草野大輔

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草野 大輔
東北楽天ゴールデンイーグルス #12
Kusano daisuke.jpg
2011年8月30日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県延岡市
生年月日 1976年12月4日(35歳)
身長
体重
170cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手一塁手左翼手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト8巡目
初出場 2006年3月26日
年俸 5,300万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

草野 大輔(くさの だいすけ、1976年12月4日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

延岡学園高等学校では3番・遊撃手として活躍。1994年夏の宮崎県大会では、決勝戦で福盛和男擁する都城高等学校を破って甲子園に出場したが、初戦で東京農業大学第二高等学校に4-12で敗れた。1995年、NTT東京硬式野球部(東京都)に入部した。

1999年、NTT東京がNTT東日本に統合されたことにより、NTT九州硬式野球部(熊本市)へ移籍。第70回都市対抗野球大会出場。その後、所属チームは企業チームとしての活動を終了。名称も改め、「NTT西日本九州野球クラブ」(後に「NTTグループ九州野球クラブ」と改称)となる。しかし、2001年、所属チームが解散。ホンダ熊本へ移籍した。

2002年、九州地区予選で、当時エースだった坂本保(現ホンダ)とともに、3番・遊撃手としてチームを引っ張り、第73回都市対抗野球大会出場し、準優勝。2003年は、第74回都市対抗野球大会出場し、ベスト8に進出した。

2004年2005年、所属チームは都市対抗野球大会への出場を逃すが、JR九州の補強選手として大会に出場した。JR九州は各年、ベスト8・ベスト4入りした。JR九州では三塁手を務めた。

2003年以降、全日本代表に4度選出され、社会人野球を代表する内野手となる。全日本では二塁手として出場した(目次4の「日本代表キャリア・社会人時代」を参照)。

2005年、大学生・社会人ドラフト8巡目で東北楽天ゴールデンイーグルスに指名される。年齢的にプロ野球選手はほとんどあきらめていたが、悩み抜いた末、29歳・妻子ありでのプロ入りを決断した。その際、高校の先輩である黒木知宏にも相談した[1]

[編集] プロ入り後

ルーキーイヤーの2006年、故障で出遅れた高須洋介に代わり、開幕2戦目の日本ハム戦(札幌ドーム)に8番二塁手で初出場、初安打となる二塁打を放つ。その後は同じく新人の西村弥、二年目の塩川達也遊撃手のポジションを争うものの、出場選手登録・抹消を繰り返す。結局一軍に43試合出場し打率.210と定着しきれなかったが、二軍では41試合出場し打率.348、4本塁打、6盗塁の結果を残した。

2007年は、開幕戦の西武戦(グッドウィルドーム)で、2番三塁手としてスタメン出場し、西口文也からプロ初本塁打を放つ幸先の良いスタートとなった。前半戦は「落ちるとこまで落ちた」と自身も語る打撃不振に陥り[2]、同じショートの渡辺直人の台頭もあり、スタメンを外れ代打に回る機会が多くなる。しかし、代打で結果を残すようになり、ホセ・フェルナンデスの不振から、交流戦明けからは三塁手でのスタメン出場が増えてきた(ただし、相手先発投手が左の時は、スタメンを外れる事が多かった)。7月、池山隆寛打撃コーチからアドバイスを受け、腰を低く落とした打撃練習に取り組む[3]。 この練習が功を奏し、チェンジアップなど縦に変化するボールに対応できるようになってきた8月ごろから、打率が上がり始める。8月10日ロッテ戦(仙台)でプロ初のサヨナラヒットを放ち、同月21日にはロッテ戦(千葉)でソロ本塁打。この試合後、野村監督は「勝負強いし、(打撃に関しては)天才的なところがある。草野を3番に」とコメントした。これ以降、先発投手の左右に関係なく、3番・三塁手でのスタメン出場が定着する。9月には15日・21日・24日・27日・29日・30日と、続けざまに猛打賞を記録。チームの勝利に貢献する殊勲打をたびたび叩き出し、楽天の最下位脱出(単独4位)の立役者の一人となった。最終的には規定打席不足ながら、打率.320を記録する。また2ストライクからの打率は両リーグでトップの打率.328を記録。一方で守備面ではリーグ5位の14失策を記録してしまった。

2008年は、オープン戦で打率.333(チームトップ)と好成績を残し、3番三塁手で2年連続の開幕スタメン出場を果たした。しかし、開幕後は打率が1割台と打撃不振に陥り、二軍落ちした。夏場頃には調子を戻し始めたが、それでも成績は乏しかったためスタメンを外れることが多々あった。また、8月からはフェルナンド・セギノールが入団した影響でホセ・フェルナンデスが三塁に回り、自身は代打、守備要員になってしまう。しかし、代打で連続打席安打を記録するなど、ここ一番での勝負強さを見せた。

