JR東日本東北硬式野球部
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| チーム名(通称) | JR東北 |
|---|---|
| 加盟団体 | 日本野球連盟 (社会人野球) |
| 加盟区分 | 企業チーム |
| 創部 | 1919年 |
| チーム名の遍歴 | 仙台鉄道管理局(1919年)→ 仙台鉄道局(1920年~1949年)→ 仙台鉄道管理局(1950年~1987年)→ JR東日本東北(1987年~) |
| 本拠地自治体 | 宮城県仙台市 |
| 練習グラウンド | JR東日本東北グラウンド(宮城県利府町) |
| チームカラー | 黄緑色 |
| 監督 | 阿部圭二 |
| 都市対抗野球大会 | |
| 出場回数 | 23回 |
| 最近の出場 | 2011年 |
| 最高成績 | 4強 |
| 社会人野球日本選手権大会 | |
| 出場回数 | 15回 |
| 最近の出場 | 2010年 |
| 最高成績 | 4強 |
| 全日本クラブ野球選手権大会 | |
| 出場回数 | ※出場資格なし |
JR東日本東北硬式野球部(ジェイアールひがしにほん とうほくこうしきやきゅうぶ)は、宮城県仙台市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである(合宿所・練習グラウンドは宮城県宮城郡利府町に所在する)。
目次 |
[編集] 概要
チームの歴史は古く、1919年(大正8年)に創部した時代までさかのぼり、都市対抗野球の歴史よりも長い。戦前の同大会では、16回のうち12回に出場するなど輝かしい実績を誇ったが、戦後は低迷が続いた。 1987年(昭和62年)に国鉄が民営化されると盛岡・秋田の各鉄道管理局チームを統合して「JR東日本東北」として再スタートを切った。1995年(平成7年)に都市対抗野球大会への出場を決めたが、実に53年ぶりの出場であった。盛岡・秋田は一度クラブチームとして活動したが、改めて支社直属の野球部として再編されている。なお、旧盛岡鉄道管理局が母体だった「盛岡倶楽部」は、旧岩手銀行硬式野球部の廃部後の後継でもあったため、支社野球部再発足後も存続して活動している。
近年では七十七銀行とともに東北勢の核となる活躍を見せている。2011年(平成23年)の東日本大震災を受け、一時活動を休止して本業に専念した。これを乗り越えて出場した第82回都市対抗野球大会ではチーム史上初のベスト4に進出した。これに敬意を表して、特別に「がんばろう!!日本特別賞」が大会本部より授与された。
[編集] 設立・沿革
- 1919年(大正8年) - 「仙台鉄道管理局」として創部
- 1920年(大正9年) - 鉄道省昇格で「仙台鉄道局」に改称
- 1927年(昭和2年) - 都市対抗野球初出場(第1回大会;初戦敗退)
- 1950年(昭和25年) - 国鉄の組織再編で「仙台鉄道管理局」に改称
- 1976年(昭和51年) - 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 1987年(昭和62年) - 盛岡鉄道管理局、秋田鉄道管理局を併合し「JR東日本東北」に改称
[編集] 主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会 出場23回、4強1回(2011年)
- 日本選手権大会 出場15回、4強1回(2007年)
- JABA北海道大会 優勝1回(2000年)
- JABA東北大会 優勝1回(2008年)
- JABA四国大会 優勝1回(2006年)
[編集] 主な在籍選手
- 安田尚造内野手
[編集] 主な出身プロ野球選手
- 佐藤孝夫外野手(1952年国鉄入団)
- 若生和也投手(1967年中日ドラフト3位→ロッテ;退部後他チームを経て指名)
- 高橋英二内野手(1970年巨人ドラフト6位→広島)
- 太田敏之投手(1981年阪急ドラフト2位)
- 小坂誠内野手(1996年千葉ロッテドラフト5位→巨人→楽天)
- 平野将光投手(2007年埼玉西武大学・社会人ドラフト1位)
- 攝津正投手(2008年福岡ソフトバンクドラフト5位)
- 森内壽春投手(2011年北海道日本ハムドラフト5位)
[編集] 関連項目
- JR東日本
- JR北海道硬式野球部
- JR盛岡硬式野球部
- JR秋田硬式野球部
- JR新潟硬式野球部
- JR水戸硬式野球部
- JR千葉硬式野球部
- JR東日本硬式野球部
- JR東海硬式野球部
- JR西日本硬式野球部
- JR四国硬式野球部
- JR九州硬式野球部