屋鋪要

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屋鋪 要
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県川西市
生年月日 1959年6月11日(55歳)
身長
体重
178 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 ドラフト6位
初出場 1978年4月5日
最終出場 1995年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (1998 - 1999, 2004 - 2005)

屋鋪 要(やしき かなめ、1959年6月11日 - )は、大阪府生まれ[1][2]兵庫県川西市出身[3]の元プロ野球選手外野手)で、現在は鉄道写真家、鉄道文化人である。

来歴・人物[編集]

大阪市此花区に生まれ、1967年夏に兵庫県川西市に移り住む。小学校4年生の時、地元の少年野球チームに入ったのが野球人生のスタートである。三田学園高校から1977年のドラフト大洋ホエールズ1978年から横浜大洋ホエールズ)より6位指名を受け、入団しプロ入り。高木豊加藤博一と共に「スーパーカートリオ」として活躍した。本人の証言によると、当時の監督であった近藤貞雄が命名したのは「スポーツカートリオ」で、以降マスコミによって「スーパーカートリオ」と名付けられる様になる。スーパーカートリオの結成以前は1番を打つことが多かったが、スーパーカートリオ結成時では3番を任された。引退後、この起用について「豊さんはヒットを打つのが上手いから1番なのはわかる。加藤さんは小技もできるから2番でいいとして、僕が3番を打つのは無理だと思った」と語っているが、打順を意識したのか、結成1年目は唯一の2ケタ本塁打を記録している。その後、加藤に代わって高橋真裕が2番に入ったニュースーパーカートリオでは、高木豊が3番、屋鋪が1番に落ち着いた。

1986年から1988年まで3年連続盗塁王を獲得。右中間や左中間の飛球でテレビカメラにボールしか映っていない場面で、落下直前に突然画面内に現れて捕球してしまう守備範囲の広さ・プレースタイルが忍者を連想させたことから、名字に掛けてマスコミから「忍者屋敷」とあだ名されていた。

球団名が横浜ベイスターズとなった1993年のオフに自由契約となり、1994年に読売ジャイアンツ(巨人)へ移籍。初の古巣との対決となった4月12日の横浜スタジアムでの試合では、最終回の守備に就く。この時、前年まで在籍していたベイスターズファンからも大きな歓声と拍手で迎えられた。この最終回にロバート・ローズの打球が屋鋪の守備位置に飛んで来たが、折からの風雨のために両手を挙げる形でエラーをしてしまい、サヨナラの決勝点を許す。この時の公式の記録はローズのツーベースヒットであり、エラーではなかったが、翌日の各スポーツ紙で「バンザイエラー」として取り上げられた。彼自身、この時に非常に悔しい思いをしたが、当時の監督長嶋茂雄に「君に取れないものは誰にも取れない」と言われ、また巨人ナインも「気象に文句をいうしかない」と評したという。

この年に初リーグ優勝を経験し、日本シリーズにも初出場。長嶋の監督として初となる日本一に貢献した。特に、このシリーズの第2戦の最終回の同点を阻止した(自ら作ったピンチを帳消しにした)ダイビングキャッチで勝利に貢献した。

1995年シェーン・マックの加入もあって出場機会が減り、この年限りで引退。ゴールデングラブ賞5回、盗塁王3回と守備と走塁には、絶対の自信を持つ選手であった。

現役引退後は、1996年から1997年まではテレビ神奈川(TVK)、2000年から2003年まではRFラジオ日本野球解説者1998年から1999年2004年から2005年の二度にわたり巨人外野守備走塁コーチを務めた。また、2001年から2008年にかけて開催されたプロ野球マスターズリーグでは、東京ドリームスの外野手として活動した。

二度目の巨人コーチから退いた後は、少年野球の指導に力を入れ[4][2]公益社団法人少年軟式野球国際交流協会の理事をつとめている。その一方で、SLカメラマン[2]や鉄道評論家[4]としても活動している。2007年からは再び野球解説者としても活動。

2014年から神奈川大学の硬式野球部の臨時コーチに就任した。

人物[編集]

