都市対抗野球大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
都市対抗野球大会
Toshitaikou opening.jpg
開始年 1927
主催 日本野球連盟
毎日新聞社
参加チーム数 32
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 西濃運輸(初回目)
最多優勝 JX-ENEOS(11回)
備考 球場
1927年 - 1937年・神宮
1938年 - 1987年・後楽園他
1988年 - 現在・東京ドーム
※ 2011年のみ京セラドーム大阪
テンプレートを表示

都市対抗野球大会(としたいこうやきゅうたいかい、the Intercity Baseball Tournament)は、毎年に行われる社会人野球のトーナメント大会である。「都市対抗野球」、また単に「都市対抗」ともいう。

歴史[編集]

最初の大会は1927年に行われ、1941年の中止、1943年から1945年には戦争による大会中断もあった。各地の社会人・クラブチームが繰り広げる熱戦、独自の制度である「補強制度」、郷土色豊かな応援合戦などに根強いファンが多い(略歴における用語は以下の記事に詳述している)。

  • 1927年 第1回全日本都市対抗野球大会開催(神宮)。
  • 1933年 第7回大会。最優秀選手表彰制度開始。
  • 1935年 満州国成立に伴い、大会名を都市対抗野球大会とする。第9回大会。主催者推薦がなくなり、出場全チームが予選を経ることとなる。
  • 1936年 第10回大会橋戸信死去に伴い、最優秀選手賞を「橋戸賞」とする。
  • 1938年 第12回大会。前年秋に開場した後楽園球場に会場を移す。
  • 1939年 第13回大会。殊勲賞表彰制度開始。
  • 1941年 第15回大会が、予選を終了しながら当局の指示により大会中止に(回次は有効とされる)。
  • 1943年 - 1945年 戦局悪化に伴い大会中止。
  • 1946年 第17回大会で大会復活。3位決定戦が初めて行われる。
  • 1947年 第18回大会。前年優勝チームの推薦出場制度開始(1957年まで続き、1958年にいったん廃止、1959年に1年限りで復活。1963年から再度制度運用)。殊勲賞を「久慈賞」に改称。3位チームへの黄獅子旗授与開始。
  • 1949年 第20回大会。日本社会人野球協会が主催者に名を連ね、毎日新聞社との共催となる。
  • 1950年 第21回大会。補強制度が開始される。
  • 1954年 第25回大会。初めてナイトゲームが日程に組み込まれる。
  • 1955年 第26回大会。10年連続出場選手表彰制度開始。
  • 1956年 第27回大会小野三千麿死去に伴い、「小野賞」を創設。
  • 1963年 第34回大会。応援団コンクール開始。
  • 1964年 第35回大会米軍占領下の沖縄から1チーム(琉球煙草)が招待出場。
  • 1973年 第44回大会。「若獅子賞」創設。
  • 1977年 第48回大会。コールドゲーム制度運用開始。
  • 1979年 第50回大会。金属バットの使用開始。
  • 1980年 第51回大会。国際大会との関係で秋に大会開催。
  • 1988年 第59回大会。会場を後楽園球場からこの年の3月に開場した東京ドームに移す。
  • 1989年 第60回大会。指名打者制度運用開始。
  • 1997年 第68回大会。前年優勝チームの推薦出場制度が再び廃止。出場全チームが予選突破を必要とされる。
  • 2002年 第73回大会。金属バットの使用が禁止され、木製バットに回帰。この年から2010年まで8月下旬-9月初旬の開催に繰り下げ[1]
  • 2003年 第74回大会。タイブレーク制度運用開始。
  • 2011年 第82回大会東日本大震災の影響により1年限りで京セラドーム大阪での開催。前年優勝チームの推薦出場制度が2度目の復活。

開催時期[編集]

全国大会の開催時期も1980年(この年だけIBAFワールドカップの開催に伴い11月開催)を除けば、7月下旬-8月上旬の夏休みの初めに開催され「真夏の球宴」という異名が知られていたが、第73回大会2002年)から8月下旬-9月上旬に変更された。

従前の開催期間においては、全国高等学校野球選手権大会が同時に開催されているなど、メディアへの露出が少なかったことから約1か月繰り下げたもの。しかし、9月には小中学生の新学期が始まるなど、結果的に動員増につながったかどうかは未知数であった。また、甲子園予選との兼ね合いから都市対抗予選が5月から6月にかけて行われる一方、本戦が8月下旬に開幕することから、本戦までの間隔が長すぎるという指摘がかねてからなされていた。

なおこれ以前にも第63回1992年)と第67回1996年)も、夏季オリンピック(当時硬式野球が公式種目とされていた)と平年の開催日が重なってしまうという理由で、8月下旬ないし9月上旬に延期された例がある。

7月復帰へ[編集]

主催者・毎日新聞の記事[2]によると、2012年度の大会から再び7月の開催に戻す方針が決まった。これは社会人硬式野球の大会日程が2003年以後1か月以上も延長されたことで、「選手が社業に関わる時間が減ることで職場とのかい離が進む恐れがある」事や、国際大会(アジア野球選手権大会アジア競技大会IBAFワールドカップIBAFインターコンチネンタルカップ他)と日本選手権の日程が重複するケースも多いため、大会日程を見直すべきだという意見があったため。

このため社会人硬式野球の日程を10月末までに終わらせられるように見直すという観点から、2大大会や日本選手権に付随するJABA大会の日程見直しを目指すことにし、都市対抗の開催を2002年以来続けた8月下旬-9月初めの開催を見直して、ほぼ過去と同じ7月中-下旬の開催に戻す方向で調整することになり、第83回大会2012年)は7月13日の開幕が発表された。

東日本大震災の影響での延期と「日本選手権」兼務[編集]

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響を受け、電力事情を鑑みる形で主催者の日本野球連盟は3月25日の協議で、8月26日からの第82回大会の開催を秋に延期し、東京ドームでの開催を見合わせると同時に、10月29日から開催する予定だった「第38回日本選手権大会」の単独開催を取り止めとし、本年度に限り都市対抗を日本選手権を兼ねた大会(ただし日本選手権としての回数にはカウントせず)として行い、優勝チームを日本選手権者とすることを決めた[3]。日本選手権と都市対抗が兼務となるのは日本選手権が単独大会となる前の1972年以来である。

その後、この第82回大会は関東以外では史上初めて、同10月22日から11日間にわたり、京セラドーム大阪で行うことが発表された[4]。この大会の優勝チーム・JR東日本硬式野球部に対しての優勝表彰状には「本年度の社会人野球日本一に認定致します」という件があった[5]

大会の概要[編集]

主催[編集]

毎日新聞社東京日日新聞時代の第1回大会(1927年)から主催を続けている。第20回大会(1949年)には日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)が発足し、毎日新聞社との共催となった。また、第84回大会(2013年)からは総務省が後援に名を連ねている[6]

大会システム[編集]

トーナメント方式で、予選で用いられることのある敗者復活戦は行われない。第17回大会(1946年)から第38回大会(1967年)までは準決勝敗退チーム同士による3位決定戦が行われていたが、現在では行われていない。

試合形式・ルール[編集]

  • 原則として公認野球規則にのっとり行われるほか、アマチュア野球内規及び日本野球連盟内規も適用される。
  • バットは金属バットを使用していた時期(第50回大会(1979年)から第72回大会(2001年))があったが、それ以外は木製バットを用いている。
  • 指名打者制度を用いる(チーム独自の判断で指名打者を置かないとすることも可能である)。指名打者制度が導入されたのは第60回大会以降。
  • 第49回大会(1978年)から、コールドゲーム制度が導入された。7回または8回終了時に10点以上の点差があった場合、以後のイニングを行わない。ただし、決勝戦ではコールドゲーム制度は適用されない。

