高橋尚成
エンゼルス時代
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都墨田区 |
| 生年月日 | 1975年4月2日(38歳) |
| 身長 体重 |
5' 10" =約177.8 cm 180 lb =約81.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト1位(逆指名) |
| 初出場 | NPB / 2000年4月6日 MLB / 2010年4月7日 |
| 年俸 | $ 1,000,000(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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高橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日[1] - )は、東京都墨田区出身のプロ野球選手(投手)。現在はシカゴ・カブス傘下のAAA級アイオワ・カブスに所属。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
1993年、修徳高校3年時に夏の甲子園でベスト8に進出し[1]、秋の国体で優勝。甲子園では1試合4犠打の記録を作った(他に2名タイ記録保持)。東都の駒澤大学に進学し[1]、安井玲緒直らと活躍。東都大学リーグで通算60試合に登板し17勝11敗、防御率2.58、239奪三振。東芝に進んでからは、1999年の第70回都市対抗野球大会で優勝を飾り[1]、優秀投手に選ばれる活躍をする。同年のドラフト会議で1位[1](逆指名)で読売ジャイアンツに入団。
巨人時代 [編集]
2000年、4月6日の中日ドラゴンズ戦で堀内恒夫以来の初先発・初勝利を挙げるなど、シーズン当初から活躍。新人王こそ首位打者を獲得した金城龍彦に譲ったものの最終的に9勝6敗、防御率3.18の好成績を挙げる。同年の日本シリーズでは第5戦福岡ドームに先発し、史上10人目、巨人の投手としては5人目の初登板初完封を飾り、優秀選手賞を受賞した。
2001年も9勝、2002年には初の10勝を挙げて巨人の先発投手陣の一角として地位を築いていく。2003年5月21日の福岡ドームでのヤクルト戦で、完封ペースで投げていたが、左翼手のクリス・レイサムが2アウトとなるフライ打球処理後に誤ってボールをスタンドに投げ入れてしまい、二塁ランナーのホームインで完封勝ちを逃した(この場合、野球規則7.05g(1)により、二塁走者には二個の安全進塁権が与えられる)試合は2-1で完投勝利。この年、幼稚園教諭をしていた女性と結婚。
2004年は故障もあって思うように投げることができず、2005年もローテーションこそ守るものの不安定な投球が多く、2年連続で10敗を喫するなど負け越しの成績に終わる。10敗のうち5月8日宮城での東北楽天ゴールデンイーグルス戦で岩隈久志と投げ合い敗北した分も含まれ、球団史上初の交流戦敗戦投手となった。03~05年の3年間は17勝26敗で防御率4.57に終わった。
2006年は内角攻めのスタイルを取り入れ、オープン戦から快投が続いたが、開幕早々4月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で、ベンチに飛んできた青木宣親のファウルボールが顔面を直撃。右頬の骨折で長期離脱。復帰後は抑え投手に回って15セーブを挙げた。しかし、高橋の抑えは本来の抑えである豊田清が離脱していたことによる緊急措置であり、オフの交渉では清武英利球団代表に翌年の先発復帰を直訴し、前年オフの熱海後楽園ホテルでの納会の席では宴が始まり「少し酔ってきたかな」という頃を狙って高橋が監督の原辰徳にお酌をしに行き、「2007年は是非先発で……」と直訴しにいったという[2]。
2007年には先発に復帰、4月には月間5勝を挙げ、球団の左投手としては1979年5月の新浦壽夫以来、28年ぶりの快挙を成し遂げた。6月21日に実父が死去。葬儀に駆けつけられない中、23日の西武戦でチームでは1999年7月4日の上原浩治以来となる12球団一番乗りの10勝を達成。6月中では1990年6月22日の斎藤雅樹以来の記録になる。入団8年目にして監督推薦によりオールスターゲーム初出場を勝ち取り、フルキャストスタジアム宮城での第2戦に先発、山崎武司にホームランを打たれ2イニングで2失点を喫したものの、阿部慎之助の3ランなどのセ・リーグの打線の奮起に助けられて勝利投手となっている。シーズンでは自己最多となる14勝を挙げ、リーグ優勝に大きく貢献。シーズン終盤8月2日から9月15日まで1ヶ月以上白星が無いという状況になり一時的にセス・グライシンガーに防御率を抜かれたが、最後は2連勝で初の個人タイトルとなる最優秀防御率も獲得した。2007年のベースボールTVのインタビューの中で、「目標は、いつかは完全試合を達成する事。また工藤公康、桑田真澄らベテランが去り、内海哲也、金刃憲人や復活を遂げた木佐貫洋など、若手台頭の中でジャイアンツ投手陣の(上原と共に)最年長投手となり、G投手陣のリーダーになる」という宣言をした。