野球選手時代[編集]

大洋時代の選手の中で、屋鋪と斉藤明夫の2人はヒゲを生やし、トレードマークとしていた。なお、当時の応援テーマ曲は『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』からの採譜だった[5]

横浜を自由契約となった際、インタビューで「忘れませんよ、11月8日」と答えていた。

巨人在籍当時「巨人軍は紳士たれ」をモットーとする球団の規則としてヒゲを生やすことは禁止であったが、長嶋がそのヒゲを気に入ったこともあり、長嶋の配慮に球団も特例を出し、日本人では初めて巨人でヒゲを剃らずにプレーした選手となった。なお、ヒゲを許された巨人の日本人選手は仁村薫門奈哲寛村田真一(1994年)など数少ない(2007年入団の小笠原道大は許されたが、自らの意思で剃った)。

引退後、テレビ番組の企画で265m上空のヘリコプターから落とされたボールを捕球した。

島田紳助が司会を務める日本テレビ系『行列のできる法律相談所』にて、X JAPANYOSHIKIをゲストに招いた回で、「YOSHIKIが出てくると見せかけて屋鋪(YASHIKI)が出てくる」というフェイントギャグのためだけに出演した(以前、テレビ朝日系『リングの魂』でも同様の出演がある)。

古田敦也とは出身小学校(川西市立加茂小学校)が同じであり、屋鋪より6つ年下である。

鉄道文化人転身後[編集]

現在の活動は主に静態保存中の蒸気機関車の撮影である。現役時代はほぼ中断していたものの子供の頃から鉄道ファンであり[6]、ファン専門誌『レイルマガジン』では2008年9月号(300号)から日本国内に保存されている蒸気機関車に対しての連載コラムを執筆するほど造詣が深い[1]。屋鋪の実父も蒸気機関車の写真を撮影しており、屋鋪のコラムにも実父の写真が掲載されている場合がある。日本全国に点在する500輌超の動体・静態保存機関車を撮り尽くす為に、少年野球の指導をしながら全国を旅している。

連載以外に雑誌の取材を受けることもあり、2010年12月発売の『週刊新潮』2010年12月30日・2011年1月6日合併号ではモノクログラビア『昔は「スーパーカートリオ」でも「屋鋪要」はSL撮り鉄』として、2012年6月4日発売の『週刊現代』2012年6月16日号ではカラーグラビア『盗塁王・屋鋪要が撮った 僕のSL写真コレクション』として、SLカメラマンとしての活動模様が紹介された。

