長野久義

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長野 久義
読売ジャイアンツ #7
Yomiuri Giants h-chono.jpg
2010年4月4日、マツダスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県三養基郡基山町
生年月日 1984年12月6日(29歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 2010年3月26日
年俸 1億8,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2013年

長野 久義(ちょうの ひさよし、1984年12月6日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

佐賀県三養基郡基山町出身。佐賀県基山町立基山小学校1年生の時に地元の少年軟式野球チーム「基山バッファローズ」に入部。6年生時に主将を務める。基山中学校時代は九州硬式少年野球協会フレッシュリーグ所属の「筑紫野ドリームズ」に在籍。筑陽学園高校へ入学し、2002年の春季九州地区高校野球大会ベスト4進出。

プロの誘いはあったが、日本大学生産工学部マネジメント工学科へ進学、硬式野球部東都大学野球連盟加盟)へ所属。2年次までは三塁手だったが、打撃力を生かすため、3年次となる2005年の東都大学野球春季1部リーグ戦から中堅手に転向。また、長野は外のスライダーを振る癖があったため、野球部の後輩にアドバイスを受けて、あえてホームベースから離れることになる。離れることにより、バットが届く球ならストライク、届かないならボールと見極めることで、弱点を克服した。

4年次となった2006年に急成長し、春季は12試合出場、打率.489(47打数23安打)、主将を務めた秋季は13試合出場、打率.404(52打数21安打)で1995年秋・1996年春の高須洋介青学大)以来となる2季連続首位打者となり、ベストナインにも満票選出された。強肩・俊足を兼ね備え、プロの注目を浴びることとなった。同年秋の日米大学野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ2006年アジア競技大会に日本代表として出場。東都大学リーグ通算87試合出場、290打数85安打、打率.293、10本塁打、40打点

同年秋のドラフト会議北海道日本ハムファイターズから4巡目指名を受けたが、読売ジャイアンツへの入団を熱望していたことから入団を拒否[1]

2007年本田技研工業へ入社。同社のノンプロチームHonda硬式野球部へ入部した。Hondaでは第62回JABA東京スポニチ大会社会人デビュー。主に3番・右翼手としてチームのベスト4入りに貢献し、同大会で新人賞。また4月の第55回JABA静岡大会では準決勝で先制本塁打を放つ活躍が認められ、大会最優秀選手に選出された。

2008年ドラフト会議で巨人以外に指名された場合はプロ入りせず会社に残留する意志を固めていた[2]が、巨人以外でも入団するとの情報を得ていた千葉ロッテマリーンズが2巡目で“強行”指名[3]。当日のボビー・バレンタインとの面会を拒否し[4][5]、11月25日の入団交渉後、12月3日に入団拒否を明らかにした。翌日にロッテ球団側に直接入団拒否を申し入れ、球団側も了承。Honda残留が決定し、2009年のドラフトで巨人の指名を待つこととなった。

2009年2月5日、巨人は長野にドラフト1位指名する方針を公表した。Hondaでは第80回都市対抗野球大会で打率.579(19打数11安打)の活躍で首位打者を獲得。チームを13年ぶりの優勝に導いた。10月29日のドラフト会議では巨人から確約通り単独1位で指名を受けた。ドラフト指名を2回拒否して3回目の指名を受けたのは、巨人の先輩に当たる岡本光(1982年に3回目の指名)以来となった。直後、原辰徳と対面し二岡智宏の移籍で空き番となっていた背番号7」のユニフォームを手渡された。11月23日、契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で契約合意[6]。同日、東京ドームで行われた「ジャイアンツファンフェスタ」で入団発表を行った。

プロ入り後[編集]

