工藤隆人

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工藤 隆人
中日ドラゴンズ #62
2011marines kudou.jpg
ロッテ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県黒石市
生年月日 1981年3月30日(33歳)
身長
体重
171 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2004年 ドラフト9巡目
初出場 2005年9月22日
年俸 1,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

工藤 隆人(くどう たかひと、1981年3月30日 - )は、青森県黒石市出身の中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

弘前実業高校時代は1年の夏に外野手のレギュラーを獲得し[1]夏の甲子園に出場。2年の秋からはエースとしても活躍した[1]

青森大学では細川亨の1学年下で、4年生次には竹原直隆城西大学)や鞘師智也東海大学)らとともに外野手として2002年第1回世界大学野球選手権日本代表に選ばれている。JR東日本JR東日本硬式野球部)では同い年で同期入社の小山良男と共に都市対抗などに出場した。

2004年のドラフト会議北海道日本ハムファイターズに9巡目で指名され入団。背番号は53に決まった。

日本ハム時代[編集]

2005年
1年目から二軍で83試合と積極的に起用され、打率.255、6本塁打、8盗塁(チームトップ)の数字を残した。この成績をうけてシーズン終盤に一軍登録され、9月22日の対オリックス・バファローズ戦にて森本稀哲の代打としてプロ入り初の一軍出場を果たした。この年は一軍で5試合に出場したが、13打数6三振0安打に終わり、安打を放つことはできなかった。
2006年
この年も二軍で83試合に出場し、打率.282、1本塁打、9盗塁(チームトップ)を記録したが、一軍での出場はなかった。日本シリーズでは40人枠に入ったが、ベンチ入りはかなわなかった。
2007年
二軍で打率.379、1本塁打、15盗塁(チームトップ)の活躍が認められ、6月19日の対広島戦でプロ初安打となる三塁打を放ち、ここから4打数連続安打、スタメン3試合で7安打とアピール。これをきっかけに一軍に定着し、シーズン中盤以降左翼手のレギュラーとして活躍した。打率.288、9盗塁を記録してチームの優勝に貢献した。チームの優勝決定後、消化試合となった9月30日と最終戦の10月3日には、主力を外した若手主体のオーダーながら自身初となる4番打者として先発出場し、1番と9番以外の全打順でスタメン出場した。このシーズンの公式戦で工藤が打点を上げた11試合は全てチームが勝利するなど、飛躍のシーズンとなった。ポストシーズンのクライマックスシリーズ第3戦・第5戦でも打点を挙げてチームの勝利を導いたが、日本シリーズ第2戦で打点を挙げながら敗れ、「不敗神話」は13でストップした[2]
2008年
5月3日に、4打数4安打3打点の大活躍で、ヒーローインタビューを受けた。また、前年の5月3日にも大活躍しており、この出来事がきっかけで工藤の背番号も5月3日にかけた53だったことから5月3日は「工藤の日」と称された。前年の72試合を大きく超える104試合に出場したが、左翼手に新外国人選手のターメル・スレッジが加入したことに加え、自身の打撃の調子も今ひとつ上がらず、代走や守備固めでの起用が中心になった。
シーズン終了後の11月14日二岡智宏林昌範との交換トレードにより、マイケル中村とともに読売ジャイアンツに移籍。背番号は35に決まった。

巨人時代[編集]

2009年
巨人には少ない俊足好守の実績がある外野手として期待されたが、松本哲也亀井義行といった工藤とタイプが重なる若手外野手の台頭により、完全に競争からはじき出される形になってしまった。交流戦ではパ・リーグでの経験を買われて先発出場の機会を得たものの、49試合の出場に留まった。オフに同年に現役引退した木村拓也が付けていた0を継承。
2010年
ルーキーの長野久義の加入により外野手争いがより激しくなり、中々出場機会を得られず前年よりも少ない40試合の出場に終わった。
2011年
開幕を二軍で迎えた。一軍出場のないまま6月29日サブロー[3]と工藤+金銭の交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍[4]。およそ3年ぶりにパ・リーグに戻ることとなった。背番号はサブローが付けていた3に決まった。

ロッテ時代[編集]

