フリーエージェント (日本プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
フリーエージェント (プロスポーツ) > フリーエージェント (日本プロ野球)

フリーエージェント(free agent, FA)とは、いずれの球団とも選手契約を締結できる権利をもつ選手のこと[1]。フリーエージェントとなることができる権利を「フリーエージェント(FA)権」、選手がFA権を行使することを「FA宣言」という。

日本野球機構(NPB)組織のいずれの球団とも選手契約を締結できる「国内FA」と、外国のいかなるプロ野球組織の球団も含め、国内外のいずれの球団とも選手契約を締結できる「海外FA」の2種類がある[1]。「国内FA」権を取得するには原則として8シーズン、「海外FA」権を取得するには9シーズンの出場選手登録日数が必要である[1]。また、一度FA権を行使して球団と契約した選手は出場選手登録が4シーズンに達したときに「海外FA」となる資格を取得する[1]

選手はFA宣言したうえで移籍せずに前所属球団と契約することもできる。FA移籍が成立した場合、一定の条件下で移籍先球団から移籍元球団へ金銭補償や人的補償が必要になる場合がある。現行制度では、外国人を除く年俸上位11位以下の選手(Cランク)のFA移籍においては補償は不要である。

日本におけるFA制度は1993年のオフに導入され、2003年2008年に改正が行われた。なお、この制度の前身として1947年から1975年まで10年選手制度があった。

概要[編集]

出場選手登録(一軍登録)145日を1年として換算し、規定の年数経過で権利を取得できる。ただし、1シーズンに145日以上一軍登録されても、145日までしかカウントされない。また、登録日数が145日に満たないシーズンが複数ある場合は、それらを合算して145日ごとに1年として計算される。途中で所属球団が変わっても引き継いで計算される。また、クライマックスシリーズでの登録日数もカウントされる。オールスター期間前後に登板間隔が10日以上となるために登録抹消される場合や、レギュラーシーズン終了からクライマックスシリーズのチーム初戦まで10日以上あるため自動的に登録抹消となる場合(2011年より制度化され、2010年に意図して実施した中日を含め適用)は、一定条件を満たせば登録扱いとなるなどの救済策もある。

権利取得期限の推移
権利取得までの必要日数
1993年 - 2002年 ドラフト逆指名制度(現在は適用停止中)による選手 - 累計10年(通算1450日)経過で取得
その他の選手 - 累計9年(通算1305日)経過で取得
2003年 - 2007年 逆指名制度による選手も含め、全選手が累計9年経過で取得
2008年 - 現在 国内移籍のFA権
2006年までのドラフトで入団した全選手 - 累計8年(通算1160日)経過で取得 
2007年以降のドラフトで入団した高校生選手 - 累計8年経過で取得
2007年以降のドラフトで入団した大学生・社会人選手 - 累計7年(通算1015日)経過で取得
海外移籍のFA権
全選手が累計9年経過で取得

権利を行使する場合は、日本シリーズ終了の翌日から、祝日を除く7日以内にコミッショナー宛に文書で申請する。8日目の午後3時にコミッショナーより「FA宣言選手」として公示され、翌日より国内外全ての球団と契約交渉を行うことが可能となる。

FA宣言選手として公示された選手のFA権利再取得は、残留・移籍を問わず4年後。FA宣言選手として公示されなければ権利は翌年以降に持ち越される。2008年のルール改正により、国内FA権と海外FA権が分立したが、4年後に再取得した権利は全て海外移籍が可能なFA権とする。

また、外国人枠の選手がFA権を取得すると、行使の有無に関わらず翌シーズンからは外国人枠から外れ、一般の日本人選手と同等の扱いになる。現行制度下では、国内FA権取得を以ってこの条件を満たすこととなる。

故障者選手特例措置制度[編集]

日本プロ野球では2007年より故障者選手特例措置制度を導入している。これは、特定の条件を満たした選手の出場選手登録日数を救済する制度である。

2月1日から11月30日の間にグラウンド上で発生した故障が原因で出場選手登録を抹消されたために、その年の出場登録日数が145日に達しない選手について、登録抹消を起点として二軍の公式戦に出場するまでの日数のうち、最大60日までがその年の出場選手登録の日数に加算される。シーズン中に数回に渡って登録抹消が起こった場合も、累計60日まで計算され、加えられる。

前提条件として、前年の出場選手登録が145日以上であることが必要である。この制度により出場登録日数が加算された場合、翌年は適用の対象外となる。

この制度によってFA権を取得した初めての選手は阪神タイガース福留孝介(取得当時は中日ドラゴンズ在籍)。2008年大村直之(取得当時は福岡ソフトバンクホークス在籍、海外FA権)と同じく横浜DeNAベイスターズ在籍の多村仁(国内FA権)がこの制度で権利を取得した。

国内FAにおける制約・補償[編集]

FAして国内の球団(宣言して残留も含む)へ移籍した場合、以下に示した制約が生じる。

年俸[編集]

FA宣言した選手の翌シーズンの年俸は現状維持が上限となる。減額は無制限であり、通常の減額制限を超えての減額も可能であるが、年俸調停の申請はできない。

年俸上限が現状維持なのは複数球団による過度な獲得競争を防止するためだが、契約年数や出来高払い(インセンティブ契約)、2年目以降の年俸の上昇に制約は無い。

契約金[編集]

FA宣言した選手は年俸とは別に契約金を得ることが出来る。前球団に残留する場合は上限無し、移籍した場合は翌シーズンの年俸の半額が契約金の上限となる。契約内容によっては契約金無しの場合もある。

移籍に関わる補償[編集]

FA権を行使して他球団へ移籍したFA選手が補償対象選手(後述)の場合、移籍先球団は前球団に対して選手の旧年俸による金銭補償、および移籍先球団が保有する支配下選手のうち下記の選手を除いた中から、前球団が指名した選手1名を与える人的補償をしなければならない。人的補償に指名された選手がこれを拒否した場合、その選手は資格停止選手となる。この場合と前球団が人的補償を求めない場合は追加の金銭補償を以って人的補償にかえることになる。

人的補償における獲得制限[編集]

以下の選手は人的補償選手として獲得する事ができない。

  • プロテクトした28名の選手。
  • FA権取得により日本人扱いになった選手を含む外国人選手[2]
  • 直近のドラフトで獲得した新人選手[3]

なお、以下の日本人選手はプロテクト枠に含まれなければ人的補償の対象になる。

  • 支配下選手登録されたFA獲得選手[4]
  • 支配下選手登録されたトレード・自由契約選手[5]
  • 複数年契約選手[5]

複数名のFA宣言選手と契約した場合には、それぞれの球団に異なる獲得可能選手リストを提示できる。万一、人的補償選手が複数の球団で重複した場合には、移籍先球団と同一連盟内の球団が優先される。同一連盟内であれば同年度の勝率が低い球団が優先される。

補償対象選手と移籍元球団への補償[編集]

  • 1993年 - 2007年
    • 全てのFA権行使選手が補償対象選手となる。
      • 金銭補償 - 移籍先球団は旧年俸の80%(2度目以降のFAでは40%)を前球団へ支払わなければならない。
      • 人的補償 - 移籍先球団は前球団が指名した上記の獲得制限外の選手1名を与えなければならない。ただし前球団が求めない場合は、旧年俸の40%(2度目以降のFAでは20%)を前球団へ支払わなければならない。
    • 実際の補償(金銭補償+人的補償)は次の2通りとなる。
      • 人的補償なし - 移籍した選手の旧年俸の1.2倍(2度目以降のFAでは旧年俸の0.6倍)。
      • 人的補償あり - 移籍先球団が指定した獲得制限外の選手1名と選手の旧年俸の0.8倍の金銭(2度目以降のFAでは獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.4倍の金銭)。
  • 2008年 - 現在
    • 各球団ごとに日本人選手の前球団の旧年俸順に上位3位までをランクA、4位から10位までをランクB、11位以下をランクCとランク付けされ、ランクAとランクBの選手が補償対象選手となる。
      • 金銭補償 - 移籍先球団はランクAの選手獲得の場合は旧年俸の50%(2度目以降のFAでは25%)を、ランクBの選手獲得の場合は旧年俸の40%(2度目以降のFAでは20%)を前球団へ支払わなければならない。
      • 人的補償 - 移籍先球団は前球団が指名した上記の獲得制限外の選手1名を与えなければならない。ただし前球団が求めない場合は、ランクAの選手獲得の場合は旧年俸の30%(2度目以降のFAでは15%)、ランクBの選手獲得の場合は上記の獲得制限外の選手1名または旧年俸の20%(2度目以降のFAでは10%)を前球団へ支払わなければならない。
    • 実際の補償(金銭補償+人的補償)は次の通りとなる。
ランクA ランクB ランクC
人的補償なし 旧年俸の0.8倍の金銭
(2度目以降のFAでは旧年俸の0.4倍の金銭)
旧年俸の0.6倍の金銭
(2度目以降のFAでは旧年俸の0.3倍の金銭)
補償(人的・金銭)不要
人的補償あり 獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.5倍の金銭
(2度目以降のFAでは獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.25倍の金銭)
獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.4倍の金銭
(2度目以降のFAでは獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.2倍の金銭)