2010年
新人合同自主トレでは、柔軟性・持久力には課題を残す[7]ものの、マシン打撃で鋭い打球、外野守備練習で快足を披露し首脳陣から信頼を得る。オープン戦でも結果を残し、同期新人の土本恭平市川友也と共に開幕一軍の切符を手にした。9月17日、不振からプロ入り初の二軍降格を経験するも、シーズン終盤には坂本勇人の不振で1番での先発出場を経験するなど、4番・5番を除く全打順での先発出場を経験し、最終的に1年目にして規定打席に到達、打率.288、19本塁打をマークした。19本塁打は高橋由伸と並び、巨人の新人では3位の記録。これにより2010年の新人王を獲得。巨人からは前々年の山口鉄也、前年の松本哲也に続き、3年連続の新人王誕生となった。
2011年
4月12日のヤクルト戦(宇部市野球場)で「6番・中堅手」として自身初の開幕スタメンに名を連ね、押本健彦から3点本塁打を含む5打数3安打5打点の活躍を見せる。その後も安定した成績を残し、7月14日の阪神戦では、前日の死球の影響でスタメンを外れたラミレスに代わり、巨人の第75代4番打者として先発出場を果たす。その試合でタイムリーを打つなど4番に入ってからも好調をキープし続け、ラミレスの復帰後も4番に入る試合もあった。そして、シーズン終盤にかけては、阪神のマートンと熾烈な首位打者争いを展開。最終戦である10月22日の横浜戦では、1点ビハインドの9回裏無死満塁の場面で山口俊からプロ野球史上8人目となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録し、首位打者を決定づけた(巨人の入団2年目での首位打者獲得は、1959年長嶋茂雄以来、52年ぶり3人目)。このサヨナラホームランでサヨナラ賞を受賞、またセ・リーグ通算1000本目の満塁本塁打となった。この年は統一球導入の影響により多くの選手が打率低下に苦しんだが、打率.316、17本塁打、OPS.847と好成績を収めた。また、自身初となるベストナインゴールデングラブ賞を受賞した。
2012年
開幕戦は3番でスタートしたが、シーズン序盤に坂本と打順を交代し1番に抜擢された。春先から安定した活躍を見せ、7月にやや調子を落とすものの8月には復調し、最終的に2年連続となる打率3割を記録。また、20盗塁(リーグ2位)・出塁率.382(リーグ2位)、そして同僚の坂本勇人と並びセ・リーグ最多安打となる173安打を放ち、1番打者としての役割を存分に果たす活躍を見せた。この最多安打により、入団以来3年連続でタイトルを獲得。また、2年連続でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。ポストシーズンも絶好調で、クライマックスシリーズ初戦から、日本ハムとの日本シリーズで巨人が日本一を決めるまで全試合安打を記録。特に第2戦では初回先頭打者本塁打[8]を含む2本塁打を放つなど攻守[9]にわたって活躍し、優秀選手に選出された。
2013年
2月20日、第3回WBC日本代表に正式に選出されたことが発表された[10]。主軸として期待されたが、強化試合から不振に陥る。長野は「打てなくてピーピー言われているが、本番に入ったら任せてください」と意気込んでいたが[11]、本戦でも明らかなボール球に手を出し凡退するなど[12]不振が続き、打撃コーチの立浪和義からも「打席で迎えにいっている。練習で、しっかり修正してもらいたい。」と苦言を呈される[13]。それでも前半戦はスタメン起用はされたものの、最後の試合となった決勝ラウンドなど後半の試合ではスタメンから外れることも多く[14]、最終的に打率は.222に終わったが[15]、出塁率.364、チーム3位タイの6打点を記録した。
シーズン開幕後も不振が続き、下位打線で出場する機会も増えた。5月15日のロッテ戦では、二死満塁の場面でセス・グライシンガーの右前打を素早く処理して一塁でアウトを取り、巨人では1988年呂明賜以来となるライトゴロを記録した[16]。前半戦は打率.259と長く不振が続いたが、後半戦は打率.313と復調を見せた。8月29日の阪神タイガース戦では、松田遼馬から自身二度目のサヨナラホームランを放った。9月12日のDeNA戦ではトニ・ブランコ、10月2日のヤクルト戦では松岡健一の右前打を処理して一塁に送球してアウトを取り、シーズン3度目のライトゴロを記録した。シーズン3度のライトゴロは球団では中島治康以来70年振り[17]。前半戦の不振もあって、入団以来続いていたタイトル獲得は途切れたものの、3年連続でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。日本シリーズでは、1戦目の5回表に先制タイムリーを打ち、第4戦も3安打3打点と活躍しチームを勝利に導いた。

