岩嵜翔

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岩嵜 翔
福岡ソフトバンクホークス #21
HAWKS21-IWASAKI.jpg
2013年4月14日、福岡ヤフオク!ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 1989年10月21日(25歳)
身長
体重
188 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2008年7月23日
年俸 4,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岩嵜 翔(いわさき しょう、1989年10月21日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

高根小2年のときホワイトビーストロングで投手兼遊撃手として野球を始め、高根中1年からは投手に専念。

市立船橋高校では1年秋からベンチ入りし、山崎正貴との二枚看板で活躍。高校3年夏の千葉県予選準々決勝鎌ヶ谷戦では7回コールドの参考記録ながら無安打無失点。甲子園に出場するが、初戦敗退に終わった。

2007年の高校生ドラフト福岡ソフトバンクホークス中日ドラゴンズが外れ1位で競合し、ソフトバンクが交渉権獲得。契約金7000万円、年俸700万円(いずれも推定)で仮契約した。

プロ入り後[編集]

2008年は主に二軍で登板し、12試合で防御率1.93、先発9試合で5勝2敗と安定した投球でウエスタン・リーグ優勝に貢献し、オフに優秀選手賞を受賞[1]。7月23日に一軍に昇格すると同日の対オリックス・バファローズ戦でプロ入り初登板・初先発を果たす。初回に小久保裕紀の先制タイムリーで1点援護をもらったが3回に森山周坂口智隆阿部真宏アレックス・カブレラと4連打を浴び同点とされると、北川博敏にセンターフェンス直撃となる2点タイムリーツーベースで勝ち越され、3回7安打3失点で三瀬幸司へ交代となった。7月25日に出場選手登録を抹消され一軍で投げたのはその1試合のみとなった。10月4日に長崎県営野球場で行われたファーム日本選手権では東京ヤクルトスワローズを相手に9回を5安打1失点に抑える完投勝利をあげ胴上げ投手となり[2]、同選手権の最優秀選手賞を獲得した[3][4]。高卒ルーキーでは1998年の五十嵐亮太(ヤクルト)以来2人目となる受賞だった[5]

2009年は9月30日に昇格し同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で先発し、4回に松田宣浩のセンターバックスクリーンへのソロホームランで先制したが、5回に2安打で一死一三塁とすると小坂誠が打ったファーストゴロで三本間に三塁走者を挟みも、田上秀則の悪送球により生還、中谷仁に四球を与え満塁とし、中村真人にレフトオーバータイムリーヒットを打たれて一死満塁で降板、後続の甲藤啓介に走者を全て返され4回1/3で5失点ノックアウトとなった[6]。10月1日に二軍降格となりシーズンを終えた。

ビジターユニフォーム姿の岩嵜

2010年は3月30日に一軍登録されると、3月31日の対埼玉西武ライオンズ戦7回4点ビハインドからプロ入り初の救援登板し三者凡退に抑えたが、続く8回に先頭石井義人のライト前ヒットを多村仁志が取り損ねてエラーで二塁とすると、浅村栄斗にタイムリーツーベース、栗山巧にもタイムリーを打たれて点差を広げ4月2日に二軍落ちした。5月3日の対オリックス戦でシーズン初先発、4点の援護を貰い、グレッグ・ラロッカのタイムリーとツーランホームランで3点を失ったもののなんとか5回3失点1点リードで降板したが、後続の甲藤啓介が同点に追いつかれ白星とはならなかった。6月27日の対楽天戦で先発し6回まで無失点と好投、7回の川崎宗則のタイムリーで1点援護を貰ったがその裏に内村賢介のタイムリーで同点とされ、8回も投げたが三塁へ走者を進めたため7回2/3で降板、チームは12回延長引き分けとなった。この2試合を含め一軍では5度の先発のチャンスを得たが0勝3敗と振るわなかった。また、二軍では防御率3.27(リーグ3位)、81奪三振(リーグ2位)と力を見せた。オフには大場翔太とともにプエルトリコウィンターリーグへ派遣され、10月27日から12月21日までの期間に10試合登板(先発9試合)して53回2/3を投げ、リーグ最多勝となる8勝1敗、防御率3.19、WHIP1.23だった[7]。リーグ第4週にはESPN Deportesの選出する週間MVPを受賞し[1]、レギュラーシーズン終了後には2001年伊良部秀輝以来日本人史上2人目となる最優秀投手賞と右投手ベストナインを受賞した[2]

