鶴岡慎也
| 北海道日本ハムファイターズ #22 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 鹿児島県肝属郡肝付町 |
| 生年月日 | 1981年4月11日(30歳) |
| 身長 体重 |
176cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 2002年 ドラフト8巡目 |
| 初出場 | 2005年9月7日 |
| 年俸 | 4,200万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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鶴岡 慎也(つるおか しんや、1981年4月11日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(捕手)。2012年から選手会長を務める。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
小学校時代はソフトボールの投手だった。中学校時代に監督から捕手に転向するよう命じられ、投手継続を希望していたが従った。もし断って投手を続けていたらプロにはなれなかっただろうと振り返っている[1]。
高校時代は、樟南高校の捕手として甲子園に2度(1998年春の第70回選抜高等学校野球大会・1999年夏の第81回全国高等学校野球選手権大会)出場。1999年夏は、準決勝の桐生第一高校(群馬県代表)戦で、後に日本ハムファイターズでチームメイトとなる正田樹と対戦し、自身は1安打を放ったがチームは敗退した。なお、当時の樟南高校のエースは上野弘文で、一学年下には青野毅が在籍していた。
その後、社会人野球の三菱重工横浜を経て(2001年にクラブチーム化し、名称を「三菱重工横浜硬式野球クラブ」に改めている)、日本ハムの入団テストを受け、2002年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから8巡目指名され入団した(前年にも日本ハムのテストを受けているが、その時は不合格になっている)。
[編集] プロ入り後
2年間は一軍出場がなかったが、2005年のフレッシュオールスターゲームに出場して先制本塁打を放ち、最優秀選手に選ばれた。また、シーズン後半に一軍昇格し、9月25日のオリックス・バファローズ戦で一軍初先発出場・初安打・初打点を記録した。
2006年に初の開幕一軍入り。正捕手だった高橋信二の打撃不振で徐々に出番が増え、シーズン終盤からアジアシリーズにかけてはダルビッシュ有、八木智哉とコンビを組んだ。2007年は開幕からしばらくは控えだったが、中盤辺りからダルビッシュの先発時はほぼ必ず鶴岡が先発マスクを被るようになった。その他若手投手先発時にマスクを被ることもあったが、八木の不振もあってか前年と比較すると出番は減少した。また、課題の打撃を克服するための視力矯正手術をシーズンオフに行った。
2008年は、捕手を固定したい梨田昌孝監督の方針で開幕当初は正捕手だった。ダルビッシュの他、多田野数人、ブライアン・スウィーニーの先発する試合のほとんどにおいても鶴岡が捕手を任されたが、その他の先発投手との相性の悪さを解消できず、高橋や前年まで一軍未出場であった小山桂司に先発マスクを譲ることがあり、またシーズン後半は抑え投手・マイケル中村の登板時に中嶋聡と交代することが増えた。
2009年になると、膝の状態が良くない高橋は一塁手として固定されたが、チームの競争意識の活性化を目的とした梨田の方針転換により、新人の大野奨太と併用されることとなった。それでも八木とダルビッシュが先発の時には必ず先発マスクを被り、またマイケルに替わって抑え投手となった武田久が登板する時には自身も抑え捕手として出場するなど、前年より出場機会を増やし、自身初となるゴールデングラブ賞(捕手部門)を受賞している。同年シーズンの守備率は1位と毛差の2位(.997)、失策はリーグ最少の2、捕逸は第一捕手としてはリーグ2番目に少ない2だった。
2010年はその年チーム最多勝利の武田勝とのバッテリーを組んだ大野が出場機会を増やし、その分鶴岡の起用は減ってしまった。同年オフに建山義紀がフリーエージェント権を行使してテキサス・レンジャーズに移籍すると、「建山さんに配球のイロハを教わった。(以前の背番号)64にも愛着はあるけど、ほかの人がつけるなら自分だと決めました」[2]と、背番号を建山がつけていた22に変更した。
2011年3月31日、イースタン・リーグの千葉ロッテマリーンズ戦[3]で自打球を顔面に当て、顔面を陥没骨折する重傷を負った。5月24日に一軍復帰するも、出場機会は大幅に減った。
[編集] プレースタイル・人物
投手陣の持ち味を生かしたリードとインサイドワークに定評がある。[4]、大柄な選手を相手にしてもビクともしない、すねをいっぱいに使ったブロックも見せる[要出典]。肩はスピードガンで135km/h前後と決して強くないが、送球動作が速く、安定したスローイングに定評がある[5]。2010年は盗塁阻止率リーグ2位となった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 日本ハム | 4 | 8 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .125 | .125 | .125 | .250 |
