菊地和正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
菊地 和正
横浜DeNAベイスターズ #30
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県高崎市
生年月日 1982年6月27日(29歳)
身長
体重
181cm
74kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト6巡目
初出場 2005年9月25日
年俸 1,500万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

菊地 和正(きくち かずまさ、1982年6月27日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

群馬県高崎市出身。樹徳高校時代は県予選で敗退し、甲子園出場はならなかった。地元の上武大学に進学し、エースとして活躍。チームを関甲新学生野球連盟1部リーグ優勝に導いた。

140km台後半のストレートと切れのある変化球のコンビネーションがスカウトの目に留まり、2004年のプロ野球ドラフト会議北海道日本ハムファイターズから6巡目で指名を受け入団。上武大学出身者として初のプロ野球選手となった。

[編集] プロ入り後

2005年9月25日オリックス・バファローズ戦で初めて一軍のマウンドを経験したが、3年目の2007年シーズンまでは二軍で過ごすことが多く、一軍では登板する機会が殆ど無かった。同年1月に結婚を済ませたこともあり、2008年こそは一軍で活躍すると意欲を燃やし望んだが11試合の登板で防御率9.90に終わった。

2009年に入ると春季キャンプで注目を集め、読売ジャイアンツに移籍したマイケル中村に代わるストッパー候補として名前を挙げられるほどになり、オープン戦で防御率1.59と好投を見せて自身初の開幕一軍を掴んだ。5月まで防御率0.00を継続し、武田久につなぐセットアッパーとして勝ち試合の8回を任され、8月まで防御率2点台をキープ。初めて一年間一軍で戦ったためシーズン終盤には疲労から不調に陥り、9・10月に12試合で8失点と数字を悪くしたが、それでも防御率3.67と自己最高の成績を残した。左の宮西尚生とともにチームトップの58試合に登板しリーグ3位の26ホールドポイントをマークした。特に上位を争った2位の東北楽天ゴールデンイーグルス及び3位の福岡ソフトバンクホークスには21試合で3失点と抑え込んだ。

2010年2月8日に右手薬指末節骨先端の亀裂骨折と診断され[1]、前半は戦線離脱した。7月16日に1軍復帰し、17試合に登板し、防御率1.45の成績を残した。

2011年は1軍登板はなく、11月17日林昌範と共に戦力外通告を受け退団した[2]。12月11日に横浜DeNAベイスターズが獲得を発表した[3]

[編集] プレースタイル

投球割合の8割近くを占める最速148km/hの威力ある速球を武器とし、通算の奪三振率8.03と奪三振が多い。与四死球率は低く(2009年は1投球回当たり0.21個、通算でも0.23個)、特に2009年はチームでは武田勝に次ぐ低さを誇った。変化球は落差の大きいフォークに加え、スライダーカーブシュートを投げる。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 3 1.0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
2007 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 8 2.0 1 0 1 0 0 3 0 0 0 0 0.00 1.00
2008 11 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 49 10.0 17 1 3 1 0 4 0 0 11 11 9.90 2.00
2009 58 0 0 0 0 5 2 0 21 .714 252 61.1 59 5 11 2 2 62 2 0 25 25 3.67 1.14
2010 17 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 80 18.2 18 0 6 2 0 13 0 0 4 3 1.45 1.29
通算:5年 88 0 0 0 0 6 3 0 22 .667 392 93.0 95 6 21 5 2 83 2 0 40 39 3.77 1.25
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 47 (2005年 - 2011年)
  • 30 (2012年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス