マイケル中村
| 埼玉西武ライオンズ #23 | |
|---|---|
巨人時代、ブルペンのMICHEAL(2009年)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | (二重国籍) |
| 出身地 | 奈良県 |
| 生年月日 | 1976年9月6日(35歳) |
| 身長 体重 |
178cm 82kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | MLB / 1997年 ドラフト外 NPB / 2004年 ドラフト4巡目 |
| 初出場 | MLB / 2003年6月7日 NPB / 2005年3月29日 |
| 最終出場 | MLB / 2004年7月31日 |
| 年俸 | 4,000万円(2012年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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マイケル 中村(マイケル なかむら、Micheal Nakamura、1976年9月6日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。登録名はMICHEAL。ただし2009年のみM.中村。
本名はマイケル・ヨシヒデ・ナカムラ(Micheal Yoshihide Nakamura)[2]。漢字名は「中村吉秀」。日本人の父とヨーロッパ系オーストラリア人の母をもつ。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前・メジャーリーグ時代
3歳の時にオーストラリアに渡り、その後メジャーリーグを目指し渡米した。メジャーリーグでは、来日後にチームメイトとなる新庄剛志との対戦を経験している。また、ニューヨーク・ヤンキース1年目の松井秀喜にオープン戦初安打を許した。
2004年に北海道日本ハムファイターズと千葉ロッテマリーンズの入団テストを受け、日本ハムがドラフト会議で4巡目に指名した[3]。入団後、登録名をMICHEALとした[4]。
[編集] 日本ハム時代
2005年3月29日の対西武ライオンズ戦で初登板。5月後半から22イニング連続無失点の好投を続け、抑えの横山道哉につなぐセットアッパーとして1年目から活躍した。しかし腰痛のため離脱し、後半はほとんど登板できずに終わった。
2006年には守護神に抜擢され、開幕2連戦でともにセーブを記録し、日本ハムを12年振りの開幕2連勝に導いた。9月8日の対オリックス・バファローズ戦で江夏豊に並ぶ日本ハム球団タイ記録の34セーブ、9月27日の対福岡ソフトバンクホークス戦では豊田清が記録したパシフィック・リーグ記録を更新する39セーブをマーク。日本シリーズでも3セーブを挙げた。2007年、2008年にもクローザーを任され、2008年9月13日の対オリックス・バファローズ戦でプロ野球史上20人目となる通算100セーブを挙げた。通算194試合目での達成は日本人選手では当時の最速記録。
2009年も引き続き守護神として活躍するかと思われたが、11月6日に右の強打者と左の中継ぎを求めていた日本ハムのチーム事情[5]により、二岡智宏・林昌範との交換トレードで工藤隆人とともに読売ジャイアンツへ移籍した。巨人では登録名をマイケル中村としたが、表記は「M.中村」という外国人表記風のものとなった[6][7]。
[編集] 巨人時代
2009年4月4日の対広島東洋カープ戦で、1点リードの展開で三番手として移籍後初登板を果たすが、走者2人を出した後に栗原健太、スコット・シーボルに二者連続本塁打を浴び4失点。後続の打者にも四球を許し降板した。その後も調子は上がらないまま6月15日に降格。7月5日に再昇格したものの8月14日に再降格。10月21日のクライマックスシリーズ第2ステージ第1戦(対中日ドラゴンズ戦)でトニ・ブランコの頭部に危険球を投げてしまい、同シリーズ史上初(セ・パ両リーグを通じて)の危険球退場処分を受けた選手となった。結局シーズン通して不調で、29試合登板・防御率6.18に終わった。
2010年、登録名を日本ハム時代と同じ「MICHEAL」に戻すことが認められた。序盤は全く出番が無かったものの、6月27日の対横浜ベイスターズ戦でシーズン初登板を果たし、以降は主にビハインドでの出番が多かったものの、37試合登板で1勝0敗・防御率1.93と、復調した。
2011年は大半を2軍で過ごし、11月15日に戦力外通告を受けた。12月23日、埼玉西武ライオンズが獲得を発表した[8]。
[編集] プレースタイル・人物
変則サイドスローで、最速150km/hの速球、スラーブ、スライダー。
自身の変則的な投球フォームについては「1997年の肘の手術がきっかけでフォーム改造を迫られた結果行き着いたフォームであり、野球をやっている子供たちには絶対に参考にしてほしくない」と語っている[9]。
日本ハム時代は、主に中嶋聡とバッテリーを組んだ。当時の日本ハムは、高橋信二と鶴岡慎也が先発捕手として起用されていたが、中嶋以外とバッテリーを組んだ試合では極端に制球に苦しむなど相性が悪かったため、リリーフ登板する際はバッテリーごと交代していた(この為、中嶋は一時期リリーフ捕手と呼ばれていた)。また、試合状況で中嶋とバッテリーを組めない場合は、高橋、鶴岡に中嶋がベンチからサインを送り、マイケルをリードしたこともあった。[10]。
外国生活が長く日本語は苦手で、普段は英語と片言の日本語で喋るため通訳を用いている[11]。だが選手やコーチとの会話は普通にできる。また、日本プロ野球選手会には入会していない。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | MIN | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | ---- | 62 | 12.2 | 20 | 4 | 2 | 0 | 1 | 14 | 0 | 0 | 11 | 11 | 7.82 | 1.75 |
| 2004 | TOR | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | .000 | 114 | 25.2 | 27 | 7 | 7 | 0 | 2 | 24 | 3 | 0 | 23 | 21 | 7.36 | 1.32 |
| 2005 | 日本ハム | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 9 | 1.000 | 175 | 46.2 | 32 | 2 | 8 | 1 | 2 | 47 | 1 | 0 | 12 | 12 | 2.31 | 0.86 |
| 2006 | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 39 | 4 | .833 | 270 | 65.2 | 55 | 5 | 20 | 2 | 4 | 67 | 2 | 0 | 16 | 16 | 2.19 | 1.14 | |