補償に関する日程は、まずFA選手と移籍先球団との選手契約締結がコミッショナーより公示された日が起点となり、2週間以内にまず移籍先球団が上記の獲得制限選手を除いた選手名簿を提示する。この後起点より40日以内に全ての補償を完了しなければならないが、金銭補償に限り前球団の同意があれば40日を延長することができる。人的補償として選ばれた選手が移籍を拒否した場合、その選手は資格停止選手となり処分が解除されるまで試合をすることができなくなる。補償は金銭補償のみだった場合と同じになる。

獲得人数[編集]

獲得する選手が上記の補償対象選手の場合、直前のシーズンまで他の球団に在籍していたFA選手と翌年度の選手契約を結べる人数には制限がある。ただし、FA宣言前からその球団に所属していた選手(すなわち、FA権を行使しての残留選手)はこれに含まれない。また、ランクCの選手は補償対象選手ではないため、これに含まれない。

  • FA選手20名以下 - 2名まで
  • FA選手21名以上30名以下 - 3名まで
  • FA選手31名以上40名以下 - 4名まで
  • FA選手41名以上 - 5名まで

海外FAにおける制約・補償[編集]

FA権を行使して海外の球団へ移籍した場合は、国内FAと異なり、上記のような制約は生じない。ただし例外として、以下のような場合には制約が生じる。

FA宣言した年の翌々年の11月30日まで日本のプロ野球球団と契約を交わさなかった選手のうち、翌12月1日以降に日本のプロ野球球団と選手契約を交わした場合は、補償対象選手であっても前球団への補償を必要としない。そのため、FA宣言により他国のプロ野球球団へ移籍し、上記の翌々年の11月30日までに日本のプロ野球球団へ再度移籍する場合はこれに該当せず、最後に在籍した日本の前球団への補償が必要となる。

  • 2002年横浜よりFA宣言してMLBメッツに移籍し、同シーズン限りで退団した小宮山悟がこの規定に該当した事で、日本のプロ野球11球団からは敬遠され、さらに前球団で唯一補償を必要としない横浜も小宮山と契約しなかったため、小宮山は2003年シーズンを棒に振り、2004年にロッテに復帰という事例が起きている。
  • 小宮山以外にも、FA移籍して所属した海外球団の在籍期間が短く、この規定に該当して補償が発生した選手もいたが、いずれも補償の必要がない前球団へ復帰、または海外の他球団へ移籍しており、この規定による前球団への補償が発生した事例はない。

海外プロ野球球団への移籍に対する補償は未整備状態である。

FA制度の問題点[編集]

移籍の成立数[編集]

FA権利を取得する選手の数は毎年60から70人だが、権利行使を宣言する選手は1年当たり9人程度であり、実際に移籍した選手は1年当たり4人程度である(2009年時点)[6]

所属球団を失う恐れ[編集]

現行制度では、FA権を行使した選手が新たな球団と契約を締結できず、さらに元の球団との再契約にも至らなかった場合、所属球団がなくなる可能性がある。特に移籍先が国内12球団に限定される国内FAの場合、その問題はより顕著である。

国内FA権を行使した選手は11月末の時点で移籍先が見つからなかった場合、FA宣言時に所属していた球団の保留選手名簿に名前が記載される[7]。この場合、FA宣言した選手は元の球団を含むNPB所属球団と引き続き交渉を続けることができるが、いずれとも契約できなかった場合はプレーする球団を失う。一方、球団は選手枠を1つ費やさなければならないうえ[8]、翌年1月10日以降は保留手当を支払う義務を負う[9]

