サブロー

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サブロー (大村 三郎)
千葉ロッテマリーンズ #3
Saburo Ohmura 2010.jpg
2010年5月12日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県岡山市北区
生年月日 1976年6月1日(38歳)
身長
体重
181 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1994年 ドラフト1位
初出場 1995年6月25日
年俸 1億3000万円(2014年)
※2012年から3年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

サブロー(本名:大村 三郎(おおむら さぶろう)、1976年6月1日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手外野手)。

妻はタレントの中嶋ミチヨで、2000年8月に結婚。現在は3人(2男1女)の子の父でもある。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

岡山市立岡輝中学校(岡山リトルシニア)を卒業後、PL学園高校へ進学。1994年第66回選抜高等学校野球大会に出場し、1番センターとしてベスト4進出に貢献する。この時のセンバツでは金沢高校中野真博投手が完全試合を達成しているが、その次の試合の先頭打者としてセンター前に安打を放って2試合連続完全試合をいきなり阻止した打者としても知られる。子供のころは、阪神タイガースファンであったことを、ブログで述べている。少年野球では、「黒い霧事件」でプロ球界を永久追放された森安敏明の指導を受けていた[1]

同1994年のドラフト千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け入団。背番号は本名の「三郎」にちなみ、語呂合わせ36に決まった。

ロッテ時代[編集]

背番号3のサブロー
1995年 - 1999年
プロ1年目は6月に一軍初昇格すると、左翼手を務めていたピート・インカビリアの不振もあってスタメンの機会も与えられ、高卒1年目ながらシーズンを通して28試合に出場した。1996年は当時のロッテ外野陣の層の厚さもあって一軍で出場する機会は限られ、僅か9試合の出場に留まった。1997年からは背番号2を与えられ、プロ入り最多となる33試合に出場したものの、打率.179と低調に終わった。1998年は僅か2試合の出場に留まり、プロ入り初のシーズン無安打に終わった。1999年は一軍に定着して初めて100試合以上に出場し、プロ入り後最高の成績を残した。
2000年
5月18日、対福岡ダイエーホークス戦にて、2回裏に松本輝からプロ入り初本塁打となる左越3ランを放った。同年はこの本塁打含む5本塁打を記録するなど打撃面で成長を見せ、後半戦は右翼手のレギュラーに定着した。出場試合数こそ前年を下回ったが、打席数は大幅に増え、前年を上回る打率.270を記録した。
2001年
大塚明の成長とデリック・メイ の獲得によって外野手層が若干厚くなったため、キャンプから内野手コンバートされる。3月24日西武ドームでの開幕戦を「9番二塁手」で先発出場を果たす。しかし、自身の不振と同じ二塁の酒井忠晴の好調が重なって、5月下旬からは再び外野で出場するようになりった。
2002年
この年から登録上が外野手に戻った。シーズンを通して2番中堅手のレギュラーとして活躍し、オールスターゲームに初出場。自身初の規定打席に到達し、自己最多の131試合に出場。打率.286、9本塁打、13盗塁を記録した。
2003年
1番右翼手で開幕先発出場したが、この年は故障で80試合の出場に留まった。しかし、初の2桁本塁打(10本)を記録し、読売ジャイアンツ(以下、「巨人」)終身名誉監督でもあるアテネ五輪野球日本代表監督長嶋茂雄に「これほど上半身を上手く使う打者は見たことがない」と評された。