タイブレーク[編集]

1日に3、4試合行うこともあることから、2003年からタイブレーク制度が定められている。導入当初の要件は以下の2点をいずれも満たすこと。

  1. 試合開始から4時間以上であること
  2. 延長13回以上であること

この条件を満たしてなお同点の場合、新しいイニングに入るときには、一死満塁の状態から攻撃を開始する。そのイニングの先頭打者は、前の攻撃イニング最終打者の次打者。一塁走者は前の攻撃イニング最終打者、二塁走者は一塁走者の前の打順の打者、三塁走者は二塁走者の前の打順の打者が入る。この場合、あらかじめ置かれた打者が生還したとき、打点及び得点は記録されるが、投手に自責点は記録されない。また、タイブレークの1イニングは記録上3分の2回とされる。

この制度において、2003年から2008年までの間に、実際に適用された試合は第76回大会1回戦の七十七銀行デュプロ戦(延長14回からタイブレークに入り、延長15回の末、七十七銀行 9x-8 デュプロ)の1試合のみであった。

2009年第80回大会からは、試合時間に関係なく、延長11回からタイブレークを適用することとした(ただし準決勝以後は従前に同じ)。第80回大会では4試合、第81回大会では5試合にタイブレークが適用された。

2011年第82回大会からは、試合時間に関係なく、延長12回から選択打順によるタイブレークを適用することとした。12回の打順は、12回の攻撃前に監督が開始打者を指定し、13回以降は前回からの継続打順となる。

予選[編集]

大会に出場するには各地区の予選を勝ち抜く必要がある。地区は適宜見直しが行われており、第83回大会においても地区割りが変更された。現行の地区割りと出場チーム数は次のとおりとなっている。(括弧内は本戦出場チーム数)

  • 北海道地区(1)
  • 東北地区(2)
  • 北信越地区(新潟・長野・富山・石川・福井)(1)
  • 北関東地区(茨城・栃木・群馬)(2)
  • 南関東地区(埼玉・千葉)(2~3)
  • 東京地区(3~4)
  • 西関東地区(神奈川・山梨)(2)
  • 東海地区(静岡・愛知・岐阜・三重)(6)
  • 近畿地区(5)
  • 中国地区(2)
  • 四国地区(1)
  • 九州地区(3)

※ 南関東地区と東京地区は隔年で1チーム増減し、計6チーム出場する。

これに加え、前年大会優勝チームは主催者推薦として予選免除されて出場する[7]

本戦に出場するチームは基本的にそのチームのホームタウンとなる市町村代表として出場するためマスコミではチーム名の後に括弧くくりでその市町村名を併記している。但し主催新聞社の毎日新聞だけ逆で市町村名を優先してチーム名を括弧くくりとしている。また東京特別区(東京23区)については、ホームタウンの特別区名ではなく一律「東京都代表」として扱われる。また、JFE西日本チームが出場した場合、チーム所在地は福山市であるが、川崎製鉄水島チームの所在地だった倉敷市と特例で「福山市・倉敷市代表」扱いとなる。

2次予選[編集]

上記のとおり、12の地区において予選が行われる。ほとんどの地区では本戦出場を決めるための予選に出場するため、事前に単独または複数の都道府県を単位とする1次予選を行い、これを通過したチームのみ予選参加資格を与えている。1次予選と対比する意味で、本戦出場をかけて行われる予選を2次予選と呼ぶ。

2次予選での次点による敗退チーム間による広域地区予選(関東地区および近畿地区)が行われていたが、第83回大会から予選が変更され、次点チームにより行われるさらなる予選は実施されなくなった。

予選形式[編集]

2次予選の形式は地区連盟が定めることができ、トーナメントやリーグ戦が用いられる。以下説明するのは第85回大会予選において各地区で採用された形式である。

  • 北海道地区
1次予選を勝ち抜いた4チームによる変則敗者復活併用トーナメント。トーナメントを2勝したチームと敗者復活トーナメントを制したチームが代表決定戦を行う。
  • 東北地区
1次予選を勝ち抜いた12チームによる敗者復活併用トーナメントを行う。
  • 北信越地区
1次予選を勝ち抜いた8チームがトーナメント・敗者復活トーナメントを行う。それぞれの勝者が代表決定戦を行う。
  • 北関東地区
1次予選を勝ち抜いた8チームが1回戦で対戦。勝者4チームがリーグ戦を行い上位2チームが勝ち抜く。
  • 南関東地区
1次予選を勝ち抜いた6チームによる敗者復活併用トーナメントを行う。
  • 東京地区
1次予選を勝ち抜いた2チームと1次予選を免除された6チームの計8チームによる敗者復活併用トーナメントを行う。
  • 西関東地区
1次予選を勝ち抜いた6チームと1次予選を免除された2チームの計8チームが敗者復活併用トーナメントを行う。
  • 東海地区
1次予選を勝ち抜いた2チームと1次予選を免除された14チームの計16チームが敗者復活併用トーナメントを行う。
  • 近畿地区
1次予選を勝ち抜いた4チームと1次予選を免除された8チームの計12チームが敗者復活を併用するトーナメントを行う。
  • 中国地区
1次予選を勝ち抜いた8チームが4チームずつ2リーグに分かれ総当たりのリーグ戦を行う。各リーグ上位2チームずつによる敗者復活併用トーナメントを行う。
  • 四国地区
1次予選を勝ち抜いた4チームによるトーナメントを行う。
  • 九州地区
1次予選を勝ち抜いた12チームが敗者復活併用トーナメントを行う。

1次予選[編集]

2次予選に出場するチームを決定するために行われる予選であり、原則として1県を1地区として上位1~数チームに2次予選出場権を与える。所属チーム数が少ない県においては、隣県にまたがった地区において合同の1次予選を行うこともある(例:岡山・鳥取・島根)。また、1県による1次予選を突破したチームに隣県との合同1次予選出場権を与える場合もある(例:静岡1次予選・愛知1次予選・三重1次予選の上位チームに静岡・愛知・三重合同1次予選の出場権を付与)。この場合に行われる合同1次予選は他の1次予選と同等に扱われる。

1次予選には各都道府県連盟に所属する企業チームは参加しない(免除される)ことが決して少なくない。これは、実力差が著しいことから企業チームに1次予選の免除特権を与え、同時にクラブチームに実戦機会を多く与えることが目的である。一部の県では企業チームとクラブチームの交流を図るため、企業チームに1次予選からの出場を求めるものもあるが、ほとんどの試合では圧倒的な大差がつく。なお、企業チームが1次予選に出場する場合、準決勝・決勝から登場するなどスーパーシードとなる[8]、あるいは企業チームのみ別枠で2次予選(出場は確定している)の代表順位を決定するために試合を行うところもある[9]

補強選手[編集]

概要[編集]

