赤松真人

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赤松 真人
広島東洋カープ #38
基本情報
国籍 日本
出身地 京都府京都市伏見区
生年月日 1982年9月6日(26歳)
身長
体重
182cm
73kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 中堅手
プロ入り 2004年 ドラフト6巡目
初出場 2005年10月4日
経歴(括弧内は在籍年)

赤松 真人(あかまつ まさと、1982年9月6日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手外野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] アマチュア時代

京都府京都市伏見区出身。幼稚園児だった頃、地元の少年野球チームに参加していた兄の影響で野球を始める。小学校時代はファースト以外全てのポジションを守っていた。藤森中時代は倖田來未と同級生で、野球部員(マネージャーではなく選手として)だった倖田と「二塁・神田(読みは同じ)、遊撃・赤松」で組んだこともある。

平安高校に進み、2年に投手兼外野手として春の甲子園に出場し、ベスト8進出。高校の同級生に後にカープでチームメイトとなる岸本秀樹がいる。また、高校時代には唯一カープスカウトからもプロ入りの打診をされたが、当時はまだプロでやれる自信がなかったため、監督と相談して進学を選択した。

立命館大学では野手に転向し、3年の秋に1試合5安打、4年の春に1試合5盗塁の関西学生リーグタイ記録を残した。4年春には主将としてチームをリーグ優勝に導いている。また、在籍していた産業社会学部産業社会学科では倉木麻衣と同じクラスであった。

2004年ドラフトで、右打ちの外野手の補強を目指していた阪神タイガースから6巡目指名を受け入団した。

[編集] 阪神時代

プロ初年度の2005年はルーキーながら二軍で安打を積み重ね、同年のフレッシュオールスターゲームに出場。二軍での成績は打率.363、7本塁打、29盗塁で、いきなりウエスタン・リーグ首位打者・盗塁王・最多得点・最高出塁率の4冠に輝く活躍を見せた。非力なイメージがあるが長打率.529は同リーグ4位であった(本人も「自分はホームランバッター」と語っている)。一軍では代走として2試合に出場し、プロ初盗塁を記録した。

2006年は二軍で打率.300、4本塁打、チームトップの15盗塁をマークし、2年連続のウエスタン・リーグ打率1位・最高出塁率を獲得(打率1位ではあるが首位打者は特例により狩野恵輔が獲得)。6月10日には2番中堅手で一軍初スタメン出場した。

2007年、二軍で打率.246と不調に陥ったが、26盗塁で2度目のウエスタン・リーグ盗塁王を獲得。一軍では赤星憲広の故障などで自己最多の28試合に出場し、8盗塁を記録した。この年オフに阪神の独身寮を退寮し、交際中の女性と同棲生活を始めることを自ら公表し、さらに12月14日にはその女性と入籍したことを自身のブログで発表した。

2008年1月6日に、FA移籍で阪神に入団した新井貴浩人的補償で、広島東洋カープに移籍した。

[編集] 広島時代

2008年、開幕直後に右肩関節上方関節唇損傷で登録抹消されたが、4月中旬に復帰[1]4月29日読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でプロ初本塁打となる初回先頭打者本塁打を放つと、同カード・同球場の翌日の試合でも2試合連続となる先頭打者本塁打を放った。プロ第1、2号が2試合連続先頭打者本塁打となったのはプロ野球史上初。更にその翌日5月1日にも再度本塁打を放った。プロ初本塁打から3試合連続で本塁打を放ったのは、1990年石井浩郎以来であった。左打者の天谷宗一郎と併用されたため規定打席には届かなかったが、開幕からの右肩痛と戦いつつシーズンを通じて堅実な守備で数字以上の貢献を見せた。走塁面でも非凡な才能を見せ、盗塁数こそ12個に終わったが、高い成功率(.857)を記録した。2008年12月20日、婚約していた女性と市内で結婚式を挙げた。

2009年シーズンは、4月3日の開幕戦(対巨人戦)で自身初の開幕スタメン入りを果たす(1番センター)。さらにこの試合では勝ち越しとなる2点タイムリーヒットを放ち、ヒーローインタビューを受けた。

