野間口貴彦
| 読売ジャイアンツ #45 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県尼崎市 |
| 生年月日 | 1983年5月31日(28歳) |
| 身長 体重 |
183cm 84kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2004年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2005年5月1日 |
| 年俸 | 1,650万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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野間口 貴彦(のまぐち たかひこ、1983年5月31日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。兵庫県尼崎市出身。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
1983年に兵庫県で生まれる。シニアリーグ時代に所属した伊丹シニアでAA世界野球選手権大会に出場した。2001年に関西創価高校から第73回選抜高等学校野球大会に出場。選抜初出場の同高でベスト4まで進出。2回戦では高井雄平と投げ合い1失点で完投勝利を収め、最終的に準決勝まで進出するが優勝した常総学院の横川史学にサヨナラ打を浴びて惜敗。この時点でプロからの誘いもあったが、大学進学を表明したことで指名回避された。
2002年に創価大学へ進学し、1年時から春のリーグ戦に登板するも「一発勝負の高校野球に比べ、リーグ戦の続く大学野球にあまり魅力を感じなかった」として[1]退学し、シダックス野球部に入社。
[編集] シダックス時代
野村克也から英才教育を受け、2003年の都市対抗野球では150km/hを超える速球を武器にエースとして活躍し、準優勝に貢献。さらに若獅子賞を獲得し、大会優秀選手にも選出された。また、IBAFワールドカップに出場して社会人ベストナインにも選ばれている。
この年のドラフト会議で、読売ジャイアンツ、阪神タイガース、西武ライオンズの3球団が野間口の獲得を目指した。阪神は同じシダックスの庄田隆弘を指名しており、小関順二は(どこで)この戦略を「(野間口獲得のためならば、阪神も)ドラフト巧者になった」と論評した。また巨人は、カツノリを金銭トレードで獲得し、野村から「もともとジャイアンツファン」とのコメントを引き出した。野間口本人はセントラル・リーグ希望であると報道され、野間口サイドもそれを否定しなかったことから、西武が獲得戦線から離脱。7月20日にシダックス側から西武と阪神に正式に断りの連絡が入り、事実上争奪戦は終結した。
2004年もエースとして活躍、チームは都市対抗野球に連続出場したものの準々決勝で敗退。第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選ばれ、出場した。都市対抗野球の準々決勝でシダックスが敗れた後、野間口本人の口から巨人に入団したい旨の発言があった。その秋の社会人野球日本選手権大会終了後、野間口は正式に巨人の自由獲得枠にて入団の意思表示を行い、2004年のドラフト会議で入団した。
[編集] プロ入り後
2005年はファームの開幕戦に先発したが、7回4失点で敗戦投手。一軍に昇格すると、5月1日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)で5回4失点ながら、雨天5回コールドになったため完投扱いで、プロ初登板初勝利初完投を達成した。その後2連勝するが失点が多く、初登板から4試合連続途中交代となって降格。故障もあって最終的に4勝3敗、防御率6.61の成績で終わった。5月21日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、5回表に岩本勉から本塁打を浴びている。
2006年は中盤に昇格して先発を務めるものの、結果が出ないまま原辰徳から「彼(野間口)を先発で起用した私が間違っていました」とまで言われた。シーズン後半は主に中継ぎとして好投し、最終的に26試合に登板している。
2007年も故障で出遅れ、中盤に昇格するものの結果を残せず降格する。2軍成績は15試合で5勝4敗。91回を投げて76奪三振、防御率は3.76だった。9月に入り、先発ローテーションが回らなくなったため、再昇格。9月12日、明治神宮野球場のクラブハウス前で原から「思い切って投げろ。オレが守ってやる」と直接言葉をかけられ、「吹っ切れました。健太朗も疲れてるだろうし、毎日どんな場面でも投げたい、腹をくくって」と一念発起し、以降活躍をみせた。
9月16日の対広島東洋カープ戦で6回無失点、シーズン初勝利を挙げると、9月22日の対横浜ベイスターズ戦ではプロ初となる9回1失点完投勝利を挙げた。さらには中3日となる9月26日の対中日ドラゴンズ戦で、4回のロングリリーフを無失点でこなし3勝目。10月2日の対東京ヤクルトスワローズとの優勝決定戦でも、9回表を1回無失点に抑えた。その裏にチームが逆転勝ちしたことから勝利投手となり、わずか17日の間に4勝を挙げ、久保裕也とともにチームを救った。この年は途中昇格ながら、先発・リリーフの両面でチームを助けることになり、5年ぶりの優勝につながる貢献と、オフの契約更改などでも評価されている。
2008年はメジャー移籍が確実な上原浩治にかわる若手先発育成の年とされ、その1番手候補として期待されたが、栂野雅史との競争に敗れて中継ぎ起用が主となった。さらに高橋尚成などの先発投手が不調となったことでローテーションを少人数で回すことになり、序盤は先発機会も失った。4月26日の対阪神タイガース戦では自己最速となる152km/hをマークし、リリーフが確立した5月の交流戦頃から2ヶ月ほど先発で起用され、前半戦の手薄な先発投手陣をカバーするが、前年のように長いイニングを投げることが出来ず降格となった。9月に再昇格したが、上原の復調や東野峻、久保の活躍などもあり中継ぎとして起用にとどまった。
