明石健志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
明石 健志
福岡ソフトバンクホークス #36
HAWKS36-K.AKASHI.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道旭川市
生年月日 1986年1月9日(28歳)
身長
体重
174 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2004年5月2日
年俸 4,500万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

明石 健志(あかし けんじ、1986年1月9日 - )は、北海道旭川市出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手内野手外野手)。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

山梨学院大学附属高等学校では主に二塁手として活躍し、2年秋に第55回関東地区高等学校野球大会山梨県予選では2回戦9回表にサヨナラスクイズ[1]、3回戦に猛打賞[2]など活躍し8年ぶりの関東大会出場を決め、同行の関東大会ベスト8に貢献した。3年夏の甲子園山梨県予選では内村賢介らと2回戦で先頭打者三塁打を放って5回コールド勝利へ貢献[3]したものの3回戦で敗れた。甲子園出場経験は無いものの50メートル5秒6の俊足、遠投110m[1]という身体能力の高さから注目され、2003年ドラフト福岡ダイエーホークスから4位で指名され入団。

プロ入り後[編集]

入団1年目の2004年5月2日、対大阪近鉄バファローズ戦で8回表1点ビハインド一死無走者から本間満の代打で初出場すると、川尻哲郎のスライダーをプロ入り初打席初安打となる右中間三塁打を放ち、川崎宗則のライトへの同点犠牲フライにより初得点も記録した。三塁守備要員として吉本龍生が送られたため守備に付くことはなかった。その後3試合は代打起用のみ、5月9日の対オリックス・バファローズ戦9回1点ビハインドの場面でヒットを打った先頭ペドロ・バルデスの代わりにプロ初の代走起用され、二死満塁本間満の打席中に山口和男が暴投した所、すかさず本塁を陥れ同点とし、本間満のサヨナラ打を呼んだ。王貞治監督の構想により本格的に外野練習に取り組むことが決まった[2]。5月12日対埼玉西武ライオンズ戦9回表、高橋和幸に代わり中堅手としてプロ入り初の守備に付き、二死二三塁の場面で佐藤友亮のセンター前ヒットを処理して本塁へ好返球して二塁走者の後藤武敏を刺した。5月13日から実戦経験を積むため二軍で調整することになった[3]。10月27日の宮崎キャンプ2日目、右肩痛でキャンプ不参加の川崎宗則、ポスティングシステムによりメジャー挑戦を狙っていた井口資仁という二遊間事情から、王監督は明石を内野で育成する方針を打ち出した[4]ウエスタン・リーグでは81試合に出場し、打率.304(リーグ6位)、三塁打12本(リーグ1位)、19盗塁(リーグ4位)と力を示し、ウエスタン・リーグ優秀選手賞を受賞した[4]

2005年はたびたび故障に悩まされ、2006年は8月に右肩上方関節唇縫合手術を受け戦線離脱し、2年間一軍昇格できなかった[5]

2007年は6月30日から一軍に出場、7月8日グッドウィルドームで行われた対西武戦9回1点リード無死満塁で山崎勝己の代打として出場すると岩崎哲也からライト前タイムリーヒットを放ちプロ初打点を記録した。7月13日千葉マリンスタジアムで行われた対ロッテ戦で8番指名打者としてプロ入り初のスタメン出場したが、三振、捕邪飛、右飛、三振という成績だった。この年は代打、指名打者として15試合に出場したものの打率.176で守備機会も無く終わった。

2008年は6月21日から一軍に出場。7月19日対楽天戦の6回にマイケル・レストビッチの代打で出場すると田中将大嶋基宏のバッテリーから初球打ちでセカンド内野安打を打ち出塁し、プロ入り初盗塁を決めた。7月25日対ロッテ戦では7回二死二塁根本朋久からライト線へのタイムリーツーベースを放ち、これが本拠地福岡 Yahoo! JAPANドーム初打点となった。一軍では一塁の小久保裕紀の守備固め、北京オリンピック野球日本代表に選出された川崎宗則の代役の遊撃手として29試合に出場した。8月27日のウエスタン・リーグ阪神戦でサイクル安打のかかった8回にクリス・リーソップから右手に死球を受け、福岡市内の病院で右手第2、3指骨折と診断された。この日はナイターの対オリックス戦にも出場予定だったが出場選手登録を抹消され代わりに森本学が一軍へ昇格した[5]。以降の一軍昇格は叶わず、二軍では46試合に出場し打率.282、リーグ最多の8三塁打を記録した。