2008年は初の開幕投手に指名されヤクルト戦に登板したが、雨足が強く不運な安打もあったことから4回5失点と奮わず、チームも2対6で大敗した。その後の登板でも不振は続き、5月20日の千葉ロッテマリーンズ戦で3回途中6失点と打ち込まれたのを機に再調整を命じられ、出場選手登録を抹消された。なお、後半には調子を取り戻し、最終的に8勝をマーク。
2009年は8月終了時点で5勝6敗と低調だったが、9月以降に5連勝を記録し10勝6敗でシーズンを終え、自身3度目となる二桁勝利を達成。防御率も2.94を記録した。11月17日には海外FA権を行使。ピーター・グリーンバーグが代表取締役を務めるPEG社と業務提携しているGSEグループの中西剛を代理人とし、メジャーへの移籍を目指すことを発表した[3]。
メジャーリーグ時代 [編集]
(日付は全て現地時間)
ニューヨーク・メッツ [編集]
2010年2月11日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結ぶ。スプリングトレーニングで13イニング4失点(防御率2.77)となり、開幕直前にメジャー入りする。4月7日のフロリダ・マーリンズ戦の延長10回に6番手としてメジャー初登板。打者4人に対し2安打1四球1失点で敗戦投手となった。23日のアトランタ・ブレーブス戦では先発ジョン・メインの故障降板を受け緊急登板。3回を2安打1四球7奪三振1失点に抑えメジャー初勝利を記録。打席でも川上憲伸からメジャー初安打を放った。5月21日のニューヨーク・ヤンキース戦ではメジャー初先発し、6回5安打無失点と好投するも勝敗はつかなかった。8月16日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初セーブを記録。チームはクローザーのフランシスコ・ロドリゲスの離脱を受け、複数の投手をクローザーとして起用する方針だったが、この日の好投でクローザーに指名された。10月1日のワシントン・ナショナルズ戦では同点の9回から登板。2回を無安打無失点4奪三振に抑え、延長10回にジョシュ・トーリーがサヨナラ打を放ち、日本人メジャーリーガーとしては4人目、メッツでは1985年のリック・アギレラ以来25年ぶりとなる新人での2桁勝利を記録した。最終的に先発としては4勝4敗、防御率5.01、WHIP1.45と振るわなかったが、リリーフでは6勝2敗8セーブ、リーグ9位の防御率2.04、WHIP1.13と結果を残し10勝を記録。この年の日本人メジャーリーガーの中では黒田博樹(11勝)に次いで2番目に多い勝ち星を挙げた。オフには再契約交渉がまとまらず11月5日にウエーバー公示される。代理人をアーン・テレムに変更し、12月2日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと総額800万ドルの2年契約を結ぶ[4]。背番号は巨人時代からの愛着の『21』に決まった。
ロサンゼルス・エンゼルス [編集]
2011年はワンポイントや回をまたいだ登板など様々な場面でのリリーフ起用のみとなり、5月には11試合の登板で0勝1敗、防御率6.30、WHIP1.80を喫したが、6月に復調し前半戦は36試合の登板で2勝2敗、防御率3.62、WHIP1.33で折り返す。8月15日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャー通算100試合登板を達成し、後半戦は25試合の登板で2勝1敗2セーブ、防御率3.23、WHIP1.07の成績を残した。シーズンを通してはチームで2番目に多い61試合に登板し、右打者を被打率.206に抑えた他、5月と8月には防御率6点台以上を喫したが、一方で6月と9月には防御率0点台を残すなど好不調の波が激しかった。日本人選手との対戦ではイチローを3打数無安打、松井秀喜を2打数無安打、西岡剛を2打数無安打と全て無安打に抑えた。
2012年は、4月に8試合の登板で0勝1敗、防御率9.95、WHIP1.89と不調に陥るが、5月には10試合の登板で0勝1敗、防御率1.86、WHIP0.93と復調。前半戦を28試合の登板で0勝2敗、防御率4.15、WHIP1.08の成績で終える。7月28日にはチームにザック・グレインキーが加入したことに伴いAAA級ソルトレイクに降格したが、スコット・ダウンズの故障に伴い31日に昇格。しかし8月は8試合の登板で0勝1敗、防御率7.71、WHIP1.57と再び不調に陥り、8月19日に再降格した。
ピッツバーグ・パイレーツ [編集]
8月24日にウェーバーでピッツバーグ・パイレーツに移籍するが、9試合の登板で防御率8.64、WHIP1.68を喫する。前年に続き、日本人選手との対戦ではイチローを3打数無安打、川﨑宗則を1打数無安打、青木宣親を1打数無安打と全て無安打に抑えた。チームはプレーオフ進出を争っていたが、9月27日に出場可能性が消滅し、30日には20年連続負け越しも決定。シーズン終了後には「今年はいろいろ大変だったけれど、自分の中では楽しめた。自分を知ってもらう努力をしたし、新しい仲間が増えた。アメリカに来る時、眠れなくなるほど悩んだ。簡単には帰れない。自分が納得できるまでこっちでやりたい」とコメント[5]。12月27日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。