  • 各地方予選で敗退したチームから選手をレンタルできるという、都市対抗独特の制度である。この制度によって予選敗退チームは補強選手に夢を託し、出場チームは自チームの欠点を補強し、まさに「地区の代表」となる。大会で勝ち進むには補強選手の活躍が不可欠だが、補強選手によってチームの陣容が変わるため、ある意味では賭けともなる。
  • 公認野球規則1・11(a)(1)により、同一チームの選手は同一のユニフォームを着用することが義務付けられているため、本大会出場チームは補強選手のユニフォームを用意することとなる。多くの場合で補強選手に与えられる背番号は他のメンバーが使う番号(おおむね1桁から20番台)よりも大きな30番台であるが、まれに補強選手が自チームでつけている背番号が補強先で空き番号となっている場合、その番号をそのままつけることもある。また、場合によっては補強先チームでベンチ入り登録から漏れた選手がつけていた背番号をつけることもある。
  • 補強選手を選ぶことは出場チームの義務ではない。地区によってはチーム間の実力差が大きいために、補強を全くせずに大会に臨む、「わが道を行く」チームもある。最近では企業チームの減少が進み、有力チームの大半が本戦に出場することから補強選手を選ぶことができず、結果として本戦に補強なしで挑むチームが続出している。そのため第81回大会(2010年)から1チームの補強選手の上限が引き下げられた(後述)。
  • 選手にとって、10年連続で自分の所属しているチームが本戦に出場することはきわめて困難であり、コンスタントに補強選手に選ばれることが10年連続出場表彰(後述)に不可欠である。
  • 補強選手は本戦開幕日の2週間前の日からチームに合流する。その間に公式戦が行われた場合、大会主催者の判断で補強選手が合流先チームの一員として試合に出場することも可能である。
  • 同地区内での補強が行われるため、ライバルチームに補強されるケースが多くなるが、補強に選出された選手はこれを拒むことができないとされている[10]

経緯[編集]

  • 1950年、それまで8球団で行われていたプロ野球が2リーグ分立等に伴い、一挙に15球団に膨れ上がったが、それに見合う選手が足りなかったため、多くの選手が社会人野球から引き抜かれていった。都市対抗大会本部は大会のレベルの低下を懸念し、「都市の代表≒地区の代表」と考え、敗退したチームから選手を期間限定で借り受ける制度を創設した。
  • 1950年から1977年までは、各県ごとの1次予選終了時、2次予選進出チームは1次予選敗退チームから5名までの補強選手を選ぶことが可能だった。その後2次予選終了後でも補強が可能であったので、各チーム最大10名までの補強が許されていた。
  • 1978年から2009年までは1次予選終了後の補強が行われず、2次予選終了後に補強選手を1チーム5人まで選抜していた。
  • 2010年から、1チームの補強選手の上限が3人に減らされた。

選抜方法[編集]

  • 2次予選終了後に各チームの監督等役員が選抜を行う。
  • 同一地区に複数の代表チームがある場合は、第1代表チームが選抜を終えたのちに第2代表チームが選抜を行っていく。すなわち、優秀な人材は上位の補強選手となることが多い。よって、予選での勝ちあがり順位も本戦での上位進出のかぎとなる。
  • 1次予選で敗退したチームから選手を選抜することも可能だが、企業チーム減少に伴い1次予選敗退チームのほとんどがクラブチームとなることから、1次予選敗退チームからの選手選抜は最近ほとんど行われていない。

組み合わせ抽選[編集]

第73回大会(2002年)から、ファンの要望を受けて公開で行われるようになった(会場は年によって異なる)。

地区ごとに代表が出場すること、同一企業から複数のチームが出場する可能性があること等から、次のように組み合わせ抽選が行われる。

  • まず32チームのトーナメントの「やぐら」を作り、左から1番、2番…31番、32番と番号を振る。次に1番から8番までをAブロック、9番から16番までをBブロック、17番から24番までをCブロック、25番から32番までをDブロックとする。
  • 地区を「奇数」(1回戦では一塁側ベンチ)、「偶数」(同三塁側ベンチ)に分け、同一地区のチームが1回戦で対戦することがないようにする。奇数・偶数を決めるのは各地区第1代表チームの代表者(マネージャーがくじを引くことが多い)がくじを引いていく。代表数の多い東海地区から順に奇数・偶数を決めていき、どちらかの枠が16チームになった時点で終了し、くじを引いていない地区は空いている方に振り分けられる。
  • 大会事務局が指定したチームを「特定試合シード」として、初戦をあらかじめ指定した試合日・試合数(第○試合)に割り振る[11]。(第77回大会の場合、)観客動員が15,000人以上見込まれるチームを特定シードチームとして、スムーズな入退場ができるようにすることを目的とする(特定シードチームは同一試合に設定されないため、特定シードチームどうしが初戦で対戦することはない)。
  • 同一企業から複数のチームが本大会に出場している場合[12][13]、1回戦での対戦を避けるため、奇数(偶数)の中で同一企業内チームがある場合、まずこれらのチームをA、B、C、Dの各ブロックに割り振る抽選を行う。
  • これらが終わると、残りのチームのうち奇数に割り振られた地区のチームの代表者がブロック分け抽選を行う。
  • その次に、Aブロックから順に番号のついた札を引く本抽選が行われる。
  • 偶数に割り振られた地区も同様にブロック分け抽選→本抽選が行われる。
  • 32チームがやぐらに割り振られた後で、次の2点に着目した確認が行われ、場合によってはベンチサイドの交換が行われる。
    • 同一企業内チームが連続して試合が行われる場合、同一のベンチを使えるようにする。
    • 特定シードチームが連続して試合が行われる場合、同一のベンチを使わないようにする(スムーズな観客入れ替えが困難になるため)。
  • これらの関係もあり、1回戦(5・10回区切りの記念大会の時は1、2回戦)は必ずしもトーナメント表の左側(上側)から順に開催するとは限らない。
  • 推薦出場が認められている前回大会優勝チーム(ディフェンディングチャンピオン)は、開幕日の試合出場が約束されている(原則として、開幕戦に出場する。ただし推薦枠がなかった1997年から2010年まで、および記念大会の特例として2回戦の最初の試合[14]として行われた2014年を除く)
  • 記念大会で出場チームが32チームを超えるとき、増枠された地区の最後の代表枠のチーム(第85回大会の場合は、東京第4代表と、東海第7代表)が自動的に1回戦に割り当てられる。

1日に割り当てられる試合数[編集]

  • 出場チーム数及び総試合数により異なるが、32チーム・31試合となる年は、原則として1日目に1回戦1試合、2日目から6日目まで1回戦3試合ずつ、7日目と8日目は2回戦3試合ずつ、9日目は2回戦2試合と準々決勝1試合、10日目は準々決勝3試合、11日目は準決勝2試合、12日目に決勝戦を行う。
    一方で、記念大会で34チーム33試合となる年は、1日目に1回戦2試合・2回戦1試合、2日目から6日目まで2回戦3試合ずつ、7日目と8日目は3回戦3試合ずつ、9日目は3回戦2試合と準々決勝1試合、10日目は準々決勝3試合、11日目は準決勝2試合、12日目に決勝戦を行う。
    • 2005年(第76回大会)までは11日間に渡って行われ、1回戦・2回戦の行われる初日から8日目までは1日3試合、9日目準々決勝は4試合一括、10日目準決勝2試合、11日目に決勝戦を行っていた(第76回大会は会場の都合等で2回戦を1日に4試合組んだ日もあった)。
    • 2006年(第77回大会)から、会期が1日延長され12日間になった。これは準々決勝進出チームの連戦による健康被害を最小限に留めることや、1日4試合にすることで、第4試合の試合終了が午前0時近くになることの弊害を避けるため。そこで、初日の開会式直後の試合を1試合のみとして、2日目から10日目は1日3試合ずつとした。
    • 2011年(第82回大会 京セラドーム大阪)は初日が土曜日に設定されたため、2005年の大会と同じ形式で開催されることになった。
    • 2012年(第83回大会)は、再び2006年から2010年の大会と同一形式に戻った。
  • 概ねの目安となる試合開始時刻は、
    • 第1試合 10時30分
    • 第2試合 14時00分(2試合日の第1試合)
    • 第3試合 18時00分(2試合日の第2試合、1試合日)
    1日目は1試合日となるが、開会式が行われるため、18時30分開始となる。
    4試合開催する必要がある場合は第1試合から順に8時30分、12時00分、15時30分、19時00分に試合を開始する。
    前の試合が長引いた場合、試合開始時刻はスライドさせて遅らせるが、早く終了した場合には試合開始時刻を繰上げることはない。