この状態が解消されるには、FA宣言した選手が国内球団と契約を結ぶか、元の球団が当該選手を自由契約にしなくてはならない。ただ、保留選手名簿に記載された時期は、すでにそのシーズンの戦力外通告の期間が経過した後であり、その時期に選手の同意なしに自由契約にすることは選手会からの反発を受けるため、事実上球団は翌シーズンの10月1日に戦力外通告を行い、自由契約として公示される前日の11月30日まで保留手当を支払わなければならなくなる。また、選手の同意が得られたとしても、自由契約となった場合はFA移籍のような契約金が得られず、大幅減俸での契約も可能となるため、選手は不利な内容での契約を強いられる恐れがある。

これらの問題が現実化したものとして、2009年に国内FA権を行使した北海道日本ハムファイターズ藤井秀悟の事例が挙げられる。藤井は他球団への移籍を希望して11月9日にFA権を行使したが、同月末の時点で国内球団からオファーはなく、日本ハムにも再契約の意思がなかったため、保留者名簿に藤井の名前が記載された[10]。一時はプロ野球選手会の松原事務局長が懸念を表する事態にもなったが[11]、12月8日に読売ジャイアンツへの移籍が合意に至った。

FA権を行使し日本の他球団へ移籍した選手[編集]

  • 表の年は、該当選手がFA権を行使した年の事であり、移籍先が翌年1月1日以降に決まった選手も同年扱いとする。

1993年 - 2007年[編集]

選手 移籍元 移籍先 補償 備考
1993年 松永浩美 阪神タイガース 福岡ダイエーホークス 金銭 初の権利を行使して移籍した選手
駒田徳広 読売ジャイアンツ 横浜ベイスターズ 金銭
落合博満 中日ドラゴンズ 読売ジャイアンツ 金銭
石嶺和彦 オリックス・ブルーウェーブ 阪神タイガース 金銭
1994年 工藤公康 西武ライオンズ 福岡ダイエーホークス 金銭
川口和久 広島東洋カープ 読売ジャイアンツ 金銭
山沖之彦 オリックス・ブルーウェーブ 阪神タイガース 金銭
広沢克己 ヤクルトスワローズ 読売ジャイアンツ 金銭
石毛宏典 西武ライオンズ 福岡ダイエーホークス 金銭
金村義明 近鉄バファローズ 中日ドラゴンズ 金銭
1995年 河野博文 日本ハムファイターズ 読売ジャイアンツ 川邉忠義 初の人的補償
仲田幸司 阪神タイガース 千葉ロッテマリーンズ 金銭
1996年 田村藤夫 千葉ロッテマリーンズ 福岡ダイエーホークス 金銭
清原和博 西武ライオンズ 読売ジャイアンツ 金銭
1997年 中嶋聡 オリックス・ブルーウェーブ 西武ライオンズ 金銭
山崎慎太郎 近鉄バファローズ 福岡ダイエーホークス 金銭
1998年 武田一浩 福岡ダイエーホークス 中日ドラゴンズ 金銭
1999年 工藤公康 福岡ダイエーホークス 読売ジャイアンツ 金銭 初の2度目のFA移籍
星野伸之 オリックス・ブルーウェーブ 阪神タイガース 金銭
江藤智 広島東洋カープ 読売ジャイアンツ 金銭
2000年 川崎憲次郎 ヤクルトスワローズ 中日ドラゴンズ 金銭
2001年 前田幸長 中日ドラゴンズ 読売ジャイアンツ 平松一宏
加藤伸一 オリックス・ブルーウェーブ 大阪近鉄バファローズ ユウキ
谷繁元信 横浜ベイスターズ 中日ドラゴンズ 金銭
片岡篤史 日本ハムファイターズ 阪神タイガース 金銭
2002年 若田部健一 福岡ダイエーホークス 横浜ベイスターズ 金銭
金本知憲 広島東洋カープ 阪神タイガース 金銭
2003年 村松有人 福岡ダイエーホークス オリックス・ブルーウェーブ 金銭
2004年 大村直之 大阪近鉄バファローズ[12] 福岡ソフトバンクホークス[13] 金銭 補償を受ける権利はオリックス[12]
稲葉篤紀 ヤクルトスワローズ 北海道日本ハムファイターズ 金銭
2005年 野口茂樹 中日ドラゴンズ 読売ジャイアンツ 小田幸平
豊田清 西武ライオンズ 読売ジャイアンツ 江藤智 人的補償が初の過去FA移籍入団選手
2006年 小久保裕紀 読売ジャイアンツ 福岡ソフトバンクホークス 吉武真太郎 過去所属球団へ復帰した初のFA移籍
小笠原道大 北海道日本ハムファイターズ 読売ジャイアンツ 金銭
門倉健 横浜ベイスターズ 読売ジャイアンツ 工藤公康
2007年 新井貴浩 広島東洋カープ 阪神タイガース 赤松真人
和田一浩 西武ライオンズ[14] 中日ドラゴンズ 岡本真也
石井一久 東京ヤクルトスワローズ 埼玉西武ライオンズ[14] 福地寿樹 MLBからNPBへ復帰した後、NPBの他球団へFA移籍した初の選手