2004年
9シーズンぶりにロッテの監督に復帰したボビー・バレンタインが背番号2を希望し、球団側がそれを了承したため背番号を3に変更した。この年は前年を上回る89試合に出場したが、打率.256、5本塁打と成績を落とした。
2005年
8月13日オリックス戦でプロ入り初の4番に抜擢され、2試合連続本塁打を放つなど31年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献。シーズンを通して107試合に出場。規定打席には届かなかったが、打率.313、14HR、50打点といずれも自己最高の成績を残し、マリンガン打線の「まったく新しいタイプの4番打者、つなぎの4番」と評された。
2006年
8月15日付でFA権を取得し、中日が獲得を狙っていたが、本人が成績不振を理由に行使せず2年契約でチームに残留した。この年は前年を上回る115試合に出場したが、規定打席には届かず、打率.218と打撃不振に陥った。
2007年
開幕こそ出遅れるも5月から4番右翼手に定着。リーグ7位の得点圏打率.310、チーム2位かつ自己最高の68打点を挙げた。6月6日読売ジャイアンツ戦(千葉マリン)で連続打数安打記録を9とし、球団記録である堀幸一の8を塗り替えた(R・J・レイノルズ高橋由伸の11に次ぐ史上第3位)。クライマックスシリーズでは第1ステージのMVPを獲得。シーズンオフには2008年北京五輪出場を目指す野球日本代表の最終候補に選出され、台湾で開催された北京五輪予選を兼ねたアジア選手権に出場。打順は8番・9番ながら、韓国戦で同点タイムリーを放ち、台湾戦では同点のスクイズを決めるなど主軸級の活躍を見せる。また全3試合において当時はあまり守らなかった左翼を堅実に守り、日本の北京五輪出場権獲得に貢献した。なお、この大会は本名の「大村三郎」で出場していた。
2008年
打率.289と好成績だったが、春先に左太もも痛で戦線離脱したこともあり、105試合の出場に留まり、前年よりも打点が10点以上も減ってしまい、規定打席にも届かなかった。オフにはメジャーリーグ移籍も考慮に入れFA権を行使かと報道されたが、結局FA権を行使せず残留した。
2009年
開幕を一軍で迎え、シーズンを通して一軍に帯同。チームが低迷する中、好調をキープし、2002年以来自身二度目のオールスターゲーム出場を果たす。前年を上回る119試合に出場し、規定打席に到達した年としては初めてとなる3割にして自己ベストの打率.314、自身初のシーズン20本塁打(22本)、自己最多タイとなる68打点を記録した。
2010年
この年から選手会長に就任した。シーズンでは主に6番、シーズン最後の3連戦からポストシーズンにかけては4番を任された。前年より大きく打率を下げるも、自己最多の71打点を記録した。本塁打も19本と前年に引き続き長打力は健在であり、通算1000安打・100本塁打も記録。チームのクライマックスシリーズ出場及び2度目の日本一に貢献した。なお、日本シリーズでの成績は優秀選手賞を獲得した前回出場時よりも全体的に上回っていたものの(打率.300、1本塁打、6打点9安打)、チームメイトの今江敏晃がシリーズMVP、優秀選手賞も同じくチームメイトの清田育宏内竜也、対戦相手の大島洋平中日ドラゴンズ)がそれぞれ受賞した為、選ばれなかった。
2011年
開幕当初は主に7番を打っていたが、金泰均の故障により4月末から4番を打っていた。守備面では当初は右翼手を務めていたが、清田育宏伊志嶺翔大らがスタメン出場するようになったことで、以降は左翼手に回っている。5月4日西武戦で死球を受けて右手薬指を打撲。自身は軽傷をアピールするが直後に登録を抹消され、そのまま一軍復帰はなく6月29日工藤隆人プラス金銭との交換トレードで巨人へ移籍[2]。トレードの理由は経費削減のためにチームの若返りを図ることだったが、フロントとの対立も原因の一つであった。同年は、4月18日から和牛メンチカツをパティにした「サブローバーガー」がQVCマリンフィールドで売り出されたが、巨人移籍により販売終了となっている。