2009年も中継ぎ中心として起用された。25試合に登板して1勝1敗3セーブ、防御率4.97だった。
2010年は12試合の登板にとどまり、防御率も6.52に悪化した。シーズン終了後には、サイドスローで通算180勝を飾った斎藤雅樹投手コーチの指導の下でサイドスローへの転向を目指した。
2011年、開幕前に背番号が45に変更となった。サイドスローの習得に苦しみ開幕は二軍スタートとなった。4月下旬には肘の位置をやや上げてスリー・クォーター気味にフォームを変え、球威と制球が改善した。8月21日にはフォーム改造後初の一軍登板を果たした[2]。8月31日の横浜戦では6回からマウンドに上がると4者連続三振の好投で2イニングを無失点に抑え、1年ぶりの白星を手にした[3]。
[編集] プレースタイル
サイドスローから投じる130キロ台半ばの直球とカーブなどの緩い変化球が持ち球[4]。
オーバースローの頃は最速152km/hの速球を中心に、鋭いスライダーやフォークボールを武器にしていた。
[編集] 人物
2005年頃からモデルの押切もえと交際していたが、2009年秋に破局が報じられた[5]。
2011年11月24日、一般人の女性と結婚することが発表された[6]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 巨人 | 9 | 9 | 1 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 210 | 47.2 | 51 | 12 | 17 | 0 | 0 | 32 | 2 | 0 | 36 | 35 | 6.61 | 1.43 |
| 2006 | 26 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 3 | .250 | 186 | 42.0 | 37 | 5 | 21 | 2 | 1 | 33 | 0 | 0 | 20 | 16 | 3.43 | 1.38 | |
| 2007 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 98 | 25.0 | 21 | 0 | 2 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 5 | 5 | 1.80 | 0.92 | |
| 2008 | 17 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | .400 | 226 | 52.2 | 58 | 8 | 11 | 0 | 4 | 39 | 1 | 0 | 30 | 29 | 4.96 | 1.31 | |
| 2009 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | .000 | 133 | 29.0 | 30 | 4 | 20 | 1 | 4 | 28 | 0 | 0 | 16 | 16 | 4.97 | 1.72 | |
| 2010 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 89 | 19.1 | 22 | 6 | 9 | 0 | 1 | 12 | 0 | 0 | 16 | 14 | 6.52 | 1.60 | |
| 2011 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 56 | 13.2 | 12 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 5 | 3 | 1.98 | 1.10 | |
| 通算:7年 | 108 | 22 | 2 | 0 | 0 | 13 | 12 | 1 | 9 | .520 | 998 | 229.1 | 231 | 35 | 83 | 3 | 11 | 170 | 3 | 0 | 128 | 118 | 4.63 | 1.37 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 投手記録
- 初登板・初勝利・初完投勝利:2005年5月1日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、5回2失点(雨天コールド)
- 初奪三振:同上、1回裏に尾形佳紀から
- 初ホールド:2006年4月14日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、10回裏に5番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:2009年7月10日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)、12回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
- 打撃記録
[編集] 背番号
- 13 (2005年 - 2006年)
- 33 (2007年 - 2010年)
- 45 (2011年 - )
[編集] 脚注
- ^ 「グランドスラム」23号のインタビューより。
- ^ “NEW野間口、完全復活!スリークオーターで今季初登板”. スポーツ報知. (2011年8月21日) 2009年9月1日閲覧。
- ^ サイド転向初!野間口感激○ 4者連続Kもスポニチannex 2011年9月1日
- ^ 巨人モデルチェンジ右腕 最速152キロから16キロダウンも首脳陣評価スポニチannex 2011年2月14日
- ^ 押切もえ、野間口と破局、交際4年スポーツ報知 2009年9月25日
- ^ 野間口、5歳下一般女性と結婚!…交際スタートは今年からスポーツ報知 2011年11月24日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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