岩隈久志
| シアトル・マリナーズ #18 | |
|---|---|
楽天時代(2011年8月30日、こまちスタジアム)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都東大和市 |
| 生年月日 | 1981年4月12日(30歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5cm 190 lb =約86.2kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 2001年5月29日 |
| 年俸 | 150万ドル(2012年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2004年 |
| WBC | 2009年 |
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この表について
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 銅 | 2004 | 野球 |
岩隈 久志(いわくま ひさし、1981年4月12日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手(投手)。
愛称はクマ。近鉄時代はなにわのプリンスと呼ばれていた。また当時近鉄監督の梨田昌孝からは、足の長さ・細さからバンビちゃんとも呼ばれた。楽天移籍後は杜の貴公子と呼ばれていた。
目次 |
[編集] 経歴
小学1年時より野球を始める。西武沿線に住んでいたこともあり、小さい頃は、ファンクラブに入って西武ライオンズ球場に通い詰めるほどの熱烈な西武ファンだった。その後堀越高等学校に進学し、3年夏は西東京大会ベスト4。1999年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから5位指名を受け入団。
[編集] 近鉄時代
2000年は一軍登板なし。シーズンオフに黒潮リーグに参加し、149km/hを記録するなど首脳陣から期待を受ける。
2001年5月29日の対日本ハムファイターズ戦で8回裏1点リードの状況で初登板し、9回裏に小笠原道大にソロホームランを浴びて同点に追いつかれた。しかし、延長10回表に近鉄打線が爆発し、中村紀洋のこの日3本目の本塁打となる満塁弾などで大きく勝ち越し、結果近鉄が17-12で勝利して岩隈はプロ初登板初勝利を挙げた。試合後には「自分が抑えていればすんなり勝てている状態だったのに打たれてしまいチームに申し訳ない」と語り、プロ初勝利の喜びの声はなかった。この年の後半戦に活躍し、最終的には完封1つを含む4勝2敗。手薄であった近鉄投手陣に貢献し、チームのリーグ優勝への力となった。日本シリーズでは第2戦に先発している(勝敗つかず)。
2002年は先発ローテーションの一角として23試合に登板し8勝7敗をマークする。12月、21歳で西武ライオンズ・広橋公寿打撃コーチ(当時)の長女と結婚[2]。きっかけは東京都内の美術館で、広橋一家と偶然出会ったことから。愛妻家として有名。トレードマークである青いグラブには、妻と娘の名前が縫われている。
2003年は15勝10敗の好成績を残し、最多完投、最多無四球を記録する。
2004年は球団新記録となる開幕12連勝を達成。最終的に15勝2敗となり、最多勝と最優秀投手のタイトルを獲得。最優秀防御率のタイトルもあと1人抑えれば確定であったが相川良太に2ランホームランを浴びて逃した。またアテネオリンピック野球日本代表に選出される。オールスターのファン投票ではパ・リーグの先発部門でトップとなり、球宴第1戦の先発投手となる。日米野球の第5戦でも7回1失点の好投で勝ち投手となる活躍を見せる。
この年6月に明らかとなった大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの球団合併と、シーズン終了後楽天の新規参入に伴う選手分配ドラフトで、合併球団オリックス・バファローズに分配された。しかし、岩隈は合併に際しての労使「申し合わせ」を引き合いに入団を拒否。オリックス側は説得を試みたが失敗し、合併新球団と岩隈双方の今後を考えたオリックス側の譲歩により、楽天に金銭トレードで譲渡された(選手分配ドラフトについてはプロ野球再編問題の当該項参照)。なお、オリックスは、読売ジャイアンツの高橋尚成とのトレードも視野に入れていた。
[編集] 楽天時代
2005年は球団初年度の開幕投手を任せられ、千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投し、球団初の勝利投手になった。その後、1年間にわたり先発ローテーションを守ったが、シーズン途中から肩の故障などもあり(肩の違和感は前年からあり、2004年には何度か登板をスライドさせていた)、防御率は規定投球回到達投手の中ではワーストの4.99。勝利数も2桁には届かず(9勝15敗)、自身にとっても球団にとっても不本意な成績に終わった。