2011年

2009年、レギュラー奪回を目指すシーズンであったが、オープン戦時に右ふくらはぎの肉離れにより登録抹消、開幕一軍入りはならなかった。4月12日の西武戦で一軍復帰し、6番三塁でスタメン出場するといきなり4安打と活躍した。中村紀洋の加入で空いたポジションがなくなったため、野村監督の苦肉の策として19日にプロ入り後、全く経験のない左翼の守備に就かせ、22日には初めて左翼でのスタメン出場を果たした。4・5月は5割弱の高打率を維持、球団新記録となる21試合連続安打を記録した(その後鉄平に抜かれた)。交流戦では17試合続けて4番も打った。シーズン途中に外野手のトッド・リンデンを獲得してからは、攻撃的なオーダーを組むために二塁に回った。5月25日に不足打席分が解消され規定打席に到達。打率.402で首位打者に躍り出た。7月にはオールスターゲームファン投票で外野手部門3位に輝き、初のオールスター出場を果たす。川井雄太から初安打を放ち、1戦目で左翼、2戦目で二塁・三塁を守ってユーティリティーぶりを発揮した。8月4日、サードゴロを捌く際に右足のスパイクで自らの左足のズボンの裾を踏んで転倒してしまい、ぎっくり腰で一軍登録を外れたが、半月で再登録された。中村紀の二軍落ち後は三塁のレギュラーに固定され、自身初の規定打席に到達し打率.305 54打点(自己最高打点)の成績を残した。一方、前半の活躍の警戒からか両リーグ最多の17死球を記録した。

2010年アンディ・フィリップスの加入や中村紀の復調により準レギュラーとして開幕を迎える。その後フィリップスの不調によってレギュラーに戻るが、ランディー・ルイーズの加入によって再びベンチ要員に戻った。この年は内村賢介牧田明久など、それまで控えに甘んじていた選手がスタメンに名を連ねてきたこともあり、シーズン後半は内外野ほぼ全員を巻き込んだレギュラー争いとなった。このため草野は毎日のように違った守備位置についた。更に終盤には死球を右手甲に受け骨折してしまうなど、苦い1年となった。

2011年、新入団の岩村明憲が三塁に固定され、一塁のレギュラー候補であるランディー・ルイーズの守備難という事情も踏まえ、選手起用のバリエーションを増やしたい星野仙一新監督の方針によりキャンプからは一塁の守備練習を開始した。シーズンを通じて調子が上がらず、2007年以後、自己最低の成績に終わった。

[編集] プレースタイル

野村克也から「天才的」と評されたほどの打撃センスを持ち、確実性を欠きやすい右足を大きく上げるフォームにも関わらず、天性の反射神経とバットコントロールで安打を放つ[4]。初球に手を出す事は少ないが、早めに打ちに行くタイプで三振四球共に少ない。通算の対右打率.287に対し、対左でも.277と投手の左右を苦にしない。

一塁到達4.08秒を記録する脚力も備え[5]、守備ではプロ入り前から内野各ポジションを経験しており、2009年からは左翼手右翼手での外野守備も経験した。更に2010年の公式戦では一塁手も経験しており、公式戦で内野を全て経験しているが、主に二塁手三塁手での出場が多く、現在では遊撃手としての出場はほぼ無い。三塁手としては2007年に2桁失策を記録したものの、翌年以降は守備率が改善している。

打席ではホームベースから近い位置に立っているためか死球が多い。2009年にはリーグ最多、2011年には規定打席に大幅に届かなかったにも関わらずチーム最多の死球を記録している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 楽天 43 112 100 6 21 6 0 0 27 2 0 0 5 0 7 1 0 17 1 .210 .262 .270 .532
2007 119 387 344 45 110 19 2 8 157 44 1 2 1 2 32 2 8 34 7 .320 .389 .456 .845
2008 118 365 328 36 89 15 0 3 113 36 2 0 7 4 20 1 6 33 6 .271 .321 .345 .666
2009 122 511 462 55 141 28 0 7 190 54 3 0 3 2 27 1 17 60 15 .305 .364 .411 .775
2010 111 378 346 33 89 25 1 5 131 48 0 4 1 2 23 0 6 43 7 .257 .313 .379 .692
2011 92 291 252 21 62 8 0 2 76 14 3 1 3 1 24 3 11 34 5 .246 .337 .302 .639
通算:6年 605 2044 1832 196 512 101 3 25 694 198 9 7 20 11 133 8 48 221 41 .279 .342 .379 .721
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 - 13 18 20 2 3 .950 15 8 14 1 2 .957 18 23 34 2 15 .966 -
2007 - 6 13 7 0 3 1.000 86 45 121 10 20 .943 22 30 53 4 12 .954 -
2008 - 11 20 19 0 3 1.000 99 52 132 4 13 .979 1 0 0 0 0 ---- -
2009 - 35 62 80 1 22 .993 91 53 145 4 12 .980 - 24 31 1 0 0 1.000
2010 1 0 0 0 0 ---- 14 34 20 2 7 .964 44 27 89 4 8 .967 - 44 48 1 2 0 .961
2011 44 222 19 2 11 .992 - 40 22 47 3 2 .958 - 13 17 0 0 0 1.000
通算 45 222 19 2 11 .992 79 147 146 5 38 .983 375 207 548 26 57 .967 41 53 87 6 27 .959 81 96 2 2 0 .980
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 12 (2006年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 日本代表キャリア(社会人時代)

[編集] 脚注

  1. ^ 河北新報 羽ばたけイーグルス 2006年1月14日
  2. ^ NHK総合 土曜スポーツタイム「逆境に強い男」 2007年12月15日
  3. ^ スカイA sports 楽天わしづかみ#4「草野大輔選手 今シーズンを振り返る」2007年12月24日
  4. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、234頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  5. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、196頁。ISBN 978-4-7572-1628-0

[編集] 関連項目

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