アレックス・オチョア
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | フロリダ州マイアミ |
| 生年月日 | 1972年3月29日(37歳) |
| 身長 体重 |
183cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | MLBアマチュアドラフト・1991年 3巡目 |
| 初出場 | 1995年(MLB)、2003年3月28日(NPB) |
| 年俸 | 6,400万円(推定) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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アレックス・オチョア(Alex Ochoa、1972年3月29日 - )は、アメリカフロリダ州マイアミ出身のプロ野球選手(外野手)で、2009年からはボストン・レッドソックスでアシスタントコーチを務める。
目次 |
[編集] 人物
1995年にメジャーデビューし、日本では、2003年から2006年まで中日ドラゴンズでプレーした。
2007年に一度はアメリカへ戻り、ボストン・レッドソックスのマイナーでプレーしていたが、シーズン途中で広島東洋カープに入団し、2008年まで在籍していた。日本での登録名はアレックス。代理人はスコット・ボラス。
「レーザービーム」(『中日スポーツ』の読者公募では「サンダービーム」)と称される強肩で福留孝介・英智らとともに、鉄壁の中日外野陣を世間に知らしめた助っ人外国人。横浜ベイスターズ戦・阪神タイガース戦に強く、よく本塁打を放った。
[編集] 来歴
[編集] 入団
2002年オフ、当初中日に入団予定だったケビン・ミラーがボストン・レッドソックスに入団するため来日を取りやめた事により、急遽白羽の矢を立てられ来日した。
MLB時代は専ら守備の人として様々な球団を転々としており、4億円の年俸を稼いだこともあるほか、メジャー昇格後は怪我や調整以外でマイナー落ちを経験したことがない、守備面での「超メジャー級大物外国人」。メッツ時代の1996年7月3日にはサイクル安打を達成。エンゼルス時代の2002年には、ワールドシリーズ優勝メンバーにも名を連ねた。登録名を決める際、当時監督だった山田久志が「オチョアにするとおっちょこちょいみたい」との理由で「アレックス」にしたらしい。
[編集] 2003年
読売ジャイアンツとの開幕3連戦から「4番・中堅手」で先発出場。打撃では開幕戦第2打席で来日第1号本塁打を東京ドームのバックスクリーン上段へ放つ。守備では再三外野からこの全力送球する場面が見られ、その送球にファンも巨人の選手も度肝を抜かれた。
打率は.294と3割に届かなかったものの、ナゴヤドーム5階席への本塁打を2本も放つなど21本塁打を放ち、パワーも見せた。しかし春先は好調だったが、4月の終わりになると急に打てなくなり、またチャンスでは非常に弱くなり、この後一時期得点圏打率が2割を切ってしまうほどだった。これにより、シーズン途中から4番を立浪和義に替えられ、1番や6番を打った。ファンの間では実力に賛否両論が見られたが[要出典]、打力はまずまずで外国人選手としては守備・走塁技術にも秀でていたため、得点圏打率の改善に期待をかけられ残留を果たす。
[編集] 2004年
この年から背番号を4に替え、前半戦から福留孝介の離脱までは5番打者を務める。4月7日の巨人戦には抑えの岩瀬仁紀がロベルト・ペタジーニに逆転3ランを浴び3対1と逆転された後の9回裏、1点を返し、2死一、二塁から日本で初となる逆転サヨナラ3ランを放つ。
4月13日にはサイクル安打を達成。前述の通り、アレックスは1996年にメジャーリーグでもサイクル安打を記録しており、史上唯一の日米両国でのサイクル安打達成者となっている。ちなみに、本塁打、三塁打、二塁打、単打の順で達成したのは日本では初だった。守備でも評価を高め、左翼手の英智、右翼手の福留とのトリオは鉄壁と称され、英智とともにゴールデングラブ賞にも選出された。
アテネオリンピック、及びその後の怪我により福留が離脱した際には代役の4番としても活躍。打率.294、21本塁打は前年とほぼ同じながら、89打点は前年の65打点を大きく上回り、優勝に貢献。日本シリーズにも4番センターで出場し、それなりの活躍は見せたものの、チームは3勝4敗で敗れた。
[編集] 2005年
この年は、タイロン・ウッズが加入し福留が5番に入ったことなどから、主に6番、7番と下位打線を打つ。横浜との開幕戦で、無死満塁からセントラル・リーグでは初となる開幕戦サヨナラ満塁本塁打を三浦大輔から放った。この本塁打を含め、シーズンで三浦から3本の本塁打を打ったことから三浦キラーの一面も見せた。しかし守備ではたびたび打球を見失うという場面も見受けられ、9月にはメジャー・日本通じて初となる二軍落ちを経験する。この年は打率が.269と成績が振るわなかった(本塁打は18本、打点は78)。
