成本年秀

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成本 年秀
千葉ロッテマリーンズ コーチ #81
Narimoto toshihide.jpg
2011年8月6日、QVCマリンフィールドで。
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県西宮市
生年月日 1968年9月11日(43歳)
身長
体重
180cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト2位
初出場 NPB / 1993年4月14日
CPBL / 2005年3月18日
最終出場 NPB / 2004年5月26日
CPBL / 2005年4月20日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴

成本 年秀(なりもと としひで、1968年9月11日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手投手)。

2012年現在、千葉ロッテマリーンズの二軍投手コーチを務めている。

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

1968年西宮市で衣料品店を経営する両親のもとに生まれる[1]。小学校の頃は「阪神タイガース子供の会」に入り、自転車でわずか20分の距離だった甲子園球場で年10回以上は観戦していた[1]掛布雅之に憧れ、中学校では4番・三塁手を務めた。進学した地元の西宮東高では部員がわずか12名だった事もあって投手に転向[1]。全体練習後に1時間以上かけて投球フォームを固め、さらに武庫川沿いを走ってトレーニングしていた。3年夏の県大会はベスト16で敗れたが、最速138km/hの速球がスカウトに注目されるようになっていた[1]

高校卒業後はセレクションを受けて京都産業大学に進学。3年秋のリーグ戦では龍谷大との優勝決定戦で胴上げ投手となっている[2]。ケガを克服して4年次の春季リーグ戦では6勝を挙げて最優秀投手に選ばれた。リーグ戦で通算10勝3敗の成績を残した[2]が秋に再び故障してプロから声はかからず、社会人野球大阪ガスに進んだ。社会人1年目の1991年西岡洋がエースとして活躍し、チームは日本選手権で準優勝している。このため成本に大きな負担はかからず、西正文から野球に対する厳しい姿勢を学びながら故障を乗り越えた[1]。西岡がプロ入りした翌1992年はエースとしてチームを支え、都市対抗では予選3試合で完投し、本大会でもNTT信越を5安打に抑えて完投勝利を上げている[2]同年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズから指名されて入団した。なお、契約金と年俸はそれぞれ7,500万円、800万円だった[3]

[編集] ロッテ時代

入団当初は同期入団かつ同年齢の武藤潤一郎にライバル意識を持ち[4]、1年目の1993年は開幕時を二軍で迎えて武藤に差を付けられたものの、間もなく一軍に昇格。3試合に先発したが主に中継ぎとして計37試合に登板し、オフの更改では年俸1,350万円(推定)となり、武藤の金額を抜いた[5]。翌1994年河本育之の不調もあり、安定感を評価されて抑えを任され19セーブを挙げている。同年オフには大学時代から交際していた京産大のゼミの同級生と結婚。1995年からは復調した河本とともにダブルストッパーとして活躍し、オールスターゲームにも初出場している。翌1996年は2年連続でオールスター出場を果たし、30セーブポイント最優秀救援投手のタイトルを獲得した。同年オフには年俸も1億円の大台に乗っている。

しかし1997年2月のアリゾナでのキャンプ中、紅白戦で登板した後に右ヒジに違和感を覚える[6]。ペースを落として調整を続けたが小指薬指の感覚がなくなり[7]、開幕直後に一軍登録を抹消。7月に一軍に復帰してだましだまし投げていたが結果が伴わず[7]近藤昭仁監督の勧めで来日中のフランク・ジョーブ博士に診察を受けた。さらにアメリカで精密検査を受け、右ヒジのが伸びて関節が緩くなっていることがわかった[7]。そのままでは70%の力しか出せず、時間が経てばさらに衰えると診断され、9月19日に左手首の2本の腱を右ヒジに移植する手術を受けた[7]桑田真澄村田兆治も同じ手術を受けていたため、大きな不安はなかったという[8]

手術後10日ほどはギプスで固定された右腕が全く動かせず、その後は腕が1.5倍に腫れ上がって常に曲がった状態だった[9]リハビリは右腕の屈伸から始まり、続いて1kgぐらいの物を持ったりジョギングするようになり、翌1998年2月にはロッテがキャンプを行なうアリゾナ州ピオリアに移って検査を受けてキャンプに参加し、下から投げるところからスローイングなども始めた[9]。チームの帰国後はアリゾナに残ってサンディエゴ・パドレスのキャンプに参加し、3月末に帰国してからもリハビリを続けている。7月に再渡米して検査したところ炎症が見つかって投球禁止となり、同年はイースタン・リーグでの登板すらなかった[9]。10月に入ってから黒潮リーグで2試合に先発している。

