橋本将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
橋本 将
20100403橋本捕手.JPG
2010年4月3日 明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県宇和島市
生年月日 1976年5月1日(35歳)
身長
体重
179cm
88kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1994年 ドラフト3位
初出場 1995年7月1日
年俸 7,500万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

橋本 将(はしもと たすく、1976年5月1日 - )は、プロ野球選手捕手)。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

宇和島東高校に在学。2年時には1年先輩の平井正史とバッテリーを組む。1994年、3年生時に選抜大会に出場し、ベスト8。高校通算40本塁打のパンチ力を買われ、1994年のドラフト千葉ロッテマリーンズから3位指名を受けて入団。

[編集] ロッテ時代

2000年、ファーム時代からコンビを組む小野晋吾の女房役を中心に77試合に出場。課題とされたスローイング技術も当時バッテリーコーチであった山中潔の指導により飛躍的向上を遂げる。当時の正捕手は清水将海だったが打撃に難があったため、打力があった橋本や里崎智也が起用される機会も多かった。打順も清水が8番か9番に固定されていた一方、橋本や里崎はこの時期からクリーンアップを打つこともあった。

ボビー・バレンタインが9年ぶりに監督に復帰した2004年からは、相手先発などに合わせて左打ちの橋本と右打ちの里崎が併用されるのが基本方針となった。この年はどちらかと言えば橋本が正捕手格で、自己最多の93試合出場、13本塁打を記録した。2005年は逆に里崎が正捕手格になり、橋本の先発試合は相手先発が右投げの時に限られたため(ただし先発が右投げの時も里崎が先発することもあった)出場数は前年より少ない72試合だったが、高い出塁率やしぶとい打撃、安定感のあるリードで投手陣を支え、出場試合での勝率・防御率では正捕手を争う里崎を凌いだ。明るく積極的な里崎、地味ながら堅実に貢献した橋本という、対極的かつ個性・実力ある二人の捕手の併用は、この年ロッテが31年ぶりのリーグ優勝・日本一に輝いた原動力の一つであり、バレンタイン独特の選手起用術(ボビー・マジック)の象徴とも言える。この年から始まったアジアシリーズでは日本人第1号本塁打を放った。もともと安打数の割に四球が多いのも特徴であったが、この年は52安打に対しほぼ同数の48四球を選んでいる。その結果、打率は里崎よりも5分近く低いが、出塁率は逆に橋本の方が3分以上高くなった。

2006年2007年は不振や故障に苦しみ出場機会が減少(この2年間、里崎は規定打席に到達している)。2006年は打率が1割5分を切り、2007年は本塁打0だった。ただ、この頃から外国人選手の成績が低下傾向になったチーム事情もあり、右投手対策として指名打者で出場することもあった。2007年のクライマックスシリーズでも1st・2ndステージ合わせて3試合に指名打者で先発している。

2008年は里崎が開幕早々に故障して指名打者での起用しか出来なくなったため、序盤戦は事実上橋本が正捕手を務めた。開幕から打撃好調でチーム全体が開幕から打撃不振だった事情から、5月7日の対オリックス戦では初めて4番で先発出場した。ところが、4番2試合目となった9日の対楽天戦で負傷退場し、約2ヵ月間戦線離脱となった。4日には故障が悪化した里崎が、さらに橋本が負傷した9日には第3捕手の田中雅彦も登録抹消されていたため、9日が一軍初出場だった金澤岳がしばらく先発マスクをかぶらざるを得なくなり、チームがこの時期大きく負けが込む一因となった。満塁の場面での印象的な活躍が光った。7月24日日本ハム戦でのダルビッシュ有からの先制・決勝満塁本塁打、9月7日ソフトバンク戦での馬原孝浩からの同点満塁本塁打など。ダルビッシュからは前記の満塁本塁打を含め、14打数8安打2本塁打と打った。前半戦の出遅れが響いてチームはこの年4位に終わったが、橋本自身は復帰後も好調を維持し、里崎が先発マスクの試合でも指名打者で出場することも多かった。最終的には打率.311、本塁打11、打点55と自己最高の成績を挙げ、出塁率も4割を超え長打力と選球眼を併せ持った橋本らしさを発揮した一年となった。また、この年国内FA権を取得し、橋本は移籍した場合ロッテへの補償が不要な年俸Cランクだったこともあって注目選手の一人に挙げられていたが、FA宣言せずにロッテに残留した。

2009年は再び里崎が正捕手的な立場になり、橋本は指名打者としての出場が主になったが、シーズン初本塁打が9月になるなど不調で、自己最多の94試合に出場したものの打撃成績は前年よりも大きく落ち込んだ。この年は海外FA権を取得したが、シーズン終了後の11月10日に正捕手として出場できる環境を求めてFA宣言。これに対しこの年捕手で一番多く試合に出たのが新人の細山田武史だったなど、深刻な捕手難だった横浜ベイスターズが獲得に動き、27日に年俸7,500万円+出来高の2年契約で横浜入団が発表された。背番号は「10」。

