清水直行
| 横浜DeNAベイスターズ #17 | |
|---|---|
2010年5月5日
広島戦 横浜スタジアム |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 京都府京都市 |
| 生年月日 | 1975年11月24日(36歳) |
| 身長 体重 |
180cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 2000年4月1日 |
| 年俸 | 5,000万円+出来高(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2004年 |
| WBC | 2006年 |
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この表について
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 銅 | 2004 | 野球 |
清水 直行(しみず なおゆき、1975年11月24日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
1998年、都市対抗および社会人野球日本選手権に出場。ともに登板機会なし。翌1999年、都市対抗2回戦で先発するが、満塁本塁打を浴びるなどしてノックアウト。この試合を最後に活動停止した東芝府中最後の敗戦投手となる。
1999年のドラフトで千葉ロッテマリーンズを逆指名し、2位で入団。
[編集] ロッテ時代
2000年、4月1日のダイエー戦で初登板。5月4日の近鉄戦で初先発・初勝利を挙げる。その後は中継ぎ投手として起用されていた。
2002年に黒木知宏・小野晋吾が怪我で離脱し、ネイサン・ミンチーが開幕当初不調に陥り、チームも開幕から11連敗と危機的状況の中、先発投手に転向し、プロ野球ワーストタイ記録の開幕12連敗を阻止する。この後先発ローテーションに入る。
2003年、初めてオールスター出場し、千葉マリンスタジアムでの2試合目の先発をするが敗戦投手となる。リーグ唯一の200イニングを登板する。
2004年、初の開幕投手を務め、西武の松坂大輔に投げ勝つ。アテネオリンピック野球日本代表にも選ばれギリシャ戦で先発。勝利投手になる。
2005年、開幕戦の楽天戦に登板するが敗れ、楽天球団創立初公式戦での初白星を献上している。この年防御率はロッテの先発ローテーション投手中、最も悪かった。リーグ優勝の際のビールかけ会場では挨拶の際に「今まで迷惑かけて・・・」と言葉を詰まらせ、涙を拭く場面があった(その後は「嘘泣きです!」と明るく振る舞っていた)。日本シリーズ初戦の登板に際して、思い入れのある「戦」ユニ(ピンストライプ)ではなく「誠」ユニ(法被をモチーフとしたデザイン)を着用。第2戦に登板が予定されていた渡辺俊介と誠ユニとの相性が良いため、渡辺が誠ユニを着られるように必勝を期して選んだと伝えられる。チームはポストシーズン(プレーオフ・日本シリーズ・アジアシリーズ)のホームゲームでは全ての試合で誠ユニを着用し全勝した。シーズン中は味方が4点以上援護した試合は10勝0敗、援護点が4点未満だった試合は0勝11敗という極端な成績であった。
2006年、ワールド・ベースボール・クラシックでは1次リーグ中国戦に登板しセーブを上げる。2次リーグアメリカ戦ではデレク・リーに同点本塁打を被弾する。9月2日のオリックス戦(京セラドーム大阪)の3回、カリーム・ガルシアを空振り三振に打ち取り投球回数1000回を達成。シーズン最終戦の10月1日の楽天戦に登板し、1失点完投勝利して5年連続2桁勝利を達成。なお2桁勝利での1桁敗戦(10勝8敗)は初。さらに、年々悩まされてきた一発病も、この年は規定投球回に達した投手の中ではトム・デイビー(オリックス)と並んでリーグ最少の被本塁打9本と安定感を見せた。この年まで他の主戦級投手不在もあり、安定した活躍を続けたため、次第にエースとしての認識が定着する。2002年 - 2006年のシーズンに連続2桁勝利を挙げているのは、清水以外に井川慶(阪神)、石川雅規(ヤクルト)のみである。現役投手の連続2桁勝利記録は1996年 - 2002年の7年連続の西口文也(西武)。オフには10月から翌年3月まで、TBSラジオ系でプロ野球選手をオフ期間中パーソナリティに起用した番組『エキサイト・スタジアム』の木曜日を担当。
2007年、3度目の開幕投手を務めるが4失点で6回途中で降板、その後も不安定な投球が続き、1年間ローテーションを守るも6勝止まり。シーズン連続2桁勝利は5年で止まった。特に優勝した日本ハムに0勝4敗と相性が悪かった。
2008年、キャンプ直前の1月17日に明美夫人が心不全で死去する不幸に見舞われたが、開幕からほぼ一年間、先発ローテーションを守り通して13勝をあげた。9月15日のソフトバンク戦では、同点で迎えた9回表に2002年6月以来のリリーフ登板を果たし、1回無失点で切り抜けると、その裏にチームがサヨナラ勝ちを収め、7年ぶりの救援勝利をあげた。シーズン終了後には、同年にFA権を取得する清水に対して、阪神タイガースが獲得を検討するとの報道がなされたものの、残留するという形で翌年の契約更改を行い、2年総額5億2000万円で合意した。1年目が2億4000万円、2年目が2億8000万円という年俸変動性のものであった。