シカゴ・カブス [編集]
2013年、スプリングトレーニングに招待選手として参加し、2先発を含む9試合の登板で防御率4.42、WHIP1.36の成績を喫するが、メジャー開幕25人枠入りする[6]。しかし、開幕から3試合の登板で2失点を喫し、4月16日にDFAとなり40人枠から外れ[7]、18日にAAA級アイオワに降格した[8]。
選手としての特徴 [編集]
上半身と下半身がうまく連動したフォームで、日本での通算与四球率2.50という制球力の良さを持ち味とする[9]。
平均球速88.8mph(約143km/h)、最速92mph(約148km/h)のストレートとスライダー、シンカー(チェンジアップとも呼称される)、シュート(ツーシームとも呼称される)、カーブを投げ分け、稀にフォークとカットボールも交える[10]。丹念にコーナーを突くスタイルを得意とし[11]、2010年はさらにコーナーをつく投球を心がけた結果、日本時代と比べ与四球率は高くなってしまったものの奪三振率が大幅に上昇[12]。リリーフとしてはメジャー通算で8.40と高い奪三振率を記録するようになった。
デレク・ジーターは「チェンジアップ(シンカー)やカーブをうまく混ぜてくるので直球が実際より速く感じる。コントロールがよくボール球が少ないね」と評しており、国立スポーツ科学センターの神事努は高橋の速球について「腕の振りは遅いが手首の回転で速度を稼いでおり、そのためバッターは予想以上に速く感じる」、高橋のシンカーについて「普通の人が投げないボール。一般的な落ちる球に比べ回転数が多く、落ちながらよく曲がる。バッターとしては追いかけて打たなければならない上に、初速が遅いためタイミングを合わせづらい。かなり打つのが難しいボール」と解説している[13]。
シンカーを覚えたきっかけは修徳高校時代の2年時にコールド負けをしたことで、当時ストレートとスライダーしか投げられなかった高橋は参考程度にシンカーの握りを教わったところ2, 3球投げただけでボールの軌道が変化した。そういった適性、器用さを持っていたと当時の修徳高校監督の大橋寿一は語っている[13]。
日本でのポストシーズンにおいて、東京ドームで登板した試合は勝ち星が一つもない。2009年までで日本シリーズは4回出場(2000年・2002年・2008年・2009年)している。2000年の第5戦、2002年の第4戦はビジター球場で白星を挙げたのに対して、ホームゲームでは3度登板(2008年の第2戦・第6戦と2009年の第4戦)して、2敗を喫している。2008年の第6戦では西武に逆王手をかけられ日本一を奪われ、2009年は本拠地での胴上げを消滅させた(巨人は日本一になるも胴上げは第6戦の札幌ドームにて披露)。また、2007年から始まったクライマックスシリーズには、東京ドームで3度登板しているが、0勝1敗である。
人物 [編集]
家族は妻と子がいることを公表している。
ジャイアンツ時代には同姓の高橋由伸がいる為、チーム内からは「ヒサノリ」と呼ばれ、試合では「高橋尚」と表記された。生年月日はジャイアンツで同僚だった高橋由伸、上原浩治と一日違いである。
宴会などで酔うと羽目を外したパフォーマンスをすることで知られる。2000年の優勝時の祝勝会では床にうつ伏せで寝転んで、お尻を露出しはしゃいだ。同年オフの納会においては監督の長嶋茂雄の目の前で「闘魂こめて」にあわせて箸をタクトのように振った。2002年の祝勝会においてもヒョウ柄のTバックを着用してお尻を露出、さらに鼻血を出すに及んだ。後日高橋は妻の叱責を受け、この年の日本シリーズの対戦相手である西武監督の伊原春樹からは「汚いし、品位がない。全国放送で見せるもんじゃない」と痛烈に批判された。伊原に批判されたことを知った高橋は「カミさんに言われるのは納得するが、敵の監督に言われると腹が立つ」と発奮。日本シリーズ第4戦に先発した高橋は好投し、勝利投手となった。
このようなことから、「宴会部長」の異名を持つが、特にお尻の露出については、“球界の紳士たれ”とする巨人軍の選手にあるまじき行為として一部ファンの批判も強かった。結婚など私生活の変化もあってか近年は露骨なパフォーマンスは控えられている。前述の伊原は2007年から巨人の野手総合コーチを務め、同年のリーグ優勝目前には高橋の「お尻出し」を容認する発言をしたため、高橋の対応が注目されたが、祝勝会において高橋がお尻を露出する姿は見られなかった。
詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | 巨人 | 24 | 23 | 3 | 2 | 1 | 9 | 6 | 0 | -- | .600 | 563 | 135.2 | 133 | 10 | 36 | 3 | 2 | 102 | 1 | 0 | 59 | 48 | 3.18 | 1.25 |
| 2001 | 30 | 23 | 3 | 1 | 0 | 9 | 9 | 0 | -- | .500 | 584 | 134.2 | 126 | 20 | 52 | 2 | 3 | 99 | 4 | 0 | 65 | 59 | 3.94 | 1.32 | |