[編集] プレースタイル

50メートル走5秒6の脚と遠投120メートルの肩を持つ。出塁してからは果敢に盗塁を狙い、成功率も高い。

俊足の中堅手、苗字に「赤」がつくなどの共通点から、阪神在籍時はポスト赤星憲広として活躍が期待されており、赤松本人も「赤星さんをライバル視させてもらっている」と発言していた。このように何かと赤星と対比される赤松だが、そのプレースタイルは恵まれた身体能力から来る俊足強肩とパンチ力を前面に押し出す物であり、非力を技術とクレバーさで補う赤星とはむしろ対照的と言える。

阪神時代はやや怪我が多い傾向があり、2006年春・2006年秋のキャンプには参加できなかった。二軍では毎年好成績を残すが、同タイプの赤星など外野の層が厚く、一軍では結果を残せていなかった。走塁のミスも多く[2]、岡田監督や阪神ファンからは「アホ松」とよく言われていた。そのため、広島移籍後に『鬼嫁運動記者倶楽部』(#039 2008年2月9日放送分)で「なるべく“アホ松”はやめてほしい」とお願いしていた。

本人は不器用と言うが、足が速いので器用と思われることが多く、阪神時代は型にはめられて、伸び伸びプレーすることができなかったという。それが広島に来て、自分の思うようにやらせてもらえるようになり、力を発揮できるようになったと語っている。

広島で自由を与えられたことの象徴と言えるのが、バッティングフォームの変化である。阪神時代から、足をがに股気味に開いたオープンスタンスが特徴だったが、広島移籍後の短期間で足の開き方が大きく広がり、現在では、極端なオープンスタンスで小刻みに体を動かしながらタイミングを取る、独特のフォームに変化している。赤松はこれについて、「阪神時代はダメと言われたけど、広島のコーチは『やってみろ』と言ってくれた」と語っており[3]、実際このフォームにしてから打率も上昇傾向にある。 また当初は足の速さを活かす為のダウンスイングが、鋭角に叩こうとする意識のため逆にフライになるため、小早川打撃コーチの指示の元、レベルスイングに修正した所、翌日の阪神戦で古巣に対し初の猛打賞を放った。[4]

守備面では、俊足を生かした広い守備範囲を持ち、ヒット性の打球もアウトにすることもある。このことからカープファンの間では、赤松のことを「赤忍者」と、赤松の守備範囲を「エリア38」という愛称が言い伝えられている[要出典]

福本豊は、2007年のテレビ番組「NANDA!?」の外野手特集にて、赤松の外野守備を現役日本人選手(大リーグに行ったイチローなども含む)でナンバーワンと評価した。福本はその理由として「赤星みたいにダイビングとかせずに、走って、きちんと落下点に着いてフライを取りに行くから」と述べた。

右打者ながらセーフティバントを非常に得意としており、2008年には両リーグ1位の9個を成功させている。

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
2005 阪神 2 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2006 6 15 14 1 2 0 0 0 2 0 2 1 1 0 0 0 0 3 0 .143 .143 .143 .286
2007 28 43 39 4 6 1 0 0 7 1 8 1 1 1 2 0 0 5 1 .154 .190 .179 .369
2008 広島 125 390 342 62 88 13 1 7 124 24 12 2 18 0 23 0 7 67 3 .257 .317 .363 .680
通算:4年 161 448 395 68 96 14 1 7 133 25 23 5 20 1 25 0 7 75 4 .243 .299 .337 .636
  • 2008年度シーズン終了時

[編集] 記録・タイトル

[編集] 背番号

  • 52(2005年 - 2007年)
  • 38(2008年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月9日号38ページ『白球入魂「4年目の手ごたえ - 赤松真人」』
  2. ^ http://osaka.nikkansports.com/baseball/professional/tigers/p-ot-tp0-20071111-281668.html 日刊スポーツ 2007年11月11日
  3. ^ 赤松“恩返し”の決勝打 古巣のVマジック点灯阻止スポーツニッポン、2008年7月13日付)
  4. ^ http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2008/05/15/0001041040.shtml

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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