小窪哲也
| 広島東洋カープ #4 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 奈良県葛城市 |
| 生年月日 | 1985年4月12日(26歳) |
| 身長 体重 |
175cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2008年4月26日 |
| 年俸 | 1800万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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小窪 哲也(こくぼ てつや、1985年4月12日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
野球を始める前は水泳をやっていたが、交友関係を広げるために磐城小1年から「磐城デンジャーズ」で野球を始め「香芝ボーイズ」に移り、5年生で全国優勝。6年では日本代表として世界大会に出場。白鳳中(香芝ボーイズ中学部)では日本代表の4番・主将としてアジア大会に出場した。PL学園から青山学院大学に進学。小学校から大学まで全てのチームで主将を務めている。ポジションは、高校時は遊撃手、大学時は二塁手・遊撃手。
大学では東都大学リーグで4度のベストナインに選ばれた。2007年の春季リーグ戦では、打率3割7分3厘で首位打者のタイトルを獲得。リーグ通算95試合出場、344打数93安打、打率.270、7本塁打、39打点。第36回日米大学野球選手権大会では主将を務め、米国開催では初優勝となった。北京プレオリンピック野球日本代表にも1次登録されていた。50メートル6秒2、遠投100メートル。
2007年11月19日、プロ野球の大学生・社会人ドラフトで、広島東洋カープに3巡目で指名された。指名挨拶を受けた翌日のスポーツ新聞ではプロでの目標である「2000本安打達成」と書いた色紙を片手にたい焼きを食べる写真が使われた。11月23日、推定契約金7500万円、年俸1200万円で仮契約し、入団。入団会見では大学の先輩、高須洋介のような勝負強い選手になることを目標に掲げた。背番号についてはルーキー時「12という番号は投手っぽくてあまりピンと来ませんね。将来は一桁か25番がいいですね」と述べており、2010年からは4番に変更された[1]。
[編集] プロ入り後
春季キャンプは一軍スタートが決まったものの、キャンプ直前の自主トレ期間中に広島名産の生ガキを食べ過ぎて体調を崩し、練習を数日間休む。キャンプには問題無く参加したが、2月中頃には二軍に降格。そのまま開幕一軍を逃したが、ウエスタン・リーグでは2番に定着して好調を維持。4月26日に一軍初昇格、同日の対横浜戦で8回に高橋建の代打としてプロ初出場し、送りバントを決めた。4月29日対読売ジャイアンツ戦で8番遊撃手としてプロ入り初スタメンをはたし、2打席目で初安打を記録。3打席目で初打点をあげた。5月4日の対横浜ベイスターズ戦では寺原隼人から決勝タイムリーを放ち、初のお立ち台に立っている。この試合の解説を務めた大下剛史は、「今までのカープに足りなかった内野手が現れた」と評した。初昇格後は二軍に降格することなくシーズン最後まで一軍でプレーした。梵英心の不調もあって遊撃手を守ることが多かったが、二塁手や学生時代はほとんど守らなかった三塁手もこなすなど活躍した。
ベテラン石井琢朗が加入し、キャンプから遊撃手のポジションは激戦区となるが、初の開幕一軍を果たす。しかし首脳陣から復活の期待が大きかった梵や安定した守備力のある石井の影に隠れ、スタメンでの出場は少なく、代打でも結果を残せなかったこともありシーズン中盤には二軍落ちを経験する。8月には梵の二軍降格による入れ替え(この時小窪は由宇球場で二軍の試合に出場しており、突然の呼び出しで試合を早退した)によりスタメンで出場する機会が増え、打率は3割以上をキープ、2番を打つ試合が多くなる。終盤は相手先発投手の利き手にあわせて石井と併用された。最終的には前年と比べて出場機会は減った形となったが、打率や出塁率などは前年より向上しており打撃面では一定の成長を見せた。一方で遊撃の守備では20試合以上も出場試合が減ったものの前年と同じ6失策を記録するなどレギュラーへ向けての課題がより明確になったシーズンとなった。しかしシーズン終盤になるとファインプレーをたびたび見せるなど課題の守備も向上した。
遊撃のポジションこそ梵に明け渡したが、ジャスティン・ヒューバーの不振から栗原健太が三塁から一塁に戻ったことで空いた三塁のレギュラーを任された。しかしシーズン序盤から打撃が不振を極め、守備でも打球の速い三塁の守備に苦戦し、63試合で10失策を記録した。調子が上がらないまま徐々に石井と併用され、また夏場には好調な岩本貴裕が一塁のレギュラーに定着したことで再び栗原が三塁を守る形がメインになったためスタメン出場の機会を更に失うなど不本意なシーズンとなった。10月に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれ主将を務めた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | 広島 | 98 | 316 | 274 | 22 | 74 | 11 | 1 | 3 | 96 | 19 | 1 | 2 | 11 | 2 | 25 | 3 | 4 | 49 | 6 | .270 | .338 | .350 | .688 |
| 2009 | 70 | 209 | 183 | 25 | 54 | 11 | 0 | 2 | 71 | 16 | 2 | 1 | 4 | 0 | 20 | 1 | 2 | 33 | 2 | .295 | .371 | .388 | .759 | |
| 2010 | 81 | 244 | 208 | 17 | 43 | 7 | 0 | 1 | 53 | 24 | 0 | 0 | 6 | 4 | 21 | 0 | 5 | 31 | 9 | .207 | .290 | .255 | .545 | |
| 2011 | 65 | 158 | 142 | 13 | 37 | 7 | 0 | 2 | 50 | 12 | 1 | 1 | 9 | 0 | 3 | 0 | 4 | 17 | 0 | .261 | .295 | .352 | .647 | |
| 通算:4年 | 314 | 927 | 807 | 77 | 208 | 36 | 1 | 8 | 270 | 71 | 4 | 4 | 30 | 6 | 69 | 4 | 15 | 130 | 17 | .258 | .326 | .335 | .660 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2008年4月26日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、8回表に高橋建の代打として登場
- 初打席:同上、8回表にマットホワイトから捕手前へ犠打
- 初先発出場:2008年4月29日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、8番・遊撃手として先発出場
- 初安打:同上、5回表にセス・グライシンガーから左中間二塁打
- 初打点:同上、7回表にセス・グライシンガーから右前適時打
- 初盗塁:2008年5月4日、対横浜ベイスターズ8回戦(広島市民球場)、8回裏に三盗(投手:寺原隼人、捕手:鶴岡一成)
- 初本塁打:2008年6月7日、対オリックス・バファローズ4回戦(広島市民球場)、2回裏に中山慎也から左越ソロ
[編集] 背番号
- 12 (2008年 - 2009年)
- 4 (2010年 - )
[編集] 脚注
- ^ “小窪背番号「12」→「4」”. デイリースポーツ. (2009年11月10日) 2010年7月4日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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