三宅久之

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みやけ ひさゆき
三宅 久之
生誕 1930年1月10日(82歳)
日本の旗 日本 東京都
出身校 早稲田大学第一文学部
職業 政治評論家
配偶者
子供 息子3人
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三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年1月10日 - )は、日本政治評論家コメンテーター

目次

[編集] 来歴

1930年(昭和5年)東京府(現在の東京都)生まれ。昭和一桁世代の少年として戦時中の旧制中学校時代に学徒勤労動員軍需産業東京都立川市戦闘機製造)工場で働いていた。終戦後に東京都立国立高校を卒業。早稲田大学第一文学部に進学した。大学卒業後の1953年(昭和28年)に毎日新聞社に入社した。政治部記者から始まり、政治部副部長、静岡支局長、特別報道部長を歴任する。1976年(昭和51年)に毎日新聞社を退社した後、フリー政治評論家となる。

1971年(昭和46年)から~1972年(昭和47年)にかけての沖縄密約事件をスクープし、後に逮捕され、毎日新聞を去った西山太吉の直属の上司(政治部デスク)だった。2008年(平成20年)の『サンデープロジェクト』のインタビューで、「その後、なぜ政府を追及しなかったのか」という問いに、「そんなことをしたらスポンサーがみんな降りてしまうから不可能だった」と述べている。

1978年(昭和53年)10月から~1985年(昭和60年)3月まで、テレビ朝日ANNニュースレーダー』の木曜日から土曜日まで(当初は金曜日と土曜日)のキャスターを務める。その後、同局の『やじうまワイド』や『新・アフタヌーンショー』などにコメンテーターとして出演するようになった。

昭和から平成になってからはテレビ朝日ビートたけしのTVタックル』に出演するようになり、三宅の知名度が向上した。2000年代からは読売テレビの『たかじんのそこまで言って委員会』などの討論系バラエティ番組にレギュラー出演している。

[編集] 人物

血液型AB型座右の銘は「愛妻・納税参り」。愛妻家であり、夫婦旅行のため番組を休むこともある。2006年(平成18年)には金婚式を迎えた。『ビートたけしのTVタックル』で「私も忸怩たる思いがあるけれども、最近、孫に小遣いやモノを与えるじいさんばあさんが増えているらしいらしい……」との発言を取り上げられ、「弱点は孫」と言われた[要出典][いつ?]。また重度の糖尿病を患っており毎日インスリンを投与している生活を続けている。[1]

読売新聞社会長の渡邉恒雄とは新聞記者時代からの友人。その縁からか渡邉の代弁者として各種メディアに登場することがある。『やじうまワイド』では巨人の話題になると渡邊からの手紙(通称「ナベツネ通信」)を読むことが恒例だった(現在は、不定期に「たかじんのそこまで言って委員会」で披露されることがある)。中曽根康弘元総理をはじめ、政界関係者と深いパイプを数多く持つことで知られているため、彼独自で得た情報も多く、番組中などにほかの評論家などからも(特に宮崎哲弥などに)質問されることが多い。また、かつてはたびたび選挙出馬を持ちかけられていたがすべて辞退している。

2011年(平成23年)12月5日放送の『 たかじんのそこまで言って委員会のそこまで熱くなって委員会』で女性宮家の是非についての議論で一応賛成だが、「女性皇族の配偶者をどうするのか。その辺の一般人の中村君か何かが皇族になるって事か」と発言して女系天皇に疑問で、三宅は皇族に人権がなくて男系を維持するべきと云う立場である。

ほかの政治評論家と同様、100万円の内閣官房報償費(官房機密費)の提供を受けていた(らしい)ことが写真週刊誌フォーカス(現在は休刊)の2000年(平成12年)5月31日号「極秘メモ流出!内閣官房機密費をもらった政治評論家の名前」で紹介されている。ただし本人は、まったくの誤報だと主張して、早稲田大学の学生時代からの知り合いの藤波孝生衆議院議員官房長官だったときに、「講演を2つ頼まれているが、官房長官は東京を離れるわけにはいかないので、代わりに肩代わりしてくれないか」と代役を頼まれ講演に行ったら、後日、藤波官房長官の事務所から議員秘書が講演料を届けにきて、代役で受けた講演の対価として講演料を受領しただけの話で、官房機密費とは知らなかったと否定している(「たかじんのそこまで言って委員会」2010年5月16日放送より)。この説明に対して、同番組にも出演していたジャーナリストの上杉隆週刊ポスト誌上で行った取材に対して「(代理講演を)引き受けることにしたら秘書が100万円を持ってきた。藤波のポケットマネーだと思って受け取りました。領収証も書いていない」と答えた三宅の発言を紹介して、内閣官房からの領収書のないカネは機密費の可能性が極めて高くて、さらには税務申告を怠って所得税法違反の可能性すらあるという指摘をしている[1]