| 2006 | 76 | 218 | 203 | 18 | 49 | 9 | 1 | 3 | 69 | 21 | 2 | 1 | 11 | 1 | 3 | 0 | 0 | 51 | 5 | .241 | .251 | .340 | .591 | |
| 2007 | 57 | 146 | 133 | 7 | 27 | 2 | 1 | 0 | 31 | 13 | 0 | 2 | 7 | 1 | 5 | 0 | 0 | 27 | 0 | .203 | .230 | .233 | .463 | |
| 2008 | 97 | 285 | 248 | 24 | 52 | 14 | 0 | 1 | 69 | 18 | 0 | 1 | 22 | 2 | 12 | 0 | 1 | 49 | 4 | .210 | .247 | .278 | .525 | |
| 2009 | 122 | 304 | 263 | 25 | 58 | 14 | 1 | 1 | 77 | 29 | 1 | 1 | 17 | 2 | 20 | 1 | 2 | 48 | 6 | .221 | .279 | .293 | .572 | |
| 2010 | 105 | 284 | 254 | 21 | 60 | 12 | 0 | 3 | 81 | 26 | 0 | 0 | 22 | 3 | 4 | 1 | 1 | 32 | 6 | .236 | .248 | .319 | .567 | |
| 2011 | 76 | 202 | 185 | 12 | 44 | 9 | 1 | 1 | 58 | 15 | 1 | 2 | 12 | 1 | 3 | 0 | 1 | 24 | 2 | .238 | .253 | .314 | .566 | |
| 通算:7年 | 537 | 1447 | 1294 | 108 | 291 | 60 | 4 | 9 | 386 | 123 | 5 | 7 | 91 | 10 | 47 | 2 | 5 | 232 | 23 | .225 | .253 | .298 | .551 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 年度別守備成績
| 年 | 捕手 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | |
| 2005 | |||||||
| 2006 | .992 | 76 | 365 | 29 | 3 | 1 | 3 |
| 2007 | |||||||
| 2008 | |||||||
| 2009 | .997 | 121 | 612 | 37 | 2 | 11 | 2 |
| 2010 | |||||||
| 2011 | |||||||
| 通算 | |||||||
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 表彰
- フレッシュオールスターゲームMVP (2005年)
- ゴールデングラブ賞:1回 (捕手部門・2009年)
[編集] 記録
- 初記録
- 初出場:2005年9月7日、対西武ライオンズ18回戦(インボイスSEIBUドーム) - 7回表二死に代打、投手は松坂大輔
- 初先発出場:2005年9月25日、対オリックス・バファローズ20回戦(大阪ドーム) - 九番・捕手
- 初安打・打点:同上(4回表・第2打席) - ジョッシュ・スチュワートから適時打
- 初盗塁:同上(4回表) - 投手はスチュワート、捕手は的山哲也
- 初本塁打:2006年5月13日、対横浜ベイスターズ2回戦(札幌ドーム) - 7回裏無死、秦裕二から
[編集] 背番号
- 64 (2003年 - 2010年)
- 22 (2011年 - )
[編集] 登場曲
[編集] 脚注
- ^ 「SPECIAL INTERVIEW 鶴岡慎也」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、6-9頁。
- ^ メジャー目指す建山、サプライズ胴上げに感涙 - スポニチアネックス、2010年11月21日
- ^ 同年3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生した影響で一軍の開幕が約1ヶ月遅れたため、先に開幕していた二軍の公式戦に調整目的で出場していた。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』 白夜書房、2008年、84頁。ISBN 978-4-86191-374-7。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、123頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ GACHAPIN×TSURUOKAコラボグッズがついに発売! - 北海道日本ハムファイターズ公式サイト
[編集] 関連項目
- 鹿児島県出身の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 石井裕也 - 三菱重工横浜硬式野球クラブ時代の同僚。
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