安藤優也

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安藤 優也
阪神タイガース #16
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 1977年12月27日(36歳)
身長
体重
184 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 自由獲得枠
初出場 2002年4月7日
年俸 7,500万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2004年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

安藤 優也(あんどう ゆうや、1977年12月27日 - )は阪神タイガースに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

大分県大分市出身。小・中学校の後輩に鉄平(現・オリックス・バファローズ)がいる。大分雄城台高校時代は県大会ベスト8が最高成績で、比較的無名の存在だった。法政大学に進学後は2年時に慶應義塾大学高橋由伸(現・巨人)にそれまで田淵幸一が持っていた東京六大学リーグ通算本塁打記録を破る23本目の本塁打を打たれ、右肩の故障などもあって大学通算7勝4敗の成績だった。

卒業後は地元の大分銀行に就職して軟式野球に転向する予定だったが、のちに夫人となる大学の同級生の勧めもあり「23本目を打たれた投手と言われ続けるのは嫌だ」と、内定を辞退して社会人野球トヨタ自動車に入社。なお、大分銀行には後にプロ入りの際の契約金を全額預金することで“恩返し”をした。トヨタ時代は最速150 km/hの速球を投げる本格派右腕として頭角を現し第71回都市対抗野球大会第72回都市対抗野球大会に2年連続出場し、2001年IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。同年秋のドラフト会議において大学の後輩でバッテリーを組んでいた浅井良と共に自由獲得枠で阪神タイガースに入団。

プロ入り後[編集]

2002年は4月14日の対横浜ベイスターズ戦でプロ初勝利を挙げるが、その後は打ち込まれるケースが多く3勝に終わった。翌2003年中継ぎに転向、同年阪神に移籍してきた伊良部秀輝のアドバイスもあって一軍に定着し、抑えジェフ・ウィリアムスと共に活躍した。2004年にはアテネオリンピック野球日本代表にも選ばれた。

2005年には岡田彰布監督の意向と本人の希望から先発投手に再転向。投球フォームを二段モーションから一段に変え、11勝を挙げて規定投球回数にも到達。リーグトップの勝率.688を記録し優勝に貢献した。

2006年も先発でスタートしたが序盤に急性扁桃腺炎で一時登録抹消され、その後久保田智之の離脱による投手陣再編でいったん中継ぎに回った。夏から再び先発ローテーションに復帰し、9月3日の対横浜戦でプロ初完封勝利を達成するなど2年連続の2桁勝利を記録した。

2007年は春季キャンプで右足を故障して出遅れ、その後右肩にも違和感を覚えて「右肩肩峰下滑液胞炎(けんほうかかつえきほうえん)」と診断され長く二軍での調整を続けた。8月28日にリリーフとしてシーズン初登板、その後先発にも復帰したが終盤に3連敗を喫するなど不本意なシーズンとなった。

2008年は春季キャンプからハイペースで調整を続けオープン戦でも好調を維持し、3月28日の対横浜戦で自身初の開幕投手を務め5回2失点で勝利投手となった。この年はシーズンを通して先発の柱として活躍、チーム最多で自己新記録となる13勝を挙げた。10月8日の読売ジャイアンツとの同率首位の直接対決(東京ドーム)に先発するも、先制を許し4回2失点で敗戦投手となった。

2009年も開幕投手を務め、先発ローテーションの一角として活躍した。しかし4月29日の対横浜戦で自己ワーストの1イニング6失点を喫するなど、年間を通じて全体的に調子が上がらなかった。好投しても味方打線が抑えられる不運(代打がことごとく失敗するなど)もあって、9月1日の先発勝利を最後に勝ち星から遠ざかり、8勝12敗の成績に終わった。

9月末からはクライマックスシリーズへの出場権をかけた東京ヤクルトスワローズとの直接対決6試合のうち、9月28日・10月3日・10月8日の3試合(2度の中4日という過密日程)で先発起用される。9月28日の登板では6回2失点の投球内容だったが、打線の援護に恵まれず敗戦投手となった。10月3日には、味方に逆転してもらった直後の3回表に、2死からの3連打による3失点を含む3回4失点で降板。そして正念場の10月8日の登板では、3回裏に新井貴浩三塁手の失策が絡んだとはいえ、2二塁打を許す2失点で持ちこたえられなかった。結局、安藤が登板した直接対決3試合で全敗(安藤が責任投手となったのは、9月28日と10月8日の2試合)してしまい、チームはクライマックスシリーズへの出場権を得られず、4位に甘んじた。