2009年、開幕から不調が続き、6勝にとどまった。11月9日、那須野巧・斉藤俊雄との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍。2年目の年俸2億8000万円は横浜が支払うことになった。背番号は、入団して以来着けていた18番をエースの三浦大輔が着用しているため、同時期に北海道日本ハムファイターズにトレード移籍した加藤武治が付けていた17となった。
[編集] 横浜時代
2010年は、6月20日の対阪神戦でプロ通算100勝を挙げる。また、エース三浦大輔の不調もあって横浜投手陣の柱として活躍し、2年ぶりの二桁勝利である10勝を挙げる。しかし、調子の善し悪しが激しく11敗を喫し、共にリーグワーストとなる防御率5.40と26被本塁打を記録するなど前年より成績を悪化させてしまいほろ苦い一年になった。
2011年は、開幕前に左膝を痛め開幕メンバーから外れると、4月に1試合登板したのみで登録を抹消され前半戦を棒に振った。7月に1軍昇格を果たしたが、8月24日に再び左膝を痛めて登録抹消。左大腿骨滑車部損傷と診断されシーズン中に復帰する事は出来なかった。結局7試合の登板でシーズンを終える事となり、2001年以来10年振りに規定投球回到達を逃した。オフには2010年の松中信彦(ソフトバンク)と並びプロ野球史上最大の減額となる2億円減の5000万円で契約更改した。
[編集] 選手としての特徴
武器は最高初速150km/hを越えるストレート、140km/h弱で曲がる高速スライダー、スプリットフィンガード・ファストボールの3種。特にスプリットは、千葉マリンスタジアム独特の強風により、魔球といえるような落差を見せることもある。また、あまり投げないがチェンジアップ、カーブなど持ち球は多い。いわゆる本格派であるが、奪三振は目立って多くはなく、打たせて取る投球も出来る、高いレベルでまとまった投球スタイルである。
福岡ソフトバンクホークス戦を最も苦手としており、レギュラーシーズン2005年4月29日(福岡Yahoo!JAPANドーム)の勝ち星を最後に、2007年7月1日(福岡Yahoo!JAPANドーム)の勝ち星まで実に9連敗(勝ち星つかずも含む)を喫していた。なお2005年のプレ-オフ第2ステージの第2戦では先発して勝利している。
[編集] 人物
ロッテに入団した当初、チームには清水将海が在籍していたため、「清水直」と表記された。これが定着したため、チームに同姓の選手がいない場合でもスコアボードでは「清水直」と表記されている。
先発ローテーションの1人として2002年から2006年まで5年連続で規定投球回、2桁勝利を継続していた。その安定した成績や統率力のある性格から、ロッテのエースというと彼を指し、メディアでもそのように紹介されていた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | ロッテ | 27 | 16 | 1 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | -- | .333 | 475 | 100.0 | 110 | 9 | 66 | 1 | 2 | 69 | 13 | 0 | 77 | 68 | 6.12 | 1.76 |
| 2001 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | -- | .750 | 191 | 43.1 | 43 | 6 | 20 | 1 | 2 | 30 | 0 | 0 | 20 | 18 | 3.74 | 1.45 | |
| 2002 | 31 | 29 | 2 | 1 | 0 | 14 | 11 | 0 | -- | .560 | 768 | 177.2 | 197 | 28 | 57 | 0 | 3 | 124 | 4 | 1 | 91 | 90 | 4.56 | 1.43 | |
| 2003 | 28 | 28 | 5 | 1 | 0 | 15 | 10 | 0 | -- | .600 | 850 | 204.1 | 200 | 14 | 53 | 0 | 6 | 147 | 9 | 0 | 86 | 71 | 3.13 | 1.24 | |
| 2004 | 23 | 23 | 5 | 2 | 1 | 10 | 11 | 0 | -- | .476 | 699 | 169.1 | 160 | 21 | 42 | 2 | 4 | 126 | 2 | 0 | 73 | 64 | 3.40 | 1.19 | |
| 2005 | 23 | 23 | 7 | 1 | 2 | 10 | 11 | 0 | 0 | .476 | 687 | 164.1 | 170 | 27 | 37 | 1 | 5 | 99 | 4 | 0 | 77 | 70 | 3.83 | 1.26 | |
