吉村裕基
| 横浜DeNAベイスターズ #31 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福岡県古賀市 |
| 生年月日 | 1984年6月14日(27歳) |
| 身長 体重 |
183cm 94kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2002年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2003年10月3日 |
| 年俸 | 5,000万円+出来高(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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吉村 裕基(よしむら ゆうき、1984年6月14日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
1984年に福岡県で生まれる。中学時代は地元の野球チーム「福岡ライナーズ」に所属していた。東福岡高校に進学後は第73回選抜高等学校野球大会に出場し、高校通算43本塁打を記録した。2002年のドラフト会議において、横浜ベイスターズに5巡目で指名され、入団。このドラフトでは、高校の先輩にあたる村田修一も同時に入団した。
[編集] プロ入り後
2003年はイースタン・リーグで5番打者として活躍。10月3日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で迎えた初打席で二塁打を放つと、その翌日(同カード)にプロ初本塁打を放った。
2004年は開幕一軍メンバーには漏れるも、7月3日に昇格。7月7日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では代打で決勝適時打を放ったほか、7月9日のフレッシュオールスターゲームでは筒井和也から2ラン本塁打を放つ。同年11月には風貌からの愛称「モンチッチ」(人形)にちなんだ、背番号31の「吉村モンチッチ」が発売された。
2005年は4月中旬の対北海道日本ハムファイターズ戦(イースタン・リーグ)で死球を受けて骨折。イースタン・リーグでは三塁手のレギュラーとして打率.252・10本塁打を記録したが、骨折による不振が響いて一度も昇格できなかった。この状態と打撃を生かすために、秋季キャンプから外野手の練習を本格的に開始した。
2006年は前年の練習が効果を発揮し、開幕から打撃好調で、交流戦直前から外野手としての先発出場が多くなった。6月に死球離脱があったものの、高打率を維持してチームの主力に成長、村田に続く5番打者を任されるようになった。守備では外野全てと一塁手で満遍なく起用され、規定打席未満ながら打率.311・26本塁打の活躍で新人王の有力候補に名を挙げられたが、惜しくも梵英心に譲った。
2007年は大矢明彦の意向によって、外野手から一塁手に再転向され、全試合を一塁手として出場。打順もオープン戦の不振から5番~7番を打つことが多かった。6月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦(横浜スタジアム)では、4回裏に成瀬善久から決勝2ラン本塁打を放ち、この本塁打がこの年の成瀬に唯一の黒星を付ける一発となった。自身初の規定打席に到達し、チーム2位の24本塁打・85打点を記録した。
2008年は一塁手から右翼手に転向し、一塁は佐伯貴弘が守ることになった。4月26日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)では右翼手として出場し、一試合3補殺を記録。村田の北京五輪離脱後は、8月3日の対阪神タイガース戦からプロ初の4番に座り、村田の穴を埋める活躍をみせた。最終的には自己最高の34本塁打(リーグ5位)、91打点(同6位)を記録し、低迷するチームの中でも内川聖一・村田・吉村の3人(右打者クリーンナップ)は他チームの脅威とされた。
2009年は前年の活躍から一転して、5月まで僅か3本塁打しか打てない程の不振に陥る。打順を変えて起爆を待つも打率・本塁打共に伸び悩んだ。全144試合出場を果たしたが、最低成績となる打率.248・16本塁打、54打点に終わり、2年連続リーグ2位の134三振を記録した。
2010年も開幕から不振が続き、下園辰哉の台頭や井手正太郎の加入などで5月11日に降格した[1]。僅か49試合出場、3本塁打に留まり、大きく期待を裏切るシーズンとなった。
2011年は開幕戦で4打数4安打を記録。さらに一時は打率3割を超えるなどの好調だったが他の球団からの研究の影響か調子は長続きせず、去年に続き降格となる。復帰後も状態が上向くことはなく、81試合で打率.200・5本塁打・11打点と結果を残せず、得点圏打率は.108と極端に低かった。この年より、ユニフォームの背ネームが「Y.YOSHIMURA」に変更された[2]。2011年現在、チーム内において吉村以外に「吉村」姓を名乗る選手・スタッフは在籍していないため、理由は不明である[3]。
[編集] 人物・エピソード
小学校時代に好きだったプロ野球選手は前田智徳(広島東洋カープ)と落合博満(中日ドラゴンズ前監督)である。特に前田とは生まれた日(6月14日)が一緒で、小学校の時は下敷きに前田の写真を入れていたという。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 横浜 | 6 | 22 | 18 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 4 | 1 | .222 | .364 | .444 | .808 |
| 2004 | 10 | 13 | 13 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .154 | .154 | .154 | .308 | |