2009年は7月に1軍昇格。8月2日に一軍で5年ぶりに外野手で先発出場。8月11日クリネックススタジアム宮城で行われた対楽天戦で岩隈久志から3安打し、プロ入り初の猛打賞を記録した。8月26日千葉マリンスタジアムで行われた対ロッテ戦では小林宏之からプロ初本塁打となるライトへのソロホームランを放った。9月4日対西武戦では岸孝之らから本拠地ヤフードームでの猛打賞を記録した。9月29日対楽天戦では岩隈久志から2打席連続の三塁打を放った。多村仁志が欠場しがちだったことから、外野で24試合にスタメン出場、初めて打席数が100を超え、打率も.291をマークした。CSファーストステージでは右翼手で2試合ともスタメン出場し8打数2安打だった。

2010年は39試合に出場しスーパーサブとして内外野7ポジション全てを守ったが、打率.128と振るわずレギュラー獲得とはならなかった。11月7日秋季キャンプ中、第16回アジア競技大会野球日本代表との練習試合で初回西郷泰之の右中間への本塁打となった打球を追った際にフェンスに激突し、左足甲を骨折した[6][6]。なお同日の宮崎市内の病院では精密検査の結果、ねんざと診断されていた。

2011年は7月に一軍へ昇格し、小久保裕紀、アレックス・カブレラに代わりに一塁手として18試合スタメン出場した。途中からの守備起用も一塁手が35試合と多く、外野での起用は左翼手6試合、右翼手1試合だった。打率、出塁率ともに安定し、全25安打のうち三塁打を5本放った。

2012年川崎宗則シアトル・マリナーズ移籍で空いた正遊撃手の候補の一人として大いに期待され、オープン戦の遊撃手争いでは打率、盗塁ともに今宮健太を圧倒したため[7]、3月30日開幕戦(対オリックス戦)の2番遊撃手スタメンを勝ち取り、5回には相手先発のアルフレッド・フィガロから駄目押しとなるタイムリーを放った。その後も2番で起用されていたが、本多雄一の不振が続き、明石は打率.281だったことから4月29日の対ロッテ戦から5月20日まで1番二塁手で起用され続けた。5月21日からは再び1番遊撃手に戻ったが、5月の月間打率は.340と絶好調であり、1番打者として最高の働きをした。6月5日対巨人の9回に山口鉄也からライトスタンドへソロホームランを放ち、これがプロ入り後の本拠地初本塁打となった。6月6日の対巨人戦、1回表の守備中にぎっくり腰を発症してベンチに下がり、6月8日に一軍登録を抹消された[8]。6月22日に一軍復帰後も1番打者として起用され、7月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、9回表の第5打席に乾真大から19球粘った末に四球を選び出塁。1打席19球は1947年11月11日の太陽ロビンス金星スターズ戦で、大陽の松井信勝が19球粘って四球を選んで以来65年ぶりのNPBタイ記録[7]。7月20日から開催されたオールスターにも辞退選手の補充としてであったが初選出された。8月1日に松田宣浩が死球を受けて骨折して以降は三塁守備で46試合に先発した。6月以降は打撃は好調と言えず、月間打率は.191~.247の間であり、打順は1番の他、2番、9番を経験した。遊撃で先発出場した試合では、終盤に守備固めとして今宮健太が送られ、一塁守備に回ることも多かった。最終的に自己最多の135試合に出場し、打点、安打、盗塁数においてキャリアハイの成績を残した。また猛打賞も11回記録し、6月26日対オリックス戦[9]と8月4日対西武戦では1試合4安打だった。

2013年は1月の沖縄自主トレ中に右膝を痛め[10]、4月7日に一軍に昇格したが15試合で打率.103と結果が出ず5月18日に抹消となった[11]。6月4日ウエスタン・リーグの対中日戦で守備中に中西健太と激突し担架で運ばれた。8月29日に一軍へ昇格すると同日の対ロッテ戦で7番一塁手で出場、4回に西野勇士からライトスタンドへ勝ち越しスリーランホームランを放った[12]。復帰後は50打数15安打、打率.300と活躍したが、今宮健太の急成長により遊撃手で起用されることはなかった。

2014年は開幕を一軍で迎えると5月中旬まで控えでの起用が続いたが、本多雄一が5試合で打率.158と不振に陥り、5月21日から二塁スタメンでの出場が増え始め、5月末に内川聖一の肉離れ、7月上旬に松田宣浩の骨折、8月上旬に本多雄一の骨折、9月上旬に長谷川勇也の靭帯部分断裂と立て続けに主力が故障し、彼らが戻るまでに生じたスタメン・守備の穴を埋め続け、シーズン終了まで一度も出場選手登録を抹消されることなくチームを支えた。8月17日対オリックス戦吉田一将伊藤光(プロ入り初)、8月22日対ロッテ戦涌井秀章田村龍弘、8月31日対楽天戦武藤好貴-嶋基宏と各バッテリーからマルチ盗塁を記録した。

