佐藤友亮
| 埼玉西武ライオンズ #10 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県藤沢市 |
| 生年月日 | 1978年6月13日(33歳) |
| 身長 体重 |
178cm 82kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手、二塁手 |
| プロ入り | 2000年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 2001年3月24日 |
| 年俸 | 3,300万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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佐藤 友亮(さとう ともあき、1978年6月13日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
ニックネームは「エリート」「グラウンドの諸葛亮孔明」。
目次 |
[編集] 人物
走攻守三拍子のバランスが持ち味の外野手。守備力はチームでも1、2を争う非常に高いレベルにある。打撃でも三振がやや少なく、2004年に打率.317を記録するなど、追い込まれても簡単にアウトにならない粘り強さと、右打ちを身上とするバッティングが特徴である。
栗山巧、大崎雄太朗など守備に不安のある外野手の中で、堅実に守備をこなす選手として信頼されている。バントの技術も優れており、送りバントをするための代打で出たこともある。また、中堅になるにつれて足は遅くなっているが、「走塁が上手い」「暴走などの判断ミスが少ない」という理由から代走に起用されることもある。試合中に代走に出された大崎がそのまま打席に入り四球で出塁した時に、その代走として起用されたこともあった。(大崎はやや暴走する癖がある。)
スポーツ推薦ではなく一般受験で慶應義塾高等学校に入学し、そのまま慶應義塾大学に進学・卒業しており、プロ野球一IQの高い男と紹介されることもある。プロ野球選手になる前は弁護士を目指していた。2006年と2007年は選手会副会長を務め(会長は赤田将吾)、2008年は選手会顧問となった。
打席に入るときの登場曲は、「PRIDEのテーマ」。
[編集] 来歴
[編集] 高校・大学時代
慶應義塾高等学校時代は投手。一般受験で首都圏の私学でトップレベルの難関である同校に合格した(同校には推薦入試もあるが、開始されたのは2003年である。野球のかたわら一日10時間勉強を行っていたという)。1995年夏の神奈川大会では決勝まで進出するも甲子園出場を逃す。この時は非常に珍しい「1番・投手」であった。同校を受けた理由は、中学校の野球部監督と慶應義塾高校の野球部監督が湘南高校で先輩後輩の関係であり、監督から薦められたためである。
慶應義塾大学では一塁手と投手を経験し、その後外野手に転向。4年の春までは1番を打ち、最後の秋には5番に打順を変更しリーグ優勝に貢献する。六大学時代に和田毅から2試合連続先頭打者二塁打を打つなど相性がよく、プロ入り後も和田を得意としている。慶應義塾大学の卒業必要単位を3年終了時に取得していたなど、文武両道を地で行く秀才であった。プロ一年目の春季キャンプの紅白戦で活躍した際には「プロ野球選手にならなければ弁護士を目指していました」というコメントが話題になった。
リーグ通算77試合出場し298打数87安打、打率.292、2本塁打、22打点。
[編集] プロ入り後
外野手として西武ライオンズに入団するが、正二塁手が不在の当時のチーム事情から、新人ながら2番・二塁手として開幕スタメンに名を連ねた。不安視された守備だが予想以上の動きを見せ、センスの高さを印象付けた。また、開幕戦で二塁手を務めたその翌日には中堅手としてスタメン出場し、いきなり強肩を活かして補殺を記録するなど、万能ぶりを発揮した。
高木浩之が再び二塁手に定着し、打撃でもアピールできずレギュラーから遠ざかることとなった。
課題だった打撃が向上し、本職の外野守備に専念することで再びレギュラー争いに名を上げ、85試合に出場し打率.288と活躍を見せた。当時ルーキーだった和田毅(福岡ダイエーホークス)から自身初の本塁打となる逆転の満塁本塁打を打ちチームの勝利に貢献した。
6月から1番・右翼手のレギュラーを獲得。夏場以降打率を急上昇させ、初の打率3割(.317)を記録した。初の2ケタ盗塁、出塁率.362、さらにパシフィック・リーグ全チームから3割以上打つという素晴らしい結果を残し、松井稼頭央移籍後の1番打者の地位を獲得した。中日ドラゴンズとの日本シリーズではチームトップの打率.394をマークする大活躍を見せ、チームの12年ぶりの日本一に貢献した。
4月2日の対楽天戦(宮城球場)でフェンスに激突した際、左肩の脱臼及び左足首内踵骨骨折の重傷を負い、9月に復帰したもののシーズンの大半を棒に振ってしまった。代わりに栗山巧や高波文一、柴田博之らが1番・右翼手として活躍することとなり、一度つかみかけた1番バッターの座からは遠ざかることになった。
この年から背番号を30から10に変更した。しかし開幕当初から打率が上がらず、福地寿樹の加入もあってレギュラーからは外れてしまった。大学時代から得意にしているソフトバンクの和田など、左投手が先発するときにはほとんど例外なく1番バッターとしてスタメン出場したものの、出場試合は少ないシーズンとなってしまった。
背水の陣で臨んだこの年、同じようなタイプの高波が楽天へ移籍したこともあり、守備をアピールして再びレギュラーを狙った。開幕直後は赤田将吾の長期離脱と福地は左投手が苦手な為中堅手のレギュラーの座が巡って来て、一時は3割を越える打率を残した。しかしその後不調に陥り、打率が2割前半と振るわずレギュラー獲得はならなかった。右投手からは打率.120だが左投手から打率.266と、この年も左投手キラーぶりを発揮した。最優秀防御率を獲得した左投手の成瀬善久からも3割近い打率を残した。左投手のときだけ1番でスタメン出場という起用が多かった。
