稲葉篤紀
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| 北海道日本ハムファイターズ #41 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 愛知県西春日井郡師勝町(現・北名古屋市) |
| 生年月日 | 1972年8月3日(36歳) |
| 身長 体重 |
186cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| 守備位置 | 右翼手、一塁手、中堅手、左翼手 |
| プロ入り | 1994年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1995年6月21日 |
| 年俸 | 2億5,000万円(2009年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2008年 |
| WBC | 2009年 |
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この表について
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稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
愛知県北名古屋市(旧・西春日井郡師勝町)出身。右頬に特徴的な大きな痕があるが、自著によると原因不明とのことである。
少年時代から通っていたバッティングセンターで、中学生にとっては速球といえる120km/h前後の球をポンポンと打ち返す同年代の左打者をよく見かけ、「すごいなあ」と感心していた。その打者こそ後のイチローだった。当時両者の間に会話こそなかったものの、プロ野球界を代表する好打者二人が奇しくも同じバッティングセンターに通っていたことになる。時を経て2009年のワールド・ベースボール・クラシックではチームメイトとなり、経験豊かなベテランである両者が日本代表をまとめ、連覇を果たした。
中京高校(現・中京大学附属中京高等学校)3年夏の愛知大会決勝で、そのイチローのいた愛知工業大学名電高等学校に敗れた。卒業後は法政大学に進み、1993年(3年時)の春から一塁手としてレギュラーに定着。同年の第22回日米大学野球の代表に選ばれた。4年時には東京六大学野球の春季リーグでベストナインに選ばれ、第23回日米大学野球の代表にも選ばれている。リーグ通算86試合出場、307打数86安打、打率.280、本塁打6、打点50。
1994年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズに3位指名され、入団した。なお、法政大では経営学部で学んだが、単位不足で卒業はしていない。
- 上述のように、法政大で一塁手に定着したのは3年春(1993年)からだが、試合そのものには1年春から出ており、先発出場時は中軸を打つこともあった。しかし、稲葉が一塁手に定着できなかった理由は、2年上に当時四番を打つ鈴木秀範一塁手[2]がいたことや、故障があったことが挙げられる。特に2年春(1992年)は左翼手としての先発起用も検討されていた[3]が、故障のため不出場に終わった。法政大はこの1992年春のシーズンでは、最終カードである明治大学との直接対決で勝ち点を挙げた方が優勝という展開に持ち込んでおり、それだけに法政大のファンは稲葉の欠場を残念がった(結局、明治大が2勝1敗で法政大を下して完全優勝を果たした)。しかし、この時の優勝のチャンスを逃した稲葉は、4年秋に四番打者として法政大を優勝に導いた。
- 野村克也(現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)がヤクルトの監督だった頃、息子の野村克則(当時、明治大学3年)目当てで東京六大学野球を観戦した際に、法政大の稲葉のプレーが目に止まり(この試合で本塁打を放っている)「是非稲葉が欲しい」と獲得に至った。野村曰く、「後で聞いたらどこからも誘いはなかった」[4]、「枠が空いていたヤクルトが稲葉を指名することとなり、結果プロになりたかった稲葉は大変感謝していた」[5]。
[編集] ヤクルトスワローズ時代
ヤクルトに入団後、外野手としての練習を始める。1年目の1995年から一軍で出場し、同年6月21日の広島東洋カープ戦(広島市民球場)にて一塁手としてプロ初出場、初打席初本塁打を放ったほか、9月9日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)ではテリー・ブロスのノーヒットノーラン達成を好捕で助けている。1996年からは中軸を打ち、守備力でもヤクルトの3度の日本シリーズ優勝に貢献した。1997年にはチーム2位の21本塁打を放つなど長打力も持ち、特に2001年は25本塁打、自己最多の90打点という成績を残して初のベストナインに選ばれ、2003年7月1日の横浜ベイスターズ戦(松本市野球場)では史上56人目(当時)のサイクルヒットを達成した。しかし、1998年~2000年と2002年~2004年は度重なる怪我に苦しみ、不本意なシーズンが続いた。
2004年オフにフリーエージェント(FA)宣言。メジャーリーグへの移籍を希望したが断念し、翌年2月に北海道移転2年目となる北海道日本ハムファイターズへ移籍した。
[編集] 北海道日本ハムファイターズ時代
移籍初年度の2005年は主軸として127試合に出場、打率.271の成績でチームの期待に応えた。この年のみ背番号は58。この頃、ファンへの気遣いや対応の良さなどから「爽やか稲葉」の異名をとった。