表彰[編集]

大会独特の表現が目立つ。

個人表彰[編集]

橋戸賞

最優秀選手賞にあたり、優勝チームから1人選出される。都市対抗野球を創設した橋戸信(橋戸頑鉄)にちなんでいる。

久慈賞

敢闘賞にあたり、準優勝チームから1人選出される(第18回大会のみ優勝チームから選出されている)。全日本の主将を務めた名捕手で、1939年8月19日に試合中の事故で死去した久慈次郎にちなんでいる。

若獅子賞

新人賞にあたり、大会で素晴らしい活躍をした新人選手(高卒選手は2年目まで、大卒選手は1年目のみ)が選出される。1名とは限らず、近年は3人同時受賞というケースもある。

小野賞

大会で素晴らしい活躍をした選手、監督、チームが選出される特別賞。都市対抗野球の発展に寄与した小野三千麿にちなんでいる。
なお上記の賞とは別の特別表彰がなされる場合もあり、2011年第82回では、東日本大震災での被災を乗り越えながら、この大会本戦への参戦を果たしたJR東日本東北硬式野球部に対し、特設の「がんばろう!!日本特別賞」が贈られた。

10年連続出場

社会人野球チームはプロ野球の球団よりも選手の入れ替わりが激しく、10年間も主力で活躍できる選手は少ない。さらに各地区に複数の強豪チームが存在するため、自分のチームが毎年都市対抗野球に出場できるとは限らない。よって都市対抗野球大会の10年連続出場は自チームの主力のみならず、補強選手にもコンスタントに選ばれるほど実力が抜きん出ていて、大きな故障もない選手という証明である。
なお、1987年に鈴木政明(旧姓・山根)[15]が大昭和製紙、ヤマハ発動機、プリンスホテルと所属チームの活動休止を移籍によって乗り越え、本大会20年連続出場の偉業をなしとげた。また、第81回大会では、監督として10年連続チームを本大会に導いた神長英一監督(日本通運)が制度開始以来初めて選手と同様に表彰を受けた。
なお、選手同様応援団員にも10年(チアリーダーは5年)連続出場の表彰制度があるほか(後述)、審判員も10年出場(こちらは「連続」の要件が入っていない)すると開会式において表彰される。

首位打者賞

大会を通じて高打率を残した打者に贈られる。受賞条件として、(1)準決勝進出チームに所属、(2)12打席10打数以上を記録することがある。この条件を満たす打者のうち最も高い打率を残した者が獲得する。

打撃賞

勝敗を決する場面での一打など、印象的な打撃を残した打者に贈られる。数値での条件はない。

優秀選手賞

ポジション別に選出される(指名打者含む)。全体として20人前後が選ばれる。特に規定はないがおおむね準々決勝以上に進出したチーム所属の選手が選出される。

チームに贈呈される記念旗[編集]

黒獅子旗

黒獅子旗(3代目)。第81回都市対抗野球大会開催中に野球体育博物館で行われた企画展で撮影。
黒獅子旗(初代)。同上
黒獅子旗(2代目)。同上
東北地区の青獅子旗。東日本大震災の津波により流され、がれきの中から発見されたもの。第85回都市対抗野球大会開催中に野球殿堂博物館で行われた企画展で撮影。
優勝チームに授与される優勝旗のことで、現在の黒獅子旗は3代目である。なお、初代黒獅子旗のデザインを担当したのは、橋戸信の友人でもあった画家の小杉未醒であった。1942年に全京城ソウル)の優勝を最後に大会中断、旗は終戦の混乱の中、全京城の主力打者・秋山光夫が命がけで日本へ持ち帰ったという経緯がある(第17回大会#概要参照のこと)。

白獅子旗

本戦の準優勝チームに贈られる旗。獅子の色が白いもので、デザインは黒獅子旗と同じ。閉会式のセレモニーの一環として、準優勝チームの主将に手渡される。

黄獅子旗

本戦の3位チームに贈られる旗。獅子の色が黄色いもので、デザインは黒獅子旗と同じ。準決勝終了時の整列・あいさつが終わると、引き続いて3位チームの主将に手渡される。第17回大会から第38回大会までは準決勝敗退チーム同士による3位決定戦が行われており、この時期は3位決定戦の勝者に贈られていた。

青獅子旗

各地区の2次予選で優勝し、第1代表を勝ち取ったチームに与えられる、青地に黒獅子をあしらったデザインの旗。持ち回りであり、代表権チームは翌年の予選の開会式で主催者(各地区連盟)に旗を返還する。2011年の東北地区予選にて、第1代表のJR東日本東北に渡されるはずだった縦約0.9メートル、横約1.1メートルの青獅子旗は、前年第1代表の日本製紙石巻の工場敷地内の応接室に展示されていたが、同年3月11日の東日本大震災により建物ごと津波で流されてしまった。しかし、同年7月に重機で敷地内のガレキを撤去中、偶然にも、大きく損傷し泥まみれになったボロボロの状態で見つかった。歴代の優勝チームが記された帯は流されていた。日本製紙石巻は8月2日、東北大会の抽選会で大会本部にこの旗を返還。あまりにも変わり果てた姿になっていたため、第1代表のJR東日本東北には盾だけが授与されたが、宮城県野球協会が「奇跡的に残った旗。何とか大会に参加させてほしい」と日本野球連盟に要望し、東北復興の象徴として、本大会の開催期間中、京セラドーム大阪の入口に展示された。
その後2012年3月末に日本野球連盟により旗が新調された。6月1日にはJR東日本東北の元に渡り、翌2日の2次予選東北大会開会式において返還された。なお、津波から生還した旧青獅子旗は東京ドーム野球体育博物館に収蔵され展示されている[16]
なお、代表チームにはすべて(代表順位の関係なく)代表盾が贈られる。青獅子旗はこれに加えて第1代表のチームにのみ与えられるものである。

紅獅子旗

各1次予選の優勝チームに贈られる、赤地に黒獅子をあしらったデザインの旗。

黒獅子エンブレム[編集]

第84回大会優勝のJX-ENEOSユニフォーム。左袖に黒獅子エンブレムがつけられている。
2001年から贈られるようになった副賞。都市対抗野球大会優勝チームの証として、ユニフォームの袖に黒獅子をあしらったエンブレムをつけて次年度の大会閉幕までプレーすることが認められる。相当の栄誉として受け止められるものであるが、初代エンブレムチームとなった河合楽器は優勝直後に休部を発表、2002年に優勝したいすゞ自動車もその年限りでの休部が決まっていた。また、2003年の優勝チームである三菱ふそう川崎も2004年シーズン序盤から本社不祥事により活動を自粛していたことから、2004年(第75回大会)に優勝した王子製紙が初めて「エンブレムをつけて1年間プレーしたチーム」となった(なお、優勝チームのエンブレム付きのユニフォームは野球体育博物館に所蔵され、入館者が見学することができる)。

優勝チームの特典[編集]