巨人時代[編集]

2011年6月30日支配下選手登録され、巨人への入団会見を行った。背番号は交換相手の工藤が着用していた0に決まった。翌7月1日に一軍合流、即出場選手登録され、同日の対中日戦(東京ドーム)の8回裏に代打で出場、吉見一起から左翼席にソロ本塁打を放った。7月2日に東京ドームで移籍後初のスタメンで6番で試合に出場した。その後は、対戦チームの先発投手に左投手が見込まれる際の先発出場があった以外は代打としての出場が主で調子が上がらず、一時期は2軍落ちになるなど、48試合の出場に終わった。クライマックスシリーズファーストステージ第1戦では代打で出場し本塁打を放ったが、チームはファーストステージで敗れ、シーズンを終えた。日本シリーズ終了後、出場機会を求めてフリーエージェント権を行使した。巨人在籍はわずか154日だった。

ロッテ復帰[編集]

2011年12月23日、大村本人のフリーエージェント権行使により、千葉ロッテマリーンズ復帰が決定し、発表された。大村の放出を決定したフロントが退任し、後任が大村の呼び戻しに好意的だった為、大村のロッテ復帰への障害は無くなっていた。背番号も3に決まった[3][4]。都合、3年連続ロッテ在籍時の個人応援歌が変更されている。
2012年
開幕から5番を任されたが、その後不振のジョシュ・ホワイトセルに代わって4番に起用され、前半戦のチーム快進撃を支える。しかし、夏場に調子を落とし、ホワイトセル復帰後は6番や7番などの下位に回った。守備は、当初は左翼手で、ホワイトセル離脱後は主に指名打者を務め、井口資仁やホワイトセルなど他の野手が指名打者で出場する場合には左翼手も務めた。また、シーズン前から一塁手の練習も始め、9月21日のオリックス戦で初めて一塁手として出場した。この年は最終的に自己最多となる137試合に出場したが、打率.239、7本塁打、52打点と不本意な成績に終わった。それでも得点圏打率は.290、リーグトップの78四球を記録する。シーズン終了後に右肘の手術を受けた[5]
2013年
開幕戦は6番・指名打者で先発する。シーズン序盤から不振が続き代打での出場が多くなる。6月29日のソフトバンク戦では9回裏、代打で登場して12年ぶりのサヨナラ打を放つ。調子が上がらないまま7月末に怪我で2軍落ちをする。8月末に1軍に復帰。その後は復調し、主に左翼手でスタメンの座を取り戻した。しかしシーズンを通しては73試合の出場で打率.245、5本塁打、24打点と、またしても不本意な成績に終わった。しかも例年は高い打率を残す得点圏打率が.183、と持ち味の勝負強さを発揮できなかった。前年は指名打者の出場が多かったが、当シーズンはクレイグ・ブラゼルG.G.佐藤の加入もあり左翼手として守備についた試合の方が多かった。

2014年

8年間続けてきた開幕スタメンを逃すも9回に代打で出場し安打を放つ。

表記名について[編集]

ロッテ入団に際し、同姓の大村巌が在籍していたことと、同年に史上初のシーズン200本安打を達成したイチローにあやかり、登録名を「サブロー」とした。

巨人移籍後は原則としてファーストネームやニックネームなどでの選手名登録を認めないというチームの事情から、登録名は本名の「大村三郎」となった[6]。ただし「サブロー」の愛称が定着していることから、同姓の選手は球団内に所属していないが、場内アナウンスではフルネームで呼称されていた[7]

2012年からのロッテ復帰後は登録名を「サブロー」に戻している。

ウグイス嬢[編集]

QVCマリンフィールドではウグイス嬢の谷保恵美が語尾を伸ばした「サブロー」とアナウンスをして打席に入るが,これが一部のファンからとても人気がありQVCマリンフィールドの風物詩となっている。また2012年には、誰が一番「サブロー」のアナウンスが上手いか競い、一番上手い人が同日のスタメン発表を行う「ウグイス嬢に挑戦!!サブローグランプリ」が開催された。また、神宮球場でも高い声で抑揚の強い方の人が語尾を伸ばした「サブロー」とアナウンスしている。

プレースタイル[編集]

打撃[編集]

内角球すらも右翼方向に流し打つ技巧を持ち味とし[8]2008年から2010年にかけての通算得点圏打率.326という勝負強さも持ち味としているほか、同対右打率.285に対し対左打率.292と投手の左右を苦にしない。打球を飛ばす方向を決めてから打席に入ることが多いようで、早いカウントに強いが追い込まれると弱い傾向にある。[9] しかし選球眼は非常に良く、2012年には並み居る強打者を抑えてリーグトップの四球数をマークした。

守備・走塁[編集]

持ち前の強肩を生かした守備が特徴。以前は内野手としても出場していた。外野守備においては中継を介さず正確に捕手へ返球する送球が「レーザービーム」と評され、ゴールデングラブ賞を2度獲得している。しかし近年は守備範囲が狭まり、とくにライト線方向の打球を苦手としていることもあって[10]2012年以降は左翼手一塁手、または指名打者としての起用が増えてきた。