2006年、背番号をヤクルト時代の41に変更。この年より日本ハム一軍打撃コーチに就任した淡口憲治の指導のもと長打力の強化に取り組み、自己2番目の打率.307、打点75と自己最多の26本塁打を記録、チームのリーグ優勝と日本シリーズ制覇に貢献、シリーズではMVPを獲得した。主に五番打者を務めたが、秋のアジアシリーズではフェルナンド・セギノールの欠場により四番を打った。守備面でもゴールデングラブ賞を森本稀哲、新庄剛志とともに受賞し、パ・リーグ外野手部門を日本ハムの選手3人で独占した(1978年の阪急ブレーブス以来28年振り3回目)。 12月4日、札幌グランドホテルで開催された「日ハム選手ディナーショー」に出演し、自慢の歌を披露し会場のファンから「稲葉さまー」と掛け声が飛んだ。
2007年は三番に定着し、オールスターゲームにも6年振りに出場。プロ入り13年目にして初となる個人タイトル・首位打者(打率.334)、リーグ最多安打(176安打)を獲得したほか、チームトップの打点87を記録した。しかし、日本シリーズでは徹底マークされ二塁打1本に終わるなど不振だった。
2008年、臀部の痛みに苦しみながらもチームの主軸として活躍し、北京オリンピック野球日本代表にも選ばれた。最終的に打率こそ.301と前年を下回ったが、2年ぶりの20本塁打を記録。ターメル・スレッジや田中賢介らと共にチームを引っ張った。シーズン途中に自身2度目のFA権を取得したが、シーズンオフの契約交渉でFA権を行使せず2年契約で更改した。契約終了後のインタビューで、「支えてくれる仲間やファンの皆さんを裏切るようなことはしたくありませんでした。改めて『生涯北海道日本ハム』を宣言します。」(一部省略)と語った。
2009年、梨田昌孝監督直々に主将の座に就くことを命じられた。第2回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、四番・指名打者や代打として9試合中8試合に出場し、日本の二連覇に貢献した。成績は22打数7安打、打率.318。同大会の決勝戦の10回表には、先頭の内川聖一が安打で出塁した後、自身3年ぶりとなる犠牲バントを決めた。
同年4月8日の千葉ロッテマリーンズ戦(東京ドーム)で自身初となる3打席連続本塁打を放った。5月3日の埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)で延長12回裏にヤクルト時代以来(8年ぶり)のサヨナラ本塁打を放ち、ヒーローインタビューで感極まり涙を流した[6]。 オールスターゲームのファン投票で両リーグを通じて最多となる約50万票を獲得した。
[編集] プレースタイルなど
- 攻守交代時にはベンチと守備位置の間を常に全力疾走で移動する。これによってヤクルト時代にセ・リーグからスピードアップ賞及びスワロー・エクスプレス賞の表彰を受けている。
- 打撃フォームは、甲子園に出場した稲葉が1学年上の元木大介(当時上宮高等学校)のフォームをマネしたもので、ストレートや横の変化球(スライダーやシュート)には横振りで対応し、落ちる変化球(フォークやカーブ、シンカー等)には縦振りで対応するというフォームである。
- 肩が強いことで知られている。本人は「もともと一塁手だった為、他の外野手のような大きく腕を振ることができず、捕球してから早く送球したいために手が頭の上に来る。そこ(頭の上)から強く投げることを体で覚えた」と語っており、ボールを捕ってから投げるまでが速いため強肩に見えるのではないかと話している(実際、遠投は80メートル程度)。[7]
- 外野フェンスを直撃する打球に対して一度捕球姿勢をとり、走者のスタートを遅らせて生還を阻止するというトリックプレーを時々行う。2006年8月13日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)、無死一・二塁の場面で右翼フェンスを直撃する打球に対して行い、二塁走者を三塁進塁までで留め、同年9月17日の同カード(札幌ドーム)でも一死一・三塁で同じプレーを行い、三塁走者・西岡剛の本塁突入を阻んだ。
[編集] 稲葉ジャンプ
日本ハムでは得点圏に走者を置いた状態で稲葉の打席を迎えると、ファンファーレに合わせて一斉にファンが飛び跳ねる稲葉ジャンプと呼ばれる応援が定着している。
本人は「イナバイブ」と名づけたが、マスコミやファンの間では「稲葉ジャンプ」という呼称が定着している。
ファンファーレは2006年のシーズン前に私設応援団が制作した。当初はただ曲に合わせてメガホンを叩くだけのものに過ぎなかったが、春先にフルキャストスタジアム宮城(現・クリネックススタジアム宮城)で開催された試合で一部のファンが寒さに耐えるためにジャンプしたのがきっかけとなり、札幌ドームにおいても外野スタンドの一角からジャンプが発生、それがどんどん規模を増していつの間にか球場全体が飛び跳ねるようになった。
但し札幌ドーム内野席では立ち応援が禁止行為にも関らず、その事を知らないファンに加えその事を知ってるファンでさえも確信犯的にジャンプを行ってるのが現状である。
札幌ドームでは、稲葉ジャンプによる振動は震度3~4に相当すると言われている(2006年日本シリーズの実況アナウンサーの発言より)。それほどの大きな振動が発生する原因には、札幌ドームの構造が関係している。札幌ドームは野球・サッカー等多目的競技施設としての性格を持ち、サッカー用の天然芝フィールドをドームに隣接する敷地で育成・維持している関係上、ドーム内に天然芝フィールドを出し入れする必要があるためバックスクリーンにあたる位置のスタンド・構造物が可動式で柔構造になっているのである。