| 2006 | 25 | 25 | 6 | 1 | 1 | 10 | 8 | 0 | 0 | .556 | 718 | 171.0 | 178 | 9 | 36 | 1 | 6 | 137 | 2 | 0 | 74 | 65 | 3.42 | 1.25 | |
| 2007 | 25 | 25 | 3 | 1 | 0 | 6 | 10 | 0 | 0 | .375 | 657 | 145.0 | 189 | 15 | 39 | 4 | 6 | 101 | 1 | 0 | 86 | 77 | 4.78 | 1.57 | |
| 2008 | 25 | 24 | 7 | 2 | 2 | 13 | 9 | 0 | 0 | .591 | 679 | 165.2 | 151 | 13 | 41 | 3 | 1 | 108 | 4 | 0 | 81 | 69 | 3.75 | 1.16 | |
| 2009 | 23 | 22 | 2 | 0 | 0 | 6 | 7 | 0 | 0 | .462 | 638 | 144.2 | 177 | 14 | 42 | 0 | 1 | 88 | 5 | 0 | 75 | 71 | 4.42 | 1.51 | |
| 2010 | 横浜 | 26 | 26 | 1 | 1 | 0 | 10 | 11 | 0 | 0 | .476 | 699 | 155.0 | 203 | 26 | 39 | 1 | 8 | 105 | 1 | 0 | 98 | 93 | 5.40 | 1.56 |
| 2011 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | .333 | 172 | 37.0 | 47 | 4 | 14 | 0 | 1 | 20 | 1 | 0 | 23 | 19 | 4.62 | 1.65 | |
| 通算:12年 | 294 | 248 | 39 | 10 | 6 | 105 | 100 | 0 | 0 | .512 | 7233 | 1677.1 | 1825 | 186 | 486 | 14 | 45 | 1154 | 46 | 1 | 861 | 775 | 4.16 | 1.38 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 表彰
[編集] 記録
- 初記録
- 初登板:2000年4月1日、対福岡ダイエーホークス1回戦(福岡ドーム)、8回裏に救援登板・完了
- 初奪三振:同上、8回裏に柳田聖人から
- 初先発・初勝利:2000年5月4日 対大阪近鉄バファローズ6回戦(千葉マリンスタジアム)
- 初完投勝利:2000年7月11日、対大阪近鉄バファローズ15回戦(大阪ドーム)
- 初完封勝利:2002年5月13日、対日本ハムファイターズ6回戦(千葉マリンスタジアム)
- 初安打:2007年6月8日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、4回表に高宮和也から右前安打
- 初打点:2010年4月29日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表にエリック・スタルツから左越2点適時二塁打
- 節目の記録
- 1000投球回:2006年9月2日、対オリックス・バファローズ17回戦(京セラドーム大阪)、3回裏にカリーム・ガルシアから三振を奪って1死目を取り達成 ※史上315人目
- 1000奪三振:2009年7月21日、対北海道日本ハムファイターズ13回戦(札幌ドーム)、4回裏に田中賢介から ※史上123人目
- 1500投球回:2010年4月11日、対広島東洋カープ3回戦(横浜スタジアム)、2回表にフィオを二塁ゴロで2死目を取り達成 ※史上162人目
- 100勝:2010年6月20日、対阪神タイガース7回戦(横浜スタジアム)、先発登板で5回1/3を3失点 ※史上126人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:2回(2003年、2005年)(共に監督推薦)
- 国際大会記録
- 2004年 アテネ五輪
- 2006年 WBC(2試合 0勝0敗1セーブ 防御率4.18 4 1/3投球回 6奪三振 自責点2)
[編集] 背番号
- 18 (2000年 - 2009年)
- 17 (2010年 - )
[編集] 関連情報
[編集] 出演番組
- 『エキサイト・スタジアム』(TBSラジオ) - 木曜日パーソナリティ、放送時間17:50-19:00
- 『関口宏の東京フレンドパークII』(2011年1月24日、TBSテレビ) - 上原浩治、建山義紀と共にゲスト出演。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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