大学の先輩で政治評論家としても先輩の細川隆一郎には常に敬意を表していた。総理大臣秘書官出身の伊藤昌哉早坂茂三とも親しかった。スタンスは真正保守の立場で、たちあがれ日本には応援メッセージを出して支持している[2]。「沖縄県知事選挙の候補者で幸福実現党が一番まともだった」とたかじんのそこまで言って委員会ビートたけしのTVタックルで発言して幸福実現党を絶賛したと、幸福の科学から出版物が送られた。変な宗教と思うが雑誌で高速道路無料化を研究しているなど政策が真面目であると発言した。2010年12月9日 (幸福実現党ニュース第15号より)

[編集] エピソード

[編集] 田嶋陽子との対決

『たかじんのそこまで言って委員会』では田嶋陽子と毎回のように口論になる。参議院議員として活動していた田嶋については「タレント議員としてのいい加減さが露呈しており、国会議員としては落第者だ」と酷評している。一度「ハゲ」と言われた際には「私は一度でもあなたに『このブス野郎!』とか言ったことはあるか? 人の特徴を示して馬鹿にするな!」と激昂している[3]。ほかのパネラーが「脱毛」の話題を取り上げても不機嫌になることがある。ただし最近は聞き慣れたのか笑いながら流すこともある。ちなみにその後、田嶋と交流があった細川護熙を「ゲテモノ好み」と発言し、田嶋が「私もデスノートが欲しいわ」と発言するオチがついた。

三宅自身は本番前に「今日も一段と美しいお召し物ですな」と褒めているものの、田嶋に「本番では私に罵詈雑言を浴びせるくせに、本番前にそんなこと言って本当に調子がいいんだから!」と突っ込まれると、「それが紳士のたしなみである」と言い返している。「思想を憎んで人を憎まず」ともこの番組内で発言している。また「なんだかんだ言ってもやっぱり田嶋さんがいないとテンションが上がらない」と言っているときもある。あるときの放送では「あなたと言い争っていると何を言っているのか分からなくなってきた」と述べた。

上述のように喧嘩が多い三宅と田嶋だが、時には三宅が「お召し物」などのネタではなく、政治的な話題で田嶋を絶賛するときもある。田嶋が郵政民営化に関して、「とにかくまずは法案を通してそれからいろいろ変えていけばいい」と語ったときには、三宅は「そうです。流石は田嶋さん。よく勉強されている」と田嶋をほめちぎっていた。

[編集] 田原総一朗について

自身が不定期で出演をしているサンデープロジェクトの司会者である田原総一朗を軽蔑している。その理由として、田原が司会をつとめる朝まで生テレビ!で本来司会のはずの田原総一朗がただ自分の意見を述べるだけで、彼とは意見が違う他のパネラーの意見を完全否定したり、都合が悪くなると「ハイ、ここでCM入ります」と言って、一方的に議論を打ち切ってしまうことなどが挙げられる。「朝生」をはじめ、基本的に生放送の討論番組は、しゃべっている途中で「はいCMです」と遮られ、CMが終わってから「ではどうぞ」と言われても、CMの間にテンションが下がってしまう、という理由で、出演することを好まない。また、「朝生」に関しては、「だいたい夜中にやっているような番組はろくなもんじゃない」と切り捨てている。

しかしながら、2011年(平成23年)1月16日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』では、ゲスト出演していた田原との間で、互いに、「うるさい!」「出てけ!」などと他の出演者そっちのけで怒鳴り合う収拾のつかない場面も見せてはいたものの、最後には「今日は田原さんが来たからテンションが上がったけど」というように、田原に対して好意的な発言もしている。また、田原も自身のツイッター上で、「三宅さんとなら喧嘩しても大丈夫だと思った」と発言している。

[編集] テレビ番組内での立腹

自分の思想に反する発言を行うパネラーに対して、大声で発言することがある。

激高する例としては『ウェークアップ!ぷらす』において朝鮮半島についての話題が上った際に、井筒和幸と一触即発になったことがある(実際には井筒はほとんど反論せず、後にスポーツ誌のコラムで三宅を批判した)。「そこまで言って委員会」では、「宗教」をテーマにした回でゲスト・パネラーの飯星景子が自らも信者だった統一教会を批判した際、飯星に対し罵詈雑言を投げ付けた。「ビートたけしのTVタックル」では、ゲストの国会議員のみならず、浜田幸一とも激論を交わしている。