また、札幌ドームで行われる試合のテレビ中継では稲葉ジャンプにより映像が大きく揺れることがある。これはテレビカメラがバックスクリーンに設置されているためである。 その為バックスクリーン付近以外で実際に観戦すると揺れを感じる事はない。
大阪ドームなど球場によっては、稲葉ジャンプ自体が禁止されている場合がある。
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | ヤクルト | 67 | 248 | 215 | 22 | 66 | 10 | 0 | 8 | 100 | 40 | 3 | 2 | 2 | 1 | 25 | 2 | 5 | 33 | 5 | .307 | .390 | .465 | .855 |
| 1996 | 125 | 496 | 436 | 63 | 135 | 26 | 3 | 11 | 200 | 53 | 9 | 5 | 7 | 7 | 38 | 0 | 8 | 66 | 9 | .310 | .370 | .459 | .829 | |
| 1997 | 130 | 494 | 439 | 71 | 117 | 24 | 4 | 21 | 212 | 65 | 9 | 6 | 10 | 1 | 37 | 4 | 7 | 67 | 6 | .267 | .333 | .483 | .816 | |
| 1998 | 88 | 280 | 258 | 29 | 72 | 17 | 2 | 5 | 108 | 23 | 4 | 2 | 2 | 1 | 13 | 1 | 6 | 42 | 2 | .279 | .327 | .419 | .746 | |
| 1999 | 68 | 142 | 132 | 15 | 35 | 11 | 1 | 2 | 54 | 22 | 3 | 1 | 1 | 1 | 7 | 2 | 1 | 26 | 3 | .265 | .305 | .409 | .714 | |
| 2000 | 87 | 290 | 274 | 36 | 77 | 13 | 0 | 11 | 123 | 30 | 0 | 0 | 4 | 2 | 8 | 0 | 2 | 42 | 2 | .281 | .304 | .449 | .753 | |
| 2001 | 138 | 601 | 527 | 94 | 164 | 32 | 5 | 25 | 281 | 90 | 5 | 4 | 13 | 2 | 43 | 0 | 16 | 89 | 6 | .311 | .379 | .533 | .912 | |
| 2002 | 116 | 488 | 448 | 59 | 119 | 19 | 3 | 10 | 174 | 39 | 3 | 1 | 8 | 4 | 21 | 1 | 7 | 77 | 2 | .266 | .306 | .388 | .694 | |
| 2003 | 69 | 289 | 260 | 46 | 71 | 8 | 3 | 11 | 118 | 30 | 4 | 1 | 3 | 1 | 18 | 0 | 7 | 48 | 6 | .273 | .336 | .454 | .790 | |
| 2004 | 135 | 473 | 437 | 61 | 116 | 20 | 3 | 18 | 196 | 45 | 6 | 3 | 5 | 2 | 23 | 2 | 6 | 85 | 3 | .265 | .310 | .449 | .759 | |
| 2005 | 日本ハム | 127 | 441 | 414 | 55 | 112 | 28 | 4 | 15 | 193 | 54 | 3 | 3 | 1 | 1 | 21 | 2 | 4 | 82 | 5 | .271 | .311 | .466 | .777 |
| 2006 | 128 | 518 | 473 | 66 | 145 | 20 | 2 | 26 | 247 | 75 | 5 | 5 | 6 | 2 | 27 | 2 | 10 | 74 | 6 | .307 | .355 | .522 | .877 | |
| 2007 | 137 | 579 | 527 | 61 | 176 | 39 | 0 | 17 | 266 | 87 | 6 | 3 | 0 | 4 | 35 | 7 | 13 | 69 | 10 | .334 | .387 | .505 | .892 | |
| 2008 | 127 | 513 | 448 | 71 | 135 | 25 | 5 | 20 | 230 | 82 | 2 | 3 | 0 | 5 | 56 | 9 | 4 | 85 | 9 | .301 | .380 | .513 | .893 | |
| 通算:14年 | 1542 | 5852 | 5288 | 749 | 1540 | 292 | 35 | 200 | 2502 | 735 | 62 | 39 | 62 | 34 | 372 | 32 | 96 | 885 | 74 | .291 | .347 | .473 | .820 | |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 守備成績
| 年度 | 外野 | 一塁 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 1995 | 63 | 89 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 16 | 1 | 1 | 2 | .944 |
