藤井淳志

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藤井 淳志
中日ドラゴンズ #4
CD-Atsushi-Fujii-3.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊橋市
生年月日 1981年5月20日(30歳)
身長
体重
182cm
81kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年3月31日
年俸 2,400万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

藤井 淳志(ふじい あつし、1981年5月20日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手外野手)。

目次

[編集] 経歴

NTT西日本では、プロでも同僚となる齊藤信介脇谷亮太とプレーしていた。

2006年上田佳範井上一樹英智らと外野のポジションを争い、オープン戦の活躍により2番・中堅手として開幕スタメン出場を果たした。開幕2戦目で山崎浩司の左中間に抜けそうな当たりをダイビングキャッチするというファインプレーをみせた。しかし、打力不足の印象は否めず、5試合目からはスタメンを外れ、以後は主に守備固め代走として出場した。

2007年は春季キャンプにおいて、ほぼ毎日3時間かけて1562スイングと荒行を成し遂げるも、落合博満監督は「これから毎日だよ。足りなけりゃ4時間でも5時間でもいい。長くなってくるよ。限界?限界なんてあるか」と発言[1]。藤井の目標は「総合アップさせたい。1日1600スイングで鍛える」[2]であった。前年よりもスタメンの機会も増えて、プロ初打点・初本塁打を記録したが、前年同様に守備固め・代走としての出場が多かった。

2008年は4度の二軍落ちを経験するなど出番に恵まれなかった。オフに野手として初めてドミニカ共和国ウィンターリーグ新井良太前田章宏と共に派遣された。リセイ・タイガースに所属して終盤に登録され、3打数1安打の成績であった。

2009年5月に2歳年下の女性と結婚。シーズンでは中村紀洋の退団により森野将彦三塁手に専念、それにより空いたセンターのポジションを獲得。シーズンを通してほぼスタメンで出場した。春季キャンプ中の練習試合では左右両打席でヒットを放ち、オープン戦でも左打席、右打席それぞれで本塁打を放つなど活躍。好調のまま迎えた公式戦では開幕直後の6試合で4本塁打と前3シーズンにおける自身の通算本塁打数(3本)を更新した。6月30日の対阪神戦では、3点差をひっくり返す、プロ入り初の逆転満塁本塁打を放った[3]4月28日の故郷豊橋での試合でスタメンで凱旋、過去の豊橋での試合では代打登場したが凡退、故郷豊橋では未だ無安打。9月6日、対横浜戦(新潟)で和田一浩と交錯して骨折し戦列離脱。結局、規定打席には8打席届かなかった。10月17日ヤクルトとのクライマックスシリーズ第1ステージ初戦にスタメン出場し3安打と戦力として復帰した。しかしチームはクライマックスシリーズ第2ステージで敗退。恩師の立浪和義が引退し、立浪がロッカーで選手一人一人に挨拶をしたが、その中で藤井は泣いていたという[4]

2010年も外野のレギュラーとして活躍が期待されたが、大島洋平野本圭堂上剛裕らによるポジション争奪戦により、スタメン定着が夏場以降と出場機会は大幅に減少。打率も2割台前半に落ち込んでしまった。

2011年はシーズンの大半を2軍で過ごし、中盤に昇格するも出場機会はさらに減少。2軍では好成績を残した打撃が1軍で発揮されなかった。ポストシーズンでは一軍登録され、日本シリーズではスタメン起用されたが無安打に終わっている。

[編集] プレースタイル

入団時はスイッチヒッター[5]だったが左打席で結果が出なかったために、右打ちに専念。2009年より再度スイッチヒッターに転向した。細身の体格ながらパンチ力があり、2009年には二桁本塁打を記録。送りバントや流し打ちなどの小技はそこまで得意ではない。また、積極的な早打ちのため四球もあまり多くない。スタメンで起用される際には、俊足を活かして1番や2番で起用されたり、ポイントゲッターとして6番や7番で起用されることが多い。

守備では125メートル[5]の遠投能力を誇る(一般に肩が強いと言われるが本人は英智同様、むしろ手首が強いためと語っている[6])が、ホームへの送球精度は必ずしも良くなく、大きく逸れることも度々見受けられる。捕手の谷繁元信によると「和田だと(強肩ではなくても送球が正確で)ボールを見ていなくても捕れる範囲に送球されるので、走者を見ていられるためブロックしやすい。それに対して藤井は(コントロールが悪く)ボールを見ていないといけない(そのために走者を見ていられない)」と評されている[7]