『たかじんのそこまで言って委員会』で、やしきたかじんと辛坊治郎がテレビ業界や視聴率の話題を始めると、不機嫌になって「そんなものは天下の一大事ではない」などと言う。またその際、夕方のニュース番組の内容がグルメや下世話な話題・芸能ネタばかりな点を挙げ、「あれのどこがニュース番組だ」と激しい口調で批判している(2009年1月18日放送分)。

ただし、近年は相手の意見を聞いてから反論、もしくはヒートアップした出演者たちをなだめる場面も多くみられるようになってきている。例として、「私は恐れ多くも後期高齢者だぞ」と冗談を込めて場をなだめることも見受けられる。

[編集] 趣味・プライベート

漫画は子供の想像力を奪うので、親はなるべく文学を読ませるべし、というのが持論だとされる。理由は、息子の小学校に授業参観に行った際に、クラスメイト全員が「鉄人28号」の絵ばかりを描いたのを見て驚愕したためという[要出典]。しかし、最近では、「麻生太郎からゴルゴ13をもらって読んだことがある」[4]と語ったり、江川達也日露戦争物語を「面白かった」と語る[5]など、以前と比べると容認の姿勢も見せている。

また、当初、昨今の大衆的なパソコンの利用には否定的だったが、2007年(平成19年)~2008年(平成20年)ごろに個人的目標として一念発起して、実際に自分自身でパソコンを使うようになった結果、その考えを改めた。自分の名前で検索して、Wikipediaで自分の記事などを閲覧したところ、「なかなか面白いねぇ、あれは」と発言した[6]。前述の「麻生太郎からゴルゴ13をもらって」のくだりは自らの編集によるものである(そのときの差分)。

「最近の若者は」という言葉はあまり使わないようにしているとたかじんのそこまで言って委員会で語っている[いつ?]

トリノ冬季五輪の際、カーリングを「漬物石を滑らしているだけ」、アイススケートを「広場の中をぐるぐる回っているだけで面白くない」、また芥川賞受賞作品『蛇にピアス』を「そんなに称賛するほどの作品でもない。なのに賞を取ったというだけで本を買っている連中がいる」と腐したことがある(「たかじんのそこまで言って委員会」[いつ?]、「TVタックル」[いつ?])。

たかじんnoばぁ〜』のDVDが2007年(平成19年)10月28日放送の『そこまで言って委員会』で紹介された際に興味深く気に入り、「もう、その番組はないんですか? もしも続いていたら、私が立候補して出演していたのにね」と番組終了を残念がっていたが、翌年にほぼ同じテイストの番組『たかじんTEPPAN』に念願の出演を果たした。

また、開業時からの大の東京ディズニーランドファンである(『情報ライブ ミヤネ屋2008年5月2日での発言。及び『たかじんのそこまで言って委員会』2008年7月27日での発言。2009年4月26日での発言)。

テレビ東京制作の『日経スペシャル ガイアの夜明け』は必ず見ており、またビールはスーパードライが好物[要出典]

たかじんのそこまで言って委員会2010年(平成22年)11月7日に放送された『ちゃんと知りたい!スペシャル』で「今関心がある事は何か」の質問があり、「AKB48に興味がある」と回答した。司会者の辛坊治郎に「AKB48って何だ。教えてほしい。年齢が自分のくらいのゆとり世代女の子が下手な踊りを披露していると思ったら違うみたいだね。」と発言した。

2010年(平成22年)12月5日のテレビ放送で「好きな都道府県嫌いな都道府県は」の質問に好きな都道府県は「岡山県である」と回答していた(2010年12月5日放送『たかんじんのそこまで言って委員会』より)。岡山県に地縁血縁があることから、出身地が東京都以外に岡山県出身であると発言しており、三宅家のルーツが岡山県であると別時間の同番組で発言している。ちなみに嫌いな都道府県は千葉県を挙げている。

著書である「三宅久之の書けなかった特ダネ 昭和~平成政治、25の真実」 (青春新書、2010年11月)によると、河野一郎から衆議院選挙で自由民主党からの出馬を打診されて、岡山県の倉敷市出身であると答えたら、「岡山2区ならどうだ」と言われてマスコミから政治家転身を薦められたエピソードと、男4人兄弟の末っ子で3人の兄は国立大学の東京大学一橋大学を卒業して、堅い職業である官僚などの公務員関係者となり、自分だけが私立大学の文学部を卒業してマスコミ関係者になったと記述している。

2010年(平成22年)4月26日の「TVタックル」で共演した三宅雪子議員とは同姓の「三宅」である関係で番組内で三宅久之の娘キャラとして話題となり、他人から「娘(お嬢さん)ですか」と度々誤解されていると述べた。その後の2010年(平成22年)11月28日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」 『アカンデミー賞2010』で三宅雪子議員が女優賞にノミネートされた際に「三宅さんの娘と誤解されているので迷惑している」と発言した。

