八木裕
| 阪神タイガース コーチ #76 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岡山県玉野市 |
| 生年月日 | 1965年6月8日(46歳) |
| 身長 体重 |
182cm 76kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手、外野手、一塁手、遊撃手 |
| プロ入り | 1986年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1987年5月12日 |
| 最終出場 | 2004年10月10日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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八木 裕(やぎ ひろし、1965年6月8日 - )は、岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。愛称は「代打の神様」、「ハチキ」。
現在は阪神タイガース二軍打撃コーチ。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] 現役時代
玉野市立胸上小学校、東児中学校から岡山県立岡山東商業高等学校へ入学。2年生の頃から4番を打ち、1982年、2年生の夏の全国高等学校野球選手権岡山大会では準決勝で川相昌弘(元巨人-中日)や後にチームメイト(同年齢同学年だがプロ野球では先輩)となる横谷総一(現阪神球団フロント)のいた岡山南を破ったが、決勝で関西に敗れ、翌年の3年生の夏は初戦で倉敷商に敗れて甲子園出場はできなかった。3年生の頃はアンダースローの控え投手としてマウンドに立つこともあった。 佐々木誠とは同じ岡山県出身で、同年齢同学年(佐々木は水島工)で高校時代からのライバルであった。1999年に佐々木が阪神に移籍をしてチームメイトになっている。
高校卒業後、三菱自動車水島を経て、1986年ドラフト3位で阪神に入団する。1988年は1A・フレズノ・サンズに野球留学した。 主に守備力と走力を評価されてプロ入りした選手だったが、打力で売り出し、村山実監督最終年1989年6月ごろからレギュラーに定着。掛布二世とも呼ばれ、1990年に28本塁打、1991年に22本塁打、チームが優勝争いをしていた1992年に21本塁打を記録するなど長距離砲として活躍した。
同1992年9月11日のヤクルトとの首位攻防戦では、9回裏2アウト一塁の場面で左中間に大飛球を放ち、フェンス下部のラバークッションに当たってスタンドに入り、これを平光清二塁塁審がホームランと判定し、一度はサヨナラ勝ちのホームを踏んだ。しかし、ヤクルト野村克也監督が抗議し、審判団が「エンタイトル二塁打」に判定を覆したため、今度は阪神中村勝広監督が抗議。37分の中断後、連盟提訴を条件に試合は再開され、結局延長15回引き分け。中断時間を含めて6時間26分のロングゲームとなり、終了時には日付が改まって翌日の0時26分となっていた(平光清の項を参照)。
その後は若手の亀山努・新庄剛志などが台頭し、1992年を境に故障もあり次第と出番が減っていった。ついに一軍出場がなくなった1996年オフにはチームの戦力構想から外れかけたが、プロ入り当初やルーキー時代の吉田義男監督が復帰しの進言で残留(同時期パリーグ加盟西武ライオンズからFA宣言した清原和博を吉田監督をはじめ阪神球団一丸となって獲得目指したが八木自身は「清原君がタイガースに来てくれるなら喜んで背番号3を譲りたい」と発言)。
その後代打としての適性の高さを見せ、1997年には代打率4割、1998年には開幕からしばらく代打率5割以上をマークするなど、ここ一番の場面で登場する代打の切り札となった。その後も絶好の場面で好打を放つことから吉田監督から「代打の神様」と命名され、「代打・八木」のコールで球場を大いに沸かせる選手となる。
また、チームがリーグ優勝した2003年には濱中おさむの故障などチーム事情もあり、勝負強さを買われて数試合で4番を任され、それに見合う活躍をする。それ以外の試合でも代打で力を遺憾なく発揮し、阪神18年ぶりの優勝に貢献した。この年は阪神が6月ごろからセ・リーグで独走状態となったが、阪神ナインには同年入団した金本知憲なども含め、優勝争い経験が希薄だったので、優勝が現実に迫る中冷静でいられる方法を八木に聞いていた者も多いらしい。1992年に優勝争いをしていた当時の阪神ナインで、この年の星野仙一監督の胴上げに選手として加わったのは久慈照嘉・桧山進次郎と八木だけである。桧山は当時ルーキーの一軍半の選手で、久慈は一度中日に移籍しているため、生え抜きの当時の主力では八木だけになる。
代打としての出場が多くなってから、常々、リーグ優勝を経験したら引退と口にしていたが、翌2004年をもって現役を引退。引退の理由は、中日戦で、前の打者が2人連続で敬遠されて自分は三振に終わり、相手チームから自分が打てないと判断された、と感じたためであった。10月10日、阪神甲子園球場で行われた阪神対読売ジャイアンツ最終戦が引退試合となった。この試合では8回裏に代打で登場し、ライト前ヒットを放った。阪神がリードのまま、9回表には一塁の守備に就いた。巨人の攻撃は三者凡退で3つのアウト全てが内野ゴロだったため、全てのボールが八木のミットに収まり、ウイニングボールをゲームセットの瞬間に直接手にした。八木にとってまさに有終の美を飾る試合となり、試合後の引退セレモニーでは「憧れの、甲子園の打席に立つことは…もうありません」と感極まった。通算代打成績は400打数、94安打、13本塁打、98打点、打率.235。
現役時代、甲子園球場での登場テーマはジグソーのスカイ・ハイ。これは北海道日本ハムファイターズの二岡智宏と同じである。
[編集] 引退後
2005年から毎日放送とサンケイスポーツの野球解説者に就任。この年阪神とロッテが日本シリーズで対決した際、「ロッテ4連勝」と予想し、的中させた。「セ・リーグにはロッテ、ソフトバンクと戦って勝てるチームはない」と述べたとも伝えられる。
マスターズリーグでは、2005-2006シーズンから大阪ロマンズの選手として参加している。
2009年、阪神二軍打撃コーチに就任。
シーズンオフには毎年中学生を対象とした八木杯を開催している。 またその他の施設でも野球教室を開催している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987 | 阪神 | 69 | 125 | 120 | 8 | 21 | 3 | 0 | 2 | 30 | 11 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 35 | 1 | .175 | .202 | .250 | .452 |