[編集] 2006年
藤井淳志などの台頭や福留の広い守備範囲を生かすために左翼手へコンバートされるも、シーズン終盤からチーム事情から再び中堅手に戻る。当初は6番打者であったが、藤井がスタメン落ちし、井端弘和が2番に復帰、福留が3番に入ったことにより夏場までは5番で、森野将彦が5番に定着すると6番(それまでは相手投手との兼ね合いで森野と打順を入れ替えていた)を打った。2003年入団以来、中日ドラゴンズのシーズン1号本塁打を4年連続で放っている。打撃に波があったものの、得点圏打率は初めて3割を越えた。
初のオールスター出場を果たし(監督推薦)、第2戦では本塁打を放ち優秀選手に選ばれた。阪神戦での活躍もあり、中日の優勝に貢献。10月は肺炎によって、10日の試合までは出場していなかったが、胴上げには参加している。日本シリーズ第5戦ではスタメン落ちし、9回裏2アウト無走者で代打で登場したがレフトフライに倒れ、最後の打者となった。結局この打席が中日最後の打席となった。得点圏打率や様々な場面での殊勲打の数もあってか数字以上の存在感を示したが、本塁打は過去最少に終わり、11月6日、中日はアレックスとは2007年度の契約を結ばないことを決定した。
[編集] 2007年
2007年1月13日、MLBのボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。キャンプ中にバッティング練習で打撃投手として登板した松坂大輔と対戦したときには日本のメディアのインタビューも受けている。
3A開幕から主にレフトや指名打者で起用され続けたが、打率が1割3分前後を行ったり来たりと打撃不振が続き、5月17日に球団から自由契約選手として公示された。
6月17日に広島東洋カープへの入団が発表され、日本球界へ復帰した。同20日に入団会見を行い、「一生懸命プレーするのが僕の身上。(日本球界に復帰した)オリックスのローズくらい本塁打を打ちたい」と抱負を語った。背番号は43、登録名は中日時代と同じ「アレックス」で広島東洋では珍しいファーストネーム登録となった。1年契約で、年俸15万ドル(約1860万円)+出来高払い。広島での初出場は6月29日の対巨人戦となった。(6番・中堅手)
6月半ばの入団ながら、最終的に290打数87安打で打率.300、7本塁打、31打点の好成績を収め、2008年シーズンの残留が決まった。
[編集] 2008年
1月10日に年俸6400万円+出来高(推定)の1年契約で広島と再契約。シーズン開幕から打率3割前後を維持し、得点圏打率も.355を記録。最終的に打率.306、174安打(リーグ5位)、本塁打15本、打点76と主要打撃部門で栗原に次ぐチーム2位の成績を上げ、中軸として大車輪の活躍をした。ただし併殺打はリーグワーストの21を記録。 併殺打の多さや、年齢のよる強肩の衰え(2009年シーズンから使用する新球場は、旧広島市民球場よりも外野が広くなったことも一因)などにより、球団は来季の契約を結ばない方針を発表した。
[編集] 2009年
現役を引退し、ボストン・レッドソックスにコーチングスタッフとして入団することが1月27日に発表された[1]。
[編集] 人物
- 両親はキューバ人で、父親はケニア系。バイリンガルであり、母語はスペイン語だが英語も話せる。このため、英語担当の通訳が病気で休んだ時にはスペイン語の通訳を通じてヒーローインタビューに応じたこともある。平素は寡黙で真面目な人物として知られる。中日スポーツのコラムによると、シーズン中は「こうして怪我もなくプレーできることを神に感謝している」との理由で禁酒しているという。が、逆にハンバーガーには目がなくいつも大量に買い込んでいるという。
- 毎年開幕から5月くらいまでは好調だが、そのあと決まって調子を落としては上げての繰り返しをするため春男などとも言われていた。
- 打席に入る時にバットを脇に挟み、球審に「待った」のポーズを手で送りながら足元を耕し、掌に唾を付け、バットの根っこあたりをグリグリと擦るという決まった仕草がある。そのためバットの根っこあたりは塗装が剥げて黒ずんでいる。
- 中日に所属していた頃は、アメリカ時代から仲が良かったウッズとキャンプ・練習・移動時などはいつも一緒だった。一時期在籍していたオマール・リナレスやマーク・バルデスとも仲が良く、ベンチで談笑する姿がよく映っていた。
- もつ鍋が大好物。他の日本食も嫌いではなく、ウッズや阪神のアンディ・シーツとは外食仲間であった。また、週刊ベースボールのインタビューでは「僕は一度にたくさんの種類の料理を食べたいから、日本は一つの料理が少ない量で出てくるから好き」とも語っていた。