移籍後は大松尚逸の不振もあって、レフトでスタメン出場の機会を得、夏場には伊志嶺翔大岡田幸文と鉄壁の外野陣を形成した。一方打撃では打率.200と低調で、清田育宏の復帰や角中勝也の台頭で9月以降はスタメンの座を奪われた。しかし、シーズン途中の加入ながら53試合に出場し、巨人時代よりも出場機会を増やした。シーズン終了後、トレード相手の大村三郎(サブロー)がFAでロッテに復帰することとなったため、それに伴い背番号が25に変更された[5]
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
2012年
開幕一軍入りしたものの、角中勝也の台頭や、6月に荻野貴司が復帰するのと入れ替わりで二軍落ちとなった。そのまま再登録されることなくシーズンを終え、前年の出場試合数の半分にも満たない24試合の出場に終わった。また、代走や守備固めでの起用がほとんどだったため打席に立つ機会はほとんどなく、打率.167、シーズン中の安打は僅か1本に留まり不本意な成績だった。
2013年
開幕を二軍で迎え、プロ2年目の2006年以来となる一軍出場なしに終わり、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[6]

中日時代[編集]

その後、12球団合同トライアウトを受けたところ、落合博満GMの目に留まって中日ドラゴンズの秋季キャンプに参加し、入団テストを受けて入団が決まった。背番号は62[7]。落合とは、著書(「落合博満の超野球学バッティングの理屈」)で当時のJR東日本硬式野球部員としてアドバイスを受けるなど、以前も縁があった。

2014年

開幕一軍を勝ち取り、主に代走として出場機会を得ていたが、4月5日読売ジャイアンツ戦で代走出場の際に右足を負傷し登録抹消となった。8月28日の横浜DeNAベイスターズ戦で10年目にしてプロ初本塁打を放つ。

選手としての特徴[編集]

50メートル5.8秒の俊足で[8]、俊足を生かした守備を見せる[8][9]。肩も強い[8]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 日本ハム 5 13 13 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .000 .000 .000 .000
2007 72 231 215 23 62 6 4 0 76 17 9 1 3 0 12 4 1 44 0 .288 .329 .353 .682
2008 104 233 199 20 51 11 1 0 64 12 8 3 18 1 9 0 6 42 0 .256 .307 .322 .630
2009 巨人 49 56 51 12 13 2 1 0 17 1 1 0 2 0 2 0 1 18 0 .255 .296 .333 .629
2010 40 30 26 3 6 0 0 0 6 2 0 0 0 0 0 0 4 11 0 .231 .333 .231 .564
2011 ロッテ 53 112 100 7 20 3 1 0 25 5 3 1 5 0 4 0 3 21 0 .200 .252 .250 .502
2012 24 6 6 4 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .000 .167
通算:7年 347 684 610 66 153 22 7 0 189 37 22 5 28 1 27 4 15 143 0 .251 .299 .310 .609
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]

年度 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2005 5 6 0 0 0 1.000
2007 69 114 1 2 0 .983
2008 91 127 4 1 1 .992
2009 36 22 0 0 0 1.000
2010 20 7 0 0 0 1.000
2011 34 47 3 2 0 .962
2012 20 16 0 1 0 .941
通算 275 339 8 6 1 .983
  • 2013年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 53 (2005年 - 2008年)
  • 35 (2009年)
  • 0 (2010年 - 2011年途中)
  • 3 (2011年途中 - 同年終了)
  • 25 (2012年 - 2013年)
  • 62 (2014年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 週刊ベースボール2014年5月19日号 P39
  2. ^ 週刊ベースボール2014年5月19日号 P40
  3. ^ 巨人移籍後の登録名は大村三郎
  4. ^ サブロー選手と読売ジャイアンツ・工藤隆人選手+金銭でのトレードについて”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年6月29日). 2011年6月29日閲覧。
  5. ^ 工藤選手背番号変更のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
  6. ^ 来季契約についてロッテ球団公式2013年10月3日配信
  7. ^ 【中日】元ロッテ工藤の獲得決定日刊スポーツ2013年11月20日配信
  8. ^ a b c 『野球小僧 世界野球選手名鑑2005』 白夜書房、2005年、33頁。ISBN 4-86191-015-3
  9. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2006』 白夜書房、2006年、61頁。ISBN 4-86191-134-6

関連項目[編集]