  • 黒獅子旗の授与(上述)-チームに授与
  • 宮原盾[17]、東京都知事杯[18]、日本野球連盟杯、アジア野球連盟パーソン杯[19]の授与-チームに授与
以上が優勝チーム持ち回り賞品。
  • 本田メダル(金メダル)[20]、黒獅子エンブレム(上述)の授与-各選手に授与
  • 大会協賛企業提供の商品の贈呈-チームに授与[21]
  • 次年度大会の推薦出場
  • 同年度の社会人野球日本選手権大会の推薦出場
  • ただし、JABA地区連盟主催大会のうち、日本選手権の出場選考大会と重複優勝した場合はその優勝チームが所属する地区の日本選手権出場枠を1つ増枠する。
  • 年度によりこの大会終了後に行われる国外での国際招待試合出場権が与えられる場合がある。

その他の賞[編集]

出場歴のあるチーム[編集]

都道府県別成績[編集]

歴代優勝チーム[編集]

※1943年-1945年は太平洋戦争のため開催中止


前年度優勝チームの連覇[編集]

  • 都市対抗野球の連覇達成の事例は1930年1931年の東京倶楽部、1938年1939年の藤倉電線、1946年1947年の大日本土木、1950年から1952年の全鐘紡(大会記録の3連覇)、1961年1962年の日本石油の5チームの事例があるのみで、ここ半世紀は連覇が途絶えていた。2012年は前年優勝のJR東日本が50年ぶりの連覇を目前に決勝で敗れている。そのJR東日本を下したJX-ENEOSが2013年、同じ組み合わせで行った決勝を制し、51年ぶりとなる2連覇を決めた(法人の統廃合によりチーム名が変更されているが、同一組織のチームが複数回の連覇を決めたのは史上初の例である)。
    • なお、1940年1942年も全京城が優勝しているが、連覇とは見なされていない。これは1941年の大会が第二次世界大戦の激化に伴って開催取りやめとなったが、大会の回次(第15回大会)はそのまま残っているため
    • ただし、都市としての連覇は過去には大連市の3連覇(1927年および1929年は満州倶楽部、1928年のみ大連実業団)、1990年以降では1999年・2000年の川崎市の連覇(1999年・東芝、2000年・三菱ふそう川崎)がある。
  • 1996年以前は前年度の大会で優勝したチームは、次年度の大会は推薦枠、即ち予選を免除して自動的に全国大会にコマを進められるシード枠で参加・かつ開幕戦での試合をする権利が与えられたが、補強選手制度が適用できない単独チームでの出場となるため、補強制度を使える他のチームと比べると戦力がやや劣る面も否めなかったことから、なかなか連覇を達成することが出来なかったともいわれている。1975年に前年優勝の白老町・大昭和製紙北海道が決勝に進出したが、惜敗。1990年代に入ると、推薦出場チームの初戦敗退が相次いだ。
    • 1951年に2連覇を果たした全鐘紡は、翌年の推薦出場権を得ていたが、「補強選手がいなくては本大会で勝つのは難しい」として敢えて推薦を辞退し、他チームと同様に予選を戦って出場権を獲得、補強選手を得て本大会に臨み、見事3連覇を達成した。事実、この年の橋戸賞は、日本生命から補強された内野手の松井実が受賞している。
  • 1997年からこの前年度優勝チームに対する推薦出場制度は廃止され、他のチーム同様予選を勝ち上がらないと東京ドームの舞台に立てない事になっていた。しかし前述のとおり、2006年度の第77回大会から事実上の推薦出場制度の代りとして、前回優勝チームの所属地域の出場枠を1チーム増やす制度が取り入れられることになり、2010年まで継続した。
  • 2011年の第82回大会から、再び前回優勝チームの推薦出場制度が復活している。

歴代表彰選手[編集]

(かっこ内は都市名・チーム。かっこ内かっこは補強元チーム。)

橋戸賞[編集]

(第10回から表彰。)

  • 第10回 井野川利春(監督兼捕手:門司市・門司鉄道局
  • 第11回 角地孫之助(投手:八幡市・八幡製鉄)
  • 第12回 土井寿蔵(投手:東京市・藤倉電線)
  • 第13回 吉田正男(投手:東京市・藤倉電線)
  • 第14回 野村武史(投手:京城市・全京城)
  • 第15回 大会中止
  • 第16回 該当者なし
  • 第17回 中原宏(投手:岐阜市・大日本土木)
  • 第18回 村瀬保夫(監督兼内野手:岐阜市・大日本土木)
  • 第19回 宮崎要(監督兼内野手:福岡市・西日本鉄道)
  • 第20回 荒巻淳(投手:別府市・星野組)
  • 第21回 高橋久雄(外野手:大阪市・全鐘紡)
  • 第22回 松井実(内野手:大阪市・全鐘紡(日本生命))
  • 第23回 松井実(内野手:大阪市・全鐘紡(日本生命
  • 第24回 黒柳巽(投手:吉原市・大昭和製紙)
  • 第25回 井原数巳(内野手:八幡市・八幡製鉄)
  • 第26回 松本豊(内野手:大阪市・全鐘紡)
  • 第27回 藤田元司(投手:横浜市・日本石油
  • 第28回 島津四郎(投手:東京都・熊谷組)
  • 第29回 伊藤正敏(投手:横浜市・日本石油
  • 第30回 西三雄(投手:松山市・丸善石油)
  • 第31回 高林恒夫(外野手:東京都・熊谷組)
  • 第32回 杉本和喜代(投手:横浜市・日本石油(日本鋼管))
  • 第33回 佐々木吉郎(投手:横浜市・日本石油
  • 第34回 堤亨(投手:京都市・積水化学)
  • 第35回 田中章(投手:浦和市・日本通運
  • 第36回 小弓場保(投手:大阪市・電電近畿日本生命))
  • 第37回 古田昌幸(監督兼内野手:東京都・熊谷組)
  • 第38回 平松政次(投手:横浜市・日本石油
  • 第39回 神部年男(投手:姫路市・富士鐵広畑
  • 第40回 若宮秀雄(投手:千葉市・電電関東)
  • 第41回 安田猛(投手:富士市・大昭和製紙)
  • 第42回 佐々木恭介(内野手:姫路市・新日鐵広畑
  • 第43回 新美敏(投手:浜松市・日本楽器
  • 第44回 宇賀山徹(内野手:川崎市・日本鋼管)
  • 第45回 柳俊之(投手:白老町・大昭和製紙北海道(電電北海道))
  • 第46回 丹利男(投手:千葉市・電電関東)
  • 第47回 樋野和寿(内野手:川崎市・日本鋼管)
  • 第48回 増岡義教(投手:神戸市・神戸製鋼(三菱重工神戸))
  • 第49回 黒紙義弘(投手:川崎市・東芝
  • 第50回 大町定夫(投手:広島市・三菱重工広島新日鐵光))


久慈賞[編集]

(第18回から表彰。)