- 2006年オフにチームメイトで同じ外野手である英智が語ったところによると、アレックスは優勝争い最中のゲーム開始直前、彼に突然握手を求め、「ヒデ、まだチームの誰にも言ってないが、オレはドラゴンズを去るんだ」と言ってきたという。対して英智が「ほかのチームでもやるチャンスがあるのでは?」と尋ねると、「いや、オレはドラゴンズが好きだから日本の他球団ではプレーしたくない。ヒデ、レギュラーとして頑張れよ」と答えたらしい。アレックスの人柄の良さを物語るエピソードと言える(その後、その言葉通りレッドソックスとマイナー契約するが、3Aでの成績が振るわず解雇され(2007年の項目参照)、シーズン途中に広島と契約した)。
- 広島移籍後、中日時代から個人的に励まし続けてきた脳腫瘍で闘病中(現在は回復)の子供と名古屋遠征の際に再会している。
- 阪神戦に強かったことから一部のドラゴンズファンからは「アレックスのレッドソックス入団はニューヨーク・ヤンキースの井川慶対策」とも言われていた。[要出典]
[編集] エピソード
- 2006年、名古屋の「アーレックス(AREX)」という建築会社のラジオCMに中日の同僚山本昌投手とともに出演した。山本昌がアレックスの名前とアーレックスを混同するというコミカルなもので、東海ラジオでの野球中継の時間を中心に放送され、アレックスの「ボクはアレックス(ALEX)。これはアーレックスだよ」というフレーズは中日ファンの間でも話題となった。また、2007年は同CMに山本と福留・岩瀬が登場。福留・岩瀬がアレックスのモノマネを披露している。
- アレックスが広島に移籍したことがこのCMに影響するかと思われていたが、アーレックス社広報部は「今のところ変更の予定はない」という。また、アレックス自身、モノマネをしている福留や岩瀬のCMを「ぜひ聞いてみたい」と話している(以上「中日スポーツ」記事より)。
- 2006年の日本シリーズで中日は北海道日本ハムファイターズと対戦し、外野守備陣の対決がクローズアップされたが、実は日本ハムのセンターを守っていた新庄剛志とは2002年のMLBのワールドシリーズにも顔を合わせたことがある。当時はアレックスがアナハイム・エンゼルス、新庄がサンフランシスコ・ジャイアンツ所属だった。2002年のワールドシリーズでは代打新庄(空振り三振)が、2006年の日本シリーズでは代打アレックス(左飛)がそれぞれ最終打者となり、相手が優勝している。
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | 球 団 |
背 番 号 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995年 | NYM | 22 | 11 | 37 | 7 | 11 | 1 | 0 | 0 | 12 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 10 | 1 | .297 | .333 | .324 | .658 |
| 1996年 | 82 | 282 | 37 | 83 | 19 | 3 | 4 | 120 | 33 | 4 | 3 | 0 | 3 | 17 | 2 | 30 | 2 | .294 | .336 | .426 | .761 | ||
| 1997年 | 113 | 238 | 31 | 58 | 14 | 1 | 3 | 83 | 22 | 3 | 4 | 2 | 2 | 18 | 2 | 32 | 7 | .244 | .300 | .349 | .649 | ||
| 1998年 | MIN | 25 | 94 | 249 | 35 | 64 | 14 | 2 | 2 | 88 | 25 | 6 | 3 | 0 | 0 | 10 | 1 | 35 | 7 | .257 | .288 | .353 | .642 |
| 1999年 | MIL | 24 | 119 | 277 | 47 | 83 | 16 | 3 | 8 | 129 | 40 | 6 | 4 | 0 | 2 | 45 | 5 | 43 | 4 | .300 | .404 | .466 | .870 |
| 2000年 | CIN | 7 | 118 | 244 | 50 | 77 | 21 | 3 | 13 | 143 | 58 | 9 | 4 | 0 | 4 | 24 | 3 | 27 | 7 | .316 | .378 | .586 | .964 |
| 2001年 | 90 | 349 | 48 | 101 | 20 | 4 | 7 | 150 | 35 | 12 | 9 | 2 | 2 | 24 | 2 | 53 | 3 | .289 | .337 | .430 | .767 | ||
