後藤武敏
| 横浜DeNAベイスターズ #55 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 静岡県浜松市中区 |
| 生年月日 | 1980年6月5日(31歳) |
| 身長 体重 |
176cm 84kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 左翼手、三塁手、一塁手 |
| プロ入り | 2002年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2003年3月28日 |
| 年俸 | 1,700万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、横浜DeNAベイスターズ所属のプロ野球選手。ポジションは内野手(主に三塁手、一塁手)、一軍では外野手(主に左翼手)でも出場する。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 中学時代
シニアリーグで全国準優勝した経歴を持つ。タレントの野久保直樹が一年後輩のチームメイトだった。
[編集] 高校時代
横浜高校では松坂大輔、小池正晃、小山良男らと共に1998年第70回選抜高等学校野球大会・第80回全国高等学校野球選手権大会に出場、主に3番打者として春夏連覇に貢献、かながわ・ゆめ国体も制覇。なお、後藤は1年生時には既にベンチ入りしており、第78回全国高校野球選手権大会出場時にも、3回戦で9回に代打で登場し安打を打っている。高校通算33本塁打。準々決勝ではPL学園高校の稲田学・上重聡、準決勝では寺本四郎といった投手と対決した。
高校の1年先輩には上地雄輔がいる。
[編集] 大学時代
法政大学では東京六大学2年春のリーグ戦で打率.445・2本塁打・14打点で三冠王を達成。ちなみに前年には同じく法大の廣瀬純が三冠王に輝いており、史上初めて同一チームから2年続けて三冠王を輩出した。続く2年秋のリーグ戦でも首位打者となり、長崎慶一(法大)、広沢克己(明大)に次ぐ史上3人目の2季連続首位打者であり、後藤の後に達成した選手はいない。ちなみに首位打者2回も9人目の最多記録で、のちに鳥谷敬(早大)、大引啓次(法大)が達成している(2011年現在)。
4年秋の早大3回戦の9回に、早大先発の和田毅から三振を喫したが、これが和田のリーグ戦通算444個目の奪三振となり、六大学記録を献上した。
リーグ通算73試合出場、258打数79安打、打率.306・8本塁打・52打点でベストナイン3回。山中正竹が指揮を執る第1回世界大学野球選手権日本代表にも土居龍太郎・河野友軌と、のちに西武ライオンズで同期入団となる長田秀一郎・小野寺力と共に選出され、3位入賞に貢献。
2002年のプロ野球ドラフト会議で、西武ライオンズに自由獲得枠で入団。法政大学現役学生がドラフトで西武へ入団するのは、「西武」になって以来初めてであった。[要出典]
[編集] プロ入り後
2003年は故障で開幕に間に合わなかったアレックス・カブレラに代わり開幕戦で「新人ながらいきなり4番に座る」という快挙を成し遂げた。前半は打率3割を超え絶好調で、手首の強さを生かした打撃でクリーンナップに座った。後半に失速したが、101試合で11本塁打と新人ながら活躍し、期待に応えた。
2004年は5番・一塁手で2年連続の開幕スタメンに起用されるが、故障の影響や貝塚政秀の台頭で出番は少なく、打率1割台と低迷した。 2004年5月12日にサンマリンスタジアム宮崎で守備についた際、スコアボードに「原井」と誤表示された。球場の資料が2年前のもので、2002年当時に背番号「6」を付けていたのが原井だったため。[要出典]
2005年はホセ・フェルナンデスの開幕出遅れでチャンスが巡ってきたが、それを生かせなかった。しかし二軍では打率.362・58打点で二冠、出塁率.464・長打率.580を合わせて4冠を獲得、優秀選手を受賞した。このことから「二軍の帝王」と呼ばれ、この成績にも関わらず、一軍には石井義人が首位打者に立つなど好調だったこともあり、なかなか昇格できず25試合・打率.205に留まり、8度の守備機会で4失策してしまった。9月24日の対ソフトバンク戦で、三瀬幸司から人生初となる逆転サヨナラ適時打を放ち、チームの24年連続Aクラスを決定させた。
2006年は三塁手のライバルである中村剛也がレギュラーに定着したこともあり、初めて一軍出場が無かった。二軍では本塁打がイースタン・リーグ6位の9本、長打率は5位の.447と快打を連発したが、昇格できなかった。
2007年は開幕一軍スタートだったがすぐに降格。中村の不振で5月15日に再昇格したが、打率1割台と結果を残せなかった。二軍では打率.325でチームトップの本塁打と打点を記録したにもかかわらず、この年も一軍では活躍できなかった。
2008年も開幕二軍だったものの、二軍で打率.313・10本塁打と打撃好調で6月中旬に一軍昇格。6月29日の対ロッテ戦では新人時代以来となる5年ぶりの本塁打を放ち、更に自身初の1試合2本塁打を放った。以後も好調な打撃を維持して五輪出場組の抜けたチームを支えた。終盤には調子の落ちたクレイグ・ブラゼルに代わって4番で出場することもあり、日本一に大きく貢献した。最終的には49試合に出場して打率.301、自己最多の12本塁打の成績を残した。プロ入り後初めて左翼手も経験したが無難にこなした。クライマックスシリーズでは2本塁打と活躍。日本シリーズでは第一戦、上原浩治からバックスクリーンに同点本塁打を放って日本一に貢献した。2008年6月29日の対ロッテ戦(西武ドーム)で、小林宏之から2003年以来となる本塁打を放った。5回にも本塁打を放ち、ヒーローインタビューでは2本塁打について「1本目は息子と嫁さんのため、2本目は親父と、先日亡くなった母ちゃんのために打ちました」とコメントし、涙ながらに「母ちゃん、やったぞ!」と叫んだ。
