安藤優也
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| 阪神タイガース #16 | |
|---|---|
2008年6月28日(阪神甲子園球場)
|
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大分県大分市 |
| 生年月日 | 1977年12月27日(31歳) |
| 身長 体重 |
184cm 92kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2001年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2002年4月7日 |
| 年俸 | 1億2,000万円(推定) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2004年 |
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この表について
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|
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 銅 | 2004 | 野球 |
安藤 優也(あんどう ゆうや、1977年12月27日 - )は阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。背番号は16。
目次 |
[編集] 経歴
大分県大分市出身。大分雄城台高校時代は県大会ベスト8が最高成績で、比較的無名の存在だった。法政大学に進学後は2年時に慶應義塾大学の高橋由伸にそれまで田淵幸一が持っていた東京六大学リーグ通算本塁打記録を破る23本目の本塁打を打たれ、右肩の故障などもあって大学通算7勝4敗の成績だった。
卒業後は地元の大分銀行に就職して軟式野球に転向する予定だったが、後に夫人となる大学の同級生の勧めもあり「23本目を打たれた投手と言われ続けるのは嫌だ」と、内定を辞退して社会人野球のトヨタ自動車に入社。なお、大分銀行には後にプロ入りの際の契約金を全額預金することで“恩返し”をした。トヨタ時代は最速150km/hの直球を投げる本格派右腕として頭角を現し第71回都市対抗野球大会、第72回都市対抗野球大会に2年連続出場し、2001年のIBAFワールドカップ日本代表にも選出された。同年秋のプロ野球ドラフト会議において大学の後輩でバッテリーを組んでいた浅井良と共に自由獲得枠で阪神タイガースに入団。阪神は当初小川裕介・寺原隼人の獲得を狙っていたが果たせず、社会人ナンバーワン右腕の呼び声が高かった安藤に目標を切り替えたという。
2002年は4月14日の横浜ベイスターズ戦でプロ初勝利を挙げるが、その後は打ち込まれるケースが多く3勝に終わった。翌2003年はリリーフに転向、同年阪神に移籍してきた伊良部秀輝のアドバイスを受けて成長し、一軍に定着。抑えのジェフ・ウィリアムスと共に活躍した。2004年にはアテネオリンピック野球日本代表にも選ばれた。
2005年には岡田彰布監督のプランにより自身も希望していた先発投手に再転向。投球フォームを二段モーションから一段に変え、11勝を挙げ規定投球回数にも到達。リーグトップの勝率.688を記録し優勝に貢献した。
2006年も先発でスタートしたが、序盤に急性扁桃腺炎で一時登録抹消され、その後久保田智之の離脱による投手陣再編でいったん中継ぎに回った。夏から再び先発ローテーションに復帰。9月3日の対横浜戦でプロ初完封勝利を達成するなど好調で、最終的には2年連続の2桁勝利をマークした。
2007年は春季キャンプで右足を故障して出遅れ、その後右肩にも違和感を覚えて「右肩肩峰下滑液胞炎(けんほうかかつえきほうえん)」と診断され長く二軍での調整を続けた。8月28日にリリーフとしてシーズン初登板、その後先発にも復帰したが終盤に3連敗を喫するなど不本意なシーズンとなった。
2008年は春季キャンプからハイペースで調整を続けオープン戦でも好調を維持し、3月28日の横浜戦で初めて開幕投手を務め5回2失点で勝利投手となった。同年はシーズンを通して先発の柱として活躍し、チーム最多で自己新記録となる13勝を挙げた。
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | 阪神 | 17 | 8 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | -- | .375 | 253 | 59.2 | 51 | 7 | 22 | 0 | 3 | 40 | 5 | 1 | 31 | 25 | 3.77 | 1.22 |
| 2003 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 5 | -- | .714 | 245 | 61.0 | 44 | 2 | 19 | 2 | 1 | 60 | 1 | 0 | 11 | 11 | 1.62 | 1.03 | |
| 2004 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 8 | 5 | -- | .385 | 254 | 60.1 | 53 | 10 | 20 | 0 | 3 | 72 | 1 | 0 | 25 | 24 | 3.58 | 1.21 | |
| 2005 | 24 | 23 | 3 | 0 | 2 | 11 | 5 | 0 | 0 | .688 | 592 | 146.0 | 142 | 15 | 25 | 0 | 7 | 119 | 2 | 0 | 56 | 55 | 3.39 | 1.14 | |
| 2006 | 31 | 20 | 2 | 1 | 0 | 10 | 3 | 0 | 3 | .769 | 546 | 129.0 | 139 | 7 | 31 | 1 | 4 | 103 | 5 | 1 | 52 | 48 | 3.35 | 1.32 | |
| 2007 | 8 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 1 | .400 | 141 | 33.0 | 30 | 4 | 14 | 2 | 1 | 17 | 1 | 0 | 17 | 16 | 4.36 | 1.33 | |
| 2008 | 25 | 25 | 2 | 0 | 1 | 13 | 9 | 0 | 0 | .591 | 656 | 154.2 | 158 | 8 | 41 | 2 | 8 | 111 | 2 | 1 | 57 | 55 | 3.20 | 1.29 | |
| 通算:7年 | 213 | 82 | 7 | 1 | 3 | 49 | 35 | 10 | 4 | .583 | 2687 | 643.2 | 617 | 53 | 172 | 7 | 27 | 522 | 17 | 3 | 249 | 234 | 3.27 | 1.23 | |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 記録
- 最高勝率(2005年) ※セ・リーグでは最高勝率の表彰はないため、正式なタイトルではない。
- 初登板・初先発:2002年4月7日ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場) 6回1失点
- 初勝利・初先発勝利:2002年4月29日中日ドラゴンズ戦(阪神甲子園球場) 7回3失点
- 初セーブ:2003年5月3日ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場) 8回2死より登板、1回1/3無失点
- 初完投:2005年7月28日読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)
- 初完封:2006年9月3日横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)
[編集] 背番号
- 16(2002年 - )
[編集] 人物
映画『青空のルーレット』(2007年)にチームメイトの福原忍と出演した。
目が若干細目なので、チームメイトの関本賢太郎と「細目ンズ」を結成している[1]。
お笑いが好きで、TBS系「あらびき団」にハマっていると公言している。 また、2009年4月14日には、同月10日に痛めた足首の状態を記者に尋ねられた際、いがわゆり蚊の持ちネタである架空の言語「チェンバル語」を披露したこともある。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- やるなら今しかねぇ -本人による公式ブログ
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