1999年はキャンプからスタミナ養成を重視し[10]、イースタン・リーグで16試合に登板して腕の振りがスムーズになってきたところで一軍に昇格。8月22日の対近鉄戦が復帰戦となり、ルーキー以来の先発で2年ぶりの勝利を挙げた[11]。この試合は千葉マリンスタジアムでの開催で、前日に予告先発で名前が告げられると大きな歓声が上がり、当日のヒーローインタビュー後はロッカールームで同僚が拍手で成本を出迎えたという[11]。さらに高いレベルの内容の投球を目指した2000年は夏場まで調子が上がらず、シーズン終盤は再びリリーフに回って球速も戻ってきたものの、球団の期待より回復のペースは遅かった[7]。コンディショニングコーチの立花龍司らは復活の可能性を感じていたが[7]、一軍では小林雅英がリリーフエースに成長し、立花も同年限りでの退団が決まり、イースタン・リーグ終了翌日の10月5日に戦力外通告を受けた。

[編集] 阪神時代以降

ロッテからはフロント入りを勧められたが、もう一度納得の行く投球をしたいとの思いから現役続行を希望して自由契約となる[7]。選手再生に実績がある野村克也が監督、自身の全盛時にロッテ監督だった八木沢荘六が投手コーチを務める阪神タイガースに対象を絞って入団を目指した[12]。大阪ガスのグラウンドで練習をして10月24日から阪神鳴尾浜球場での入団テストに臨み、制球力などを評価されて合格が決まった[13]

2001年のオープン戦は7試合に登板して防御率1.29、4セーブの好成績を残し、開幕直前にクローザーを任される。開幕第2戦の3月31日の対巨人戦で3点リードの9回一死から初登板すると、ホームランを打たれた上に走者をためながらも後続を断ってチームは勝利[13]。続く4月3日の対広島戦で初セーブを記録すると安定し始め、5月4日の対中日戦では3イニングを投げて勝利投手となるなど、肩の不安も解消した[13]。同年は5年振りにオールスターゲームにも出場し、最終的に20セーブを記録してカムバック賞を受賞した。同年オフには3倍増となる年俸4,500万円で契約を更改している[14]

しかし2002年はクローザー候補のマーク・バルデスの加入もあって開幕は二軍スタートとなる[15]星野仙一監督がチームの若返りを目指す中、吉野誠金澤健人の成長もあって一軍登板の機会なくシーズンを終えた[16]。戦力外通告を受けて2003年ヤクルトスワローズに移籍し、同年は32試合に登板。翌2004年限りで自由契約となり、オフの11月24日には雁の巣球場12球団合同トライアウトを受けている。2005年中華職業統一に入団し、同年で現役を引退。

[編集] 現役引退後

2006年にヤクルトの投手コーチに就任。翌2007年は21年ぶりの最下位とチームが低迷した為、シーズン終了後に責任を取る形でヤクルトを退団。2008年から古巣ロッテのブルペン担当コーチとなり、2010年は2軍投手コーチ、2011年からは1軍投手コーチを務めたがチーム防御率がリーグ最下位と投手陣が低迷しチームも13年ぶりの最下位に低迷した。2012年からは再び2軍投手コーチを務める。

[編集] プレースタイル・人物

速球球速は140km/h程度で、クローザーとしては必ずしも速くなかった[5]。しかし投球フォームや配球のバランスが良く[17]、見た目より球の出が遅く、かつ腕の振りが見えないフォームを持っていた[5]。高校時代はストレートとカーブだけだった球種も大学時代にスライダー、社会人でフォークボールを習得し[12]、更にプロでストレートとフォークに磨きをかけた[5]。こうしてスライダーとフォークをウイニングショットとし、三振も取れて大崩れしにくい投手となった[17]