  • 第18回 中原宏(投手:岐阜市・大日本土木)
  • 第19回 永利勇吉(捕手:別府市・星野組)
  • 第20回 大道信敏(内野手:吉原市・大昭和製紙)
  • 第21回 櫛田由美彦(捕手:東京都・熊谷組)
  • 第22回 野口勝美(外野手:大阪市・南海土建
  • 第23回 野見山博(投手:二瀬町・日鉄二瀬)
  • 第24回 種田吉富(捕手:大阪市・全鐘紡)
  • 第25回 大館盈六(内野手:東京都・全藤倉)
  • 第26回 山本治(投手:高砂市・鐘淵化学)
  • 第27回 大沢貞義(監督兼投手:東京都・熊谷組)
  • 第28回 堀本律雄(投手:浦和市・日本通運
  • 第29回 井洋雄(投手:二瀬町・日鉄二瀬)
  • 第30回 出沢政雄(内野手:釜石市・富士鐵釜石(常磐炭鉱))
  • 第31回 松浦三千男(投手:門真市・松下電器(鐘化カネカロン))
  • 第32回 鬼頭忠雄(投手:名古屋市・新三菱重工
  • 第33回 鬼頭忠雄(投手:名古屋市・日本通運名古屋(新三菱重工))
  • 第34回 佐藤進(投手:室蘭市・富士鐵室蘭)
  • 第35回 近藤重雄(投手:川崎市・日本コロムビア)
  • 第36回 清沢忠彦(投手:和歌山市・住友金属
  • 第37回 清沢忠彦(投手:和歌山市・住友金属
  • 第38回 中野孝征(内野手:浜松市・日本楽器
  • 第39回 堀内嗣郎(内野手:浜松市・河合楽器)
  • 第40回 石幡信弘(投手:太田市・富士重工業
  • 第41回 橘谷健(投手:神戸市・三菱重工神戸(川崎重工))
  • 第42回 久玉清人(投手:松山市・丸善石油)
  • 第43回 池田善吾(投手:川崎市・三菱自動車川崎
  • 第44回 須藤和彦(捕手:横須賀市・日産自動車
  • 第45回 萩野友康(投手:北九州市・新日鐵八幡
  • 第46回 加藤英美(投手:白老町・大昭和製紙北海道)
  • 第47回 千藤和久(投手:札幌市・北海道拓殖銀行)
  • 第48回 伊藤友幸(監督兼外野手:東京都・熊谷組)
  • 第49回 木田勇(投手:川崎市・日本鋼管)
  • 第50回 中尾孝義(捕手:東京都・熊谷組(プリンスホテル))
  • 第51回 樋口博美(投手:札幌市・札幌トヨペット(王子製紙苫小牧))
  • 第52回 黒紙義弘(投手:川崎市・東芝
  • 第53回 田村忠義(投手:福山市・日本鋼管福山
  • 第54回 渡辺剛(投手:東海市・新日鐵名古屋
  • 第55回 前川善裕(外野手:川崎市・日本鋼管)


小野賞[編集]

(第27回から表彰。)

  • 第27回 日立市・日本鉱業日立チーム
  • 第28回 村上峻介(投手:二瀬町・日鉄二瀬)
  • 第29回 増山桂一郎(監督:横浜市・日本石油
  • 第30回 釜石市・富士鉄釜石チーム
  • 第31回 大沢貞雄(監督:東京都・熊谷組)
  • 第32回 大工勝(投手:姫路市・富士鐵広畑
  • 第33回 今西良雄(外野手:横浜市・日本石油
  • 第34回 京都市・積水化学チーム
  • 第35回 田中公雄(投手:札幌市・北海道拓殖銀行)
  • 第36回 大分市・大分鉄道管理局チーム
  • 第37回 平松政次(投手:横浜市・日本石油
  • 第38回 浜松市・日本楽器チーム
  • 第39回 後藤晃吾(投手:北九州市・八幡製鉄)
  • 第40回 佐藤昭(投手:千葉市・電電関東(日本通運))
  • 第41回 神戸市・三菱重工神戸チーム
  • 第42回 三沢淳(投手:姫路市・新日鐵広畑)、中山拓郎(捕手:姫路市・新日鐵広畑)
  • 第43回 細川昌俊(外野手:大垣市・西濃運輸
  • 第44回 内藤博(内野手:川崎市・日本鋼管)
  • 第45回 山口高志(投手:堺市・新日鉄堺(松下電器))
  • 第46回 白老町・大昭和製紙北海道チーム
  • 第47回 川崎市・日本鋼管チーム
  • 第48回 藤井栄一郎(投手:松山市・丸善石油)
  • 第49回 鈴鹿市・本田技研鈴鹿チーム
  • 第50回 広島市・三菱重工広島チーム
  • 第51回 札幌市・札幌トヨペットチーム
  • 第52回 工藤真(投手:東京都・東京ガス
  • 第53回 東京都・明治生命チーム
  • 第54回 東京都・東京鉄道管理局チーム
  • 第55回 札幌市・北海道拓殖銀行チーム
  • 第56回 八王子市・スリーボンドチーム
  • 第57回 大阪市・大阪ガスチーム
  • 第58回 川島勝司(監督:浜松市・ヤマハ
  • 第59回 横浜市・三菱重工横浜チーム
  • 第60回 野茂英雄(投手:堺市・新日鐵堺)


若獅子賞[編集]

(第44回から表彰。)

応援[編集]

上記のとおり、華やかな応援合戦も都市対抗野球の見所となっているが、これをさらに後押ししているのが、毎日新聞社主催、スポーツニッポン後援の「応援団コンクール」である。大会期間中、東京ドーム一・三塁側の客席最前列に応援団用の特設ステージが設えられており、郷土芸能やチアリーディング・チアダンスなどのパフォーマンスが行われている。

応援団コンクールの概要[編集]

応援団コンクールは、大きく1回戦の試合を対象に行う「前期賞」「後期賞」(1回戦出場32チームの試合日程順に最初の8試合=16チームを前期賞、その後の8試合を後期賞とする)、並びに大会全試合を通しての「期間賞」の3つで構成・表彰されてきたが、第83回大会(2012年)から、1回戦全16試合を対象とする「ファーストステージ」の各賞と全大会を通じての「期間賞」に再編された。

  • 選考基準
  1. チームの健闘に貢献した作品
  2. 郷土色豊かな作品
  3. リーダーの統制がよく取れて、マナーのよかったチーム
  4. 優秀なアイデアを作品に取り込んだもの
  • 表彰
    • 1回戦16試合を対象として「ファーストステージ」が設けられ、最優秀に当たる「トップ賞」、以下優秀賞、敢闘賞が1チームずつ選ばれる。
    • 大会期間31試合を対象とした「期間賞」として最優秀賞、優秀賞、敢闘賞がそれぞれ1チームずつ選ばれる。期間賞の表彰は最終日試合終了後の表彰・閉会式で行われる。
    • また上記各賞に入選しなかったチームの中から、特に創意・工夫を凝らしたチームについても特別賞や努力賞が贈賞される場合がある。
    • さらに選手の10年連続出場と同様に、10年連続出場の男子応援団員、5年連続出場の女子チアリーダーに対する表彰制度がある。

応援団コンクールの各賞受賞チーム[編集]

最優秀賞[編集]


優秀賞[編集]


敢闘賞[編集]


特別賞[編集]

  • 第34回 トヨタ自動車
  • 第35回 河合楽器
  • 第36回 該当なし
  • 第37回 日本石油
  • 第38回 該当なし
  • 第39回 該当なし
  • 第40回 電電関東
  • 第41回 オール常磐
  • 第42回 該当なし
  • 第43回 該当なし
  • 第44回 該当なし
  • 第45回 新日鐵グループ
  • 第46回 電電関東
  • 第47回 本田技研鈴鹿
  • 第48回 本田技研
  • 第49回 該当なし
  • 第50回 該当なし
  • 第51回 プリンスホテル
  • 第52回 該当なし
  • 第53回 該当なし
  • 第54回 該当なし
  • 第55回 該当なし
  • 第56回 スリーボンド
  • 第57回 NTT北陸、国鉄名古屋
  • 第58回 ヨークベニマル
  • 第59回 NTT東海
  • 第60回 熊谷組


努力賞[編集]

(表彰のあった年のみ記載する)

