岩本貴裕
| 広島東洋カープ #10 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県広島市東区 |
| 生年月日 | 1986年4月18日(25歳) |
| 身長 体重 |
182cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 左翼手、右翼手 、一塁手 |
| プロ入り | 2008年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2009年5月28日 |
| 年俸 | 1800万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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岩本 貴裕(いわもと たかひろ、1986年4月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
広島市東区牛田出身[1]。小学1年から「広島中央リトル」で野球を始め、小学3年には「広島鯉城リトル」に移籍。牛田中を経て広島商業に進学した。広島商業では1年生からエースと4番を任され、3年生の夏には投手として6試合に登板、打者としても打率5割を越す活躍でチームを甲子園出場に導いた[2]。夏の甲子園では初戦敗退。高校通算52本塁打。
複数のプロ球団が注目したが、亜細亜大学に進学。1年秋から4番を任される。3年春のリーグ戦では1試合3本塁打を記録。東都大学1部リーグ通算72試合出場、278打数70安打、打率.252、16本塁打、43打点。東都大学リーグを代表するスラッガーで歴代単独4位となる16本塁打を記録。ベストナインにも3度選ばれる。2部リーグ通算10試合出場、40打数12安打、打率.300、3本塁打、11打点。大学日本代表にも選ばれ4番を任されたこともある。大学3年秋には自ら志願し投手としてマウンドに上がり、小窪哲也(青学大)を三振に取り、最速146kmを記録した。4年春からは投手と野手の二刀流にも本格的に挑戦した。
2008年10月30日のドラフト会議で地元・広島東洋カープから1位指名を受ける。ドラフト会議当日は秋のリーグ戦で東洋大学と優勝をかけた大事な試合だったが、試合には敗れた。プロから指名された喜びと試合に負けた悔しさを感じながら指名会見に臨んだ。同年11月13日に契約金1億円・年俸1500万円(金額は推定)で仮契約。
[編集] プロ入り後
ルーキーイヤーの2009年は開幕一軍を逃すものの二軍ではウエスタン・リーグ開幕からほぼ全ての試合で4番を任される。5月28日に一軍登録され同日の千葉ロッテマリーンズ戦で初スタメン。第一打席でプロ初安打を記録した。シーズン終盤にも再度一軍に昇格した。ファームでは打席、打数、安打はリーグ2位の数字。塁打数、本塁打もリーグ2位タイで本塁打は14本を記録した。
2010年はシーズン開幕を二軍で迎え、打率も2割4分前後と平凡であったが、6月にT-岡田を意識したノーステップ打法を取り入れてからは驚異的な打撃成績を叩き出し、栗原健太の故障離脱に伴って一軍昇格。主に一塁手、栗原が復帰してからは外野手として出場。7月4日にプロ初本塁打を記録して以降、わずか2ヶ月の間に14本塁打と量産。次期主砲として大器の片鱗を覗かせるシーズンとなった。 10月に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれ、全試合で4番を任された。
2011年は開幕を一軍で迎えたが、打率2割台前半、3本塁打と調子が上がらず、7月に二軍落ちとなった。降格後はしばらく二軍の試合に出ていたが、慢性的な膝の痛みを解消するために9月に同箇所の手術を受けた[3]。
[編集] プレースタイル・人物
遠投110mの強肩と逆方向である左にも大きな打球を打てる強打が持ち味。
10歳からカープのファンクラブ(ジュニア会員)に加入し、毎週のように自転車で広島市民球場に通いスクワット応援をした[4][5]。田中慎太朗は広島鯉城リトルシニアの1年先輩、松下建太は1年後輩、中田翔は3年後輩となる[6]。
プロ入り後は長打を期待されることも多いが、高校時代に岩本を指導した迫田守昭監督は、長打よりも巧打を持ち味とする選手だったと評している[2]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009 | 広島 | 14 | 33 | 33 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | .152 | .152 | .182 | .333 |
| 2010 | 61 | 220 | 212 | 29 | 55 | 7 | 1 | 14 | 106 | 36 | 0 | 2 | 1 | 1 | 6 | 0 | 0 | 57 | 4 | .259 | .279 | .500 | .779 | |
| 2011 | 60 | 193 | 179 | 12 | 40 | 7 | 1 | 3 | 58 | 15 | 0 | 1 | 3 | 3 | 8 | 0 | 0 | 43 | 4 | .223 | .253 | .324 | .577 | |
| 通算:3年 | 135 | 446 | 424 | 42 | 100 | 15 | 2 | 17 | 170 | 52 | 0 | 3 | 4 | 4 | 14 | 0 | 0 | 112 | 8 | .236 | .258 | .401 | .659 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2009年5月28日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(呉二河球場) 、7番・右翼手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回裏に小林宏之から中前安打
- 初打点:2009年6月2日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、5回表に糸数敬作から左中間へ適時二塁打
- 初本塁打:2010年7月4日、対横浜ベイスターズ11回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に清水直行から左中間へソロ
[編集] 背番号
- 10 (2009年 - )
[編集] 脚注・出典
- ^ 広島市議会議員 碓井法明のボイス:2008年 牛田の5大ニュース
- ^ a b 五反田康彦 (2010年3月2日). “【恩師が語る】岩本貴裕外野手 元広島商高監督迫田守昭さん(64)”. 中国新聞 2010年3月11日閲覧。
- ^ “岩本「オスグッド病」で右膝手術していた”. nikkansports.com. (2011年9月18日) 2011年9月19日閲覧。
- ^ 『中国新聞』2008年1月1日付朝刊、別冊、3面
- ^ 『日刊スポーツ』2008年11月14日付朝刊、広島版、1面
- ^ JAPAN LITTLE LEAGUE
[編集] 関連項目
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