メンタル面にも強い関心を持ち、現役時代は多くの書籍を読んで研究している[17]。抑え時代は5回にブルペンに入って7回から肩を作り、マウンドに向かう段階で投球する姿をイメージして一気に集中を高めたという[12]。この際に最悪の事態を想定して自らに緊張を与え、緊迫した場面での動揺を防ぐとともに、最後は打ち取る良いイメージでまとめていた[12]。また食事など健康管理にも気を配り、試合前日は炭水化物、登板後は疲労回復のために肉を取り[5]、それ以外は魚や火を通した野菜を中心としたメニューとしていた。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1993 ロッテ 37 3 0 0 0 1 4 0 -- .200 316 75.1 62 7 32 1 2 52 2 0 29 27 3.23 1.25
1994 47 0 0 0 0 3 6 19 -- .333 359 85.2 76 5 29 1 2 98 3 0 27 26 2.73 1.23
1995 44 0 0 0 0 9 3 21 -- .750 248 63.0 43 5 20 4 1 61 4 0 14 14 2.00 1.00
1996 45 0 0 0 0 7 6 23 -- .538 259 62.1 56 8 15 5 1 64 2 0 26 23 3.32 1.14
1997 11 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 57 10.1 15 2 10 0 1 7 1 0 14 12 10.45 2.42
1999 2 2 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 32 7.2 7 1 4 0 0 5 1 2 4 4 4.70 1.43
2000 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.0 2 0 2 0 0 0 0 0 3 3 27.00 4.00
2001 阪神 45 0 0 0 0 3 1 20 -- .750 217 50.0 51 2 19 5 3 34 2 0 13 13 2.34 1.40
2003 ヤクルト 32 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 166 39.2 43 11 5 1 5 35 2 1 23 23 5.22 1.21
2004 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 36 7.1 13 1 0 0 1 3 0 0 6 4 4.91 1.77
2005 統一 6 0 0 0 0 2 2 0 -- .500 122 27.2 26 2 13 0 2 19 1 0 13 12 3.90 1.41
NPB:10年 271 5 0 0 0 26 20 83 -- .565 1696 402.1 368 42 136 17 16 359 17 3 159 149 3.33 1.25
CPBL:1年 6 0 0 0 0 2 2 0 -- .500 122 27.2 26 2 13 0 2 19 1 0 13 12 3.90 1.41
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

  • オールスターゲーム出場:3回 (1995年、1996年、2001年)
  • 初登板:1993年4月14日、対近鉄バファローズ戦(千葉マリンスタジアム)、7回表から2回2/3を投げ被安打1、自責点0、奪三振3
  • 初先発:1993年4月14日、対ダイエーホークス戦平和台野球場)、4回1/3を投げ被安打7、自責点2、奪三振3(勝敗つかず)
  • 初勝利:1993年9月18日、対ダイエーホークス戦(千葉マリンスタジアム)、5回表2死から2回2/3を投げ被安打1、自責点0、奪三振2
  • 初セーブ:1994年4月17日、対ダイエーホークス戦(千葉マリンスタジアム)、6回表から4回を投げ被安打1、自責点0、奪三振2

[編集] 背番号

  • 19 (1993年 - 2000年)
  • 48 (2001年 - 2002年)
  • 12 (2003年 - 2004年)
  • 21 (2005年)
  • 79 (2006年 - 2007年)
  • 81 (2008年 - 2010年、2012年 - )
  • 71 (2011年)


[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e 週刊ベースボール、2001年10月1日号、P.43
  2. ^ a b c 毎日新聞、1992年8月31日付朝刊、P.18
  3. ^ 読売新聞、1992年12月11日付朝刊、P.21
  4. ^ 週刊ベースボール、1996年10月14日号、P.118
  5. ^ a b c d e 週刊ベースボール、1996年10月14日号、P.120
  6. ^ 週刊ベースボール、1999年3月15日号、P.113
  7. ^ a b c d e f g 週刊ベースボール、2001年10月1日号、P.42
  8. ^ 週刊ベースボール、1999年3月15日号、P.114
  9. ^ a b c 週刊ベースボール、1999年9月27日号、P.17
  10. ^ 毎日新聞、1999年3月5日付朝刊、P.22
  11. ^ a b 週刊ベースボール、1999年9月27日号、P.16
  12. ^ a b c d 週刊ベースボール、2001年10月1日号、P.44
  13. ^ a b c 週刊ベースボール、2001年10月1日号、P.45
  14. ^ 朝日新聞、2001年12月13日付朝刊、P.21
  15. ^ 朝日新聞、2002年3月25日付朝刊、P.17
  16. ^ 朝日新聞、2002年9月27日付朝刊、P.27
  17. ^ a b c 週刊ベースボール、1996年9月2日号、グラビア

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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