| 2002 | 24 | 23 | 2 | 0 | 1 | 10 | 4 | 0 | -- | .714 | 669 | 163.1 | 143 | 16 | 39 | 1 | 6 | 145 | 4 | 1 | 58 | 56 | 3.09 | 1.11 | |
| 2003 | 13 | 13 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | -- | .500 | 364 | 86.2 | 79 | 14 | 27 | 1 | 4 | 78 | 1 | 1 | 42 | 37 | 3.84 | 1.22 | |
| 2004 | 16 | 16 | 3 | 1 | 1 | 5 | 10 | 0 | -- | .333 | 402 | 91.0 | 107 | 18 | 26 | 0 | 3 | 61 | 3 | 0 | 59 | 55 | 5.44 | 1.46 | |
| 2005 | 27 | 26 | 4 | 2 | 0 | 8 | 12 | 0 | 1 | .400 | 695 | 163.0 | 171 | 18 | 48 | 1 | 4 | 135 | 1 | 0 | 88 | 81 | 4.47 | 1.34 | |
| 2006 | 35 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 15 | 4 | .250 | 266 | 62.0 | 70 | 10 | 15 | 2 | 1 | 51 | 1 | 0 | 36 | 34 | 4.94 | 1.37 | |
| 2007 | 28 | 27 | 2 | 2 | 0 | 14 | 4 | 0 | 0 | .778 | 764 | 186.2 | 168 | 21 | 50 | 4 | 2 | 141 | 1 | 0 | 63 | 57 | 2.75 | 1.17 | |
| 2008 | 23 | 22 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | .615 | 518 | 122.0 | 127 | 16 | 30 | 0 | 5 | 94 | 2 | 0 | 63 | 56 | 4.13 | 1.29 | |
| 2009 | 25 | 25 | 1 | 0 | 0 | 10 | 6 | 0 | 0 | .625 | 610 | 144.0 | 147 | 16 | 36 | 1 | 6 | 126 | 0 | 2 | 58 | 47 | 2.94 | 1.27 | |
| 2010 | NYM | 53 | 12 | 0 | 0 | 0 | 10 | 6 | 8 | 3 | .625 | 516 | 122.0 | 116 | 13 | 43 | 7 | 0 | 114 | 1 | 1 | 51 | 49 | 3.61 | 1.30 |
| 2011 | LAA | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 2 | 7 | .571 | 281 | 68.0 | 58 | 7 | 25 | 8 | 0 | 52 | 1 | 0 | 30 | 26 | 3.44 | 1.22 |
| 2012 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | .000 | 173 | 42.0 | 39 | 6 | 10 | 1 | 0 | 41 | 0 | 0 | 24 | 23 | 4.93 | 1.17 | |
| PIT | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 39 | 8.1 | 10 | 2 | 4 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 8 | 8 | 8.64 | 1.68 | |
| '12計 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | .000 | 212 | 50.1 | 49 | 8 | 14 | 1 | 0 | 52 | 0 | 0 | 32 | 31 | 5.54 | 1.25 | |
| NPB:10年 | 245 | 202 | 21 | 8 | 3 | 79 | 66 | 15 | 5 | .535 | 5435 | 1289.0 | 1271 | 159 | 359 | 15 | 36 | 1032 | 18 | 4 | 591 | 530 | 3.70 | 1.26 | |
| MLB:3年 | 165 | 12 | 0 | 0 | 0 | 14 | 12 | 10 | 13 | .538 | 1009 | 240.1 | 223 | 28 | 82 | 16 | 0 | 218 | 2 | 1 | 113 | 106 | 3.97 | 1.27 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル [編集]
