橋本義隆
| 東北楽天ゴールデンイーグルス #38 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岡山県和気郡日生町(現:備前市) |
| 生年月日 | 1979年12月6日(32歳) |
| 身長 体重 |
182cm 81kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2004年 ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2005年6月9日 |
| 年俸 | 1,300万円 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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橋本 義隆(はしもと よしたか、1979年12月6日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。岡山県和気郡日生町(現:備前市)出身。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
中央大学時代は読売ジャイアンツの阿部慎之助とバッテリーを組んでいた。東都大学1部リーグ通算3勝9敗。大学卒業後は社会人野球のホンダに所属し、角度のある140km/h台中後半のストレートとスライダー、フォーク、チェンジアップなど多彩な変化球を織り交ぜた投球を武器に、2004年の第75回都市対抗野球大会での準優勝に貢献した(敢闘賞にあたる「久慈賞」を受賞)。2004年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから3巡目で指名を受け、入団。背番号は33。
[編集] 日本ハム時代
即戦力として期待の掛かった2005年は中継ぎとして20試合に登板。翌2006年には先発に転向し4勝(2敗)をマーク、8月8日のソフトバンク戦では無四球完封勝利を飾った。
2008年に藤井秀悟、坂元弥太郎、三木肇との交換トレードで、川島慶三、押本健彦と共に東京ヤクルトスワローズへ移籍。背番号は35。
[編集] ヤクルト時代
移籍1年目の2008年目はプロ入り後初めて1軍登板なしに終わり、ファームでも安定した成績を残すことができなかった。2009年は開幕を2軍で迎えたが、シーズン中盤に昇格して以降は主に敗戦処理やロングリリーフとして13試合に登板し勝ち負けなし、防御率は1.35だった。なお2009年に喫した自責点3点は全てホームランによる自責点であった。
2010年は4月3日の横浜ベイスターズ戦で4年ぶりの勝ち星を挙げたが、投球内容が悪かったため翌日登録抹消となる。結局18試合の登板に留まり、防御率5.68と結果を残すことは出来なかった。2011年も17試合の登板に留まった。
オフの12月12日に楠城祐介との交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍することが発表された。
[編集] プレースタイル・人物
140km/h台前半~中盤、最速151km/hの直球に加え、スライダー、カットボール・フォーク・シュート、チェンジアップ、パームを投げ分ける。コントロールも比較的にまとまっている。先発・中継ぎのどちらもこなせる器用さも持ち味。
自他共に認める「不思議キャラ」で、変わった性格の選手である。ホンダ時代には寮の自室に炊飯器を持ち込んで発芽玄米を愛食。プロ入り後、鎌ケ谷市内にある選手寮への入寮時には雪駄を持参していた。
2006年シーズン中に一軍昇格した時、チームに「こんにちは、不思議の国から来たハッシーです」と自己紹介し、選手や関係者の爆笑を誘った。
かつて阪神タイガースの藤川球児に対し、フォークで三振を奪われ「チ×コついとるんか!!」とストレート勝負を要求して挑発した清原和博について、「グラウンドが戦場だとしたら、鉄砲で倒そうが、手裏剣で倒そうが勝手でしょう」と独特の言い回しで論じる。実際に清原と対戦した時には、ストレート、フォーク、スライダーと橋本の自信のある三球種で3三振を奪い、発言を実証する形になった。
投球の幅を広げるため、日本ハム時代の投手コーチ・佐藤義則の決め球であったヨシボールを習得すべく練習しているとされる。
2007年シーズン中に一軍昇格した時、「結婚しました!」といきなり報告。すでに4月に球団から発表されているが、知らなかったメンバーから批判されていた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 日本ハム | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | .000 | 94 | 21.0 | 21 | 3 | 10 | 0 | 1 | 14 | 2 | 0 | 12 | 9 | 3.86 | 1.48 |
| 2006 | 17 | 12 | 1 | 1 | 1 | 4 | 2 | 0 | 1 | .667 | 315 | 73.0 | 89 | 8 | 12 | 1 | 3 | 30 | 0 | 0 | 30 | 27 | 3.33 | 1.38 | |
| 2007 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 34 | 8.0 | 7 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3.38 | 1.25 | |
| 2009 | ヤクルト | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 76 | 20.0 | 12 | 3 | 6 | 1 | 0 | 12 | 0 | 0 | 6 | 3 | 1.35 | 0.90 |
| 2010 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 92 | 19.0 | 30 | 2 | 6 | 0 | 1 | 14 | 0 | 1 | 16 | 12 | 5.68 | 1.89 | |
| 2011 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | .000 | 81 | 18.2 | 26 | 2 | 4 | 0 | 0 | 17 | 0 | 0 | 11 | 9 | 4.34 | 1.61 | |
| 通算:6年 | 90 | 12 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 0 | 4 | .500 | 692 | 159.2 | 185 | 18 | 41 | 2 | 5 | 91 | 2 | 1 | 78 | 63 | 3.55 | 1.42 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初登板:2005年6月9日、対横浜ベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、2回裏1死から2番手として救援登板、2回2/3を1失点、打者:多村仁
- 初奪三振:同上、3回裏に村田修一から
- 初ホールド:2005年6月22日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(千葉マリンスタジアム)
- 初先発・初勝利:2006年4月21日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(札幌ドーム)、7回0/3を2失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2006年8月8日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)
[編集] 背番号
- 33 (2005年 - 2007年)
- 35 (2008年 - 2011年)
- 38 (2012年 - )
[編集] 関連項目
- 岡山県出身の人物一覧
- 中央大学の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧
- 阿部慎之助(読売ジャイアンツ)-中央大学硬式野球部のチームメート
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