2011年は開幕ローテーション6枚目に抜擢され4月17日対西武戦で先発、初回に松中信彦のセンター前タイムリーヒットで1点先制してもらうと、2回に秋山翔吾のタイムリーで同点とされ、裏に松田宣浩のソロホームランで再び勝ち越し、4回に4点の援護を貰い5回1失点と好投、6回に先頭の中村剛也にレフトへソロホームランを打たれ、二死一三塁としたところで4点リードで降板した。後続が徐々に追いつかれ9回1点リードで馬原孝浩佐藤友亮に同点のソロホームランを浴びまたも初白星とはならなかった。翌日4月18日に二軍へ降格され、5月5日に再び一軍に戻り対楽天戦で先発し7回を3失点に抑えたが、打線が塩見貴洋らに完封された。

翌週本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームで行われた5月13日の対埼玉西武ライオンズ戦に再び先発、3回に西武先発牧田和久から内川聖一がセンター前タイムリーヒットで1点奪うと、5回まで無失点と好投、しかし6回に単打、四球で一死一二塁とするとホセ・フェルナンデスのタイムリーツーベースで同点とされ、坂田遼の高く弾んだセカンドゴロを本多雄一が捕球するも送球できず勝ち越された。ここで打線が奮起、小久保裕紀のソロホームランで同点に追いつくと、松田宣浩が四球、福田秀平がヒットで出塁、細川亨の左中間を破るタイムリーツーベースにより2点勝ち越し、川崎宗則のタイムリースリーベースで牧田をノックアウト、代わった星野智樹も本多雄一が10球粘った末にレフト前タイムリーで沈め、代わった岩崎哲也からも内川がタイムリーヒットを打ち1イニング6点の援護を与えた。6回2失点に抑えて降板、その後は大場翔太が1失点したものの苦節4年目で悲願のプロ入り初勝利となった[3]

5月23日対ヤクルト戦では5回降雨コールドながら無失点でプロ初完投を挙げた(勝敗は付かず)[4]7月28日の対楽天戦で先発し、9回を被安打8与四球2奪三振0で初完封勝利を挙げた。なお、この試合での奪三振ゼロでの完封勝利は、1995年7月4日のキップ・グロス(当時日本ハム)以来、16年ぶりであり、日本人では1956年5月3日の大脇照夫(当時国鉄・無安打完封も達成)以来、55年ぶりである。 チームが連覇を決めた10月1日の対西武戦では7回を3安打無失点に抑え、6回に福田のセンター前タイムリー、明石健志のタイムリースリーベースで勝ち越すと、後を継いだブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩が完封リレーで守り勝利投手になった[5]

CSファイナルステージはベンチ入りできず、日本シリーズでは第1戦から第5戦までベンチ入りしたものの登板機会は無かった。11月25日から台湾で開催されたアジアシリーズでは11月27日に桃園国際野球場にて行われた対パース・ヒート戦で先発し、2回を2安打無失点に抑えたものの、決勝での登板を予定していた攝津正が肩の張りを訴えたため、代役に抜擢され31球で降板した[8]。11月29日に迎えた台中インターコンチネンタル野球場でのサムスン・ライオンズとの決勝戦に中1日で先発、初回に松田宣浩のタイムリーツーベースで1点の援護を貰うと4回まで無失点と好スタートしたが、5回に単打、死球、四球で満塁とすると丁亨植に逆転となるセンター前2点タイムリー、朴錫珉に二塁打でさらに1失点した所で降板、代わった陽耀勲の登板中に川崎宗則がショートゴロをファンブルして残した走者が返り、4回1/3で5失点(自責3)で敗戦投手となった。これにより球団の大会初優勝、日本勢の5連覇ともに逃した[9]