| 1996 | 122 | 213 | 10 | 3 | 4 | .987 | 2 | 14 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
| 1997 | 127 | 224 | 5 | 5 | 5 | .979 | 9 | 30 | 0 | 0 | 3 | 1.000 |
| 1998 | 70 | 87 | 0 | 5 | 0 | .946 | 20 | 146 | 9 | 2 | 13 | .987 |
| 1999 | 25 | 41 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 6 | 36 | 4 | 2 | 0 | .952 |
| 2000 | 76 | 129 | 5 | 0 | 2 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
| 2001 | 137 | 278 | 12 | 4 | 1 | .986 | - | |||||
| 2002 | 115 | 215 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
| 2003 | 69 | 145 | 6 | 1 | 0 | .993 | - | |||||
| 2004 | 130 | 248 | 3 | 2 | 0 | .992 | - | |||||
| 2005 | 125 | 244 | 14 | 2 | 7 | .992 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 |
| 2006 | 126 | 275 | 7 | 3 | 1 | .989 | - | |||||
| 2007 | 123 | 255 | 4 | 2 | 1 | .992 | 2 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1.000 |
- 2007年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
[編集] 表彰
- ベストナイン:4回(セ・リーグ外野手部門:2001年、パ・リーグ外野手部門:2006年~2008年)
- ゴールデングラブ賞:3回(パ・リーグ外野手部門:2006年~2008年)
- 日本シリーズMVP:1回(2006年)
- オールスターゲーム出場:3回(1996年、2001年、2007年)
- スピードアップ賞:2回(2000年、2001年) ※2001年はスワロー・エクスプレス賞(セ・リーグ会長特別表彰)として
- 月間MVP:3回(パ・リーグ野手部門:2006年7月度、2007年9月度、2009年5月度)
[編集] 記録
[編集] 初記録
- 初出場・初先発出場
- 1995年6月21日、対広島東洋カープ13回戦(広島市民球場) - 八番・一塁手で先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点
- 同上 - 2回表、投手:紀藤真琴
- 初盗塁
- 1995年8月3日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場) - 6回表、投手:藪恵壹、捕手:木戸克彦(二盗)
[編集] 通算記録
- 1500試合出場
- 2008年7月15日、対東北楽天ゴールデンイーグルス12回戦(東京ドーム)で、9回裏に代打で出場し達成。
- 1500安打
- 上記2008年7月15日の試合で9回裏に安打を放ち達成。
- 300二塁打
- 2009年5月6日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)の第2打席で達成。
[編集] その他記録
- 日本シリーズ(5試合制)最多打点(打点7)
- 2006年。7打点はシリーズタイ記録。
[編集] 背番号
[編集] 登場曲
- QUEEN『I Was Born To Love You』
- EXILE『銀河鉄道999 feat.VERBAL (m-flo)』※2008年3月28日より使用。得点圏に走者がいる場合には、『I Was Born To Love You』を使用している。
[編集] 著書
- 『HOP STEP 稲葉JUMP! いつも心に太陽を』(KKロングセラーズ) - 2009年4月、ISBN 4-84542-147-X
[編集] 脚注
- ^ 2009年から2年総額6億円プラス出来高(推定年俸3億円)とスポーツニッポン、MSN産経ニュースが報じたが、デイリースポーツ、東京新聞は、2年契約5億円(推定年俸2億5000万円)と報じている。これは、後者2紙の発表日時が最新情報にあたるため正しいものと思われる。
- ^ 高校時代は遊撃手で大学では三塁手としてデビューしたが、稲葉が入部した頃は一塁手に専念していた。2009年現在、市民球団かずさマジックの監督を務めている。
- ^ 当時の週刊ベースボール増刊『東京六大学野球特集号』より。
- ^ スポーツナビ、2006年6月30日付。
- ^ 2007年10月、北海道日本ハムファイターズ対中日ドラゴンズ(日本シリーズ)のテレビ中継にゲスト解説者として参加した際の野村の発言より。
- ^ 2009年5月11日放送の「SMAP×SMAP」特別編で稲葉が木村拓哉との出演を果たす。その放送のVTRでもこのシーンが用いられた。
- ^ ファイターズマガジンのインタビュー記事より。
[編集] 関連項目
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