走塁は右打者ながら一塁到達までコンスタントに4.3秒台を記録し、特に三塁到達までは11.66秒を記録する俊足を誇る[8]2002年2007年にはシーズン二桁盗塁を記録したが、近年は走力が落ちてきており2011年以降は盗塁を記録していない。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1995 ロッテ 28 61 48 4 9 2 0 0 11 2 3 4 1 1 11 0 0 17 0 .188 .333 .229 .563
1996 9 1 1 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
1997 33 32 28 2 5 2 0 0 7 1 1 0 2 0 2 0 0 8 0 .179 .233 .250 .483
1998 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1999 108 156 130 26 30 9 0 0 39 8 1 5 12 0 12 1 2 27 0 .231 .306 .300 .606
2000 95 314 263 42 71 13 1 5 101 23 8 2 15 1 35 0 0 41 4 .270 .355 .384 .739
2001 108 284 240 37 55 12 1 1 72 25 9 7 17 3 23 0 1 45 8 .229 .296 .300 .596
2002 131 512 441 67 126 33 2 9 190 43 13 1 20 6 36 0 9 93 4 .286 .348 .431 .778
2003 80 333 286 44 78 23 1 10 133 46 4 7 13 4 24 1 6 66 2 .273 .338 .465 .803
2004 89 295 258 31 66 16 3 5 103 33 2 2 5 2 26 0 4 54 12 .256 .331 .399 .730
2005 107 394 351 68 110 19 6 14 183 50 6 3 2 2 38 0 1 77 6 .313 .380 .521 .901
2006 115 344 298 38 65 13 1 9 107 38 6 2 2 8 34 0 2 84 6 .218 .295 .359 .654
2007 133 528 472 67 127 28 4 7 184 68 13 5 3 6 43 1 4 105 5 .269 .331 .390 .721
2008 105 390 346 43 100 22 2 6 144 56 6 4 0 4 36 1 4 70 5 .289 .359 .416 .775
2009 119 489 427 71 134 24 2 22 228 68 4 7 4 9 48 2 1 121 7 .314 .377 .534 .911
2010 125 513 452 58 118 15 2 19 194 71 2 1 2 1 56 0 2 118 14 .261 .344 .429 .774
2011 19 78 70 5 19 4 0 2 29 9 0 0 0 0 6 0 2 13 3 .271 .346 .414 .760
巨人 48 111 103 10 25 5 0 1 33 9 0 2 1 0 7 0 0 26 2 .243 .291 .320 .611
'11計 67 189 173 15 44 9 0 3 62 18 0 2 1 0 13 0 2 39 5 .254 .314 .358 .672
2012 ロッテ 137 560 476 52 114 28 0 7 163 52 0 0 0 4 78 1 2 105 12 .239 .346 .342 .688
2013 73 216 184 17 45 9 0 5 69 24 0 1 1 4 27 0 0 42 6 .245 .335 .375 .710
通算:19年 1664 5612 4875 683 1298 277 25 122 1991 626 78 53 100 55 542 7 40 1113 96 .266 .341 .408 .753
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1995 - - 2 0 1 0 0 1.000 22 19 0 0 0 1.000
1996 - - 4 2 2 0 0 1.000 3 0 0 0 0 ----
1997 - - - 32 28 0 0 0 1.000
1998 - - - 2 1 0 0 0 1.000
1999 - - - 98 95 5 2 0 .980
2000 - - - 91 145 5 2 1 .987
2001 - 27 79 84 3 15 .982 - 75 111 5 2 2 .983
2002 - - - 130 188 8 3 1 .985
2003 - - - 79 135 8 0 1 1.000
2004 - - - 83 121 3 0 0 1.000
2005 - - - 105 225 7 1 1 .996
2006 - - - 112 158 6 0 0 1.000
2007 - - - 130 278 8 5 1 .983
2008 - - - 103 202 6 4 0 .981
2009 - - - 109 212 5 2 2 .991
2010 - - - 111 209 4 1 1 .995
2011 - - - 51 62 3 1 1 .985
2012 5 50 1 1 2 .981 - - 53 90 0 1 0 .989
2013 - - - 28 39 0 1 0 .975
通算 5 50 1 1 2 .981 27 79 84 3 15 .982 6 2 3 0 0 1.000 1417 2318 73 25 11 .990
  • 2013年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録

背番号[編集]

登録名[編集]

  • サブロー (1995年 - 2011年途中、2012年 - )
  • 大村三郎 (おおむら さぶろう、2011年途中 - 同年終了)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 週刊ベースボール2012年10月22日号 P48
  2. ^ サブロー選手と読売ジャイアンツ・工藤隆人選手プラス金銭でのトレードについて”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年6月29日). 2011年6月29日閲覧。
  3. ^ 大村三郎選手との契約について”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
  4. ^ FAの大村、サブローでロッテ復帰! 背番号も「3」”. スポーツナビ (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
  5. ^ サブロー 右肘手術で全治3カ月”. スポーツナビ (2012年10月24日). 2012年10月24日閲覧。
  6. ^ サブロー獲得! ロッテ元4番「大村」で再出発…工藤と緊急トレード”. スポーツ報知 (2011年6月30日). 2011年6月30日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ サブロー改め大村、1日合流即出番も…故・木村コーチの背番「0」背負う”. スポーツ報知 (2011年7月1日). 2011年7月1日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、300-301頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  9. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2006』 白夜書房、2006年、20頁。ISBN 4-86191-134-6
  10. ^ Baseball Lab守備評価~Right FielderSMR Baseball Lab

関連項目[編集]

外部リンク[編集]