2008年 -[編集]

  • 「種」とは行使したFA権の種類を意味し、「国」は国内FA権、「外」は海外FA権を現す。
  • 「俸」とは年俸ランクを意味する。年俸は推定。
選手 移籍元 移籍先 補償 備考
2008年 中村紀洋 中日ドラゴンズ 東北楽天ゴールデンイーグルス C 前球団への補償がない初の移籍
野口寿浩 阪神タイガース 横浜ベイスターズ C
相川亮二 横浜ベイスターズ 東京ヤクルトスワローズ B 金銭
2009年 藤本敦士 阪神タイガース 東京ヤクルトスワローズ C 国内FA権で移籍した初の選手
橋本将 千葉ロッテマリーンズ 横浜ベイスターズ C
藤井秀悟 北海道日本ハムファイターズ 読売ジャイアンツ C
2010年 藤井彰人 東北楽天ゴールデンイーグルス 阪神タイガース C
細川亨 埼玉西武ライオンズ 福岡ソフトバンクホークス B 金銭
森本稀哲 北海道日本ハムファイターズ 横浜ベイスターズ B 金銭
内川聖一 横浜ベイスターズ 福岡ソフトバンクホークス B 金銭
小林宏之 千葉ロッテマリーンズ 阪神タイガース A 高濱卓也
2011年 村田修一 横浜ベイスターズ[15] 読売ジャイアンツ A 藤井秀悟
鶴岡一成 読売ジャイアンツ 横浜DeNAベイスターズ[15] C
許銘傑 埼玉西武ライオンズ オリックス・バファローズ C 外国人選手初のFA権による移籍
帆足和幸 埼玉西武ライオンズ 福岡ソフトバンクホークス B 金銭
杉内俊哉 福岡ソフトバンクホークス 読売ジャイアンツ A 金銭
小池正晃 中日ドラゴンズ 横浜DeNAベイスターズ[15] C
サブロー 読売ジャイアンツ 千葉ロッテマリーンズ B 高口隆行 巨人での登録名は「大村三郎」[16]
2012年 日高剛 オリックス・バファローズ 阪神タイガース C
寺原隼人 オリックス・バファローズ 福岡ソフトバンクホークス B 馬原孝浩
平野恵一 阪神タイガース オリックス・バファローズ B 高宮和也
2013年 小笠原道大 読売ジャイアンツ 中日ドラゴンズ C
山崎勝己 福岡ソフトバンクホークス オリックス・バファローズ C
久保康友 阪神タイガース 横浜DeNAベイスターズ B 鶴岡一成
大竹寛 広島東洋カープ 読売ジャイアンツ A 一岡竜司
中田賢一 中日ドラゴンズ 福岡ソフトバンクホークス C
鶴岡慎也 北海道日本ハムファイターズ 福岡ソフトバンクホークス B 藤岡好明
片岡治大 埼玉西武ライオンズ 読売ジャイアンツ B 脇谷亮太
涌井秀章 埼玉西武ライオンズ 千葉ロッテマリーンズ A 中郷大樹
2014年 大引啓次 北海道日本ハムファイターズ 東京ヤクルトスワローズ B 未定
成瀬善久 千葉ロッテマリーンズ 東京ヤクルトスワローズ B 未定

FA権を行使し海外の球団へ移籍した選手[編集]