チームの方針で攻撃重視となったためか出場試合数は減ったが、昨年不振だった打率が.301と好調だった。左投手からはこの年も.325と打ちこんだ。また左ピッチャー限定だった打席も右左問わず、3割に近い打率をマークした。11月開催のアジアシリーズ2008において、6番ライトで先発出場した決勝戦では、9回裏2アウト1塁(1塁走者は石井義人)の場面で潘威倫投手から左中間にサヨナラ適時二塁打を放ち、同シリーズMVPを獲得した。
打撃不振だったが守備固めや左投手対策のスタメンなどで出場し、一度も二軍落ちすることなく一年を過ごした。シーズン中盤以降は左翼手として左の大崎雄太朗と併用され、得点圏打率.333、代打打率.429と勝負強い打撃を発揮。結果的にレギュラーを獲った04年以来5年ぶりとなる100試合出場を記録した。10月1日のロッテ戦では9回裏に犠牲バントをするための代打として起用され、直後のG.G.佐藤の逆転サヨナラ安打をアシストした。
高山久のブレイクによりレギュラー定着とまではいかなかったものの、平尾博嗣らと共にチームを支えるいぶし銀として活躍、8月7日の日ハム戦では1試合4安打と決勝タイムリーも記録した。
東日本大震災後、震災による燃料不足を考慮し、車による出勤をやめ、自転車による出勤を始めた。そしてこの出来事をうけて同じく自転車での出勤を始めた片岡易之とG.G.佐藤と共に自転車部を結成した。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | 西武 | 46 | 143 | 131 | 14 | 31 | 1 | 0 | 0 | 32 | 5 | 5 | 4 | 3 | 0 | 9 | 0 | 0 | 16 | 1 | .237 | .286 | .244 | .530 |
| 2002 | 31 | 57 | 51 | 1 | 7 | 2 | 0 | 0 | 9 | 3 | 2 | 3 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | .137 | .137 | .176 | .314 | |
| 2003 | 85 | 236 | 205 | 24 | 59 | 13 | 3 | 2 | 84 | 22 | 4 | 1 | 15 | 0 | 15 | 0 | 1 | 28 | 6 | .288 | .339 | .410 | .749 | |
| 2004 | 105 | 348 | 306 | 54 | 97 | 9 | 2 | 2 | 116 | 27 | 11 | 8 | 11 | 1 | 27 | 1 | 2 | 36 | 8 | .317 | .375 | .379 | .754 | |
| 2005 | 17 | 74 | 67 | 3 | 16 | 2 | 0 | 0 | 18 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 0 | 7 | 1 | .239 | .278 | .269 | .546 | |
| 2006 | 64 | 120 | 99 | 14 | 22 | 2 | 1 | 0 | 26 | 6 | 9 | 4 | 5 | 1 | 14 | 1 | 1 | 13 | 4 | .222 | .322 | .263 | .584 | |
| 2007 | 68 | 180 | 159 | 15 | 35 | 5 | 0 | 1 | 43 | 7 | 3 | 1 | 7 | 2 | 11 | 0 | 1 | 19 | 3 | .220 | .272 | .270 | .542 | |
| 2008 | 59 | 144 | 126 | 23 | 38 | 8 | 1 | 1 | 51 | 11 | 4 | 2 | 8 | 1 | 6 | 0 | 2 | 23 | 2 | .302 | .341 | .405 | .746 | |
| 2009 | 105 | 216 | 191 | 22 | 46 | 4 | 4 | 0 | 58 | 21 | 9 | 4 | 7 | 2 | 15 | 2 | 1 | 30 | 2 | .241 | .297 | .304 | .600 | |
| 2010 | 98 | 199 | 173 | 30 | 43 | 5 | 1 | 2 | 56 | 16 | 5 | 5 | 10 | 2 | 12 | 0 | 2 | 26 | 3 | .249 | .302 | .324 | .625 | |
| 2011 | 42 | 57 | 50 | 4 | 6 | 1 | 0 | 1 | 10 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 10 | 1 | .120 | .170 | .200 | .370 | |
| 通算:11年 | 720 | 1774 | 1558 | 204 | 400 | 52 | 12 | 9 | 503 | 123 | 52 | 32 | 77 | 10 | 115 | 4 | 11 | 216 | 31 | .257 | .311 | .323 | .634 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 表彰
- アジアシリーズMVP:1回(2008年)
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2001年3月26日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(西武ドーム)、2番・二塁手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、1回裏に黒木知宏から右前安打
- 初盗塁:2001年3月28日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回表に二盗(投手:小倉恒、捕手:日高剛)
- 初打点:同上、10回表に今村文昭から適時打
- 初本塁打:2003年8月25日、対福岡ダイエーホークス23回戦(西武ドーム)、5回裏に和田毅から左越満塁本塁打
[編集] 背番号
- 30(2001年 - 2005年)
- 10(2006年 - )
[編集] 日本代表キャリア
[編集] 関連項目
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