CSファイナルステージでは6試合全て二塁手でスタメン出場し、23打数7安打4得点、打率.304、2度の盗塁がともに得点へ繋がった。 日本シリーズも5試合全て二塁手でスタメン出場し、10月30日第5戦では3回二死二三塁の場面でセンターへ打ち返し落ちれば先制という当たりを放ったが大和のダイビングキャッチに阻まれた[13]。 8回は無死一塁から2ストライクと追い込まれながらランディ・メッセンジャーの投球後の癖を計算して冷静にスリーバントを決めて松田宣浩の先制決勝打を呼んだ[14]。1点リードで迎えた9回デニス・サファテが3四球で一死満塁のピンチを作って迎えた西岡剛のファーストゴロを冷静に捌いて本塁へ送球し封殺、細川亨の返球を受けて3-2-3の併殺で自身がボールを受けゲームセットと思いきや、ボールは西岡の体に当たって外野へ転がり守備妨害により併殺完成となりチームの日本一を決めた[15]。14打数3安打3四球3得点、打率.214だったが3の犠打が全て得点と勝利へ繋がった。

人物・エピソード[編集]

北海道にいた頃から秋山幸二に憧れ、ダイエーホークスファンの大ファンであり、2003年11月20日にスカウトが指名挨拶を行った際には「秋山さんのような、どれを取っても一流と言われる選手になりたい。」と述べた。高校2年時の修学旅行で福岡ドームに隣接するホテルに宿泊した際には「いつかは自分もここでプレーがしたい」とプロへの思いを固めていた[8]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 ダイエー
ソフトバンク
7 5 4 2 1 0 1 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .250 .400 .750 1.150
2007 15 18 17 3 3 1 0 0 4 1 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .176 .222 .235 .458
2008 29 55 49 8 11 2 1 0 15 4 1 0 2 2 1 0 1 17 0 .224 .245 .306 .551
2009 48 114 103 14 30 9 2 1 46 9 6 0 2 1 8 0 0 27 0 .291 .339 .447 .786
2010 39 51 47 8 6 2 0 0 8 0 2 1 2 0 2 0 0 12 1 .128 .163 .170 .333
2011 58 105 90 8 25 1 5 1 39 15 5 2 4 1 10 1 0 21 2 .278 .347 .433 .780
2012 135 567 508 54 129 8 6 1 152 27 25 10 23 1 33 0 2 98 2 .254 .301 .299 .601
2013 33 89 79 8 18 1 1 1 24 7 2 2 4 0 6 0 0 16 1 .228 .282 .304 .586
2014 93 273 250 38 63 10 4 1 84 21 17 4 7 1 13 1 2 54 4 .252 .336 .293 .629
通算:9年 457 1277 1147 143 286 34 20 5 375 84 58 19 44 6 75 2 5 253 11 .249 .327 .297 .625
  • 2014年度シーズン終了時
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2004 - - - - 1 0 1 0 0 1.000
2008 13 51 3 0 4 1.000 - 1 0 0 0 0 ---- 9 6 13 0 2 1.000 -
2009 3 3 1 0 0 1.000 3 3 2 0 0 1.000 10 3 4 1 1 .875 - 37 42 4 1 1 .979
2010 9 31 3 2 1 .944 2 0 1 0 0 1.000 1 0 2 0 0 1.000 1 1 1 0 1 1.000 17 15 0 0 0 1.000
2011 53 200 8 0 13 1.000 - - - 7 3 0 0 0 1.000
2012 59 131 8 0 7 1.000 24 53 61 1 13 .991 48 22 90 2 7 .982 59 67 150 6 18 .973 4 3 0 1 0 .750
2013 18 135 6 0 9 1.000 5 9 13 0 3 1.000 - 4 2 1 1 1 .750 -
2014 24 79 5 0 6 1.000 41 91 117 5 20 .977 27 12 28 2 1 .952 - -
通算 179 630 34 2 40 .997 75 156 194 6 36 .983 87 37 124 5 9 .970 73 76 165 7 22 .972 66 63 5 2 1 .971
  • 2014年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

その他の記録

背番号[編集]

  • 36 (2004年 - )

登場曲[編集]

出典[編集]

  1. ^ 2003年11月20日日刊スポーツ
  2. ^ 2004年5月11日日刊スポーツ
  3. ^ 2004年5月13日日刊スポーツ
  4. ^ 2004年10月28日日刊スポーツ
  5. ^ 2006年11月26日日刊スポーツ
  6. ^ 週刊ベースボール2012年2月6日号 p.65
  7. ^ 【ソフトB】明石19球粘り四球=日本タイ 日刊スポーツ 2012年7月7日
  8. ^ 2003年11月21日日刊スポーツ

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]