また2010年9月18日の対ヤクルト戦で、解説者の笘篠賢治から返球精度より、返球判断の面で苦言を呈されている。その試合は1-0とリードしていたものの、4回裏無死一・三塁の場面で右犠飛により1-1の同点にされた。この時スタメン右翼手の野本圭は中継を介さず本塁へ返球するも、その返球が3バウンドし捕手の小田幸平に到達する頃にはコロコロと転がるだけであった。このワンプレーで、イニングの途中ながら野本に代わって守備に就いた藤井。直後、相川亮二の右前打で前進してきた藤井は小田へダイレクト返球をしたものの、前述にある精度の悪さを露呈。実際には、本塁から大きく逸れた三本間の真ん中付近への返球であった。それで打者走者の相川には2塁を奪われそうになったが、小田が2塁へ転送して相川を刺せたため、ピンチ拡大の芽を摘んでいる。これら一連のプレーに対し、「野本もそうだったが、藤井も落合監督の望むプレーではない」と苦言。つまり「野本は本塁に届かないというより、(間に合わない本塁返球よりも一塁走者を自重させる)二塁手の堂上直倫への返球選択をしなかったことで下げられたのであるから、藤井の場合の(打者走者に進塁されかけ、傷口を拡大するような)本塁返球も適切ではない。野本が交替させられた理由を勘違いしている」とのことである。

50m走5秒8の俊足を武器に範囲は広く、落下間際の打球へダイビングで飛び込む光景が頻繁に見られるが、時としてそれが災いする。2009年の骨折も、捕球体勢に入っていた和田の横から藤井が飛び込んだ為のものである。

[編集] 人物

死球を受ける藤井

少年野球時代のコーチでもあった父親は愛工大名電の投手として県大会の決勝で投げた。川相昌弘から「自分には無いものを持っている。全ての面においてレベルアップすれば億も稼げる」(2006年中日優勝記念誌から一部抜粋)と期待されている。

入団時、入場曲を中日スポーツで公募してTHE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』に決めた(後に変更、同曲は巨人・鈴木尚広の入場曲として定着)。しかし2008年まではカウボーイビバップのOP『Tank!』を、2009年は当初はTHE BLUE HEARTSの『キスして欲しい』だったが現在、通常は『キスして欲しい』、チャンス時は『Tank!』と交互に使用している。2011年からはチャンス時もTHE BLUE HEARTSの『キスして欲しい』にしている。

梵英心とは社会人時代、共に日本代表(ワールドカップ)に選出されて以来仲が良い(合宿中、大会中は同部屋だった)。同じ2006年にプロ入りし、その後はシーズン中も食事に行くなど深い交流がある。

右打席と左打席でバットを変えている。ちなみに左打席に使用しているバットは元同僚の新井良太と同じタイプのバットを使っている。荒木雅博もたまに使っていて、2009年10月18日の対ヤクルト戦で決勝点になるタイムリーを放ったときに「ナイスバット」と言ったものの見事にあしらわれた。なお、荒木はこの決勝打以来は暫くこのバットを使い続けた。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 中日 40 44 41 10 6 2 0 0 8 0 1 1 2 0 0 0 1 7 0 .146 .167 .195 .362
2007 76 71 64 14 13 3 0 1 19 5 7 2 4 1 2 0 0 19 0 .203 .224 .297 .521
2008 40 39 35 10 6 1 0 2 13 2 2 1 3 0 1 0 0 9 0 .171 .194 .371 .566
2009 114 438 401 50 120 26 1 10 178 49 15 1 11 2 23 5 1 79 4 .299 .337 .444 .781
2010 63 184 166 17 39 6 3 1 54 8 3 1 9 1 7 0 1 38 1 .235 .269 .325 .594
2011 20 58 50 7 12 2 0 0 14 3 1 0 5 0 1 0 2 13 1 .240 .283 .280 .563
通算:6年 353 834 757 108 196 40 4 14 286 67 29 6 34 4 34 5 5 165 6 .259 .294 .378 .672
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 22 (2006年 - 2007年)
  • 4 (2008年 - )

[編集] 入場曲

キスしてほしい(THE BLUE HEARTS)2009年~

[編集] 脚注

  1. ^ 中日スポーツ2007年2月5日付より)
  2. ^ (中日新聞2007年2月24日付、東三河版から一部抜粋)
  3. ^ 藤井満塁弾 竜7連勝”. 中日新聞. 2009年7月1日閲覧。
  4. ^ 10月25日のサンドラでの立浪の談話
  5. ^ a b 中日ドラゴンズ 公式サイト - 2005年 ドラフト入団選手 藤井淳志
  6. ^ 「野球浪漫2010 ~熱き男の白球ストーリー~ Vol.27 藤井淳志[中日]」『週刊ベースボール』2010年9月22日、2010年10月4日号より
  7. ^ 2010年1月24日放送、中部日本放送サンデードラゴンズにて

[編集] 関連項目

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