2009年から外野手登録となる。開幕は一軍だったものの腰を痛めて離脱、その後7月9日に昇格した。8月25日の対楽天戦でプロ初となるサヨナラ本塁打を打った。左翼手・指名打者・一塁手として出場し、打率.293・5本塁打を記録。前年同様シーズン中盤から一軍で好成績を残した。
2010年は前年の活躍から一転して、大半を二軍で過ごした。特に左投手は打率.050と全く打てなかった。最終戦で一軍に昇格し、クライマックスシリーズ第1ステージ第1戦にスタメン出場するも、無安打に終わった。
2011年11月22日、武山真吾との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍。
[編集] 人物
愛称はゴトタケ、GT、グッさん(顔が山口智充に似ていることから)。
右の打者であるが、二軍での守備率が9割付近から上昇しないなど守備面で大きな弱点があった。また二軍では毎年好成績を残すものの、一軍に昇格すると打てなくなる状態が何年も続いており、「二軍の帝王」という不名誉なあだ名を返上できずにいた。
一軍では1年目の2003年に11本塁打を打ったが、その後4年間に渡って本塁打が出なかった。打率も低迷したが、2008年6月29日の対ロッテ戦(西武ドーム)で5年ぶりに本塁打を放ち、更に自身初となる1試合2本塁打を記録した。結局、2008年シーズンは出場試合数は2003年シーズンのおよそ半分であるにもかかわらず、自身2度目の2桁本塁打を記録した。
ヒーローインタビューでは、アナウンサーの質問ごとに「そうっすね」と言うのが定番になっている。
温厚な性格で、試合中に乱闘・揉め事があった時には怒った外国人選手・首脳陣を止めている場面が多い。2011年7月11日の対オリックス戦では、高宮和也が中島裕之に死球を与えたのを発端に揉め事が発生。激高したホセ・フェルナンデスを後藤が止めた際に、斉藤一美(文化放送アナウンサー)に「後藤がフェルナンデスを上手出し投げしました」と表現された。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 西武 | 101 | 272 | 252 | 30 | 66 | 15 | 1 | 11 | 116 | 44 | 1 | 2 | 0 | 1 | 17 | 2 | 2 | 57 | 9 | .262 | .313 | .460 | .773 |
| 2004 | 24 | 52 | 47 | 5 | 9 | 2 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 15 | 1 | .191 | .269 | .234 | .503 | |
| 2005 | 25 | 47 | 39 | 4 | 8 | 4 | 0 | 0 | 12 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 11 | 1 | .205 | .340 | .308 | .648 | |
| 2007 | 20 | 42 | 37 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 12 | 1 | .162 | .220 | .162 | .382 | |
| 2008 | 49 | 184 | 166 | 34 | 50 | 14 | 0 | 12 | 100 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | 2 | 31 | 3 | .301 | .370 | .602 | .972 | |
| 2009 | 54 | 161 | 147 | 13 | 43 | 4 | 1 | 5 | 64 | 23 | 0 | 2 | 0 | 1 | 13 | 0 | 0 | 33 | 4 | .293 | .348 | .435 | .783 | |
| 2010 | 16 | 33 | 29 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 9 | 1 | .138 | .242 | .138 | .380 | |
| 2011 | 24 | 37 | 33 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 13 | 0 | .152 | .243 | .212 | .455 | |
| 通算:8年 | 313 | 828 | 750 | 90 | 191 | 41 | 2 | 28 | 320 | 104 | 1 | 5 | 1 | 3 | 69 | 2 | 5 | 181 | 20 | .255 | .320 | .427 | .747 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2003年3月28日、対日本ハムファイターズ1回戦(西武ドーム)、4番・一塁手として先発出場
- 初安打・初打点:2003年3月29日、対日本ハムファイターズ2回戦(西武ドーム)、2回裏に金村曉から右前適時打
- 初本塁打:2003年4月18日、対日本ハムファイターズ4回戦(東京ドーム)、8回表に岩本勉から右越2ラン
- 初盗塁:2003年7月23日、対オリックス・ブルーウェーブ17回戦(西武ドーム)、4回裏に二盗(投手:具臺晟、捕手:日高剛)
[編集] 背番号
- 6 (2003年 - 2011年)
- 55 (2012年 - )
[編集] 関連項目
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