井上一樹

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井上 一樹
中日ドラゴンズ #9
基本情報
国籍 日本
出身地 鹿児島県姶良郡溝辺町(現・霧島市
生年月日 1971年7月25日(37歳)
身長
体重
184cm
93kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 外野手一塁手
プロ入り 1989年 ドラフト2位
初出場 1991年5月11日 広島戦(ナゴヤ)
年俸 7,500万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)

井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手外野手)。2006年から2007年は選手会長を務めた。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

鹿児島商業高校時代は、投手兼外野手として甲子園に1度出場。高校通算40本塁打を記録し、野手・投手の双方で注目を浴びる。1989年のドラフト会議中日ドラゴンズから2位指名を受けて入団。

[編集] プロ入り後

入団直後は投手として起用されたが、満足のいく成績を残せずに1994年から打者転向。この年、ジュニアオールスターでMVPを獲得。

1998年より徐々に素質が開花し始め、1999年では7番打者として開幕21試合連続安打を記録するなど、正外野手として攻守にわたってその年のリーグ優勝に貢献する働きを見せる。この時期にピンク色のリストバンドを好んで使用していた事から「ピンキー」というニックネームが、当時の背番号99とともにファンに定着した(「ピンキー」にはピン=一 キ=樹という、名前とかけた意味もあり、井上には特別に思い入れのあるニックネームだった)。

その後一時低迷した時期もあった。2003年には応援歌1999年の中日優勝当時の曲に戻した。2004年から背番号99とピンキーの愛称を返上し、水色のリストバンドを使用するようになった。一塁手の転向も視野にいれるなど積極的にレギュラー争いに挑み、ときにはレギュラー、ときにはスーパーサブとしてチームを引っ張った。同年の日本シリーズでは惜しくも日本一を逃したものの、活躍が認められ敢闘賞を受賞している。

2005年は一時森野将彦左翼手の座を奪われたものの、途中から盛り返し、二桁本塁打と初の打率3割を達成。2006年、中日の選手会長を4歳年下の井端弘和より受け継ぐ。ファンサービスに熱心に取り組み、「福留デー」などといった企画の実行にこぎつけた(後述)。また、この年の8月15日の対広島13回戦でプロ野球史上411人目となる通算1000試合出場を達成した。シーズン全体では、規定打席には足りないものの、2年連続で3割と2桁本塁打を達成するなど、リーグ優勝に大きく貢献した。

2006年は勝負強さを発揮し、打率.311、11本塁打、39打点と活躍した。また8月30日の対阪神タイガース15回戦(阪神甲子園球場)では9回表2死走者なしから代打で出場し、ストッパーの藤川球児投手から同点ホームランを放った。試合は結局引き分けに終わったが、2位阪神には痛い引き分け試合となり、この年のペナントレースを大きく左右するホームランとなった。

2007年は同じく左打ちの外野手である李炳圭の獲得や、中村紀洋の獲得で森野が三塁から外野に回る機会が増えるなどのチーム事情が影響し、出場機会が減少。序盤には2軍落ちするなど苦汁をなめた(このとき立浪和義の手紙が心の支えになったと語っている)。しかしタイロン・ウッズが契約切れで帰国したために先発出場の機会が与えられた同年のアジアシリーズでは、SKワイバーンズ戦、チャイナスターズ(中国プロリーグ選抜)戦、さらに決勝戦(対SK)と4試合で3本のホームランを放っている。同年限りで選手会長を退任し、6歳年下の荒木雅博に譲った。

2008年は開幕を二軍で迎えるも4月25日に一軍に昇格。以後一軍では左の代打やスタメン出場もあり活躍した。しかし、9月2日に再び降格してしまう。だが、シーズン終盤に一軍に再昇格した。

左バッターだが左ピッチャーを苦にせず、外側の所謂ボール球をホームランにすることが多いバッターである。また、元投手だったためなかなかの強肩であり、足も遅くは無いので外野守備も無難にこなす。走塁では果敢に次の塁を狙うタイプで、二塁打性の当りを三塁打にすることも少なくない。

最近は年間出場機会は100試合前後に留まるものの、打率3割前後をキープ。左打者の少ないチームにおいて頼れる外野のサブプレイヤーとなっている。

[編集] 年度別成績

投手成績
年度















1991年 中日 8 0 1 0 13.2 11 11 7.24
1992年 1 0 0 0 1 1 0 0.00
通算成績 9 0 1 0 14.2 12 11 6.75

