カルロス・ポンセ
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | リオピエドラス |
| 生年月日 | 1959年2月7日(50歳) |
| 身長 体重 |
180cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| 初出場 | NPB / 1986年4月4日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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カルロス・ポンセ(Carlos Antonio Ponce Diaz、1959年2月7日 - )は、プエルトリコ生まれの元プロ野球選手(外野手)である。日本では横浜大洋ホエールズで活躍した。
[編集] 来歴・人物
メジャー実績はミルウォーキー・ブルワーズで21試合に出場しただけだったが、その実力はメジャーでも評価されていた。しかし何故か86年にブルワーズはポンセをメジャー登録40人枠から外していたため、それを見たスカウトの牛込惟浩がポンセを口説き、獲得に成功し、来日。大洋時代の背番号は7番。口ひげを生やしており、その容姿が当時人気だったゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』のマリオに似ていたため、「マリオ」と呼ばれた。
来日した1986年のシーズンから打率.322、27本塁打、105打点と素晴らしい活躍を見せたが、この年は阪神タイガースのランディ・バースが2年連続三冠王の活躍を見せたためノンタイトルだった。
守備は1986年は三塁手として起用されていたが、スローイングに難がありシーズン27失策と散々たるものだった。そのためこのシーズン中盤に、当時一塁手であった田代富雄が故障離脱してからは、三塁を山下大輔に明け渡して一塁を守るようになり、後半に加藤博一も離脱してからは外野で出場することも増え、翌1987年からは正式に外野手にコンバートされた。
2年目の1987年のシーズンには打率.323、35本塁打、98打点とこれまた大活躍をし、打点王のタイトルを獲得。さらにはベストナインにも選ばれた。また、159安打はこのシーズンの最多安打である。
翌1988年はオールスターゲームに出場。シーズン33本塁打、102打点で初めて本塁打王のタイトルを獲得。並びに2年連続で打点王、ベストナインに選ばれた。
しかし、1989年は成績が振るわず、1990年にはたびたび二軍落ちをして期待を裏切ってしまい、その年限りで大洋を退団した。その後はマイナーリーグのコーチなどを務め、現在はアメリカ・フロリダ州でビジネスマンとして生活している。1998年の横浜ベイスターズ優勝時にはお祝いのメッセージを送っている。
大洋時代の応援歌はメキシコ民謡の『ラ・クカラーチャ』だった。
[編集] 日本での年度別打撃成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
| 年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986 | 大洋 | 7 | 128 | 469 | 79 | 151 | 29 | 4 | 27 | 269 | 105 | 18 | 0 | 7 | 50 | 64 | .322(3) |
| 1987 | 130 | 492 | 75 | 159 | 31 | 4 | 35 | 303 | 98 | 9 | 0 | 4 | 54 | 73 | .323(4) | ||
| 1988 | 130 | 497 | 79 | 145 | 25 | 6 | 33 | 281 | 102 | 5 | 0 | 6 | 54 | 69 | .292(11) | ||
| 1989 | 130 | 512 | 69 | 135 | 33 | 7 | 24 | 254 | 81 | 12 | 0 | 9 | 41 | 91 | .264(25) | ||
| 1990 | 15 | 57 | 3 | 11 | 3 | 2 | 0 | 18 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 12 | .193 | ||
| 通算成績 | 533 | 2027 | 305 | 601 | 121 | 23 | 119 | 1125 | 389 | 44 | 0 | 26 | 202 | 309 | .296 | ||
[編集] 関連項目
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