決勝戦の応援席の演出[編集]

  • 通常の試合では一・三塁側の応援席(最前列に応援ステージあり)の1階席とバルコニー席の中間の仕切に「(ホームタウンの自治体名)代表(チーム名)」(例:「にかほ市代表・TDK」「大阪市代表・日本生命」)または「(ホームタウンの自治体名)(チーム名)」(例:「川崎市・TOSHIBA」)の横断を出す(先述したように東京特別区は一律東京都代表扱いなので「東京都代表・JR東日本」、「東京都・鷺宮製作所」などとなる)。決勝戦では更に2つのくす玉(野球ボールをかたどったデザイン)が吊るされ、試合終了後に勝敗に関わらず両チーム応援席で割られる。優勝チームは2つとも割られ、紙テープ風船と共にうち1つは「優勝おめでとう」の垂れ幕、また優勝・準優勝チームに関わらず割られるもう1つのくす玉には健闘を称える垂れ幕(「よくやった」など)が垂れ下がる。

その他[編集]

  • 応援団[23]とは別に、出場チームは「マスコットガール」を指名し、ベンチ入りさせる。マスコットは、通常、チームの攻撃中にベンチ前に立ち、バッターがホームランを打つとベンチに戻るときに熊のぬいぐるみを渡し、バッターはぬいぐるみをスタンドの応援席に投げ込む。マスコットは通常、所属企業または関連企業の女性社員[24]が務めるが、例外もある。富士重工業では、例年太田市の女性職員が例年マスコットを務める。第79回大会で優勝した新日本石油ENEOSでは、野球教室に参加した中学ソフトボール部員がマスコットを務めた。またクラブチーム等では本拠地の「ミス○○」がマスコットガールになることがある。マスコットは女性に限定されておらず、女性の代わりに着ぐるみが現れたり[25]第78回大会に初出場した岩手21赤べこ野球軍団のように男性が務めたりすることもある。

開会式[編集]

  • 開会式は、大会初日の開幕試合前に行われる。出場全チームの入場行進が行われ、前年度優勝チームから持ちまわり賞品(優勝旗等)の返還、選手宣誓(開幕試合で対戦する両チームの主将が行う[26])、10年出場審判員の表彰が行われる。
  • 参加するチームの負担を減らす目的で、2003年から開会式を簡略化し、全チームの入場行進を行わないこととしたが、2006年から従来の形式に戻った。ただし、2009年は記念大会(80回大会)であり、初日から1日3試合、また4試合開催日もあったことから日程の都合上、開幕戦前の式典は持ちまわり賞品の返還、及び10年連続出場選手・審判員表彰、功労賞表彰など簡易的に留めた。

始球式[編集]

始球式は1回戦、2回戦・準々決勝、準決勝・決勝に分けられる。

  • 1回戦(各チーム初戦)の始球式では、各チームが選んだ者が始球式を行う。よって、2人同時に投球を行うこととなる。多くはチーム本社の役員や本拠地としている自治体の首長やミスコンテストのグランプリがマウンドに上るが、出場チームが指導している少年野球チームの選手などが務めることもある。ホームベース脇に2枚のプレートが置かれ、マウンド脇から球審の合図で2投手が対戦相手チームの1番打者に向かって投球する。
  • 2回戦・準々決勝の始球式では、主催者の毎日新聞社が紙上で公募した2人組がバッテリーとして登場する。
  • 準決勝・決勝の始球式には、著名人や社会人野球OBが登場する。第81回大会以降の投球者は次のとおり。
  準決勝 決勝
第81回大会 福本豊松下電器阪急 中尾孝義プリンスホテル中日ほか) 竹田恒和JOC会長[27]
第82回大会 足立光宏(大阪大丸→阪急) 山口高志(松下電器→阪急) 赤星憲広JR東日本阪神
第83回大会 松沼博久東京ガス西武 仁志敏久日本生命巨人ほか) 中島梨紗第5回IBAF女子ワールドカップ日本代表[28]
第84回大会 外木場義郎電電九州広島[29] 角盈男三菱重工三原巨人ほか) 福嶋一雄八幡製鉄[29]
第85回大会 工藤阿須加(俳優[30] 川島勝司(元ヤマハ監督。日本野球連盟参与) 張富士夫日本体育協会会長)

このほか、第76回大会2005年)には横綱・朝青龍が登板したこともあった。

放送での中継[編集]

  • 以前は決勝戦のみNHK総合テレビジョン1991年まで)、また1990年代当初はスポーツ・アイ ESPN(現在のJ SPORTS3)で全試合生放送で中継されていた。同時期には日本テレビ放送網でも試合日の翌日早朝にダイジェストを放送したこともあった。
  • また唯一11月に開催された1980年の大会は一部の試合を東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で放送したことがある。
  • 現在は決勝戦をNHK BS1で生放送している。なおBS1では1990年代にその日のデーゲームで行われる試合を中心に連日1試合(準決勝は2試合とも)をピックアップして生中継した時期があった。またそれ以後も準決勝のうちの1試合を録画中継(2014年は生放送)している。
  • 2002年からはBS衛星放送デジキャス(デジタルデータ放送)での中継も行われていたが、2006年の廃局とともにその中継も打ち切られた。
  • 第77回大会(2006年)から第84回(2013年)まではGAORAで全試合中継した(約半分=主として平日日中の試合と準決勝・決勝が生中継。平日のナイター等一部プロ野球中継との兼ね合いで当日深夜か翌日早朝の録画(ニアライブ)の場合もある。それ以前からも準々決勝以降全試合を生中継していた。提供は日本野球連盟加盟の社会人野球チームの母体企業で構成する「日本野球振興世話人会」。なお大会後改めて準々決勝以後の試合を週末にノーカット再放送する。(2007年度は9月以後随時1回戦からの全試合を再放映。この時は提供スポンサーなしでCMはパーティシペーションのスポット)
    • なお、GAORAでは準決勝までの生放送中は、前の試合終了後から次の試合開始までの間は時間が空くため、フィラーとして過去の大会の名勝負の映像や、別番組を放送した。
    • 第80回第1日(2009年8月21日)は、記念大会の特例[31]で、第3試合「日立製作所三菱自動車岡崎」は一度17時開始のところから最初の1時間を生放送した後、京セラドーム大阪からのプロ野球中継(阪神広島)を放送するため一旦中断し、同日深夜(実際は8月22日)午前0時15分から4時まで改めて序盤の1時間の部分の再放映を含め放送した。
  • 第85回(2014年)はJ SPORTS(主に2・3)で生中継を中心として全試合放送することになった。J SPORTSでの放送はスポーツ・アイ ESPN時代以来となる。
    • 2014年はこのほかに『第85回都市対抗野球大会ダイジェスト』を、大会期間中の深夜帯に毎日放送する。番組制作は5いっしょ3ちゃんねる加盟局(関東地方の独立局5局[32])共同制作で、上記のJ SPORTSでも放送される。
  • なお、文京区荒川区千代田区には東京ケーブルネットワーク(TCN)の独自放送チャンネル(2012年以後「あらぶんちょ10ch」)で1回戦からの全試合が生中継されている。
    • 上記各テレビ局の中継もTCNが製作・配給した中継映像を使用する。GAORA→J SPORTSはTCNの解説者がそのまま出演。NHKの解説者は自局で用い実況アナウンスを差し替えている。
    • 以前はスコアテロップもTCNで使ったものをそのまま放送していたが、現在はNHK側でテロップを表示[33]。2014年のJ SPORTSもテロップはJ SPORTSの自社出し(プロ野球と同じ仕様)を採用している。GAORA→J SPORTSの中継においては製作クレジットはTCN単独表記となっている。
    • TCNではGAORA→J SPORTSも配信しており、同じ内容を独自放送チャンネル・GAORA→J SPORTSで重複放送[34]する格好となっている
    • TCNの実況アナウンサー 坂信一郎矢野吉彦志生野温夫小川光明上野晃松岡俊道中田浩光加藤じろう堂前英男端野幸治
  • なお、2011年は大会史上初めて関東以外での開催(京セラドーム大阪)となるため、中継は地元・大阪のGAORA/毎日放送が主体となった製作体制(TCN、TCPも製作協力として参加)となるが、実況アナウンサーは基本的に東京ドーム開催のものと同じメンバーになっている。
  • また岐阜放送では西濃運輸が出場する場合のみ、ラジオ・テレビで中継することがある〔ラジオはラジオ日本、テレビはTCN(以前はテレビ東京の協力)〕が、2008年は実施されなかった。しかし、2014年は初戦からラジオ中継を実施している(ナイター開催時は本来の雨傘番組のネットを取りやめ、デーゲーム時は通常番組を休止させて対応。決勝戦は巨人戦の放送を休止してRFから裏送りで放送)。
  • 第77回大会(2006年)で、東北勢では初めて優勝したTDKの決勝戦は、秋田放送の自社制作により、当日のプロ野球(甲子園球場で行われた阪神×巨人)の放送を取りやめたうえで、ABSダイナミックナイター枠でラジオ中継された。
  • 全足利クラブの試合を栃木放送が生中継した(2014年)。
  • 北海道ではHBCラジオ、STVラジオで北海道のチームが登場する試合を中継していた。
  • コミュニティFMでの中継は多い。