※1995年から野手登録に変更。

  • 初登板 1991年5月11日広島戦(ナゴヤ) 6回から登板、2回無失点
打撃成績
年度




























1991年 中日 38 8 2 2 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500
1992年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
1994年 30 55 51 6 13 5 1 0 20 4 0 0 0 0 4 0 16 1 .255
1995年 11 24 23 0 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 1 0 9 1 .130
1997年 99 28 74 73 6 21 5 0 2 32 9 0 1 0 0 1 0 25 0 .288
1998年 107 394 352 34 93 18 4 9 146 31 1 0 3 2 35 2 79 13 .264
1999年 130 499 450 40 133 18 5 10 191 65 2 0 0 4 45 0 85 7 .296
2000年 116 351 324 38 91 20 2 11 148 41 0 6 0 2 25 0 79 8 .281
2001年 112 349 321 24 83 21 2 2 114 20 2 1 1 1 25 1 54 5 .259
2002年 99 282 257 26 63 18 2 7 106 23 2 2 1 2 19 3 51 6 .245
2003年 75 126 115 16 29 7 1 2 44 5 0 0 0 0 10 1 23 1 .252
2004年 9 113 319 283 41 78 14 0 11 125 30 0 0 0 1 32 3 59 8 .276
2005年 107 263 245 30 74 14 1 10 120 38 3 1 0 4 13 1 40 4 .302
2006年 108 288 273 27 85 12 0 11 130 39 2 1 3 0 12 0 42 5 .311
2007年 71 200 178 20 52 7 4 3 76 28 1 0 4 1 17 0 41 4 .292
2008年 74 154 141 11 41 12 0 1 56 10 0 0 1 0 12 0 18 1 .291
通算成績 1190 3380 3088 319 860 172 22 79 1313 344 13 12 13 17 251 11 621 64 .278
  • 初安打 1991年5月19日阪神戦(甲子園) 5回久保から単打
  • 初打点 1994年7月27日横浜戦(ナゴヤ) 2回五十嵐から適時二塁打
  • 初本塁打 1997年9月3日広島戦(広島) 1回黒田から3ラン
守備成績
年度 外野 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備
1994 10 11 0 0 0 1.000 -
1995 7 7 0 0 0 1.000 -
1997 21 31 2 1 0 .971 -
1998 105 201 5 3 0 .986 1 1 0 0 0 1.000
1999 128 260 5 3 3 .989 -
2000 110 177 6 1 3 .995 -
2001 99 130 3 0 2 1.000 1 0 0 1 0 .000
2002 85 106 7 2 4 .983 -
2003 26 26 0 0 0 1.000 3 19 0 1 3 .950
2004 86 99 4 1 1 .990 2 2 0 0 0 1.000
2005 75 85 5 1 0 .989 -
2006 78 115 4 0 1 1.000 -
2007 51 61 3 0 0 1.000 -
2008 33 48 3 2 0 .962 -
通算 881 1308 44 12 14 .991 7 22 0 2 3 .917

[編集] 背番号

[編集] エピソード・人物

  • 大相撲西ノ海(25代横綱)、加賀錦(元幕下)、鶴ヶ嶺(元関脇)、薩摩錦(元幕下)元鶴ヶ嶺(元井筒親方)、井筒親方(元関脇逆鉾)、錣山親方(元関脇寺尾)、福薗洋一郎(元十両)とは親戚。子供の頃、体を生かして大相撲入りを進められたこともあり、中学3年の時には井筒親方の招きで東京のけいこ場に見学に行っている。
  • 2003年には、個人で日頃から病院を訪問して子どもたちを励ましていた活動が評価され、野球選手の社会貢献活動を表彰する第5回ゴールデンスピリット賞を受賞。
  • 2006年、新選手会長として様々なファンサービスをナゴヤドームで実践し、営業面での努力と才能も見せた。例えば、「井端デー」「川上デー」など、選手の誕生日の試合で行った様々なサービス、井上自身が習字の腕前が優れていることを利用した、井上の書いた題字と選手写真を組み合わせた力強いポスターなど。井上自身の明るく豪快なキャラクターとともに、この年ドラゴンズファンを大いに盛り上げたと言えるだろう。また、自らデザインを手がけたテンガロンハットもグッズとして発売された。
  • 2006年からファンサービスの一環として、ピンクのリストバンドをたまに使用している。
  • 2006年8月30日の対阪神戦、9回表2死走者無しの局面で、代打として登場。中日2-3阪神と劣勢の中、阪神の守護神藤川球児から、高めのボール球を捕らえ値千金となる同点本塁打を放った(試合は引き分けだったが、中日はマジックを1減らし、勝ちに等しい引き分けと言われた)。その裏にライトの守備についたとき阪神ファンからヤジを浴びたが、それは本人にとって人生で経験のしたことのないほど凄まじいものであったという。
  • 2006年のラスベガスへの優勝旅行で、「みんなで優勝旅行に行こう」と呼びかけたにも拘らず出発直前にパスポートを紛失。自宅で発見するも一行が乗ったチャーター機には間に合わず、翌日自腹で航空券を購入し1日半遅れで「こんなことになって申し訳ない」と恐縮しながら合流した。
  • 選手会長に就任する以前から、オフを中心にテレビなどに出演することが多かったが、就任してからは、持ち前の明るさを出している。2005年から2007年のオフまではドラゴンズNo.1ジョッキーに電話出演と毎年の生出演をしていた。
    • 2008年12月29日から2009年1月2日までガッツだ!ドラゴンズのメインパーソナリティを担当した(番組タイトルも「井上一樹のガッツだ!ドラゴンズ」となった)。
  • その独特の風貌はプロ野球ファンの間ではたびたび話題になり、球界一のイケメンとも称される。それ故に中日ファンの間では愛される存在である。
  • 2008年の春季キャンプに見学に来ていた牧田知丈(博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~で落合監督のモノマネをする一般人)を発見。食堂でラーメンをおごった。
  • 同世代の横浜鈴木尚典や埼玉西武清水隆行のような目立った成績下降・守備面での不安が少ないにもかかわらず年々出番が減る傾向にあり、また選手会長として時に経営側・首脳陣と対立するような行為も行ったこともあってか、タブロイド誌などで落合との確執が話題に上るときがある。実際には落合就任前の2003年からすれば出番は増えており、近年の成績向上は落合就任前後からのレギュラー陣の底上げによるサブプレーヤーへの降格も大きく関係していると思われる。
  • プロ入り後に投手から一塁手や外野手へ転向、背番号をプロ入り当時の2ケタから9番に変更、左投げ左打ちと千葉ロッテマリーンズ福浦和也とは共通点が多い。

[編集] 関連項目