2014年2月にはネコ・パブリッシングより『目指せ打率10割!屋鋪要の保存蒸機完全制覇』が刊行された。同年3月には東京と京都で蒸気機関車に関するトークショーも開催された[7]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1978 大洋
横浜
9 3 3 1 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1979 82 41 36 12 9 2 0 0 11 1 5 2 1 1 3 0 0 15 1 .250 .300 .306 .606
1980 105 121 110 26 27 1 1 0 30 5 14 7 0 0 10 0 1 24 1 .245 .314 .273 .587
1981 105 229 208 22 53 6 1 1 64 12 16 8 3 2 14 0 2 50 0 .255 .305 .308 .613
1982 95 291 265 33 68 9 3 6 101 21 17 3 8 1 16 2 1 64 1 .257 .300 .381 .681
1983 119 404 373 50 107 16 1 5 140 27 16 11 4 1 25 4 1 67 8 .287 .333 .375 .708
1984 124 444 397 40 121 24 5 4 167 29 11 4 5 2 40 8 0 90 7 .305 .367 .421 .788
1985 118 497 444 65 135 15 5 15 205 78 58 13 2 5 46 3 0 74 8 .304 .366 .462 .828
1986 127 497 460 54 109 20 1 8 155 34 48 16 8 0 27 1 2 84 10 .237 .282 .337 .619
1987 130 558 526 77 153 18 5 9 208 57 48 8 3 4 25 0 0 86 6 .291 .321 .395 .716
1988 121 408 368 36 87 7 1 3 105 30 33 9 6 3 31 1 0 55 6 .236 .294 .285 .579
1989 68 171 155 22 32 5 1 2 45 10 11 3 2 0 13 0 1 23 4 .206 .272 .290 .564
1990 12 47 42 9 13 0 1 0 15 3 3 0 0 0 5 0 0 9 0 .310 .383 .357 .740
1991 83 315 277 48 76 11 3 1 96 18 23 7 1 2 35 0 0 53 2 .274 .354 .347 .701
1992 115 406 365 41 101 18 2 2 129 31 8 8 3 2 36 0 0 62 2 .277 .340 .353 .693
1993 61 206 184 21 45 7 4 1 63 13 6 3 0 1 11 0 0 35 6 .245 .286 .342 .628
1994 巨人 87 34 29 10 4 1 0 0 5 2 4 2 0 1 4 1 0 5 0 .138 .235 .172 .407
1995 67 23 21 8 6 1 0 1 10 3 6 1 0 0 2 0 0 6 0 .286 .348 .476 .824
通算:18年 1628 4675 4263 575 1146 161 34 58 1549 375 327 106 46 25 343 20 8 804 62 .269 .323 .363 .686
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1987年9月22日、対阪神タイガース24回戦(横浜スタジアム)、3番・中堅手として先発出場 ※史上275人目
  • 300盗塁:1991年9月28日、対読売ジャイアンツ25回戦(東京ドーム)、6回表に二盗(投手:広田浩章、捕手:吉原孝介) ※史上20人目
  • 1000本安打:1992年4月29日、対広島東洋カープ5回戦(広島市民球場)、5回表に佐々岡真司から右前適時打 ※史上164人目
  • 1500試合出場:1994年5月18日、対広島東洋カープ7回戦(福岡ドーム)、7回表に中堅手として出場 ※史上111人目

背番号[編集]

  • 31 (1978年 - 1993年)
  • 00 (1994年 - 1995年)
  • 88 (1998年 - 1999年)
  • 83 (2004年 - 2005年)

関連情報[編集]

出演番組[編集]

※いずれも、解説者としての出演。

連載[編集]

  • 目指せ! 打率10割 屋鋪 要の保存蒸機撮りつぶし(『レイルマガジン』2008年9月号より連載[9]

著書[編集]

  • 屋鋪要の保存蒸機完全制覇 (ネコ・パブリッシング:2014年2月4日 ISBN 978-4-7770-1471-2

脚注[編集]

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  1. ^ a b 外部リンク『屋鋪要さん 父親から受け継いだ蒸気機関車の撮影(2/2)』内プロフィール
  2. ^ a b c 『週刊現代』2012年6月16日号掲載カラーグラビア『盗塁王・屋鋪要が撮った 僕のSL写真コレクション』内プロフィール
  3. ^ 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』P65
  4. ^ a b 外部リンク『【あの人は今こうしている】横浜ベイスターズの看板選手として活躍した屋鋪要さん』(ゲンダイネット2012年2月24日掲載)を参照。
  5. ^ アルバムCD・カセットテープ『'89横浜大洋ホエールズ選手別応援歌』(1989年、日本コロムビア)にも、『屋鋪 要選手のテーマ』として当時の応援曲が収録。
  6. ^ 『週刊現代』2012年6月16日号掲載カラーグラビア『盗塁王・屋鋪要が撮った 僕のSL写真コレクション』
  7. ^ 梅小路扇形庫内で屋鋪 要さんトークショー。(鉄道ホビダスブログ「編集長敬白」2014年3月3日発信分)
  8. ^ 気象キャスターコラム 降っても晴れても(日テレNEWS24気象キャスター・寺田あかりのブログ)より、『屋鋪要さん』(2009年2月16日)を参照。 『スポ天ワイド』、同番組に屋鋪が解説者として出演していたことなどがつづられている。
  9. ^ レイルマガジン公式サイトより、2008年9月号の概要ページ

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

インターネットアーカイブの保存キャッシュも含む。