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

ヒットゾーンが広く、ボールゾーン打率がリーグ平均を大きく上回る[18]。打席ではホームベースから離れて構える。これは外角のスライダーの見極めに難があったためで、Honda時代にコーチの助言で離れて立つようになった[19]。内角のボールは鋭く踏み込んで左方向に、外角は右方向にさばく広角打法を持ち味とする[20]。2012年までの通算の対左打率.289に対し対右打率.305と右打者ながら右投手に強く、特別苦手とする球種もない[21]。しかし、2012年から2年連続で3桁三振を記録するなど、やや三振が多い傾向にある。

守備・走塁[編集]

走塁面では50メートル5.8秒、右打者ながら一塁到達3.97秒の俊足を誇る[22]

守備では遠投120メートルの強肩を誇り[23]右翼手中堅手で起用されている。主に右翼手として起用された2010年はリーグの外野手中最多失策を記録、UZR-4.9を喫し[24]、シーズン後に「プロに入る前は守備と走塁はできるかなと思ってたけど、ダメでした。来シーズンはがんばります」と語った[25]。翌2011年は主に中堅手として起用され、毎試合前に大西崇之外野守備コーチと捕球・送球動作について確認を行い[26]ゴールデングラブ賞を受賞。2012年は前半戦は中堅手、後半戦は右翼手としてプレー。2年連続でゴールデングラブ賞に輝いたが、中堅手でのUZR-1.3、右翼手でのUZR-6.8と、いずれも平均を下回る数値を記録し守備範囲が狭かった[27]。2013年にはシーズン3度のライトゴロを完成させた[28]

その他[編集]

動体視力が良く、ルーキー時代の身体能力測定の「深視力」測定では「一流アスリートが100人やっても1回出るか出ないか」と言われている「誤差ゼロ」を2回計測した[29]

人物[編集]

  • 潔癖症(本人は綺麗好きだと語っている)であり、遠征時にはたくさんの予備の服を持っていくことが多く、風呂のバスマットは極力踏みたくないという。
  • 小学校5年生から中学校3年生まで英会話を習っており、外国人選手とコミュニケーションをとることも多い。
  • 中ジョッキを10杯は軽く飲み干す酒豪である。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 巨人 128 459 430 66 124 24 3 19 211 52 12 4 2 0 25 4 2 72 10 .288 .330 .491 .821
2011 140 578 519 58 164 20 4 17 243 69 19 8 3 2 48 5 6 85 11 .316 .379 .468 .847
2012 144 653 574 84 173 29 2 14 248 60 20 7 2 1 75 5 1 100 5 .301 .382 .432 .815
2013 144 642 590 82 166 21 3 19 250 65 14 5 3 0 48 0 1 101 6 .281 .336 .424 .760
通算:4年 556 2332 2113 290 647 94 12 69 952 246 65 24 10 3 196 14 10 358 32 .297 .359 .451 .810
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績所属リーグ内順位[編集]

年度 年齢 所属リーグ 打率 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 出塁率 OPS
2010 26 セ・リーグ - - - - - - - - -
2011 27 1位 3位 - 5位 7位 7位 2位 2位 1位
2012 28 4位 1位 3位 - 6位 9位 3位 2位 4位
2013 29 10位 2位 - 7位 9位 9位 9位 - -
  • -は10位未満(打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)

WBCでの成績[編集]

















































O
P
S
2013 日本 7 22 18 2 4 1 0 0 5 6 1 1 0 0 4 0 0 4 0 .222 .444 .278 .641
出場:1回 7 22 18 2 4 1 0 0 5 6 1 1 0 0 4 0 0 4 0 .222 .444 .278 .641

年度別守備成績[編集]


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 121 211 3 5 0 .977
2011 139 262 6 3 1 .989
2012 143 221 9 2 2 .991
2013 142 240 8 2 0 .992
通算 545 934 26 12 3 .988
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他の記録
  • 代打逆転サヨナラ満塁本塁打:2011年10月22日、対横浜ベイスターズ最終戦(東京ドーム)、9回裏に山口俊から ※史上8人目
  • オールスターゲーム出場:3回 (2011年 - 2013年)
  • 2試合連続先頭打者ホームラン:2013年5月22日-23日 ※史上30人目

背番号[編集]

  • 7 (2010年 - )
    • 34 (2013年WBC)※正式メンバー34人

登場曲[編集]

日本代表キャリア[編集]

著書[編集]

  • 『長野久義メッセージBOOK 信じる力』(廣済堂出版:2012年5月)

脚注[編集]

