川島慶三

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川島 慶三
東京ヤクルトスワローズ #00
YS-Keizo-Kawashima.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県佐世保市
生年月日 1983年10月5日(28歳)
身長
体重
172cm
70kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手外野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年4月2日
年俸 3,500万円(2010年)
経歴(括弧内は在籍年)

川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

小学校1年生の時にソフトボールを始め、佐世保市立旭中学校1年生の時に野球に転向。佐世保実業高校では甲子園出場はならなかったが、二塁手として活躍。高校3年の夏の県大会ではベスト8。

九州国際大学法学部法律学科に進学。九州六大学リーグでは、二塁手として早くから頭角を現し、3年春と3年秋に2期連続で首位打者となった。4年秋には本塁打王も獲得し、MVPに選出された。大学通算打率.408と同リーグでは圧倒的な打力を誇り、九州No.1の野手と評価されていた。

2005年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で北海道日本ハムファイターズから3巡目指名を受け入団。

[編集] 日本ハム時代

2006年は一軍キャンプでプロ生活をスタート。オープン戦初打席でサヨナラ本塁打を放つなど勝負強い打撃と堅実な守備を見せ、開幕一軍の座を掴んだが、レギュラーを掴むまでには至らなかった。一軍では24試合出場と定着しきれなかったが、プロ初安打・初盗塁・初打点を記録した。特に初安打を放った4月16日の試合には両親を招待していた。守備面では田中賢介と正二塁手の座を争っていたがこれに敗れ、シーズン中盤より外野手としての出場が増加していった。翌2007年は、本人の希望もあって外野手登録となる。

その2007年には、前年に引退した新庄剛志の後任の1人として期待をかけられたが故障で大きく出遅れ、開幕二軍スタート。6月に一軍昇格したが、工藤隆人の台頭、また再三の故障で一軍定着はならなかった。

2008年1月、藤井秀悟坂元弥太郎三木肇との交換トレード橋本義隆押本健彦と共に東京ヤクルトスワローズへ移籍。移籍により再び内野手登録に戻す。背番号は期待も込められて00

[編集] ヤクルト時代

新天地で迎えた2008年はオープン戦で12球団で2位の打率を残し、初の開幕戦先発出場(一番・三塁手)を勝ち取った。4月には4割近い打率を残した。その後、一時故障で戦列を離れるも、足を故障した宮本慎也に代わり7月19日にプロ入り以来初めて遊撃手の守備に就き、これをきっかけに正遊撃手の座を獲得した。規定打席には約30打席足りなかったものの、プロ初本塁打を記録するなど初めてシーズンを通して一軍に定着。盗塁成功率.952(企図21、成功20)は10盗塁以上の中でリーグトップ。オフのファン感謝デーでは、チームメートの岡本秀寛青木宣親とともに当時のヒット曲であった羞恥心を熱唱した。

2009年は開幕から遊撃手としてスタートし、初戦で本塁打を放つ。8月11日の横浜ベイスターズ戦で打った本塁打により、自身初の2桁本塁打を記録。また、初めて規定打席に到達した。その一方で盗塁成功率は前年と比較すると著しく低下した(.952→.533)。シーズン終盤に右ひじ靭帯を痛め、クライマックスシリーズには出場はできなかった。当初は保存療法での回復をはかったものの、年明けの2010年3月4日に手術を行う。この結果、シーズンのほぼすべてをリハビリに費やすことになり、試合出場の機会はなかった。

怪我が治った2011年は4月12日の開幕戦に「8番・遊撃」で先発出場したが、6回の打席で東野峻から右手に死球を受けて途中交代。「右手第5中手骨の骨折」と診断され[1]、4月19日に手術を受けた。7月26日に復帰し、30日には遊撃手としてスタメン出場した。しかし、8月は自身の打撃絶好調がチームの勝利に結びつかず、飛躍によりクリンナップを任される川端慎吾とのスタメン争いにおいて常に後塵を拝する格好となる。その川端が9月中盤に負った故障から精彩を欠くが、自身も10月初めに再び右ひじの痛みを訴え戦列を離れてしまい、同月20日に靱帯再建手術を受けた[2]。前回と同じく全治まで約1年の見通し。遊撃手不在の苦しいチーム事情によりルーキーの山田哲人クライマックスシリーズで大抜擢されるなど、まさにツキに見放されたとしか言えない苦難のシーズンとなってしまう。

