吉村裕基
| 福岡ソフトバンクホークス #6 | |
|---|---|
2013年5月4日福岡ヤフオク!ドーム
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福岡県古賀市 |
| 生年月日 | 1984年6月14日(28歳) |
| 身長 体重 |
183 cm 94 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 2002年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2003年10月3日 |
| 年俸 | 5,000万(2012年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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吉村 裕基(よしむら ゆうき、1984年6月14日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
1984年、福岡県で生まれる。中学時代は地元の野球チーム「福岡ライナーズ」に所属。東福岡高校時代は甲子園にも出場した。高校通算43本塁打を記録。2002年のドラフト会議において、横浜ベイスターズに5巡目で指名され入団。このドラフトでは、高校の先輩にあたる日本大学の村田修一も入団している。
横浜時代 [編集]
2003年はイースタン・リーグで5番打者として活躍。シーズン終盤に一軍に昇格し、10月3日の中日戦(横浜スタジアム)で迎えた初打席で二塁打を放つと、その翌日(同カード)にはプロ初本塁打を放った。
2004年は開幕一軍メンバーには漏れるも、7月3日に昇格。7月7日の巨人戦(東京ドーム)では代打決勝適時打を放ったほか、7月9日のフレッシュオールスターゲームでは筒井和也から2ラン本塁打を放つ。同年11月には吉村の風貌に由来する愛称「モンチッチ」にちなんだ、「吉村モンチッチ」人形が発売された。
2005年、4月中旬の二軍での日本ハム戦で死球を受けて骨折。イースタン・リーグでは三塁手のレギュラーとして打率.252、10本塁打の成績を残すも、骨折による不振が響いて一度も一軍に昇格できなかった。出場機会を増やすため、同年の秋季キャンプから外野手の練習を本格的に開始した。
2006年は開幕一軍入りを果たす。開幕から好調を維持し、交流戦直前から外野手としての先発出場が多くなった。6月に死球離脱があったものの、高打率を維持してチームの主力に成長、4番打者・村田に続く5番打者を任されるようになった。守備では外野全ポジションと一塁で満遍なく起用され、規定打席未満ながら打率.311、26本塁打の記録を残すなど、新人王の有力候補に名前を挙げられるほどの活躍をみせるも、新人王は惜しくも梵英心に譲った。
2007年は大矢明彦新監督の意向によって、外野手から一塁手にコンバートされ、全試合を一塁手として出場。前年ほどの打率は残せず、下位打線を打つことも多かった。6月9日の千葉ロッテマリーンズ戦(横浜スタジアム)では4回裏に成瀬善久から、成瀬にこの年唯一の黒星を付ける一発となった決勝2ラン本塁打を放っている。自身初の規定打席に到達し、チーム2位の24本塁打、85打点を記録した。
2008年は、前年外野を守っていた佐伯貴弘と入れ替わり、一塁手から右翼手に再転向した。4月26日の広島戦(横浜スタジアム)では右翼手として、一試合3補殺を記録。村田が北京五輪出場のため離脱した際は、8月3日の阪神戦からプロ初の4番打者に座り、村田の穴を埋める活躍をみせた。最終的には自己最高の34本塁打(リーグ5位)、91打点(同6位)を記録し、低迷するチームの中でも首位打者・内川、本塁打王・村田、そして吉村と右打者3人が並ぶ強力なクリーンナップは、他チームの脅威となった。
2009年は5月まで僅か3本塁打に止まるなど、前年から一転不振に陥る。打順を変えて復調を待つも打率、本塁打共に数字は伸び悩んだ。全144試合出場を果たしたが、レギュラー獲得後最低成績となる打率.248、16本塁打、54打点に終わり、2年連続リーグ2位の134三振を記録した。
2010年も開幕から不振が続き、下園辰哉の台頭や井手正太郎の加入などで5月11日に降格[2]。成績は僅か49試合出場、3本塁打に留まった。
2011年は開幕戦で4打数4安打を記録。さらに一時は打率3割を超えるなどの好調だったが、他球団から研究をされた影響か調子は長続きせず、前年に続き二軍降格となった。復帰後も状態が上向くことはなく、81試合出場で打率.200、5本塁打、11打点と結果を残せず、得点圏打率至っては.108と極端に低い数字に終わった。2011年現在、チーム内に吉村以外に「吉村」姓を名乗る選手・スタッフは在籍していなかったが、この年よりユニフォームの背ネームが、イニシャルを付した"Y.YOSHIMURA"に変更された。
2012年は、開幕を二軍で迎えた。4月末に昇格し、5月5日には2打席連続ホームランを記録した[3]。その後も5月17日までは6番・右翼手としてスタメン出場していたが再び打撃不振に陥り、交流戦以降は金城龍彦や下園辰哉にポジションを奪われ、その後代打として数試合出場したが、7月5日に降格し、再昇格はならなかった。11月5日、多村仁・神内靖・吉川輝昭とのトレードにより、山本省吾・江尻慎太郎とともに福岡ソフトバンクホークスへの移籍が発表される。[4]背番号は6[5]。
2013年は開幕を二軍で迎えるも、4月27日一軍昇格。同日の千葉ロッテマリーンズ戦にスタメン出場した第1打席で、前年まで.412と得意にしていた成瀬善久から移籍後初本塁打を放った[6]。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 横浜 DeNA |
6 | 22 | 18 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 4 | 1 | .222 | .444 | .808 | 1.252 |
| 2004 | 10 | 13 | 13 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .154 | .154 | .154 | .308 | |
| 2006 | 111 | 416 | 396 | 57 | 123 | 24 | 1 | 26 | 227 | 66 | 5 | 3 | 2 | 2 | 10 | 1 | 6 | 116 | 5 | .311 | .336 | .573 | .909 | |
| 2007 | 141 | 566 | 519 | 69 | 142 | 21 | 4 | 24 | 243 | 85 | 5 | 3 | 3 | 5 | 30 | 1 | 8 | 95 | 16 | .274 | .320 | .468 | .788 | |