[編集] その他

渋谷区神山町の実家は麻生太郎の実家の隣に在った。三宅家のお手伝いさんが犬を散歩している最中、麻生家で飼われていた秋田犬が三宅家の犬をズタズタに噛んでしまい、その怪我を麻生家かかりつけの犬医者に無料で治療してもらった事があったという[7]

2005年(平成17年)9月11日第44回衆議院議員総選挙郵政解散)について、異論が多いなか、「たかじんのそこまで言って委員会」で小泉純一郎首相の解散強行を早くから言い当てたことがある。

「たかじんのそこまで言って委員会」では、司会のやしきたかじんが「三宅先生がお亡くなりになった時点で番組終了」と繰り返し発言している(そのときのたかじんの態度や過去のたかじんの冠番組終了の背景などを見ると、本気の様子である)。実際に、2007年(平成19年)7月29日第21回参議院議員通常選挙において、「たかじんのそこまで言って委員会」をベースにした参院選開票特番(関西ローカル)を計画していたが、三宅が1年以上前からフジテレビの選挙特番出演が決まっていたことで断念したほど、それだけ三宅が番組に欠かせない存在と認識されていることにほかならない。またやしきは同番組内で「うちの若いもんを三宅先生のお宅に住み込みで修行させたい」とも発言している。

「ビートたけしのTVタックル」の番組の名物コーナー「永田町時代劇」では、本人役で出演している一人でもある。このようにだんだんバラエティー慣れもしてきており、毒舌でありながら笑いを誘うような言葉をわざと発することもある。

(^д^)のAAに似ていることから「たかじんのそこまで言って委員会」でのテロップに使われることがある(主に3ネタ目の雑談において)。幼少からの憧れであるモデルガンは今でも大好きであるが、妻からは幼稚であると切り捨てられる。口癖は「ポン助」「ポン子」「まぬけ」「そんなことありません」「けしからん」「バカモン」など。

特徴である禿頭は、結婚当初のころにはすでに禿の兆候が始まっており、30代前半のころには現在のようになっていたという。ただし「TVタックル」の番組内で、ほとんど髪がないにもかかわらず、床屋代が4000円もかかることを告白しており、現在でも大竹まことらからツッコまれている。

wikipediaについては、本人が、記述があることを認識しているが、事実と相違があることを明かしている。 (2011年1月16日放送『たかじんのそこまで言って委員会』)

[編集] 出演番組

[編集] レギュラー

[編集] 不定期出演

[編集] 過去

[編集] 著書

  • 宰相を争う男たち(時事通信社、1982年)
  • ドキュメント竹下政権の崩壊 誤算から瓦解への100日(編著:テレビ朝日、1989年7月)
  • 三宅久之のやじうま政治学・政治ジャーナリスト四十余年の臨床診断(ぴいぷる社、1995年6月)
  • 闘争 ― 渡辺恒雄の経営術(共著:ぺんぎん書房、2005年4月)
  • 日本の問題点をずばり読み解く.この国をダメにするもの良くするもの(青春出版社、2005年8月)
  • 14歳からの日本の選挙。 1票が国を動かす選挙の仕組みと政権交代。 45分でわかる!(マガジンハウス、2009年5月)
  • 政権力 一国のリーダーたる器とは (青春新書・青春出版社、2009年7月)
  • ニュースが伝えない政治と官僚 (青春新書、2009年11月)
  • 三宅久之の書けなかった特ダネ 昭和~平成政治、25の真実 (青春新書、2010年11月)

[編集] 脚注

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  1. ^ ダイヤモンドオンライン「週刊上杉隆」第126回 2010年5月20日「メディアを揺るがす“大贈収賄事件”官房機密費を懐に入れたマスコミ人たちの常識」
  2. ^ http://www.tachiagare.jp/ouen/
  3. ^ 田嶋陽子に対して一番激昂したのは彼女の思想ではなく、前述の「ハゲ」発言である。しかし、田嶋陽子に対しても「あなたのことを一度も夕日(逆光)の鬼瓦なんて言った覚えはありますか」と言い、宮崎哲弥橋下徹から「どっちかというとそっちのほうが傷つくでしょう」と言われたことがある。
  4. ^ 2010年9月25日「増刊!たかじんのそこまで言って委員会」。本人によるWikipedia編集
  5. ^ 2011年8月28日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」での発言
  6. ^ 「たかじんのそこまで言って委員会」2008年(平成20年)5月4日放送。
  7. ^ 『ビートたけしのTVタックル』 平成22年4月19日「もう黙っていられるか!べらんめぇ宰相の逆襲!俺が麻生太郎だ!!今だから全て話すぞSP」 テレビ朝日

[編集] 関連人物

[編集] 外部リンク

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