| 2006 | 111 | 416 | 396 | 57 | 123 | 24 | 1 | 26 | 227 | 66 | 5 | 3 | 2 | 2 | 10 | 1 | 6 | 116 | 5 | .311 | .336 | .573 | .909 | |
| 2007 | 141 | 566 | 519 | 69 | 142 | 21 | 4 | 24 | 243 | 85 | 5 | 3 | 3 | 5 | 30 | 1 | 8 | 95 | 16 | .274 | .320 | .468 | .788 | |
| 2008 | 143 | 574 | 530 | 69 | 138 | 30 | 4 | 34 | 278 | 91 | 9 | 5 | 2 | 1 | 30 | 1 | 11 | 135 | 9 | .260 | .313 | .525 | .837 | |
| 2009 | 144 | 588 | 528 | 62 | 131 | 26 | 2 | 16 | 209 | 54 | 13 | 7 | 0 | 4 | 45 | 1 | 11 | 134 | 17 | .248 | .318 | .396 | .714 | |
| 2010 | 49 | 141 | 132 | 12 | 27 | 4 | 0 | 3 | 40 | 11 | 0 | 2 | 1 | 3 | 5 | 0 | 0 | 41 | 5 | .205 | .229 | .303 | .532 | |
| 2011 | 81 | 245 | 220 | 25 | 44 | 8 | 1 | 5 | 69 | 11 | 0 | 1 | 2 | 1 | 15 | 0 | 7 | 59 | 3 | .200 | .272 | .314 | .586 | |
| 通算:8年 | 684 | 2565 | 2356 | 297 | 611 | 114 | 12 | 109 | 1076 | 322 | 32 | 21 | 10 | 16 | 137 | 4 | 45 | 589 | 56 | .259 | .310 | .457 | .767 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2003 | - | 6 | 5 | 7 | 1 | 1 | .923 | - | ||||||||||
| 2004 | 1 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | ||||||||||
| 2006 | 22 | 174 | 11 | 0 | 9 | 1.000 | - | 85 | 153 | 3 | 4 | 0 | .975 | |||||
| 2007 | 138 | 1270 | 94 | 10 | 103 | .993 | - | - | ||||||||||
| 2008 | - | - | 140 | 251 | 11 | 2 | 4 | .992 | ||||||||||
| 2009 | - | - | 144 | 260 | 6 | 4 | 0 | .985 | ||||||||||
| 2010 | - | - | 42 | 71 | 2 | 1 | 0 | .986 | ||||||||||
| 2011 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 60 | 102 | 5 | 3 | 0 | .973 | |||||
| 通算 | 162 | 1452 | 105 | 10 | 113 | .994 | 6 | 5 | 7 | 1 | 1 | .923 | 471 | 837 | 27 | 14 | 4 | .984 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 表彰
- JA全農Go・Go賞:2006年8月(最多二・三塁打賞)
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2003年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、7番・三塁手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回裏に平松一宏から左越二塁打
- 初打点:同上、3回裏に平松一宏から押し出し四球
- 初本塁打:2003年10月4日、対中日ドラゴンズ25回戦(横浜スタジアム)、7回裏に野口茂樹から決勝左越2ラン
- 初盗塁:2006年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:久保康友、捕手:里崎智也)
- 100本塁打:2009年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、6回裏に吉見一起から左中間へ2ラン ※史上257人目
- 4試合連続本塁打:2008年9月11日 - 14日(11日:対広島東洋カープ戦、12 - 14日:対中日ドラゴンズ戦)
- 全打順本塁打:2009年6月17日 対オリックス・バファローズ4回戦(横浜スタジアム)、1番右翼で出場し、6回に金子千尋から本塁打を打ち達成 ※史上8人目、最年少となる24歳で達成とセ・リーグ初の達成者
[編集] 背番号
- 31 (2003年 - )
[編集] 高校時代の記録
- 2001年 - 第73回選抜高等学校野球大会ベスト8
[編集] 脚注
- ^ 吉村が登録抹消、打撃不振で荒治療 nikkansports.com 2010年5月12日
- ^ グッズに関するニュース 2011年2月10日付
- ^ 2011年より高山久も「高山」姓の選手・スタッフが他にはいないが「H.TAKAYAMA」とした。理由は本人の項を参照
[編集] 関連項目
- 福岡県出身の人物一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 木鷄 - 吉村の座右の銘。
[編集] 外部リンク
- 第69回 独占インタビュー 吉村裕基選手高校野球情報.com 2011年06月28日
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