馬原孝浩

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馬原 孝浩
福岡ソフトバンクホークス #14
基本情報
国籍 日本
出身地 熊本県熊本市
生年月日 1981年12月8日(27歳)
身長
体重
181cm
81kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2003年 自由獲得枠
初出場 2004年3月30日
年俸 1億2,500万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
WBC 2006年(途中合流)、2009年

馬原 孝浩(まはら たかひろ、1981年12月8日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。

妻は元アナウンサーの畑野優理子

目次

[編集] プレースタイル

MAX158km/h(WBCで計測)を計時する直球と落差の大きなフォークボールが武器の、ソフトバンク不動のクローザー。変化球は他にカーブ、2種類のスライダーを投げる。先発時代にはカットボールやチェンジアップも用いていた。

[編集] 来歴・人物

小学校時代には、熊本市の選抜チームのエースとして同市の姉妹都市であるサンアントニオ市(アメリカ合衆国テキサス州)の選抜チームと試合をした経験がある。

九州共立大では1学年年上の新垣渚と共にエースとして活躍。大学通算30勝5敗の成績を残す。日米大学野球選手権大会2002年2003年)、世界大学野球選手権大会(第1回:2002年イタリアで開催、日本は銅メダル獲得)の代表にも選ばれ、2003年のドラフト自由獲得枠で福岡ダイエーホークスに入団。

[編集] プロ入り後

1年目の2004年新人王有力候補と期待され開幕一軍入りし、開幕4戦目の対西武戦で初先発初勝利を挙げたが、その後は体調を崩しわずか3勝。2005年には開幕3戦目で初完投勝利を挙げたが、その後3連敗して二軍落ち。しかし交流戦からリリーフとして一軍に復帰すると、三瀬幸司の不調により抑えに定着した。6月以降だけでリーグ2位タイの22セーブを記録し、王貞治監督に翌年のクローザーに指名された。

石井弘寿の故障のため、2次リーグから2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出されたが、代表に選出された選手では久保田智之とともに出場機会がなかった。

2006年のシーズンでは初めて年間通して抑えを務め、防御率1.65で29セーブの数字を残した。8月23日のオリックス戦では自己最速の156km/hを記録。被本塁打は9月2日の楽天戦でホセ・フェルナンデスに打たれた1本のみだった。シーズンオフには日米野球の抑え投手部門にファン投票1位で選出され、第2戦、第5戦に登板し計3イニングを無失点。第5戦では4試合で4本塁打していたライアン・ハワードに全球ストレートで勝負し、空振り三振に仕留めた。

2007年は前半から好調で、オールスター以前の自責点は2で防御率0点台の快投を見せた。後半疲れからか3敗を喫したが、2年連続の防御率1点台に球団記録となるシーズン38セーブを記録し、初の最多セーブ投手のタイトルを獲得。またその活躍により「2007 ヤナセ・福岡ソフトバンクホークス MVP賞」を受賞。メルセデスベンツA200 TURBO AVANTGARDEが贈られた。私生活では、元テレビ西日本のアナウンサー畑野優理子と結婚した(入籍12月3日、挙式12月16日)。

2008年開幕直前に右肩炎症を発症し長期離脱。7月25日に一軍登録され、翌26日ロッテ14回戦(ヤフーD)でシーズン初セーブ。10月6日楽天戦で、日本人選手では最速となる178試合目での通算100セーブを達成した。シーズン最終戦の楽天戦で登板したがサヨナラ負けとなり、王政権ホークスでの最後に登板した投手となった。

[編集] エピソード

  • 趣味は釣り、買い物。またキャンプでは本を数冊持参するなど読書家でもある。
  • 国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)を入団以来毎年訪問し、交流を続けている。入団壮行会の激励金の一部を同園に寄付し、園内グラウンドでトレーニングをした。
  • 2006年12月1日福岡県警察早良警察署一日署長を務めた。
  • 小学生の時の試合でピッチャーだった馬原は、当時野球をやっていた女子プロゴルファーの古閑美保本塁打を打たれたことがあり、大変ショックだったとラジオジャンクSPORTSで語っている。
  • チームメイトで数少ない同学年の川﨑宗則とは仲が良く、「まーくん」「ムネ」と呼ぶ間柄。独身時代は寮の部屋を行き来したり、運転の得意でない川崎の代わりに車庫入れを手伝わされていた[1]
  • 新垣渚佐藤誠にかなりの天然と言われた。
  • 福岡では佐々木主浩の愛称・大魔神と馬原自身の名字にちなみ、「大馬神」というあだ名を持つ。あだ名は他に「まー君」「ぅまー君」など。
  • スカイマークスタジアムが苦手であるとされ、2007年は5度の登板で3度セーブに失敗。またシーズン14失点のうち7点を同球場で失っている。
  • オールスターゲームでは出場した2006年・2007年のいずれも敗戦投手になっている。2004年に出場したフレッシュオールスターゲームでも敗戦投手になった。
  • 経済学部に籍を置いていたが、大学は卒業していない。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
2004 ダイエー
ソフトバンク
11 8 0 0 0 3 3 0 -- .500 238 50.0 66 7 22 0 4 37 2 0 36 35 6.30 1.76
2005 42 6 1 0 0 6 6 22 2 .500 332 76.0 70 4 33 3 4 68 3 0 31 26 3.08 1.36
2006 51 0 0 0 0 0 4 29 1 .000 223 54.2 47 1 14 8 0 62 3 1 13 10 1.65 1.12
2007 54 0 0 0 0 2 4 38 1 .333 271 67.1 50 4 18 5 2 68 3 0 14 11 1.47 1.01
2008 21 0 0 0 0 0 2 11 2 .000 80 19.1 14 1 6 0 0 23 3 0 6 6 2.79 1.03
通算:5年 179 14 1 0 0 11 19 100 6 .367 1144 267.1 247 17 93 16 10 258 14 1 100 88 2.96 1.27
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

[編集] 記録

[編集] タイトル・表彰

[編集] 背番号

  • 14(2004年 - )

[編集] 関連項目

[編集] 脚註

  1. ^ 川﨑&馬原トークショー「ALL THAT'S HAWKS」

[編集] 外部リンク

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