稲田直人
| 東北楽天ゴールデンイーグルス #0 | |
|---|---|
横浜時代(2010年4月3日、明治神宮野球場)
|
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県廿日市市 |
| 生年月日 | 1979年11月6日(32歳) |
| 身長 体重 |
176cm 76kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 2003年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 2006年6月18日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
1979年に広島県廿日市市で生まれる。中学までは投手だったが、広陵高校で遊撃手に転向。2年次の夏からレギュラーとなり、秋季は中国地区大会にも進出したが、準々決勝で敗れた。3年夏の全国高等学校野球選手権広島大会では3回戦で広島県瀬戸内高等学校に敗れている。卒業後は駒澤大学へ進学し、1年次からレギュラーを務めて4年秋に大学日本一となった。東都大学リーグ通算88試合出場、294打数73安打、打率.248・0本塁打・21打点。
大学卒業後はNKKへ入社し、先頭打者として第73回都市対抗野球大会ベスト8進出に貢献し、若獅子賞を獲得した。NKKと川崎製鉄との経営統合によってチームがJFE西日本硬式野球部となった後も、第74回都市対抗野球大会では1回戦で敗退したが遊撃手としての守備力が買われ、同年秋のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに5巡目で指名され、入団。
[編集] 日本ハム時代
入団当初は金子誠を脅かす即戦力として期待されたが、2004年・2005年ともに一軍出場なし。イースタン・リーグでは打率.273(2005年)を残したほか、遊撃手のみでは活躍の場が得られないとして、二塁手を中心に内野の4ポジション全てで起用された。
2006年6月18日に一軍初出場を果たし、同年7月1日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)では、プロ初打席で二塁打を放った。7月9日の対西武ライオンズ戦(インボイスSEIBUドーム)では三塁手として初先発起用され、以降はホセ・マシーアス・飯山裕志との併用で出場する機会も増えた。
2007年は開幕から一軍入りし、一塁手・三塁手、または代打で起用された。9月からは一塁手のレギュラーとして起用され、ポストシーズンでも10試合中8試合に先発出場。先発でない試合でもベンチでムードメーカーとしての役割を果たし、一軍に定着した。
2008年も開幕を一軍で迎えるが、死球による手の骨折で離脱。復帰後もベンチを暖めることが多かった。打率が低迷する時期が長かったが、6月17日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)でスタメン起用されると猛打賞を記録し、故郷に錦を飾った。
2009年は一塁に高橋信二、三塁に小谷野栄一が定着したために出場機会が減少するが、試合終盤の守備要員で起用されるだけでなく、8月6日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)では9回表に決勝適時打を放つなど、代打の打率が4割を超える活躍を見せた。同年11月25日、加藤武治・松家卓弘・関口雄大との交換トレードで、坂元弥太郎・松山傑と共に横浜ベイスターズへ移籍した。背番号は32。
[編集] 横浜時代
2010年は開幕一軍メンバーに入るものの、22試合の出場に留まった。オフに背番号を00に変更した。
2011年は左の代打や、ブレット・ハーパーの守備固めとして起用された。7月10日の対中日ドラゴンズ戦では代打で決勝適時打を打ち、三浦大輔のシーズン初勝利を演出した。一軍で61試合に出場したが、10月9日に球団から戦力外通告を受けた[1]。その後、12月6日に東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得を発表し[2]、12月8日に川島亮・加藤大輔・定岡卓摩と共に入団会見を行った。背番号は0。
[編集] 人物
明るい性格や、人当たりの良さを活かしたムードメーカー的な役割でチームを牽引したほか、内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして活躍した。三振が少ないものの長打力や粘りの打撃が発揮できず、その分を50m走・5秒7の俊足と巧みな犠牲バントで補っている。日本ハム時代は森本稀哲・田中賢介の犠牲バント練習を指導したこともある。[要出典]
座右の銘は、少年時代に父から教わった「練習中は自分が一番下手だと思え、試合では自分が一番上手と思え」である。
日本ハム~横浜時代のチームメイトである江尻慎太郎がサイドスローに投法変更したのを見て、林昌勇(東京ヤクルトスワローズ)にちなんで「エジチャンヨン・チャンヨン」とあだ名をつけた。日本ハム内ではこのあだ名が定着したものの、江尻自身はこのあだ名をあまり気に入ってない様子である。[要出典]
[編集] エピソード
- 日本ハム入団当初、稲葉篤紀との混同を避けるためか、応援時は「稲田」姓の選手が他に存在しないにも関わらず「直人」と呼ばれていた。日本ハム時代は稲葉とのパフォーマンスでファンを沸かせた。
- 2006年7月1日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)でプロ初安打・初得点を記録してヒーローインタビューを受けた際、北海道弁と出身地である広島弁をあわせて「なまら最高じゃけんのう!」と発言して沸かせた。
- 2006年の日本シリーズで3試合に先発出場したが、第3戦(10月24日)はテレビ朝日系列で生中継されたが、稲田は第1・2打席目はCM中に凡退。3打席目に代打を出され、守備機会も無かったことから画面にほとんど映らなかった。
- しかし、日本ハムが日本シリーズ進出を決定させた第5戦(10月26日)では、初めて放映された第2打席で同点の足掛かりとなる二塁打を放ち、試合後に「家族が来ていたし、テレビにも映ったし、日本一にもなれたし、最高!」とコメントしている。後日談として、稲田本人は祖母から「直人、怪我でもしたのかい?」との電話を受けたことで、放映されていなったことを理解したという。