| 2007 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 34 | 2 | .500 | 235 | 58.1 | 42 | 4 | 14 | 2 | 4 | 49 | 2 | 0 | 15 | 14 | 2.16 | 0.96 | |
| 2008 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 28 | 2 | .500 | 186 | 46.1 | 32 | 2 | 12 | 0 | 6 | 47 | 0 | 0 | 11 | 11 | 2.14 | 0.95 | |
| 2009 | 巨人 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5 | .333 | 126 | 27.2 | 34 | 5 | 9 | 0 | 3 | 28 | 0 | 0 | 19 | 19 | 6.18 | 1.55 |
| 2010 | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 5 | 1.000 | 168 | 42.0 | 35 | 4 | 9 | 0 | 1 | 33 | 0 | 0 | 12 | 9 | 1.93 | 1.05 | |
| 2011 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 35 | 8.1 | 9 | 0 | 1 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.32 | 1.20 | |
| MLB:2年 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 3 | .000 | 176 | 38.1 | 47 | 11 | 9 | 0 | 3 | 38 | 3 | 0 | 34 | 32 | 7.51 | 1.46 | |
| NPB:7年 | 271 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 6 | 103 | 27 | .700 | 1195 | 295.0 | 239 | 22 | 73 | 5 | 22 | 274 | 5 | 0 | 89 | 85 | 2.59 | 1.06 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
[編集] 記録
- 初記録
- 初登板:2005年3月29日、対西武ライオンズ2回戦(札幌ドーム)、7回表2死に2番手として救援登板、2/3回3失点
- 初奪三振:2005年4月13日、対西武ライオンズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、9回裏2死に小関竜也から
- 初セーブ:2005年5月3日、対西武ライオンズ7回戦(インボイスSEIBUドーム)
- 初勝利:2005年5月7日、対阪神タイガース2回戦(札幌ドーム)、12回表に6番手として救援登板・完了、1回無失点
- 初ホールド:2005年5月25日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)
- 節目の記録
- 通算100セーブ:2008年9月13日、対オリックス・バファローズ20回戦(札幌ドーム) ※史上20人目
- 北海道日本ハムファイターズ球団史上初、日本人最速となる194試合目での100セーブ達成
- その他記録
- 3年連続20セーブ以上(2006年 - 2008年)
- 12回延長継投ノーヒットノーラン:2006年4月15日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)
- 3投手の継投によるノーヒットノーラン:同上 ※史上初
- 延長戦の継投によるノーヒットノーラン:同上 ※史上初
[編集] 背番号
- 36 (2005年 - 2011年)
- 23 (2012年 - )
[編集] 登録名
- MICHEAL(マイケル)(2005年 - 2008年、2010年 - )
- M.中村(2009年)
[編集] 登場曲
- Tobymac 『Burn For You』(2006 - 2008年途中、2010 - 2011年)
- Big Daddy Weave 『Fields Of Grace』(2008年途中)
- Third Day 『I Can Feel It』(2008年途中 - シーズン終了まで)
- Third Day 『This Is Who I Am』(2009年)
[編集] 脚注
- ^ “マイケル中村を獲得=プロ野球・西武”. 時事通信 (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
- ^ 「MICHAEL」ではなく、「MICHEAL」である。インタビュー等で本人は「父親が間違えたんじゃないですかね」と答えているが、父親によると「ローマ字読みでも読みやすいように付けた」。
- ^ 日本国籍を持ち、かつ日本のプロ野球でプレーした経験がなかったため、獲得するためにはドラフト会議で指名する必要がある。
- ^ アルファベット7文字の登録名は、字数制限などで正しく表記されないことがある。実際に、2007年まで6文字までしか表示できなかった西武ドームの電光掲示板では「MICHEL」と表記されていたことが確認されている。
- ^ 一説では、高年俸がネックになったとされている。
- ^ 巨人では同姓の選手が存在する場合を除き、ファーストネームやニックネームでの選手登録を原則として認めていなかったため。ただし日本テレビの野球中継では「マイケル」と表記されたことがある。
- ^ 例えばアレックス・ラミレスは「A.ラミレス」と表記されている。
- ^ “選手獲得について”. 埼玉西武ライオンズ (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
- ^ 『FIGHTERS magazine』2008年10月号より
- ^ 一例として、2007年9月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)の4-4で迎えた9回表二死、一打負け越しのピンチの場面で日本ハムはマイケルを起用した。しかし9回裏には打力のある捕手・高橋信二に打順が回るため、高橋はそのままにして中嶋が一球毎にベンチから高橋にサインを送った。結果はマイケルが打者1人を討ち取ってこのピンチを凌ぎ、予定通り高橋は次打席終了をもって中嶋と交代した。
- ^ 「パ・リーグ最多セーブ王」 マイケル中村 | Cheers インタビュー 2010年8月10日閲覧
[編集] 関連項目
- 奈良県出身の人物一覧
- 日本人メジャーリーグ選手一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- 中嶋聡 - 日本ハム所属時代、抑え捕手としてバッテリーを組んでいた捕手。
[編集] 外部リンク
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