工藤隆人
| 千葉ロッテマリーンズ #25 | |
|---|---|
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 青森県黒石市 |
| 生年月日 | 1981年3月30日(30歳) |
| 身長 体重 |
171cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 左翼手、中堅手 |
| プロ入り | 2004年 ドラフト9巡目 |
| 初出場 | 2005年9月22日 |
| 年俸 | 2,000万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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工藤 隆人(くどう たかひと、1981年3月30日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
弘前実業高校時代は1年の夏に外野手のレギュラーを獲得し、夏の甲子園に出場。2年の秋からはエースとしても活躍した。
青森大学では細川亨の1学年下で、4年生次には竹原直隆(城西大学)や鞘師智也(東海大学)らとともに外野手として2002年の第1回世界大学野球選手権日本代表に選ばれている。
JR東日本では都市対抗などに出場した。50メートル5.8秒の俊足などを評価され、2004年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに9巡目で指名され入団。
[編集] 日本ハム時代
2005年、1年目から二軍で83試合と積極的に起用され、打率.255、6本塁打、8盗塁(チームトップ)の数字を残した。初の一軍出場も記録したが、13打数6三振0安打に終わった。
2006年、二軍で83試合出場、打率.282、9盗塁(チームトップ)を記録した。日本シリーズでは40人枠に入ったが、ベンチ入りはかなわなかった。
2007年、二軍で打率.379、15盗塁(チームトップ)の活躍が認められ、6月19日の対広島戦でプロ初安打となる三塁打を放ち、ここから4打数連続安打、スタメン3試合で7安打とアピール。これをきっかけに一軍に定着し、シーズン中盤以降左翼手のレギュラーとして活躍した。打率.288、9盗塁を記録してチームの優勝に貢献した。チームの優勝決定後、消化試合となった9月30日と最終戦の10月3日には、主力を外した若手主体のオーダーながら自身初となる4番打者として先発出場し、1番と9番以外の全打順でスタメン出場した。このシーズンの公式戦で工藤が打点を上げた11試合は全てチームが勝利するなど、飛躍のシーズンとなった。ポストシーズンのクライマックスシリーズ第3戦・第5戦でも打点を挙げてチームの勝利を導いたが、日本シリーズ第2戦で打点を挙げながら敗れ、「不敗神話」は13でストップした。
2008年、開幕から一軍に定着し、前年の72試合を大きく超える104試合に出場。しかし、左翼手に新外国人選手のターメル・スレッジが加入したことに加え、自身の打撃の調子も今ひとつ上がらず、起用法は代走・守備固めが中心になった。シーズンオフの11月14日、二岡智宏・林昌範との交換トレードにより、マイケル中村とともに読売ジャイアンツに移籍。背番号は35。
[編集] 巨人時代
2009年、巨人には少ない俊足好守の実績がある外野手として活躍が期待されたが、松本哲也、亀井義行といった工藤とタイプが重なる若手外野手の台頭により、完全に競争からはじき出される形になってしまった。交流戦ではパ・リーグでの経験を買われて先発出場の機会を得たものの、出場試合数は49試合の出場にとどまった。オフに同年に現役引退した木村拓也が付けていた0を継承。
2010年もルーキーの長野久義の台頭もあり競争からはじき出され、結局前年よりも少ない40試合出場に留まった。
2011年は開幕を二軍で迎えた。
[編集] 千葉ロッテ時代
一軍出場のないまま6月29日、サブロー[1]と工藤+金銭の交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍[2]。およそ3年ぶりにパ・リーグに戻ることとなった。背番号はサブローが着けていた3に決定した。
シーズン終了後、トレード相手の大村三郎(サブロー)が2012年シーズンより千葉ロッテに復帰することとなったため、それに伴い背番号が25に変更される[3]。
[編集] 人物
日本ハム時代は自身の背番号53にかけて、5月3日を「工藤の日」と称していた。2008年の5月3日には、4打数4安打3打点の大活躍で、ヒーローインタビューを受けている。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 日本ハム | 5 | 13 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2007 | 72 | 231 | 215 | 23 | 62 | 6 | 4 | 0 | 76 | 17 | 9 | 1 | 3 | 0 | 12 | 4 | 1 | 44 | 0 | .288 | .329 | .353 | .682 | |
| 2008 | 104 | 233 | 199 | 20 | 51 | 11 | 1 | 0 | 64 | 12 | 8 | 3 | 18 | 1 | 9 | 0 | 6 | 42 | 0 | .256 | .307 | .322 | .630 | |
| 2009 | 巨人 | 49 | 56 | 51 | 12 | 13 | 2 | 1 | 0 | 17 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 18 | 0 | .255 | .296 | .333 | .629 |
| 2010 | 40 | 30 | 26 | 3 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 11 | 0 | .231 | .333 | .231 | .564 | |
| 2011 | ロッテ | 53 | 112 | 100 | 7 | 20 | 3 | 1 | 0 | 25 | 5 | 3 | 1 | 5 | 0 | 4 | 0 | 3 | 21 | 0 | .200 | .252 | .250 | .502 |
| 通算:6年 | 323 | 675 | 604 | 65 | 152 | 22 | 7 | 0 | 188 | 37 | 21 | 5 | 28 | 1 | 27 | 4 | 15 | 142 | 0 | .252 | .300 | .311 | .611 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2005年9月22日、対オリックス・バファローズ17回戦(スカイマークスタジアム)、6回表1死に森本稀哲の代打として出場、投手:JP
- 初先発出場:2005年9月23日、対オリックス・バファローズ18回戦(スカイマークスタジアム)、1番・左翼手として先発出場
- 初安打:2007年6月19日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、8回表に宮崎充登から右中間へ三塁打
- 初打点:2007年7月7日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(札幌ドーム)、8回裏に小林宏之から一塁適時内野安打
- 初盗塁:2007年7月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス13回戦(フルキャストスタジアム宮城)、4回表に二盗(投手:アダム・バス、捕手:嶋基宏)
[編集] 背番号
- 53 (2005年 - 2008年)
- 35 (2009年)
- 0 (2010年 - 2011年途中)
- 3 (2011年途中 - 同年終了)
- 25 (2012年 - )
[編集] 登場曲
- PiNK『So What』(2009年 - 2010年)
- B'z『ZERO』(2010年 - )
- FUNKY MONKEY BABYS『ヒーロー』(2011年 - 千葉ロッテマリーンズ)
[編集] 脚注
- ^ 巨人移籍後の登録名は大村三郎
- ^ “サブロー選手と読売ジャイアンツ・工藤隆人選手+金銭でのトレードについて”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年6月29日). 2011年6月29日閲覧。
- ^ “工藤選手背番号変更のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
[編集] 関連項目
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