPO.COM、2011年10月25日。
- ^ 本人のTwitter2011年6月4日
- ^ 本人のTwitter2011年7月27日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 建山義紀(tatetatetateyan)本人ツイッターアカウント
- 建山義紀プロフィール | 株式会社スポーツカンパニー
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