[編集] プレースタイル・人物

身体能力が高く、全身がバネのようで小柄な体格ながら鋭いスイングにパンチ力を秘めている。早いカウントから積極的に振りにいき、得意な真ん中、内角よりの速球を引っ張り、左翼方向へ弾き返すのが持ち味。

本塁から一塁まで3.9秒台と右打者としては屈指の脚力を誇る。50m走は5秒7。[3]塁間の走塁だけでなく、投手の癖を盗むセンスにも秀でており、塁に出れば積極的に盗塁を試みる。盗塁の成功率も高いため(2009年現在で通算.794)、足を武器に出来る選手である。

柔らかいグラブ捌き、素早いクイックターン、スナップの強さ、地肩の強さ(大学時代には投手として球速141km/hを計測したことがある)を併せ持ち、内外野のどのポジションでも務める事が出来るユーティリティープレイヤーである。一軍の公式戦で一塁手捕手投手以外の全ポジションでの出場を経験している。

佐世保実業高校では共に野球部でプレーしていた兄の川島勝が、その後競輪に転向してS級プロ選手になっており、川島自身も指名されなかったら競輪選手を目指すつもりだったと入団時に語っている。

ヤクルトへ移籍する際に、2007年まで日本ハムのゼネラルマネージャー(GM)を務めていた東京ヤクルトスワローズの元監督高田繁は川島を高く評価しており「出血覚悟で藤井の名前を出したら乗ってきた」と語っていた[4]。川島自身も、入団会見において高田の胴上げ、即ちリーグ優勝に貢献することを目標として挙げていた。その高田の要望によって、川島は2008年から再び内野手登録になった。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 日本ハム 24 37 33 6 6 3 0 0 9 2 2 0 1 0 2 0 1 8 0 .182 .250 .273 .523
2007 10 21 18 2 4 1 0 0 5 0 1 0 1 0 0 0 2 3 0 .222 .300 .278 .578
2008 ヤクルト 121 417 353 52 90 16 4 4 126 35 20 1 19 4 32 1 9 60 11 .255 .329 .357 .686
2009 118 485 427 49 109 13 2 12 162 43 8 7 17 3 32 0 6 77 9 .255 .314 .379 .693
2011 40 54 46 8 12 0 0 0 12 3 3 0 1 1 4 0 2 8 0 .261 .340 .261 .600
通算:5年 313 1014 877 117 221 33 6 16 314 83 34 8 39 8 70 1 20 156 20 .252 .319 .358 .677
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績

年度 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 7 12 18 0 5 1.000 - - 6 5 0 0 0 1.000
2007 - - - 7 9 0 0 0 1.000
2008 - 42 28 74 5 4 .953 54 68 141 4 24 .981 43 26 2 1 0 .966
2009 - - 118 187 371 9 67 .984 -
2011 - - 30 18 35 0 6 1.000 -
通算 7 12 18 0 5 1.000 42 28 74 5 4 .953 202 273 547 13 97 .984 56 40 2 1 0 .977

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 39 (2006年 - 2007年)
  • 00 (2008年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

  1. ^ 川島 12日の死球で骨折…復帰初戦での悪夢
  2. ^ 川島慶が右肘手術=プロ野球・ヤクルト
  3. ^ http://www.maruu2.com/outield.htm
  4. ^ Number 701号より。
  5. ^ この試合で日本ハム投手陣(八木智哉武田久マイケル中村)は、ともにプロ野球史上初となる「延長回を含む試合で投手継投によるノーヒットノーラン」および「3投手継投によるノーヒットノーラン」を記録した。

[編集] 関連項目

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