| 1988 | 9 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 1989 | 102 | 301 | 271 | 33 | 58 | 12 | 4 | 16 | 126 | 40 | 3 | 0 | 4 | 0 | 26 | 2 | 0 | 67 | 5 | .214 | .283 | .465 | .748 | |
| 1990 | 124 | 463 | 412 | 63 | 103 | 15 | 2 | 28 | 206 | 66 | 4 | 2 | 4 | 3 | 41 | 2 | 1 | 101 | 8 | .250 | .316 | .500 | .816 | |
| 1991 | 130 | 524 | 472 | 60 | 118 | 12 | 1 | 22 | 198 | 64 | 11 | 1 | 0 | 4 | 43 | 0 | 5 | 113 | 13 | .250 | .317 | .419 | .736 | |
| 1992 | 129 | 492 | 424 | 57 | 113 | 23 | 3 | 21 | 205 | 60 | 8 | 6 | 5 | 1 | 59 | 3 | 3 | 84 | 8 | .267 | .359 | .483 | .842 | |
| 1993 | 103 | 357 | 315 | 30 | 74 | 18 | 3 | 9 | 125 | 47 | 3 | 5 | 4 | 7 | 29 | 1 | 2 | 64 | 6 | .235 | .297 | .397 | .694 | |
| 1994 | 71 | 280 | 247 | 27 | 64 | 9 | 4 | 6 | 99 | 28 | 1 | 1 | 7 | 4 | 21 | 0 | 1 | 47 | 11 | .259 | .315 | .401 | .716 | |
| 1995 | 71 | 204 | 180 | 22 | 48 | 8 | 1 | 5 | 73 | 14 | 1 | 0 | 2 | 1 | 16 | 1 | 5 | 43 | 3 | .267 | .342 | .406 | .748 | |
| 1997 | 94 | 221 | 189 | 26 | 52 | 8 | 2 | 4 | 76 | 30 | 0 | 1 | 0 | 1 | 30 | 1 | 0 | 45 | 5 | .275 | .371 | .402 | .773 | |
| 1998 | 95 | 207 | 188 | 21 | 53 | 11 | 0 | 3 | 73 | 31 | 2 | 0 | 0 | 0 | 18 | 2 | 1 | 36 | 5 | .282 | .348 | .388 | .736 | |
| 1999 | 78 | 88 | 77 | 3 | 14 | 4 | 0 | 1 | 21 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 2 | 15 | 4 | .182 | .284 | .273 | .557 | |
| 2000 | 48 | 81 | 69 | 11 | 17 | 3 | 1 | 5 | 37 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1 | 11 | 0 | 0 | 15 | 2 | .246 | .346 | .536 | .882 | |
| 2001 | 85 | 136 | 121 | 6 | 24 | 1 | 0 | 1 | 28 | 15 | 0 | 0 | 3 | 1 | 11 | 1 | 0 | 27 | 3 | .198 | .263 | .231 | .494 | |
| 2002 | 64 | 80 | 67 | 3 | 19 | 1 | 0 | 3 | 29 | 24 | 0 | 1 | 0 | 4 | 7 | 2 | 2 | 14 | 0 | .284 | .350 | .433 | .783 | |
| 2003 | 64 | 119 | 105 | 11 | 30 | 6 | 0 | 0 | 36 | 21 | 0 | 0 | 0 | 4 | 9 | 3 | 1 | 20 | 0 | .286 | .336 | .343 | .679 | |
| 2004 | 32 | 41 | 37 | 2 | 9 | 3 | 0 | 0 | 12 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 11 | 1 | .243 | .324 | .317 | .641 | |
| 通算:17年 | 1368 | 3728 | 3303 | 383 | 817 | 137 | 21 | 126 | 1374 | 479 | 33 | 18 | 30 | 31 | 337 | 20 | 24 | 742 | 75 | .247 | .319 | .416 | .735 | |
[編集] 表彰
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (1990年)
[編集] 記録
- 初出場:1987年5月12日、対読売ジャイアンツ3回戦(後楽園球場)、8回裏に三塁手として出場
- 初打席:同上、9回表に角三男から三振
- 初安打・初本塁打・初打点:1987年5月13日、対読売ジャイアンツ4回戦(後楽園球場)、8回表に江川卓から
- 100本塁打:1994年4月27日、対ヤクルトスワローズ4回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に西村龍次から
- 1000試合:1999年4月8日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、9回表に高波文一の代打として出場 ※史上348人目
- オールスターゲーム出場:1回 (1992年)
[編集] 背番号
- 14 (1987年)
- 3 (1988年 - 2004年)
- 76 (2009年 - )
[編集] 関連情報
[編集] 出演CM
[編集] 出演番組
- せやねん!(毎日放送 レギュラー)
- ザ・プロ野球
- MBSタイガースナイター
- いざゆけ八木裕!(MBSラジオ)
- 板東英二金曜生BAN BAN(MBSラジオ)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
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