- 2007年4月1日の対埼玉西武ライオンズ戦で、プロ初の一塁手としての先発出場したが、この時は渡邉孝男(2004年まで在籍)に貰った一塁手用ミットを使用した。
- 2007年6月17日の対中日ドラゴンズ戦でプロ初のサヨナラ安打を記録した。通常はミネラルウォーターが掛けられるはずだったが、稲葉篤紀・鶴岡慎也によってたまたま持参していたコーラを掛けられ、「コーラ臭いですよ」と叫んだ。
- その後、試合を視聴していた北海道コカ・コーラボトリング社が、掛けられたコーラ製品が「コカ・コーラ」だったことに喜び、社長が自ら出向いて稲田・稲葉に感謝状を贈るシーンが展開された。なお、この件以降、サヨナラ打を打つと誰かがコーラを掛けることが恒例となっている。
- 常に全力を怠らないプレースタイルやファンを大切にする姿勢から北海道での人気は高く、FFFFF(北海道テレビ放送)にてローソンとのコラボレーションにより故郷・広島の食品をプロデュースした弁当「なまら最高じゃけんのぅシリーズ」を発売した。
- ぞっこん!スポーツ(札幌テレビ放送)では稲田のミニコーナー「Go 5(Go)直人」もある(稲田の背番号5にちなんで)。
- 北海道文化放送でも、タカアンドトシのどぉーだ!・Fの炎に出演経験がある。人気の証明として、横浜へのトレードが決定した際には各メディアによる「お別れファンイベント」が開催されたほどである。
- 2008年、ファンフェスティバルで開催されたJR北海道プレゼンツ「卓球王座決定戦」にて、森本稀哲との決勝戦でデュースに次ぐデュースの末下し、初代卓球王座に輝いた。なお、この試合で準決勝をかけた2回戦で地元の後輩である中田翔と対戦し勝利、ヒロ福地から『空気が読めない』と言われる。12月15日札幌グランドホテルで、プロ野球界初となる球団マスコットBBのディナーショーが開催され、稲田本人が特別友情出演し、BBのピアノ伴奏でクリスマスソングを熱唱した。
- 2010年1月17日、札幌グランドホテルで、送別パーティーが開催され、300人のファンが集まり、全員と写真・握手をした。また、稲葉篤紀が稲田本人も知らないサプライズで突然登場し、暴露トークで送別パーティーを盛り上げ、セパ交流戦で、お互いのテーマ曲を逆パターンで登場時に使用することを約束し、シーズン中に、稲葉が実行した。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 日本ハム | 33 | 72 | 63 | 5 | 17 | 3 | 2 | 0 | 24 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 3 | 0 | 1 | 14 | 1 | .270 | .309 | .381 | .690 |
| 2007 | 83 | 175 | 160 | 15 | 44 | 2 | 1 | 0 | 48 | 14 | 0 | 1 | 8 | 2 | 5 | 1 | 0 | 23 | 3 | .275 | .293 | .300 | .593 | |
| 2008 | 99 | 211 | 185 | 10 | 41 | 1 | 1 | 0 | 44 | 12 | 3 | 0 | 18 | 0 | 6 | 1 | 2 | 13 | 2 | .222 | .254 | .238 | .492 | |
| 2009 | 65 | 67 | 65 | 4 | 18 | 3 | 0 | 0 | 21 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 | .277 | .299 | .323 | .622 | |
| 2010 | 横浜 | 22 | 24 | 21 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | .286 | .348 | .333 | .681 |
| 2011 | 61 | 42 | 42 | 4 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | .238 | .238 | .262 | .500 | |
| 通算:6年 | 363 | 591 | 536 | 41 | 136 | 11 | 4 | 0 | 155 | 39 | 4 | 1 | 31 | 3 | 18 | 3 | 3 | 71 | 7 | .254 | .280 | .289 | .569 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2006年6月18日、対広島東洋カープ6回戦(札幌ドーム)、9回裏にフェルナンド・セギノールの代走として出場
- 初安打:2006年7月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦(札幌ドーム)、8回裏に鶴岡慎也の代打で出場、一場靖弘から右中間へ二塁打
- 初打点:2006年7月6日、対オリックス・バファローズ10回戦(札幌ドーム)、8回裏に歌藤達夫から左前適時打
- 初先発出場:2006年7月9日、対西武ライオンズ11回戦(インボイスSEIBUドーム)、7番・三塁手で先発出場
- 初盗塁:2008年7月12日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(札幌ドーム)、7回裏に二盗(投手:陽耀勲、捕手:高谷裕亮)
[編集] 背番号
- 54 (2004年 - 2007年)
- 5 (2008年 - 2009年)
- 32 (2010年)
- 00 (2011年)
- 0 (2012年 - )
[編集] 脚注
- ^ “2012年の選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年10月9日). 2011年10月21日閲覧。
- ^ “契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年12月6日). 2011年12月6日閲覧。
[編集] 関連項目
|
||||||||||||||||||||||||||
|
|||||