2012年はオープン戦で絶好調で3試合に登板して13イニングを無失点[10]、3月31日の開幕第2戦の先発に抜擢されると、7試合連続でクオリティ・スタートを達成した。右肩手術の馬原孝浩の代理で守護神となっていたブライアン・ファルケンボーグが5月18日に強い右肩の張りを訴えて抹消[11]され中継ぎの再編が行われたが、岡島秀樹森福允彦へと繋ぐリリーフが定まらず、6月3日まで3勝6敗と勝ち運に恵まれず先発で3連続ノックアウトされていた岩嵜に白羽の矢が立った。6月10日の対阪神戦7回2点リードから登板すると6者連続の凡退で2回無失点に抑え、プロ入り初ホールドを記録。6月13日の対中日ドラゴンズ戦も8回1点リードから三者凡退に抑え連続ホールドとなった。交流戦が終了すると6月26日に再び先発に戻され、4試合先発するが1勝2敗と負け越し再びリリーフ転向。8月10日から2度先発するも2連敗、9月18日の対西武戦、4四死球と不安定な先発二保旭に代わり4回2点リードから登板し、3イニングを無失点に抑えてプロ入り初の救援勝利を手にした。先発と中継ぎをたらい回しされたもののチーム4位となる120回1/3を投げシーズンを終えた。自己最多となる先発での16登板を果たしたが4勝10敗で防御率3.88、中継ぎでは13試合に登板し1勝0敗3ホールドで防御率0.36だった。

クライマックスシリーズファーストステージは10月14日第2戦に8回8点ビハインドから登板して1回無失点、10月15日第3戦は6回1点リードから登板し、西武のクリーンナップ中島裕之、中村剛也、ホセ・オーティズを三者凡退、続く7回も三者凡退と2回を無失点に抑えてホールドを記録し、ファイナルステージ進出に貢献した。ファイナルステージはチームが1敗して迎えた10月18日第2戦、初回に内川聖一のタイムリーエラーにより悪い流れで降板した先発新垣渚の後を受け4回1点ビハインドから登板し、毎回2つの四球を出しながらも4回5回を無失点に抑え、続く6回は三者凡退、7回に先頭の金子誠に高めに浮いたフォークを打たれ、陽岱鋼の犠打で一死二塁とされた所で降板。代わった森福允彦が糸井嘉男にツーランホームランを打たれ、打線も日本ハム投手陣に完封されチームは敗戦した。クライマックスシリーズ3登板で6回1/3を投げ3安打1失点、防御率1.42だった。

2013年和田毅が着用していた背番号「21」を受け継いだ。開幕を一軍で迎え、7回を任されるセットアッパーとして起用された。3月29日の開幕戦(対楽天戦)で7回1点リードから登板して三者連続三振で1ホールド目を記録すると、4月19日まで11試合連続無失点と好投。5月3日対西武戦9回1点リードでクローザーとして初起用されたが秋山翔吾にライトへの同点タイムリーヒットを打たれて初のセーブ失敗となった。続く10回は走者を出しながらも同点のまま踏ん張り、チームは延長11回に長谷川勇也のサヨナラ打で勝利した。先発が早いイニングに降板してしまう試合が多かったチーム事情から、4月途中から8回を任されていたが右肘痛を発症し、5月4日に一軍登録抹消[12]。 5月29日東京ドームで行われた対読売ジャイアンツ戦では9回1点リードから登板、村田修一ホセ・ロペス、石井義人を三者凡退に抑えてプロ入り初セーブも記録した。6月5日に2セーブ目を挙げたものの、6月8日の対中日戦でエクトル・ルナの同点タイムリーによりセーブ失敗しクローザー失格、勝ちパターンからも外された。6月9日から6試合連続無失点を記録したものの、6月26日に救援失敗、続く7月1日も3失点を喫し、先発投手陣が不調だった事から7月10日から8月11日まで5試合連続で再び先発起用されたが0勝4敗で防御率6.85と振るわなかった[6]。8月13日から再び中継ぎに戻ると、3試合連続で自責点を記録し、9月7日は1アウトも取れずに降板、10月1日に7点リードで2回を三者凡退としたが、信用を失ったままシーズンを終えた。オフにはドミニカ共和国のウィンターリーグへ派遣され、10月30日から12月12日までの期間に7試合先発登板して33回2/3を投げ、2勝1敗、防御率3.74、WHIP1.07だった[13][14]

