猪俣隆

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猪俣 隆
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県長岡市
生年月日 1964年6月25日(47歳)
身長
体重
186cm
82kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 ドラフト1位
初出場 1987年4月11日
最終出場 1996年4月29日
経歴(括弧内は在籍年)

猪俣 隆(いのまた たかし、1964年6月25日 - )は、阪神タイガース中日ドラゴンズに在籍したプロ野球選手投手)、左投左打。

目次

[編集] 来歴・人物

新潟県長岡市出身。高校から野球留学で上京し、堀越高校を経て法政大学野球部へ。大学時代、新人戦(対明治大学戦)でノーヒットノーランをマークするなど、通算20勝をマークした。1985年3年時に全日本大学野球選手権大会決勝戦で東洋大相手に完封勝利。1986年、阪神からドラフト1位指名を受けて入団。新潟県出身の選手がドラフト1位指名を受け入団したのは、これが史上初のこと(1位指名選手としても通算2人目)。ナックルボールを武器に即戦力として期待された。

大卒同期入団の阿波野秀幸亜細亜大学 - 近鉄)、西崎幸広愛知工業大学 - 日本ハム)らと並んで“トレンディエース”と謳われた一角。当時巨人に在籍していたウォーレン・クロマティに引っ掛けて「イノマティ」というニックネームも頂戴した。

しかし、プロ入り後は伸び悩んだ。大学時代から変化球のキレと制球の良さが売りだったが、プロ入り後は度重なる故障と、幾たびにも亘るフォーム改造で、逆に制球力が著しく低下。その後山本和行の背番号「25」を受け継ぎ、先発に中継ぎに救援にと様々な形で登板したものの、1993年に唯一の2桁勝利となる11勝(12敗)を挙げたのをピークに、以後は相次ぐ故障などで低迷。コントロールの不安定で四球が多い投球内容から「ミスターB」という不名誉なニックネームまで付いた。

1997年を最後に阪神を戦力外となり、翌1998年中日に入団。しかしここでも故障に泣かされ、結局一軍公式戦の登板はゼロ。結局、この年限りで引退した。マイナーリーグ、独立リーグなどにチャンスを求めて渡米したものの、結局現役は断念。

DH制ではない東京六大学野球からの入団ながら、プロ入り以来79打席連続無安打という珍記録もマークしている(これは当時のセ・リーグ記録である)。現在は工藤公康の84打席が記録(日本記録は嵯峨健四郎の90打席)であるが、初打席以来の記録では現在でも猪俣が最多。なお、工藤は西武ライオンズ所属時に日本シリーズでサヨナラ安打を記録している。

中日退団後、渡米中にふとしたきっかけですし職人の口を紹介され、三重県津市内での修行を経て2001年渡米。ワシントンD.C.で腕を振るった。猪俣は大学時代、日米大学野球で渡米した時以来「いつか、アメリカに永住したい」という夢を持っていたが、こうして意外な形ではあるものの、実現させることができた。その後、すし職人からは引退した[1] が、引き続きワシントンDCで活動している。

因みに、元々左利きであったため、修行中は右利きに矯正するなど努力したことについて、ワシントンの地元紙で「寿司界のジミ・ヘンドリックス」と評されたことがある。

猪俣を主役とした漫画作品として、中山ラマダ「泣くな!イノマティ」(未単行本化)がある。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1987 阪神 22 14 2 1 0 5 7 0 -- .417 422 98.0 91 12 37 2 2 88 4 1 34 32 2.94 1.31
1989 41 5 0 0 0 4 6 3 -- .400 303 66.2 53 3 54 1 1 65 4 0 33 31 4.19 1.60
1990 23 21 7 3 0 5 11 0 -- .313 635 145.2 125 20 77 2 6 115 5 0 64 53 3.27 1.39
1991 27 26 7 1 0 9 13 0 -- .409 717 172.1 135 7 80 3 5 116 7 0 72 63 3.29 1.25
1992 14 13 1 1 0 5 5 0 -- .500 364 75.2 87 8 50 1 4 57 1 0 46 42 5.00 1.81
1993 27 27 3 0 1 11 12 0 -- .478 735 166.2 179 16 71 3 5 133 4 1 72 72 3.89 1.50
1994 14 10 1 1 0 3 6 0 -- .333 207 47.0 52 6 16 1 1 29 1 0 24 23 4.40 1.45
1995 21 2 0 0 0 1 2 0 -- .333 141 32.1 26 4 15 0 3 17 2 0 10 9 2.51 1.27
1996 2 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 18 3.0 7 0 2 0 0 3 0 0 5 5 15.00 3.00
通算:9年 191 119 21 7 1 43 63 3 -- .406 3542 807.1 755 76 402 13 27 623 28 2 360 330 3.68 1.43

[編集] 記録

  • 初登板:1987年4月11日、ヤクルト戦(甲子園)2-5 8回から登板、2回無失点
  • 初勝利:1987年8月11日、巨人戦(後楽園)6-4 先発し5回2/3を3失点
  • 初完投・初完封:1987年9月10日、ヤクルト戦(甲子園)3-0 被安打7 奪三振14 四死球1
  • 初セーブ:1989年10月1日、広島戦(甲子園)4-3 9回0死より登板、1回無失点

[編集] 背番号

  • 17 (1987年 - 1988年)
  • 25 (1989年 - 1997年)
  • 13 (1998年)

[編集] 脚注

  1. ^別冊宝島1819 元阪神414人の今』(宝島社、2011年)には「今回確認したところすし職人はやめている」との記述がある。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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