押本健彦

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押本 健彦
東京ヤクルトスワローズ #65
YS-Takehiko-Oshimoto20120314.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県流山市
生年月日 1982年10月28日(32歳)
身長
体重
181 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2004年4月9日
年俸 6,200万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

押本 健彦(おしもと たけひこ、1982年10月28日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

千葉県流山市出身。小学生で流山市の少年野球チームで野球を始めた。中高では大舞台とは無縁であったが、日産自動車では2003年の第30回社会人野球日本選手権大会優勝に大きく貢献した。

2003年のドラフト会議日本ハムファイターズから4巡目で指名を受けた。日本選手権の終了を待って、推定契約金8000万円、年俸1500万円で仮契約し、入団した。

日本ハム時代[編集]

2004年は、キャンプ・開幕は二軍で過ごしたが、一軍投手陣の不調と二軍での好投により、4月早々に初の一軍昇格を決めた。4月9日に初登板すると、自身3試合目の4月16日の対千葉ロッテマリーンズ戦でプロ入り初先発。5回を1失点に抑えて初勝利を挙げた。以降先発ローテーションに定着したが、中継ぎ陣の不調により勝ち星は伸びず、6月と8月に二軍降格も経験。一軍には定着しきれなかったものの、7勝を記録し、一時は新人王候補にも名前があがるなど、まずまずのプロ入り一年目を過ごした。

2005年のキャンプから春先にかけては先発候補として期待されていたが、調子が上がらず4月半ばに二軍降格。復帰後も安定感を欠き1勝もできず、防御率も6点台に悪化してしまった。この年、一般人の女性と結婚。

2006年は、前年の成績を受けて二軍生活が続いたが、好投を続けていた。6月に一軍昇格すると、中継ぎで登板。6月末には投手枠の関係で降格したが、7月半ばからは一軍に定着した。その後は主に先発投手陣が崩れた際の、早い回からのロングリリーフとして登板し、岡島秀樹武田久につなぐ中継ぎの柱として大活躍した。最終的には無敗の5勝(全て先発が5回以前で降板した際の勝利)、防御率1.50という圧倒的な数字を残し、チームのレギュラーシーズン1位に大きく貢献した。

2007年は、開幕から13試合のうち8試合で失点し、5月終了時の防御率が9点台と非常に内容が悪かった。しかし6月から8月上旬にかけては10試合連続無失点を記録し、自己最多の36試合に登板。防御率こそ4.60と不調であったが、イニング数を上回る奪三振を記録した。秋キャンプでは飛躍を期待され、新コーチの吉井理人から熱心に指導を受けていた[1]

2008年1月11日藤井秀悟坂元弥太郎三木肇と3対3の交換トレードで、川島慶三橋本義隆と共に東京ヤクルトスワローズへ移籍。

ヤクルト時代[編集]

移籍後、押本の獲得を望んだ元GMで新監督の高田繁から抑え投手候補として期待をかけられ、開幕一軍の座を掴んだ。主に8回を抑えるセットアッパーとして登板。3月29日読売ジャイアンツ戦で移籍後初勝利を挙げた。開幕より24試合連続無自責点を達成。5月23日の対ロッテ戦で、プロ入り後一軍公式戦初セーブを記録した。同じく中継ぎの松岡健一五十嵐亮太そして抑えの林昌勇も安定した投球内容を続け、試合終盤は五十嵐→松岡→押本→林昌勇というリレーがスワローズの勝利の方程式として確立されている。序盤は防御率が0点台と脅威的だったが、夏場にかけて疲れからか大量失点をすることが多くなり一時防御率が3点台に跳ね上がってしまい、一時は2点台まで戻すも失点することが再び多くなり3点台へと戻ってしまった。その後も抑えた後は打たれ、打たれた後抑えという展開が続き最終的には3.34だった。