  • 表の年は、選手がFA権を行使した年の事であり、移籍先が翌年1月1日以降に決まった選手も同年扱いとする。
  • 原則として人的補償、金銭補償はないため省略。
  • 移籍先の球団名の(マ)はマイナー契約。
選手 移籍元 移籍先 備考
1997年 吉井理人 ヤクルトスワローズ ニューヨーク・メッツ 初のFA権行使によるメジャーリーグへの移籍
1998年 木田優夫 オリックス・ブルーウェーブ デトロイト・タイガース  
1999年 佐々木主浩 横浜ベイスターズ シアトル・マリナーズ  
2000年 新庄剛志 阪神タイガース ニューヨーク・メッツ  
2001年 小宮山悟 横浜ベイスターズ ニューヨーク・メッツ 補償発生期間中に退団となり、期間経過に至るまで所属球団なしとなった初の選手
田口壮 オリックス・ブルーウェーブ セントルイス・カージナルス  
2002年 松井秀喜 読売ジャイアンツ ニューヨーク・ヤンキース  
2003年 高津臣吾 ヤクルトスワローズ シカゴ・ホワイトソックス  
松井稼頭央 西武ライオンズ ニューヨーク・メッツ  
2004年 藪恵壹 阪神タイガース オークランド・アスレチックス  
2005年 城島健司 福岡ソフトバンクホークス シアトル・マリナーズ  
2006年 岡島秀樹 北海道日本ハムファイターズ ボストン・レッドソックス  
2007年 黒田博樹 広島東洋カープ ロサンゼルス・ドジャース  
小林雅英 千葉ロッテマリーンズ クリーブランド・インディアンス  
薮田安彦 千葉ロッテマリーンズ カンサスシティ・ロイヤルズ  
福盛和男 東北楽天ゴールデンイーグルス テキサス・レンジャーズ  
福留孝介 中日ドラゴンズ シカゴ・カブス 初の故障者特例制度で取得したFA権で移籍した選手
2008年 川上憲伸 中日ドラゴンズ アトランタ・ブレーブス  
上原浩治 読売ジャイアンツ ボルチモア・オリオールズ  
高橋建 広島東洋カープ トロント・ブルージェイズ(マ) マイナー契約で入団した初のFA選手
2009年 五十嵐亮太 東京ヤクルトスワローズ ニューヨーク・メッツ  
高橋尚成 読売ジャイアンツ ニューヨーク・メッツ(マ)  
2010年 建山義紀 北海道日本ハムファイターズ テキサス・レンジャーズ  
土肥義弘 埼玉西武ライオンズ ランカスター・バーンストーマーズ(米独立リーグ) 移籍先が独立リーグのチームだった初のFA選手
2011年 和田毅 福岡ソフトバンクホークス ボルチモア・オリオールズ  
岩隈久志 東北楽天ゴールデンイーグルス シアトル・マリナーズ  
川崎宗則 福岡ソフトバンクホークス シアトル・マリナーズ(マ)  
2012年 藤川球児 阪神タイガース シカゴ・カブス  
中島裕之 埼玉西武ライオンズ オークランド・アスレチックス  
田中賢介 北海道日本ハムファイターズ サンフランシスコ・ジャイアンツ(マ)  

10年選手制度[編集]

FA制度の前身にあたる制度。1947年4月14日に連盟・経営者側と選手会の合意により導入。1952年12月24日発行の野球協約により抜本改正され、1975年限りで全廃された。

概要[編集]

プロ入りから10シーズン以上現役選手として同一球団に在籍した者は「自由選手」として表彰され、所属球団を自由に移籍する権利が与えられた。

1952年の改正後は、10シーズン以上現役選手として球団に在籍した者に対しコミッショナーが10年選手に指名した。10年間同一球団でプレーした「A級」と、複数球団で10年間プレーした「B級」に大別された。A級は「ボーナス受給の権利」と「自由移籍の権利」、2つのうち任意の選択肢を与え、B級は「ボーナス受給の権利」を与えた。また、A・B級双方とも引退試合の主催権利が与えられた。再取得は3年後。

10年選手の権利[編集]

1952年改正以前は表彰と移籍権利のみ。以下は1952年改正後の権利。

引退試合
現役時代に顕著な功績を残した10年選手は、所属球団との合意の下、希望する地域において毎年11月15日以降に引退試合を主催することができた。非公式試合であり、試合開催による収益金を得ることも認められた。引退選手複数人共同で催すこともできたが、その場合も1試合のみ。
トレード拒否
10年選手をトレードに出す場合は、事前に本人の書面による同意が無ければ不可とされた。
ボーナス受給
ボーナス(今で言う再契約金)を受け取ることができた。当初は無制限だったが、1959年3月の改定でA級選手のボーナスに限り、移籍なら1.5倍まで、残留なら2倍までと制限された。
A級選手の移籍
A級10年選手に指名された選手はその年の12月16日以降、自由に球団を移籍することができた。この権利は1度のみで再取得は不可。移籍した場合、新球団は旧球団に対し、新年俸の半額を譲渡金として支払った。