| COL | 3 | 58 | 187 | 25 | 47 | 10 | 3 | 1 | 66 | 17 | 5 | 4 | 2 | 2 | 21 | 2 | 23 | 7 | .251 | .330 | .353 | .683 | |
| 2002年 | ANA | 18 | 37 | 65 | 8 | 18 | 7 | 0 | 2 | 31 | 10 | 8 | 5 | 0 | 0 | 10 | 0 | 5 | 0 | .277 | .373 | .477 | .850 |
| MIL | 23 | 85 | 215 | 32 | 55 | 9 | 0 | 6 | 82 | 21 | 2 | 2 | 1 | 0 | 32 | 2 | 30 | 7 | .256 | .357 | .381 | .739 | |
| 2003年 | 中日 | 22 | 137 | 507 | 83 | 149 | 28 | 0 | 21 | 240 | 65 | 5 | 4 | 1 | 4 | 47 | 8 | 91 | 9 | .294 | .360 | .473 | .834 |
| 2004年 | 4 | 138 | 520 | 63 | 153 | 24 | 2 | 21 | 244 | 89 | 3 | 4 | 0 | 5 | 55 | 10 | 83 | 11 | .294 | .369 | .469 | .839 | |
| 2005年 | 137 | 524 | 59 | 141 | 24 | 0 | 18 | 219 | 78 | 2 | 1 | 0 | 3 | 41 | 6 | 103 | 16 | .269 | .328 | .418 | .745 | ||
| 2006年 | 138 | 523 | 57 | 143 | 30 | 1 | 15 | 220 | 77 | 2 | 3 | 0 | 1 | 52 | 2 | 86 | 13 | .273 | .341 | .421 | .761 | ||
| 2007年 | 広島 | 43 | 73 | 290 | 36 | 87 | 18 | 1 | 7 | 128 | 31 | 2 | 4 | 0 | 0 | 28 | 2 | 48 | 4 | .300 | .366 | .441 | .807 |
| 2008年 | 142 | 569 | 74 | 174 | 29 | 1 | 15 | 250 | 76 | 3 | 3 | 0 | 1 | 32 | 3 | 63 | 21 | .306 | .345 | .439 | .784 | ||
| NPB通算 | 765 | 2933 | 372 | 847 | 153 | 5 | 97 | 1301 | 416 | 17 | 19 | 1 | 14 | 255 | 31 | 474 | 74 | .289 | .350 | .443 | .794 | ||
| MLB通算 | 807 | 2143 | 320 | 597 | 131 | 19 | 46 | 904 | 261 | 56 | 38 | 7 | 15 | 203 | 19 | 288 | 45 | .279 | .344 | .422 | .766 | ||
| 日米通算 | 1572 | 5076 | 692 | 1444 | 284 | 24 | 143 | 2205 | 677 | 73 | 57 | 8 | 29 | 458 | 50 | 762 | 119 | .284 | .347 | .434 | .781 | ||
[編集] タイトル・表彰・記録
- サイクル安打達成:2回(1996年7月3日-MLB、2004年4月13日-NPB) ※日米両国で達成している史上唯一の選手
- ゴールデングラブ賞:1回(2004年)
- オールスター出場:1回(2006年)
- 初出場・初先発出場:2003年3月28日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、4番・中堅手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:同上、4回表に上原浩治から中越ソロ
[編集] 背番号
- 中日
- 22(2003年)
- 4(2004年~2006年)
- 広島
- 43(2007年途中~)
[編集] ドラマ出演
- ドリーム☆アゲイン - 本人役で登場。打席に出るも記録は巨人・二岡智宏に渡るショートゴロ。
[編集] 関連項目
[編集] 脚註
- ^ 元広島のアレックスがレッドソックスのコーチ補佐に就任 讀賣新聞 2009年1月27日閲覧
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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