[編集] 横浜時代

2010年は正捕手として開幕を迎えたが、打撃の調子が上がらず盗塁は全く刺せないと攻守ともに振るわなかった。次第に細山田や武山真吾にスタメンを譲る試合が多くなっていたところに、4月23日に右肋骨骨折で登録抹消。6月9日に一軍復帰したが、その後も橋本が不在の間に結果を残した武山が正捕手的な立場になって橋本の出番は限られ、さらに2度の二軍落ちを経験。結局一軍出場は43試合にとどまった。オフに背番号をロッテ時代に付けていた「33」に戻ることが発表された。

2011年は、1999年以来12年ぶりの一軍出場なしに終わり、10月9日、球団から戦力外通告を受けた[1]。12月2日、自由契約公示された。

[編集] プレースタイル・人物

ヘッドスピードが非常に速く常にフルスイングである為、痛烈な打球が飛びやすく、芯に当たれば長打になる可能性が高い選手である。また、三振が多いが、四球も多く、打率のわりに出塁率は高い。捕手としては捕球・リード・フィールディング面のうち肩はそれ程強くないため、送球動作を含む技術面でカバーしている。

ホームゲームでの打席入場曲はロッテ・横浜通じて同姓のプロレスラー橋本真也の入場曲「爆勝宣言」を使用している。この曲が流れると橋本真也と同じく「はっしもと!はっしもと!」とファンから入場コールが沸き起こるのが恒例。

2010年オフの契約更改の席では、史上初の3年連続90敗、チームとしては55年ぶりの95敗を喫した球団に対し、変革を求める発言を行った[2]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1995 ロッテ 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1997 29 69 59 3 7 2 0 0 9 4 0 0 2 1 6 0 1 15 0 .119 .209 .153 .361
2000 77 222 196 17 42 12 0 2 60 26 0 0 1 2 21 0 2 55 1 .214 .294 .306 .600
2001 47 111 95 12 26 8 1 3 45 12 0 0 3 0 12 0 1 20 2 .274 .361 .474 .835
2002 29 41 34 3 6 1 0 1 10 3 0 0 0 0 7 1 0 11 0 .176 .317 .294 .611
2003 41 93 78 4 15 2 1 1 22 8 0 1 1 2 12 1 0 25 0 .192 .293 .282 .576
2004 93 315 281 39 62 13 1 13 116 38 0 2 6 3 24 2 1 54 5 .221 .282 .413 .694
2005 72 255 202 36 52 13 0 7 86 31 1 1 1 3 48 1 1 46 2 .257 .398 .426 .823
2006 44 115 103 6 15 1 1 2 24 8 0 1 1 0 10 1 1 33 0 .146 .228 .233 .461
2007 63 141 118 15 25 4 1 0 31 4 0 1 0 2 21 0 0 38 1 .212 .326 .263 .589
2008 93 329 280 34 87 28 1 11 150 55 1 0 2 2 45 3 0 58 4 .311 .404 .536 .939
2009 94 288 252 19 59 14 0 2 79 27 0 0 1 2 32 1 1 80 3 .234 .321 .313 .634
2010 横浜 43 148 134 13 33 3 1 2 44 13 0 0 0 0 13 5 1 40 3 .246 .318 .328 .646
通算:13年 727 2129 1834 201 429 101 7 44 676 229 2 6 18 17 251 15 9 476 21 .234 .326 .369 .695

[編集] 年度別守備成績

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています
年度 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1995 1 0 0 0 0 -
1997 29 1 22 18 4 .182
2000 77 362 35 4 4 7 .990 51 33 18 .353
2001 37 5 24 16 8 .333
2002 16 51 7 1 0 0 .983 6 2 4 .667
2003 32 125 13 1 1 0 .993 24 20 4 .167
2004 88 488 38 3 5 1 .994 53 35 18 .340
2005 68 374 20 2 5 3 .995 24 18 6 .250
2006 30 171 7 2 3 0 .989 16 14 2 .125
2007 28 127 11 1 3 0 .993 18 12 6 .333
2008 69 130 24 2 3 1 .987
2009 35 213 11 0 1 3 1.000
2010 40 243 14 3 4 0 .988
通算 550 27 238 168 70 .294
  • 2010年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 60 (1995年 - 1997年)
  • 33 (1998年 - 2009年、2011年)
  • 10 (2010年)

[編集] 脚注

  1. ^ 2012年の選手契約について - 横浜ベイスターズ - 選手/チームに関するニュース 2011年10月9日
  2. ^ 横浜・橋本、球団に変革訴え「変えないと」

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス