金子千尋

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金子 千尋
オリックス・バファローズ #19
金子千尋20110913.jpg
2011年9月13日、ほっともっとフィールド神戸にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県三条市
生年月日 1983年11月8日(31歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2006年4月12日
年俸 2億円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

金子 千尋(かねこ ちひろ、1983年11月8日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手投手)。愛称は「ネコ」「ちーちゃん」など。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

新潟県三条市に生まれ、小学4年時に長野市へ転居。石渡育成会少年野球倶楽部にて投手を務める。長野商業高校では、2年春の第72回選抜高等学校野球大会に出場し、2回戦で近澤昌志平野佳寿らを擁する鳥羽高校に敗れた。夏は長野大会準優勝。3年夏には2回戦で7回参考ながらノーヒットノーランを達成したが、準決勝で12奪三振を記録しながら塚原青雲高校に敗れた。高校卒業後は社会人野球トヨタ自動車に入社して3年目に抑えとして頭角を現し、都市対抗野球大会でも好投した。

2004年プロ野球ドラフト会議において自由獲得枠でオリックスに入団。この年は近鉄バファローズオリックスブルーウェーブの合併及び東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入によるプロ野球再編問題の渦中にあったため、ドラフト会議の参加すら危ぶまれていたが、直前に参加が認められたものである。その不安定な立場の球団の状態では、いわゆるドラフトの目玉選手を指名しても入団までこぎつけられるかが大きな悩みの種であったが、スカウトの熊野輝光(現阪神タイガーススカウト)が恩師であったトヨタ自動車の野球部を訪れた際に、金子の「キャッチャーがいなければ果てしなく伸びるようなストレート」に魅せられ、球団首脳部に「(今は肘を故障しているが)治れば大活躍して来年のドラフト会議では複数球団の上位指名は確実です。今なら(一本釣りで)獲れます」と力説し、自由枠指名にこぎつける。

なお、自由枠での入団が決定的になった後に肘の故障が明らかになりオリックスが獲得を撤回するという報道が流れ、プロ野球の厳しさを肌で感じたことがプロ入り後役に立っているという。

プロ入り後[編集]

2005年

前述の故障もあり、医師や理学療法士を加えた回復カリキュラムをこなす事が中心となり、その影響で一軍登板はなかったが、故障が癒えた後ウエスタン・リーグ防御率0点台の好成績を残した。

2006年

主に中継ぎで登板しプロ初勝利も挙げた。7月には先発も試されたがその後は再び中継ぎに落ち着き、9試合連続無失点救援も記録した。

2007年

前半戦は中継ぎとして登板。8月18日の対西武ライオンズ戦から先発投手に転向し、同日に先発初勝利を記録すると次の登板で初完封を記録した。その後も好投が続き、10月2日のシーズン最終登板を2度目の完封、先発転向後6連勝で締めくくった。シーズン後、監督のテリー・コリンズは「もう少し早く先発で使うべきだった。(今季)高得点をあげることができる数少ない選手の1人」と絶賛した。同年はセ・パ交流戦頃に『肘にあまり不安を感じなくなったこと』、『気温が暖かくなってきたこと』などを理由に、社会人時代からの持ち球だったが肘の故障によりプロ入り後は実戦での投球を控えていたカットボールを解禁した。これによりリリーフとしては開幕からの不振を脱し、先発転向後はカウントを整えたり少ない球数で打ち取ることができた。同年、高校の同級生と結婚した。

2008年

1月に第一子となる長男が誕生。シーズンでは開幕投手に指名され、7回1失点10奪三振で勝利投手になる。平野やトム・デイビーの故障離脱もあって先発ローテーションの軸となったが、5月11日の対埼玉西武ライオンズ戦では5回途中5失点で敗戦投手となった上に中村剛也に頭部死球を与えて危険球退場するなど、4月下旬から交流戦にかけては精彩を欠いた。交流戦途中からリリーフに回ったが、リーグ戦再開後に先発に復帰すると7月は4戦4勝で月間MVPを受賞。9月7日の対西武戦では8回途中2失点で自身初の2桁勝利となる10勝目を挙げ、4点近い防御率ながら9年ぶりとなるチームのAクラス入りに貢献した。小松聖に次ぐチーム2位の投球回数で初めて規定投球回に到達し、リーグ8位の奪三振数を記録。一方で、被安打被本塁打は共にリーグ2位を記録。シーズン中の好不調の波が激しかったことも含め、課題も残した。

