姶良郡

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姶良郡(あいらぐん)は、鹿児島県の人口86,272人、面積375.64km²、人口密度230人/km²。(2009年5月1日、推計人口

以下の4町を含む。

現代の姶良郡は江戸時代、始羅郡(しら)と呼ばれていた。これが古代の大隅国に存在した姶羅郡(あいら)と混同され、明治期に「姶良」に統一された。古代における「姶羅郡」は現在の鹿屋市付近を指し[1]、中世までに肝属郡に編入された。このため、古代における「姶羅郡」と現代における「姶良郡」との直接の関連はない。

[編集] 沿革

  • 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、姶良郡に加治木村・帖佐村・重富村・山田村・溝辺村・蒲生村の6村が成立する(6村)。行政区域は江戸時代の薩摩藩における外城(郷)にほぼ合致する。
  • 1897年4月1日 - 姶良郡と西囎唹郡(福山村・国分村・西国分村・東国分村・敷根村・清水村 ・東襲山村 )及び桑原郡(栗野村・吉松村・牧園村・横川村・西襲山村)を統合(18村)。
  • 1912年6月1日 - 加治木村が町制施行し加治木町となる(1町17村)。
  • 1926年4月1日 - 国分村が町制施行し国分町となる(2町16村)。
  • 1928年11月1日 - 蒲生村が町制施行し蒲生町となる(3町15村)。
  • 1929年10月10日 - 西国分村が町制施行・改称し隼人町となる(4町14村)。
  • 1929年11月1日 - 福山村が町制施行し福山町となる(5町13村)。
  • 1930年1月1日 - 西襲山村が日当山村に改称。
  • 1932年4月1日 - 栗野村が町制施行し栗野町となる(6町12村)。
  • 1935年7月10日 - 東襲山村が霧島村に改称。
  • 1940年2月16日 - 横川村が町制施行し横川町となる(7町11村)。
  • 1940年4月1日 - 牧園村が町制施行し牧園町となる(8町10村)。
  • 1942年4月1日 - 帖佐村が町制施行し帖佐町となる(9町9村)。
  • 1950年4月1日 - 霧島村から東襲山村が分立(9町10村)。
  • 1953年2月11日 - 吉松村が町制施行し吉松町となる(10町9村)。
  • 1953年5月3日 - 日当山村が町制施行し日当山町となる(11町8村)。
  • 1954年4月1日(10町6村)
    • 国分町・東襲山村、清水村の一部が合併し、国分町が発足。
    • 隼人町・日当山町、清水村の残部が合併し、隼人日当山町が発足。
  • 1954年5月10日 - 国分町・東国分村・敷根村が合併し、国分町が発足(10町4村)。
  • 1955年1月1日(10町2村)
    • 帖佐町・重富村、山田村の一部が合併し、姶良町が発足。
    • 山田村の残部が蒲生町に編入。
  • 1955年2月1日 - 国分町が市制施行し、国分市となり郡より離脱(9町2村)。
  • 1957年4月1日 - 隼人日当山町が隼人町に改称。
  • 1958年11月3日 - 霧島村が町制施行し霧島町となる(10町1村)。
  • 1959年4月1日 - 溝辺村が町制施行し溝辺町となる(11町)。
  • 2005年3月22日 - 栗野町・吉松町が合併し、湧水町が発足(10町)。
  • 2005年11月7日 - 隼人町・福山町・霧島町・溝辺町・横川町・牧園町が国分市と合併し、霧島市が発足、郡より離脱(4町)。

[編集] 脚注

  1. ^ 平安時代中期の辞書『和名類聚抄』には姶羅郡の郷として「鹿屋」「串伎」(後の串良町、2006年に鹿屋市と合併)など、現在の鹿屋市にみられる地名が記載されている。

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