2010年に向けオフには減量へ取り組み(後述)、心機一転を図った。しかし開幕に向けた最終調整の場であった3月20日のオープン戦では1イニングに7安打を浴びせられて一挙6失点を許し、不安を残したまま3年連続の開幕投手を務めることとなった。その3月26日の開幕戦(対横浜)でも、序盤から失点を許し続ける不安定な投球を見せた。結局5回3失点ながら味方の反撃により辛くも勝利投手となったものの、以後の登板でも球威の低下が目立ち、4戦連続で相手チームの打線に打ちこまれ、開幕戦以来の勝ち星を挙げられないまま4月26日に二軍落ちとなる。シーズン半ばに一軍復帰し、先発、中継ぎとあらゆる形で登板するも、7月8日の対ヤクルト戦で喫した1イニング7失点(自己ワースト更新)[1]など投球内容は好転せず、8月二軍へ再降格。終盤には右肩を故障するなど、投球回を大きく上回る被安打を許し、防御率7.27・WHIP1.77とプロ入り後ワーストの成績に終わる。

2011年は右肩の故障の影響もあってオープン戦・公式戦ともに二軍スタートとなった。二軍戦での好投が認められて、一軍昇格後の6月12日の対埼玉西武ライオンズ戦で先発登板するものの、球威不足やボークが絡み、2イニング持たずに3失点でノックアウトされ、一軍登録を抹消となる。結局、一軍登板はこの1試合のみであり、プロ入り初の勝ち星なしで終わった。

2012年は、中継ぎから先発に転向する小林宏と先発6番手を争い[2]、オープン戦は好調で先発6番手の座を得た[3]。4月5日の対ヤクルト戦で先発登板し7回無失点の好投で、2010年8月19日以来595日ぶりの勝利を挙げた[4]

2013年は再び中継ぎに転向。6月2日の交流戦対ソフトバンク戦で9年ぶりのセーブを挙げた[5]。開幕から公式戦で12試合連続無失点を記録するなど、58試合に登板し23ホールドを挙げた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2002 阪神 17 8 0 0 0 3 5 0 -- .375 253 59.2 51 7 22 0 3 40 5 1 31 25 3.77 1.22
2003 51 0 0 0 0 5 2 5 -- .714 245 61.0 44 2 19 2 1 60 1 0 11 11 1.62 1.03
2004 57 0 0 0 0 5 8 5 -- .385 254 60.1 53 10 20 0 3 72 1 0 25 24 3.58 1.21
2005 24 23 3 0 2 11 5 0 0 .688 592 146.0 142 15 25 0 7 119 2 0 56 55 3.39 1.14
2006 31 20 2 1 0 10 3 0 3 .769 546 129.0 139 7 31 1 4 103 5 1 52 48 3.35 1.32
2007 8 6 0 0 0 2 3 0 1 .400 141 33.0 30 4 14 2 1 17 1 0 17 16 4.36 1.33
2008 25 25 2 0 1 13 9 0 0 .591 656 154.2 158 8 41 2 8 111 2 1 57 55 3.20 1.29
2009 28 28 2 0 0 8 12 0 0 .400 714 164.0 180 18 51 6 6 97 5 1 80 71 3.90 1.41
2010 19 9 0 0 0 2 3 0 0 .400 246 52.0 78 9 14 1 0 31 4 1 45 42 7.27 1.77
2011 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 1.2 5 0 2 0 0 1 0 1 3 3 16.20 4.20
2012 13 13 0 0 0 3 7 0 0 .300 310 73.1 78 6 15 0 1 42 2 1 36 33 4.05 1.27
2013 58 0 0 0 0 4 2 1 23 .667 219 51.1 53 1 18 5 3 32 0 0 14 13 2.28 1.44
2014 53 0 0 0 0 6 2 0 23 .750 206 47.1 53 2 16 2 0 41 2 0 21 20 3.80 1.46
通算:13年 385 133 9 1 3 72 61 11 50 .541 4394 1033.1 1064 89 288 21 37 766 30 7 448 416 3.62 1.31
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初安打:2002年5月3日、対ヤクルトスワローズ7回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に石川雅規から左前安打
  • 初打点:2005年9月3日、対横浜ベイスターズ19回戦(札幌ドーム)、6回表に門倉健から投手前適時内野安打

背番号[編集]

  • 16 (2002年 - )

登場曲[編集]

オリジナル曲「元気だしていこうぜ!!」(スーパーバンド)(2006年 - )

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]