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  1. ^ 野球:プロ野球「入団拒否史」のなかの長野久義 - OCNスポーツ 野球コラム
  2. ^ ““3浪”覚悟!長野 巨人以外に指名なら残留”. スポーツニッポン. (2008年9月9日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2008shakaijin/2008toshitaikou/KFullNormal20080909031.html 
  3. ^ “ロッテ2位強行指名、長野の口説きにボビー“笑算””. 夕刊フジ. (2008年10月31日). http://www.zakzak.co.jp/spo/200810/s2008103122_all.html 2011年5月13日閲覧。 
  4. ^ “G熱望長野がボビーと対面拒否”. 日刊スポーツ. (2008年10月31日). http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2008/news/p-bb-tp1-20081031-424514.html 2011年4月12日閲覧。 
  5. ^ 「巨人熱望の長野 バレンタイン対面拒否」デイリースポーツ2008年10月31日付。
  6. ^ 【巨人】長野がファンに「7」お披露目 - nikkansports.com
  7. ^ 秘密兵器で硬い長野を柔らかく!
  8. ^ この先頭打者本塁打が決勝点となった。因みに先頭打者本塁打の1点を除いて得点が入らず終了した試合は日本シリーズ史上初めてである。
  9. ^ 二戦目には小谷野栄一の安打性の当たりを稲葉篤紀を刺してセンターゴロを記録。
  10. ^ WBC日本代表 最終メンバーにG戦士7選手 読売巨人軍公式サイト
  11. ^ “【WBC】長野「本番任せろ」打撃不振!?ピーピー騒ぐな!”. スポーツ報知. http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130227-OHT1T00199.htm 2013年3月28日閲覧。 
  12. ^ “長野“こんにゃく打法”で復活だ”. http://www.daily.co.jp/baseball/wbc/2013/03/06/0005790138.shtml 2013年3月28日閲覧。 
  13. ^ 立浪C不調長野に「修正して」 日刊スポーツ 2013年3月9日
  14. ^ “最後まで不振…長野「僕の力不足」”. SANSPO.COM. (2013年3月19日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130319/gia13031905330002-n1.html 2013年3月19日閲覧。 
  15. ^ “長野、開幕OK弾!WBCの不調脱却「久しぶり」右方向へズドン”. スポーツ報知. http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130324-OHT1T00176.htm 2013年3月28日閲覧。 
  16. ^ “なぜできた?巨人25年ぶりライトゴロ 長野2週間前から「狙おう」”. Sponichi Annex. (2013年5月16日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/16/kiji/K20130516005813940.html 2013年5月16日閲覧。 
  17. ^ “巨人 長野 今季3度目のライトゴロ完成 70年ぶり珍事”. SuponichiAnnex. (2013年10月3日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/03/kiji/K20131003006735170.html 2013年11月21日閲覧。 
  18. ^ 『野球太郎 No.004 プロ野球12球団選手名鑑』 廣済堂出版、2013年、28頁。ISBN 978-4-331-80228-1
  19. ^ 長野久義は「前」に出られるのか? ~清原も陥った内角の罠~Number Web、2010年3月25日
  20. ^ 巨人・長野、中日・伊藤……、各球団の新人王候補を斬る!Number Web、2011年3月13日
  21. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、115頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  22. ^ 右打ちの革命者『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、178-181頁。
  23. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、345頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  24. ^ Baseball Lab守備評価~Right FielderSMR Baseball Lab
  25. ^ “長野「厳しい」2000万増にもしょんぼり”. DAILY SPORTS ONLINE (デイリースポーツ). (2010年12月7日). http://www.daily.co.jp/baseball/2010/12/08/0003660982.shtml 2012年11月4日閲覧。 
  26. ^ “長野守る!DH予定もGグラブに痛み飛ぶ”. nikkansports.com. (2012年11月9日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121109-1044264.html 2012年11月19日閲覧。 
  27. ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』 水曜社、2013年、31頁。ISBN 978-4-88065-319-8
  28. ^ 長野、今季3度目ライトゴロ!好捕のロペスに感謝 スポーツ報知 2013年10月3日
  29. ^ ““奇跡の目”を持つ長野をWBCへ!”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2012年10月15日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/47722/ 2012年10月26日閲覧。 

外部リンク[編集]

関連項目[編集]