松岡健一

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松岡 健一
東京ヤクルトスワローズ #21
YS-Kenichi-Matsuoka.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県玉名市
生年月日 1982年6月7日(32歳)
身長
体重
181 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2005年9月13日
年俸 5,500万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松岡 健一(まつおか けんいち、1982年6月7日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手投手)である。熊本県玉名市出身。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

東海大二高時代から、140km/hのストレートで注目を集める。高校卒業後は九州東海大学(現在は東海大学に統合)に進学し、大学4年生になって、自己最速の148km/hのストレートで再び注目を集めると、フォームの安定感などが買われて自由枠候補に名前があがるようになる。広島東洋カープとの争奪戦の末、東京ヤクルトスワローズが自由枠で指名し、入団が決まった。

プロ入り後[編集]

2005年

一軍キャンプスタートとなった。しかし投球練習中に古田敦也にフォークを要求されながら拒否し、「練習で投げないでいつ投げる」と一喝された。その後キャンプ中に故障したこともあって、二軍でも好成績は残せなかった。それでもシーズン終盤に一軍に昇格し、プロ初勝利を挙げている。

2006年

課題の制球が定まらず、一軍では8月に1試合の登板にとどまった。

2007年

開幕二軍スタート。5月に一軍に昇格し、先発でシーズン初勝利を挙げた。最終的に自己最多の4勝を挙げたが、安定感を欠き一軍定着には至らなかった。ケガにより帰京した丸山貴史に代わり派遣されたハワイ・ウィンターリーグでは、防御率0.00の成績を収めた。

2008年

オープン戦では先発として結果が出ず、開幕二軍スタートとなった。4月中旬に加藤幹典の不振・再調整に伴い、一軍に昇格した。当初は先発として起用予定だったが、試合日程の関係で先発投手が足りていたことから中継ぎに回り、好投を続けたことからそのままセットアッパーに定着した。回をまたぐ複数回のロングリリーフも苦にせず、磐石の中継ぎ陣の一角を担った。同じく中継ぎの押本健彦五十嵐亮太、そして抑えの林昌勇らと共に、試合終盤は松岡、押本もしくは五十嵐、林昌勇というリレーが勝利の方程式として確立された。最終的に自己最多の65試合に登板し、防御率1.39の好成績で、リーグ2位となる29ホールドを挙げている。

2009年

プロ入り後初めて開幕を一軍を迎え、前年同様セットアッパーを任される。松岡、五十嵐、林昌勇という勝利の方程式を形成し、前半戦に首位争いを繰り広げたチームの原動力ともなった。しかし、8月頃から徐々に調子を落とし、林昌勇の離脱により抑えを任された9月4日の巨人戦では、9回2死から小笠原道大東京ドームの天井にあたる不運な同点適時打を浴びている。8月27日から9月17日までに登板した6試合全てで失点し、防御率を2点上げる乱調を経験。うち4試合で敗戦投手となり、9月18日に二軍降格となった。その後、10月に再昇格し、シーズン最終戦の中日戦で2回を無失点に抑えて勝ち投手となった。最終的に6勝4敗17ホールド、防御率4.72だった。オフに右ひじの遊離軟骨を除去する手術を受けた。

2010年

1月3日、元OLと結婚。前年に続き、開幕一軍入りを果たす。増渕、松岡、林昌勇という勝利の方程式を形成し、防御率1点台前半という好成績で前半を終える。8月にチームが10連勝を記録した際は、10試合中8試合に登板しわずか1失点に抑えるなど、チームの10連勝に大きく貢献した。8月下旬からシーズン終盤にかけて調子を落とし防御率を悪化させたが、最終的にはチーム最多登板記録を更新する73試合に登板し、3勝4敗、セリーグ2位の34ホールド、防御率2.64という好成績を残し、後半戦のヤクルトの快進撃の立役者の1人となった。

2011年

この年も、セットアッパーとして中継ぎ陣を支えた。この年は、故障などで離脱者が絶えず、(松岡自身も1度離脱している)特に後半戦は更に先発陣の不調で、押本ともに5連投する場面なども見られた。最終的には63登板で、防御率2.86、23ホールドと例年通りの活躍を見せた。特にWHIPは、1を下回るなど安定感があるシーズンであった。

2012年

この年もシーズン前から中継ぎとして期待されていたが、シーズン序盤の4月13日に右足内もも痛で離脱。1軍復帰は10月1日と、シーズンを棒に振る結果となってしまった。それでも7試合に登板して失点0と、来期に復活を期待させる成績を残した。

2013年

開幕から中継ぎとして起用されるも、6試合中4試合で失点するなど不安定な投球が続いた。折りしも館山昌平の離脱などにより先発陣が手薄となったこともあって、4月29日のDeNA戦で7年振りとなる先発登板を果たし、6回1失点で勝利投手となった。その後中継ぎに戻るものの精彩を欠いたことからしばしば先発を任されるようになり、10月2日の巨人戦では自身初の完封勝利を挙げた。リリーフとしては結果を残せなかったが、先発としての可能性が見えた(7試合で3勝、防御率3.68)シーズンとなった。

プレースタイル[編集]

平均球速約142km/h[1]、最速152km/hのストレートフォークボールカーブスライダーカットボールシュートを投じる。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2005 ヤクルト 4 4 0 0 0 1 2 0 0 .333 92 23.2 22 4 3 0 0 12 1 0 10 10 3.80 1.06
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 3 1.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
2007 11 10 0 0 0 4 2 0 0 .667 219 49.0 69 8 9 1 2 35 1 0 32 31 5.69 1.59
2008 65 0 0 0 0 5 3 0 29 .625 280 71.1 51 4 17 0 3 54 2 0 12 11 1.39 0.95
2009 52 0 0 0 0 6 4 0 17 .600 243 55.1 66 5 14 1 1 53 2 0 30 29 4.72 1.45
2010 73 0 0 0 0 3 4 3 34 .429 295 71.2 64 9 11 1 3 69 4 0 29 21 2.64 1.05
2011 63 0 0 0 0 2 2 0 23 .500 252 63.0 50 5 12 0 2 43 1 0 23 20 2.86 0.98
2012 7 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 29 6.1 8 0 2 0 1 5 0 0 0 0 0.00 1.59
2013 34 7 1 1 0 3 3 0 0 .500 299 66.0 73 12 26 0 3 64 1 0 48 42 5.73 1.50
2014 39 2 0 0 0 3 3 0 6 .500 218 51.0 52 6 20 1 2 35 1 0 32 29 5.12 1.39
通算:10年 349 23 1 1 0 27 23 3 111 .540 1930 458.1 455 53 114 4 17 370 13 0 216 193 3.79 1.23
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 21 (2005年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、96頁。ISBN 978-4-905411-04-8

関連項目[編集]