| 2008 | 143 | 574 | 530 | 69 | 138 | 30 | 4 | 34 | 278 | 91 | 9 | 5 | 2 | 1 | 30 | 1 | 11 | 135 | 9 | .260 | .313 | .525 | .837 | |
| 2009 | 144 | 588 | 528 | 62 | 131 | 26 | 2 | 16 | 209 | 54 | 13 | 7 | 0 | 4 | 45 | 1 | 11 | 134 | 17 | .248 | .318 | .396 | .714 | |
| 2010 | 49 | 141 | 132 | 12 | 27 | 4 | 0 | 3 | 40 | 11 | 0 | 2 | 1 | 3 | 5 | 0 | 0 | 41 | 5 | .205 | .229 | .303 | .532 | |
| 2011 | 81 | 245 | 220 | 25 | 44 | 8 | 1 | 5 | 69 | 11 | 0 | 1 | 2 | 1 | 15 | 0 | 7 | 59 | 3 | .200 | .272 | .314 | .586 | |
| 2012 | 25 | 72 | 67 | 4 | 14 | 3 | 0 | 2 | 23 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 22 | 0 | .209 | .264 | .343 | .607 | |
| 通算:9年 | 709 | 2637 | 2423 | 301 | 625 | 117 | 12 | 111 | 1099 | 329 | 32 | 22 | 10 | 16 | 142 | 4 | 45 | 611 | 56 | .258 | .309 | .454 | .765 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
年度別守備成績 [編集]
| 年 度 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2003 | - | 6 | 5 | 7 | 1 | 1 | .923 | - | ||||||||||
| 2004 | 1 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | ||||||||||
| 2006 | 22 | 174 | 11 | 0 | 9 | 1.000 | - | 85 | 153 | 3 | 4 | 0 | .975 | |||||
| 2007 | 138 | 1270 | 94 | 10 | 103 | .993 | - | - | ||||||||||
| 2008 | - | - | 140 | 251 | 11 | 2 | 4 | .992 | ||||||||||
| 2009 | - | - | 144 | 260 | 6 | 4 | 0 | .985 | ||||||||||
| 2010 | - | - | 42 | 71 | 2 | 1 | 0 | .986 | ||||||||||
| 2011 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 60 | 102 | 5 | 3 | 0 | .973 | |||||
| 通算 | 162 | 1452 | 105 | 10 | 113 | .994 | 6 | 5 | 7 | 1 | 1 | .923 | 471 | 837 | 27 | 14 | 4 | .984 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰 [編集]
- JA全農Go・Go賞:2006年8月(最多二・三塁打賞)
記録 [編集]
- 初出場・初先発出場:2003年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、7番・三塁手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回裏に平松一宏から左越二塁打
- 初打点:同上、3回裏に平松一宏から押し出し四球
- 初本塁打:2003年10月4日、対中日ドラゴンズ25回戦(横浜スタジアム)、7回裏に野口茂樹から左越決勝2ラン
- 初盗塁:2006年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:久保康友、捕手:里崎智也)
- 100本塁打:2009年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、6回裏に吉見一起から左中間へ2ラン ※史上257人目
- 4試合連続本塁打:2008年9月11日 - 14日(11日:対広島東洋カープ戦、12 - 14日:対中日ドラゴンズ戦)
- 全打順本塁打:2009年6月17日、対オリックス・バファローズ4回戦(横浜スタジアム)、1番・右翼手で出場、6回裏に金子千尋から左越2ラン ※史上8人目(最年少となる24歳で達成とセ・リーグ初の達成者)
背番号 [編集]
- 31 (2003年 - 2012年)
- 6 (2013年 - )
高校時代の記録 [編集]
- 2001年 - 第73回選抜高等学校野球大会ベスト8
登場曲 [編集]
- 「Yeah 3x」Chris Brown
- 「ボラーレ ~ Nel Blu, Dipinto Di Blu」ケツメイシ
脚注 [編集]
- ^ 2012年度契約更改DeNA -sanspo
- ^ 吉村が登録抹消、打撃不振で荒治療 nikkansports.com 2010年5月12日
- ^ “観戦両親に届けた…吉村、涙の連発「本当にうれしい」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年5月6日) 2013年4月28日閲覧。
- ^ ソフトB多村 3対3のトレードで古巣復帰
- ^ トレード移籍の江尻投手、山本投手、吉村選手が入団会見!
- ^ “吉村 1軍合流即、タカ初打席で1号「結果出てよかった」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月28日) 2013年4月28日閲覧。
関連項目 [編集]
- 福岡県出身の人物一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 木鷄 - 吉村の座右の銘。
外部リンク [編集]
- 第69回 独占インタビュー 吉村裕基選手高校野球情報.com 2011年06月28日
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