10年選手制度により他球団へ移籍した選手[編集]

1947年オフ

1949年オフ

  • 土井垣武 大阪タイガース→毎日オリオンズ
    • この年に持ち上がった2リーグ分立騒動に際し、「契約の切れた10年選手の移籍については、選手の自由意思に任せる」との申し合わせに従い、毎日の勧誘に応じて移籍した。

1956年オフ

1958年オフ

  • 田宮謙次郎 大阪タイガース→大毎オリオンズ
    • この年、A級10年選手の権利を得た田宮はボーナスを貰うつもりでいたが、当時のコミッショナー機関が「A級権利でボーナスを得て残留すればその選手はA級のままであり、移籍自由の権利は残る」との見解を示した。本来、A級権利のどちらを行使しても再取得時にはB級になり、権利もボーナス受給だけになるはずだったが、当時はこの部分が明文化されておらず、このコミッショナー見解が正式とされてしまった。近い将来移籍してしまう可能性のある選手にボーナスは出せないと考えたタイガースのフロントはボーナスの金額交渉に消極的になり、最終的に田宮側に契約意思が無いことを通知、田宮はやむなく移籍権利を行使して移籍した。
  • 内藤博文 読売ジャイアンツ→近鉄パールス
  • 杉山悟 中日ドラゴンズ→国鉄スワローズ
  • 青田昇 大洋ホエールズ阪急ブレーブス
  • 阿部八郎 阪急ブレーブス→西鉄ライオンズ
  • 米川泰夫 東映フライヤーズ→西鉄ライオンズ

1959年オフ

  • 大友工 読売ジャイアンツ→近鉄バファロー
  • 飯尾為男 東映フライヤーズ→大毎オリオンズ

1960年オフ

  • 箱田淳 国鉄スワローズ→大洋ホエールズ

1964年オフ

  • 金田正一 国鉄スワローズ→読売ジャイアンツ
    • 田宮の一件以後規約が一部改正され、「A級10年権利でボーナスを得た場合、3年後の再取得時にはB級となるが移籍権利は残る。ただし、移籍交渉の順番はシーズンの順位によるウェーバー方式。交渉拒否は2度まで」とされた。金田は1959年にA級10年選手の権利を行使してボーナスを貰っており、1963年にB級10年選手として移籍権利を含めて再取得した。この年は行使せず保留して迎えた1964年シーズンオフ、国鉄がサンケイに対して正式に球団を譲渡することが決定した(1962年には、既にサンケイが球団経営の主導権を握る形で業務提携していた)ため、金田は前年保留したB級選手制度の移籍権利を行使した。この年の順位は下から中日、国鉄、広島巨人大洋阪神であり、金田は拒否権を2度使って巨人へ移籍した。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d フリーエージェントについて 日本野球機構
  2. ^ フリーエージェント規約第10条、野球協約第82条より
  3. ^ 新人選手選択会議規約第14条より
  4. ^ 虎、プロテクト名簿で予期せぬ“障壁””. デイリースポーツ (2011年1月24日). 2011年11月18日閲覧。
  5. ^ a b 野球協約第47条より
  6. ^ 虚構のフリーエージェント Number Web 2009年1月23日
  7. ^ フリーエージェント規約6条6項
  8. ^ プロ野球規約79条
  9. ^ プロ野球規約71条
  10. ^ ハムが改めてFA藤井と「再契約はない」 日刊スポーツ 2009年12月1日
  11. ^ FA藤井“失職”問題、労組松原局長が私見 日刊スポーツ 2009年11月23日
  12. ^ a b 近鉄は2004年を以ってオリックスに合併したため。プロ野球再編問題 (2004年)を参考のこと。
  13. ^ 2004年までの球団名は「福岡ダイエーホークス」、大村が移籍した2005年以降の球団名は「福岡ソフトバンクホークス」である。
  14. ^ a b 和田が在籍していた2007年までの球団名は「西武ライオンズ」、石井一が移籍した2008年以降の球団名は「埼玉西武ライオンズ」である。
  15. ^ a b c 村田が在籍していた2011年までの球団名は「横浜ベイスターズ」、鶴岡・小池が移籍してきた2012年以降の球団名は、「横浜DeNAベイスターズ」である。
  16. ^

関連項目[編集]

外部リンク[編集]