2009年

開幕から先発ローテーション入り。開幕直後はやや不調だったが徐々に調子を上げて5月5日の対福岡ソフトバンクホークス戦で2年ぶりの完投勝利を記録し、6月にはチーム全体で4勝だったうちの3勝を挙げるなど安定した投球を続けた。同年のオールスターに監督推薦で初出場し、第2戦で3回無失点に抑えてベストピッチャー賞を受賞した。8月22日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では2試合連続完封勝利で、球団史上星野伸之以来12年ぶりの2年連続2桁勝利を達成した。9月からは加藤大輔の不調により、監督の大石大二郎が春季キャンプ前に先発投手6人を集め「緊急時にリリーフに転向できる投手は?」と聞いた際に金子だけが挙手していた事と、リリーフ経験がある事から抑えに転向。シーズン初セーブを挙げた9月12日の対西武戦ではチームの6連敗を止めるなどし、11勝8敗4セーブで共にリーグ5位の防御率2.57と165奪三振を記録、被安打と被本塁打は前年より減少した。

2010年

開幕戦の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2年ぶりに開幕投手を務め、4被安打の無四球完封勝利。しかし、次の試合以降は調子を崩し、5月21日の対阪神タイガース戦では8点リードながら5回表にいきなり5失点KOされるなど、試合中盤に突如大量失点を喫するケースが目立った。投手コーチの清川栄治によれば、「完璧を求めるタイプで、打ち取り方にまでこだわる」という繊細さが裏目に出て、コースを狙いすぎて腕が振れなかったのが、6月までの不調の要因だったようである[1]。だが、7月1日の対楽天戦でシーズン3度目の完封勝利を挙げると、続く7月8日の対西武戦でも完封勝利を挙げた。そして、7月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、米田哲也以来球団史上45年ぶりの3試合連続完封を記録した。すると、7月に5戦全勝、8月にも5戦全勝を記録して、2ヶ月連続で月間MVPに選出され、9月20日北海道日本ハムファイターズ戦まで13連勝を達成。好不調の波はあったものの、自己最多となる17勝(球団では1993年の野田浩司以来の記録)を挙げ、ソフトバンクの和田毅と最多勝を分け合った。また、初の200イニング、自己最多となる190奪三振、7完投6完封と好成績を収めた。オフの契約更改で1億5000万円(推定)でサインをし、チームでは投手で唯一の1億円プレイヤーとなった。3完封をあげた楽天戦、2完封をあげた西武戦はいずれも5勝ずつ、防御率1点台の好成績をあげた一方で、ロッテ戦は前半戦の不調時に何度もKOされた影響で2勝5敗、防御率6.18と苦闘した。

2011年

2年連続の開幕投手と期待されるも、キャンプ中に右肘の違和感を訴えて2月9日に右肘遊離軟骨除去手術を受けて開幕に出遅れる[2]。その後、5月5日のウエスタン・リーグの対阪神戦で今季初登板した[3]。1ヶ月後の6月5日の対阪神戦で一軍復帰し、6回3失点でシーズン初勝利。8月23日の西武戦ではプロ入りワーストの8失点で敗戦投手となった。9月は4戦3勝で防御率0.25(自責点1)、リーグトップの2完封を含む3完投勝利で4度目の月間MVPに選出。勝つか引き分けるかでクライマックスシリーズ進出が決まる最終戦の10月18日の対ソフトバンク戦で、6回4失点で降板して敗戦投手となりクライマックスシリーズ進出を逃した。最終的には出遅れながらも規定投球回数に到達し、自己最高の防御率2.43・WHIP1.06を記録し、10勝4敗を挙げ4年連続二桁勝利を記録した。

2012年

当初は開幕投手の最有力候補として期待される。だが、春季キャンプに右上腕の張りを訴え、オープン戦で登板するも、その後再度右上腕に張りと腰痛を訴えて[4]開幕戦は登板回避となり、シーズン初登板は本拠地初戦の4月6日、対楽天戦となった。この試合では7回1失点と好投するも、万全を期するために一旦登録抹消となり、次の登板となった5月8日の対ソフトバンク戦で7回2失点に収めシーズン初勝利をあげた。6月22日の練習中に右肘の張りを訴え、翌日の対西武戦の先発予定を回避。病院で検査を受けた結果、右肘内側部の炎症[5]と診断された。シーズン終了間際の10月5日に一軍復帰。同日の対ソフトバンク戦で7回無失点の好投で、勝利投手となった。通年では度重なる故障の影響で9試合の登板で4勝3敗の成績に終わり、2008年から継続していた連続2桁勝利は4年でストップした。

2013年

オープン戦の登板なしで2年ぶり3度目となる開幕投手を任された。その後も離脱することなく投手として高水準の成績を残す。2010年以来2度目の200イニングに到達し、投球回数(223.1)・完投数(10)・完封数(3)・奪三振(200)の項目でリーグトップを記録、防御率(2.01)とWHIP(1.00)はリーグ2位でキャリアハイを記録したものの、勝利数は得点援護率リーグワーストとなる3.18を記録したこともあり、15勝(リーグ2位タイ)にとどまった。2011年のダルビッシュ有田中将大以来となる沢村賞選考基準を全項目満たした投手となった(受賞者は田中)。項目ができた1982年以降の受賞対象リーグ所属投手の中では、全項目を満たしながら受賞できなかったのは1982年の江川卓、2008年・2011年のダルビッシュに続いて4例目である。

2014年

3月上旬にインフルエンザへの感染で一時チームから離れたものの[6]、前年末の任命通りに開幕カードの3月28日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で先発。4月4日の対西武戦(西武ドーム)に自己最多の14奪三振による完封でシーズン初勝利を挙げる[7]と、同月26日の対楽天戦(京セラドーム)では14奪三振・1被安打の完封勝利を記録した[8]メジャーリーグ4球団のスカウトが視察した5月24日の対広島戦(ほっともっとフィールド神戸[9]では、7回裏の打席に前田健太からの二塁打で一軍初打点を記録すると、8回無失点の内容で前田との投げ合いにも勝利[10]

5月31日の対巨人戦(京セラドーム)では、先頭打者から4者連続三振、8回まで毎回の11奪三振で、9回まで4与四球1失策の無安打無得点に抑えていたものの、味方打線が9回まで9安打を放つも無得点で、0対0で迎えた9回裏一死二塁の金子の打席で代打が送られ、この後オリックスは二死満塁としたものの得点が入らず、試合は延長戦に突入したため、金子は無安打無得点のまま降板し単独でのノーヒットノーラン達成を逃す。巨人は11回表に片岡治大佐藤達也からチーム初安打を放ちオリックスは継投での無安打無得点も逃し、試合は12回表に亀井義行馬原孝浩から本塁打を放ち、0対1でオリックスが敗れた[11]。9回まで無安打無得点で延長で初安打を打たれたのはNPB史上11人目で、9回以上を無安打無得点で降板したのは同2人目[12]。継投で無安打を続け延長で初安打を打たれたのも同2人目[13]の記録となった[14] この年は16勝、防御率1.98で最多勝と最優秀防御率の二冠を獲得。これらを含め2年続けて結果を残したことが評価され、自身初となる沢村栄治賞を獲得した[15]。なお、オリックスからの沢村賞選出も史上初の出来事であった。

選手としての特徴[編集]

スリークォーターから平均球速144km/h[16]、最速154km/hのストレート、先発転向後精度が向上した縦のカーブスライダーカットボールツーシーム[17][18]チェンジアップスプリット[18]パワーシンカー[19]、稀にワンシーム[20]を投げ分ける。

四球が少なく、与四球率は通算で2.09と優秀な数値をマークしており、特に2008年からは3年連続で1個台をマークしている(2008年1.85、2009年1.78、2010年1.94)。

先頭打者への投球前には「両手を帽子のこめかみに当てるポーズ」を取るが、これは精神統一の際に「自分に言い聞かせていることをカメラに取られたくない」為に顔と口元を隠す意味で始めたという[21]

汗をかくことを嫌っているため、グラブを持つ左の掌が布地に隠れるほど左袖が長い特注品のアンダーシャツを愛用している[22]。このシャツを着て登板する試合では、距離や角度によって、投球の合間にボールを揉む動作が左袖の布地に触れる格好でボールをこねているように見えることがあるという。2014年には、その動作をめぐって、オープン戦(3月21日・阪神戦)と公式戦(5月2日・札幌ドームの対日本ハム戦)の登板中に審判団から注意を受けた[23]。オリックス球団では、「ボールがアンダーシャツに直接触れないようにすれば(ボールをグラブ・身体・着衣で摩擦することを投手の禁止事項に定めている)公認野球規則に抵触しないことを、日本野球機構の審判部に確認済み」として、金子が注意を受けた後も上記のシャツの着用を容認[24]。金子自身も、ボールを揉む際に左手の指を立てるように工夫しながら、着用を続けている[22]

人物[編集]

2006年の宮古島キャンプではトレーニングを兼ねて訪れていたイチローと紅白戦で対戦し、リードした前田大輔にも責任はあるものの初球にカーブを投げ、チームメイト(当時)の清原和博に「ストレートを放らんか」と怒られた[25]。これについては後に自分の一番良い球で抑えてアピールしないといけないという持論を語っている。

2010年4月29日にソフトバンクから金子圭輔トレード移籍してきたことに伴い、報道やスコアボードでの表記名が「金子千」となった。ただしバランスが悪いからという理由で、5月8日の対ロッテ戦から電光掲示板の表示をフルネームの「金子千尋」に変更している[26]。2012年1月17日に金子圭輔がソフトバンクに復帰したことで金子姓は一人となったが、2013年シーズン現在も電光掲示板上の表記は「金子千尋」となっている[27]

2011年10月、オリジナル写真集PHOちょ+より自身初の公式写真集がリリースされた。金子千尋 公式写真集

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 オリックス 21 1 0 0 0 1 1 0 1 .500 120 28.0 20 4 18 1 2 22 3 1 13 11 3.54 1.36
2007 36 7 2 2 0 6 2 1 2 .750 343 84.0 75 4 20 2 1 68 1 0 31 26 2.79 1.13
2008 29 25 0 0 0 10 9 0 0 .526 717 165.0 185 19 34 0 8 126 3 0 78 73 3.98 1.33
2009 32 21 5 2 1 11 8 4 0 .579 683 171.2 149 15 34 0 4 165 2 0 54 49 2.57 1.07
2010 30 29 7 6 2 17 8 0 1 .680 831 204.1 184 17 44 1 3 190 5 2 85 75 3.30 1.12
2011 20 20 5 2 3 10 4 0 0 .714 613 155.1 126 9 38 2 2 123 3 0 45 42 2.43 1.06
2012 9 9 2 1 1 4 3 0 0 .571 265 63.2 65 2 15 0 1 56 3 0 19 17 2.40 1.26
2013 29 29 10 3 1 15 8 0 0 .652 881 223.1 166 10 58 0 3 200 6 1 55 50 2.01 1.00
2014 26 26 4 3 1 16 5 0 0 .762 763 191.0 157 7 42 0 3 199 6 0 48 42 1.98 1.04
通算:9年 232 163 34 19 9 90 48 5 4 .652 5216 1286.1 1127 87 303 6 27 1149 32 4 428 385 2.69 1.11
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回:2013年7月24日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(京セラドーム大阪)、3回表1死目にマイカ・ホフパワーから見逃し三振で達成 ※史上335人目
  • 1000奪三振:2014年4月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(京セラドーム大阪)、5回表に枡田慎太郎から見逃し三振で達成 ※史上136人目
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:2回(2009年、2014年)
  • 9回まで無安打無得点:2014年5月31日、対読売ジャイアンツ戦(京セラドーム大阪)、9回を無安打4与四球1失策無失点。チームは延長12回0対1で敗戦