その他[編集]

  • 公式ガイドブックが毎日新聞社の「サンデー毎日」増刊号として、毎年7月前半に発売される。本戦出場チーム・選手の紹介(補強選手含む)、予選結果や大会の見どころが掲載される。全国の書店のほか、会場の東京ドーム内でも販売される。
  • 本戦出場を決めたチーム同士が対戦する練習試合(オープン戦)を特に壮行試合と呼び、試合結果は翌日の毎日新聞スポーツ面に掲載される。本戦開幕まで2週間以内となる時期に行われる壮行試合には補強選手も出場する。

注釈[編集]

  1. ^ それ以前の1992年第63回と1996年第67回も、夏季オリンピックに硬式野球が正式種目であったため、臨時の処置で同時期の開催となっていた
  2. ^ 2011年2月17日付
  3. ^ 毎日新聞2011年3月26日付
  4. ^ 毎日新聞2011年5月20日付 これにより、通常同時期の日本選手権で行う複数会場の1回戦の分割開催も行わないことになった。
  5. ^ 11月1日、同決勝戦のGAORA実況中継より。
  6. ^ 都市を代表するチーム同士の大会により地域振興がはかられているとの理由で。
  7. ^ ただしこの場合、予選を経由していないことから地区代表としての位置づけはなく、したがって補強選手も得られない。
  8. ^ たとえば群馬県では富士重工業が決勝から登場し(2次予選への代表枠は2チームであるため自動的に2次予選進出が決定している)、クラブチーム内での最高成績チームと決勝戦を行っている。
  9. ^ たとえば埼玉県ではHonda日本通運は1・2位が決定しており、その順位決定の試合を行っている。クラブチームとの対戦は行っていない。
  10. ^ 大会予選規約内に「選出された選手は必ず協力出場しなければならない」との一文がある(例:第84回大会予選規約)。
  11. ^ 開幕日のおよそ1か月前に特定試合シード選定会議が開かれ、ここで特定試合シードとなるチーム並びに試合日程が選定される
  12. ^ 同一企業内からの出場はもちろん、チームの来歴から他チームと同系列とみられる場合も同一企業内チームとして取り扱われる(企業チームがクラブチーム化してから本大会に出場した場合など)。
  13. ^ JRグループは全チーム同一企業として取り扱われてきたが、第82回大会からは、JR東日本JR東日本東北間を除いてすべて別チームとして扱われることとなった。
  14. ^ 34チームで行われる関係で1回戦が2試合だけだった
  15. ^ 広島西武で活躍した山根和夫日本鋼管福山時代の第46回大会に登録)の実兄で、ともに投手。
  16. ^ 東日本大震災:「青獅子旗」を新調…都市対抗東北大会開幕 毎日新聞 2012年6月2日
  17. ^ 日本社会人野球協会初代会長の宮原清をたたえる盾。
  18. ^ 2011年は大阪での開催のため、通常日本選手権優勝チームに贈る大阪市長杯を贈呈
  19. ^ フィリピン野球の父と呼ばれ、アジア野球連盟会長も務めたチャールズ・パーソンをたたえるカップ。
  20. ^ 日本社会人野球協会第4代会長の本田弘敏をたたえるメダル。優勝チームには金メダル、準優勝チームには銀メダルが贈呈される。
  21. ^ 優勝・準優勝チームに大塚製薬からポカリスウェット1年分などが贈られる
  22. ^ 第85回大会ご案内
  23. ^ 男子リーダー、女子チアリーダー、吹奏楽
  24. ^ 陸上の長距離走選手として知られる松野明美が、当時所属していたニコニコドーのマスコットを務めたことがある。
  25. ^ 三菱重工系列の場合、商品の一つであるビーバーエアコンからビーバーがマスコットを務めることがある[1]
  26. ^ ただし、2011年は東日本大震災の影響により、JR東日本東北の主将が務めることとなった。
  27. ^ オリンピックにおける野球競技復活キャンペーンの一環として。
  28. ^ 同年8月に行われる第5回IBAF女子ワールドカップのプロモーションのため。捕手は同じく日本代表の直井友紀が務めた。
  29. ^ a b 2013年の野球殿堂入り。
  30. ^ 2014年4月から6月にかけて放送された『ルーズヴェルト・ゲーム』で社会人野球選手役を演じた。なお実父・工藤公康も元野球選手<社会人野球の経験はなし>である。大会会場では同番組のグッズも販売されていた。
  31. ^ 36チーム参加による日程の都合で初日から3試合開催であるのと、翌8月22日の第2日が4試合開催であるため、通常の3試合開催日から1時間早く開催された関係(前述参照
  32. ^ テレビ埼玉テレビ神奈川千葉テレビ放送とちぎテレビ群馬テレビの5局。この番組に関しては、テレビ埼玉が制作幹事局となっている。なお、TOKYO MXは5いっしょ3ちゃんねるの対象外のため放送なし。
  33. ^ GAORA→J SPORTS・TCNの中継では決勝戦の途中で応援席レポートが入ることがあり、その場合はNHK製作の映像に差し替える
  34. ^ 大半はサイマル放送であるが、GAORA→J SPORTSのプロ野球中継などにより平日のナイターなど一部時間が異なる。2008年・第79回決勝戦はGAORAがプロ野球を放送したため、先にTCN独自放送チャンネルで生中継後、GAORAで録画放送(TCN視聴者には実質再放送扱い)したことがあった。また、2014年はNHK BS1で準決勝第2試合と決勝戦が生中継されるため、BS(J SPORTSでは2011年秋から2012年春にかけて順次BS放送を開始)で重複するのを避けるために、J SPORTS側は録画中継(準決勝第2試合は翌日昼に録画中継、決勝は試合日当日深夜にニアライブ方式で放送)するため、TCN視聴者は2008年と同じく独自チャンネルでの生放送後、実質再放送となる。

関連項目[編集]