表彰 [編集]
- 最優秀バッテリー賞:1回 (2007年、捕手:阿部慎之助)
- ベストナイン:1回 (2007年)
- 最優秀投手:1回 (2007年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2000年)
- 月間MVP:2回 (2002年5月、2007年4月)
- JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:2005年5月)
- セ・パ交流戦優秀選手賞(日本生命賞):1回 (2007年)
記録 [編集]
- NPB初記録
- 初登板・初先発・初勝利:2000年4月6日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、8回1失点
- 初奪三振:同上、3回裏に井上一樹から空振り三振
- 初完投勝利・初完封勝利:2000年5月7日、対ヤクルトスワローズ8回戦(東京ドーム)
- 初ホールド:2005年7月20日、対ヤクルトスワローズ11回戦(明治神宮野球場)、6回裏1死に4番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 初セーブ:2006年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ11回戦(明治神宮野球場)、9回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初安打・初打点:2000年4月23日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、5回表に菊地原毅から三塁適時内野安打
- オールスターゲーム出場:1回 (2007年)
- NPB節目の記録
- 1000投球回数:2007年9月9日、対阪神タイガース21回戦(東京ドーム)、1回表3死目に高橋光信を一飛で達成 ※史上307人目
- 1000奪三振:2009年8月16日、対阪神タイガース18回戦(東京ドーム)、4回表に下柳剛から見逃し三振 ※史上125人目
背番号 [編集]
- 36 (2000年 - 2001年)
- 17 (2002年 - 2006年)
- 21 (2007年 - 2009年、2011年 - 2012年)
- 47 (2010年、2013年)
- 41 (2012年)
脚注 [編集]
- ^ a b c d e f g h 『プロ野球カラー名鑑 2008』 ベースボール・マガジン社、2008年、12頁。ISBN 978-4-583-61526-4。
- ^ 2007年6月9日の月刊ベースボールTV!(日本テレビ)で宮本和知のインタビューに対して
- ^ 巨人:髙橋尚がFA宣言 サンケイスポーツ 2009年11月17日閲覧
- ^ Angels, Hisanori Takahashi agreeESPN、2010年12月3日。
- ^ 高橋 来季も米国希望スポニチ、2012年10月4日
- ^ 尚成開幕メジャーつかんだ「自信あった」日刊スポーツ、2013年3月29日。
- ^ “カブス 尚成に戦力外通告、現役続行希望「野球人生は終わりでない」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月17日) 2013年4月17日閲覧。
- ^ “尚成 カブスとマイナーで再契約 3Aアイオワ合流へ”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月20日) 2013年4月20日閲覧。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、20-21頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。
- ^ 2010-11 MLB投手白書 主要250投手ピッチ・アナリシス/救援投手編 『月刊スラッガー』2011年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、38頁。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクトムック、2007年、348頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ^ 『月刊スラッガー』2010年12月号、日本スポーツ企画出版社、2010年、雑誌15509-12、43頁。
- ^ a b 2010年7月24日放送『海を渡ったG戦士 ベースボールに魅せられた男たち』(テレビ東京系列)より。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 高橋尚成オフィシャルブログ(2012年~)
- 高橋尚成公式ブログ(2012年まで)
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