背番号[編集]

  • 19 (2005年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 金子千尋の投球回「204回1/3」…パ単独1位 6年目躍進 読売新聞 2010年9月29日
  2. ^ 金子千が右肘手術…復帰まで2~3カ月スポーツニッポン 2011年2月9日付記事
  3. ^ 金子千が2軍戦で初登板 交流戦中に1軍先発へスポーツニッポン 2011年5月5日付記事
  4. ^ “オリ金子、腰にも張り…開幕戦絶望に”. デイリースポーツonline. (2012年3月20日). http://www.daily.co.jp/baseball/2012/03/20/0004897985.shtml 2012年10月10日閲覧。 
  5. ^ “金子、右肘炎症で登録抹消 代役候補筆頭は井川”. スポニチアネックス. (2012年6月26日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/26/kiji/K20120626003546190.html 2012年10月10日閲覧。 
  6. ^ “オリックス金子と馬原がインフル感染”. 日刊スポーツ. (2014年3月5日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140305-1266206.html 2014年6月1日閲覧。 
  7. ^ “オリックス金子完封で1勝、自己最多毎回14K”. 日刊スポーツ. (2014年4月4日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140404-1280579.html 2014年6月1日閲覧。 
  8. ^ “オリックス金子完封で1勝、自己最多毎回14K”. 日刊スポーツ. (2014年4月26日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140426-1290995.html 2014年6月1日閲覧。 
  9. ^ “前田と金子「通用する」メジャー4球団視察”. 日刊スポーツ. (2014年5月24日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140524-1305975.html 2014年6月1日閲覧。 
  10. ^ “最強右腕だ!オリックス金子0封&マエケン打ち”. 日刊スポーツ. (2014年5月24日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140524-1305970.html 2014年6月1日閲覧。 
  11. ^ 朝日新聞2014年6月1日スポーツ面
  12. ^ 2006年の八木智哉につぐ
  13. ^ 1949年に杉下茂が無安打で降板、継投の服部受弘が初被安打
  14. ^ 金子 9回無安打、幻ノーヒッター 外野へ飛んだのは1本だけスポーツニッポン2014年6月1日配信
  15. ^ オリックス・金子、初の沢村賞!パからの選出は4年連続スポーツニッポン2014年10月27日配信
  16. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2
  17. ^ “オリックス・金子 僕はエースじゃない 三振の話題は「ほっといて」”. スポニチ Sponichi Annex. (2014年5月23日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/23/kiji/K20140523008215750.html 
  18. ^ a b 週刊ベースボール 2010年6月14日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-6/14、20-21項。
  19. ^ テレビ朝日Get Sports』2014年4月20日放送
  20. ^ オリ金子「超完封」に岡田監督ご満悦
  21. ^ オリックス・バファローズ観戦ガイド「Bs TIME」Vol.9 2ページ
  22. ^ a b “金子に不正投球疑惑 審判団が指摘”. 日刊スポーツ. (2014年5月2日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140502-1294773.html 
  23. ^ “オリックス 金子に疑惑の目が…直後に2発連続被弾”. スポーツニッポン. (2014年5月2日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/02/kiji/K20140502008084260.html 
  24. ^ “オリックス・金子“潔白”で長袖アンダーシャツ変えぬ」”. デイリースポーツ. (2014年5月9日). http://www.daily.co.jp/baseball/2014/05/09/0006943736.shtml 
  25. ^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1207/kiji/K20120714003678820.html
  26. ^ 2010年5月16日『顔晴れ!』
  27. ^ 2012年1月20日、日刊スポーツ「金子千尋」1人になっても登録名変えず
  28. ^ マエケン、3敗目…エース対決も金子にタイムリー許すサンケイスポーツ (2014年5月23日)2014年5月23日閲覧。

関連項目[編集]

写真集[編集]

外部リンク[編集]