三木均

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三木 均
鷺宮製作所
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府泉佐野市
生年月日 1982年8月8日(26歳)
身長
体重
179cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2005年4月21日
最終出場 2007年9月7日
経歴(括弧内は在籍年)

三木 均(みき ひとし、1982年8月8日 - )は、社会人野球鷺宮製作所硬式野球部に所属 する野球選手投手)である。 

プロ野球選手であり、2005年から2008年まで読売ジャイアンツに所属していた。

目次

[編集] 経歴

大阪府泉佐野市出身。飛翔館高校(現:近畿大学泉州高校)から八戸大学へ進学。同大学での1年先輩には川島亮(現ヤクルト)と石川賢(現楽天)がいる。

2004年プロ野球ドラフト会議において、巨人から自由獲得枠で指名を受け入団。自由枠入団であるが、巨人は当初、大学No.1と目されていた明治大学一場靖弘にこの枠を使う予定であった。その後に起きたプロ野球裏金問題における経緯で巨人が一場の指名を取り下げることになり、代わって浮上したのが三木だった。裏金問題は後の多くのプロ志望アマチュア選手に大きな影響を与えることになるが、三木はそれを直接に受けた選手と言える。

2005年4月21日の対阪神戦でプロ初登板。1年目から4試合に登板するが、勝ち負けはつかず。同年、チームは「僕を見てくれ」という有力選手のキャッチコピーをアピールするキャンペーンを行っていたが、三木も新人ながら選ばれていた(キャッチコピーは「絶対に逃げない、三木均のハートを見てくれ」)。翌2006年は一軍登板無しに終わる。

2007年は2年振りに一軍で登板したが結果は残せなかった。オフの11月2日戦力外通告を受け、11月30日自由契約公示される。その後、本人が巨人での現役続行を希望していたため、育成選手として再契約に至った。11月から12月にかけて、深沢和帆とともにドミニカ共和国のウィンターリーグに派遣された。

2008年は育成選手として再起に励んでいたが、二軍の公式戦で5試合に登板したのみで、球団から戦力外通告を受け退団。その後12球団合同トライアウトに参加したが、元同僚の山本光将にホームランを打たれるなど納得のいく結果が残せず、他球団から声は掛からなかった。巨人などから打撃投手として契約の打診はあったが、三木は現役にこだわり、社会人野球選手として鷺宮製作所へ加入することになった。なお、この過程は揺れる三木を叱咤激励する妻とのやり取りや戦力外通告後に行われた結婚式の光景を交えて、同年12月30日に放送されたTBSのドキュメンタリー番組「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」で取り上げられた。

[編集] プレースタイル

140km/h台後半の直球に多彩な変化球を持っており、日本プロ野球だけでなく、メジャーリーグを含めても少ないナックルボールの使い手であった。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
2005 巨人 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 25 4.0 7 0 6 0 1 3 0 0 5 5 11.25 3.25
2007 4 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 12 1.2 5 1 1 0 0 1 0 0 2 2 10.80 3.60
通算:2年 8 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 37 5.2 12 1 7 0 1 4 0 0 7 7 11.12 3.35

[編集] 個人記録

[編集] 背番号

  • 41(2005年 - 2006年)
  • 57(2007年)
  • 105(2008年)

[編集] 関連項目