10月13日神宮球場でのレギュラーシーズン最終戦でホールド。6回表1死無走者の場面で登板し現役最終打席を迎えた横浜ベイスターズ代打鈴木尚典をファーストゴロに打ち取った。

2009年は、前年の疲労蓄積からか、前半戦は不調でロングリリーフや敗戦処理を担う場面が多かった。9月、先発陣が相次いで不調やケガに陥ったため、日本ハム時代以来の先発を任されることになった。 10月11日の対中日ドラゴンズ24回戦(神宮)でシーズン初セーブ。9回表2死無走者の場面で現役最終打席を迎えた代打立浪和義をセカンドフライに打ち取った。前半戦は不調だったものの、シーズンを通して中継ぎとして活躍し51試合に登板して防御率2.67を記録。

2010年は。防御率、奪三振は前年より向上し被本塁打は減少した。2011年、チームトップとなる65試合に登板。2012年は登板数とホールドは前年とほぼ同じという成績を記録した。

2014年10月1日に球団から戦力外通告を受ける[2]

プレースタイル[編集]

平均球速約142km/h[3]、最速152km/hのストレートスライダーフォークを主体とした変化球を低めに集める。頻度は少ないが、カーブチェンジアップなども投げる。連投をいとわないタフな投球が持ち味で、牽制などのフィールディングも上手いのが特徴である。

人物[編集]

日本ハム時代、目をかけていた吉井は、トレード発表後の1月13日付けの自身のブログにおいて「個人的には、押本投手の放出はちょっと残念です。(真っすぐで空振りをとれる投手は、プロ球界にもあまりいない)」と述べている。

実家は床屋だが、手先が不器用だったために家業を継げなかった。

コミカルな言動でチームメイトからの人気も高い。

日本ハム時代は登板時に肩をゆする動きから、チームメイトに「ロボコップ」と呼ばれていたことがある。

趣味はゲーム漫画。ヤクルトスワローズファン感謝デー2011にてチーム1のオタクと言われた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2004 日本ハム 21 15 0 0 0 7 8 0 -- .467 430 96.2 102 13 42 0 6 76 6 0 52 48 4.47 1.49
2005 11 3 0 0 0 0 1 0 0 .000 139 29.1 46 6 13 1 0 18 2 0 25 22 6.75 2.01
2006 25 0 0 0 0 5 0 0 6 1.000 145 36.0 28 0 16 0 0 30 2 0 8 6 1.50 1.22
2007 36 0 0 0 0 2 1 0 4 .667 203 47.0 48 7 23 0 0 49 2 1 25 24 4.60 1.57
2008 ヤクルト 67 0 0 0 0 5 6 1 27 .455 302 72.2 74 8 14 1 1 46 0 0 31 27 3.34 1.21
2009 51 2 0 0 0 2 6 1 12 .250 252 64.0 50 8 19 0 1 45 3 0 19 19 2.67 1.08
2010 61 0 0 0 0 3 4 0 16 .429 250 61.0 59 6 12 0 2 56 1 0 22 18 2.66 1.16
2011 65 0 0 0 0 3 2 1 23 .600 287 68.2 65 5 20 1 2 61 1 0 28 25 3.28 1.24
2012 65 0 0 0 0 4 1 1 22 .800 261 59.2 64 9 21 2 2 49 1 0 26 24 3.62 1.43
2013 26 0 0 0 0 2 4 0 1 .333 140 31.0 36 1 13 0 1 19 1 0 19 17 4.94 1.58
2014 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 36 7.0 11 2 3 0 1 6 0 0 9 9 11.57 2.00
通算:11年 434 20 0 0 0 33 33 4 111 .500 2445 573.0 583 65 196 5 16 455 19 1 264 239 3.75 1.35
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 61 (2004年 - 2007年)
  • 65 (2008年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 2008年2月7日スポニチなど。
  2. ^ 来季の契約についてヤクルト球団公式サイト2014年10月1日配信
  3. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、98頁。ISBN 978-4-905411-04-8

関連項目[編集]