2014年は5月15日に一軍昇格すると同日のQVCマリンフィールドで行われた対ロッテ戦で先発、8回7安打1失点と好投し、高校時代から一度も勝ったことのなかったライバル唐川侑己に初勝利、故郷の千葉県でも初勝利となった[15]。8月の28日まで9試合先発し4勝1敗、防御率3.83だったが、柳瀬明宏の右肘炎症による抹消や森福允彦、金無英の不調とも重なりチーム事情から9月2日以降は僅差で登板する中継ぎへと配置転換された。10月4日のファーム選手権で先発東浜巨の後を受け、6回1点リードで登板して三者凡退に抑えたが、続く7回先頭青松敬鎔のサードゴロを亀澤恭平がファンブルエラーし、二死一二塁とした所で加藤翔平に同点タイムリーを打たれて救援失敗、チームは勝利を逃した[16]CSファイナルステージでは10月16日、10月19日に登板、日本シリーズでは10月25日に登板し、いずれもビハインドからの中継ぎだったが3試合無失点だった。

プレースタイル[編集]

スリークォーターからリリーフ時には平均球速146km/h[7]、最速154km/hを記録した速球[8]スライダーフォークを軸とし、スローカーブチェンジアップも混ぜる。もともとはオーバースローであったが、高校入学後サイドスローに転向。高校3年春にスリークォーターに再転向すると球速が伸び、甲子園では最速150km/hを記録した。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 ソフトバンク 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 3.0 7 0 0 0 0 1 0 0 3 3 9.00 2.33
2009 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 19 4.1 7 0 1 0 0 1 0 0 5 3 6.23 1.85
2010 6 5 0 0 0 0 3 0 0 .000 105 22.1 30 2 9 0 1 9 0 0 21 20 8.06 1.75
2011 13 13 2 1 0 6 2 0 0 .750 326 79.1 70 4 22 0 5 33 4 0 27 24 2.72 1.16
2012 29 16 2 0 0 5 10 0 3 .333 498 120.1 113 5 27 0 3 77 1 0 46 42 3.14 1.16
2013 47 5 0 0 0 1 4 2 14 .200 297 68.2 79 9 14 0 3 54 2 0 39 33 4.33 1.35
2014 18 9 0 0 0 4 1 0 3 .800 266 62 64 10 15 0 4 37 0 0 32 28 4.06 1.27
通算:7年 115 50 4 1 0 16 21 2 20 .432 1526 360.0 370 30 88 0 16 212 7 0 173 153 3.83 1.27
  • 2014年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

その他記録

背番号[編集]

  • 41 (2008年 - 2012年)
  • 21 (2013年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Iwasaki y Oba dejan huella con CriollosESPN Deportes、2010年12月24日。
  2. ^ Anuncian Valores del Año del béisbol profesional en la Islaprimera hora.com、2011年1月7日。
  3. ^ “ソフト岩崎、4年目で涙のプロ1勝「幸せです」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年5月14日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/14/kiji/K20110514000816800.html 2013年4月18日閲覧。 
  4. ^ 【ソフトB】岩崎プロ初完投!5回だけどnikkansports.com 2011年5月23日付記事
  5. ^ “強心臓”21歳 岩崎7回零封「楽しく投げられた」
  6. ^ 週刊ベースボール』2014年1月20日号 「記録の手帳」 50項
  7. ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2014年、214頁。ISBN 978-4-905411-17-8
  8. ^ 岩崎 自己最速154キロ 1回を完全救援”. 西スポ・西日本新聞スポーツ (2013年4月8日). 2013年4月12日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]