2006年は、同年から禁止事項となった2段モーションを修正するためにフォームを変更。しかしフォームが固まらず、また前年に痛めた肩の故障の影響などで開幕に間に合わず。8月半ばまで二軍で調整を続ける。8月29日の対日本ハム戦で一軍復帰し、9月12日の対ロッテ戦(千葉マリン)でシーズン初勝利。この年は6試合に登板し、防御率3.72、1勝2敗に終わった。オフには東北のステキなお父さんを選ぶ「第1回ベストファーザー in 東北」に選出された。
2007年は2年ぶりに開幕投手を務める。また、1週間後のホーム開幕戦でも先発投手に選ばれたが、試合開始直前(スタメン発表後)に背中の違和感を訴え登板回避、川岸強が急遽登板する事態となり、翌日に登録抹消。4月下旬に一軍復帰し、1勝を挙げるも、5月中旬に左脇腹の肉離れを起こし、再び戦線離脱。後半戦に一軍復帰し、7月31日の対ロッテ戦(千葉マリン)で2勝目を挙げる。8月23日の対ロッテ戦(千葉マリン)で、野村克則コーチ(当時)と乱闘寸前の小競り合いを起こした。4回途中でKOされ7回途中までロッカールームに閉じこもっていたところを、野村コーチに注意され激高。コーチ陣が割って入り事態は収まったが、その様子はCS放送で中継された。その後、岩隈は試合中に野村コーチに対して謝罪した(2人は高校の先輩と後輩であり仲はとても良い)。後に娘が発熱し、自宅に連絡していたことが原因であったとブログで公表している。その後、シーズン終了まで先発ローテーションの一角を務め、規定投球回には届かなかったが最終的に16試合に登板し5勝5敗、防御率3.40を記録。シーズン終了後の10月に右肘の手術を受ける。
2008年は2年連続4度目の開幕投手を務め、7回1失点の好投を見せるも自身に勝敗はつかず、チームはサヨナラ負け。3月27日の対オリックス戦では楽天移籍後初の完封勝利を無四球で挙げた。その後も勝ち星を量産し、6月15日の対巨人戦で4年ぶりの10勝目を無四球完封で挙げる。8月16日の対ロッテ戦(千葉マリン)で自己最多となる16勝目。更に9月22日の対西武戦(西武ドーム)で、パ・リーグでは2003年の斉藤和巳以来となる20勝目に到達。そして、シーズン最終登板となった10月5日、Kスタ宮城での対福岡ソフトバンクホークス戦でも勝利し、1985年の佐藤義則以来23年ぶりの21勝を挙げ最多勝を獲得。この試合で防御率ではダルビッシュ有を抜き、勝率では同率であった小松聖をかわして単独投手三冠を達成。リーグ最多投球イニングも記録し、この年は援護率もパリーグ最高の5.66と高く、チームのシーズン65勝の1/3近くを一人で挙げる自己最高のシーズンとなった。特筆すべきは被本塁打であり、200投球イニング以上で被本塁打が3本であった(うち2本はセ・パ交流戦で許したもので、パ・リーグチーム相手に許した本塁打は9月29日、ソフトバンクの松田宣浩に打たれた1本のみ)。200投球回数以上で被本塁打3本以下という数字は、1958年に秋本祐作が記録して以来50年ぶりの快挙であった。
オフの各表彰では、チームが5位であったにも関わらず、沢村賞、最優秀選手、ベストナイン、最優秀バッテリー賞など、投手関連の主要な賞を独占。最優秀選手のBクラスチームからの選出は、1988年の門田博光以来。12月26日に契約更改交渉に臨み、3年総額10億円の複数年契約でサインした。
2009年からチームの3代目選手会長に就任。1月に第2子の長男が誕生。第2回WBC日本代表に選出され、松坂大輔、ダルビッシュ有と共に先発の三本柱を任される。一次ラウンドでは韓国との1位決定戦に先発したが、5回1/3を1失点に抑えるも打線の援護がなくチームは0-1で惜敗した。二次ラウンドの初戦キューバ戦では2番手として登板し、1回を2三振で抑える。二次ラウンドのキューバとの敗者復活戦で6回を無失点に抑え、チームは5-0で勝利。この試合ではキューバ中堅手のヨエニス・セスペデスが小笠原道大の放った中飛を落球するなど霧深い悪質なグラウンドコンディションであったが、守りやすくしようと「フライを打たせないようにした」と低めにスライダーやシュートを制球し、アウトの15/18は内野ゴロで打ち取り、一次リーグで最も本塁打数の多かったキューバ打線を完全に手玉に取って準決勝進出に貢献した。決勝の韓国戦では奉重根と投げ合い、大会史上最高投球回数(第2回大会当時)となる7回2/3を2失点に抑える快投を見せる。試合は8回を終わって3対2と日本リードであったが、9回裏から登板したダルビッシュが同点とされたため勝利投手の権利は得られなかった。大会に出場した全投手中最多の合計20回を投げ3失点で防御率1.35、WHIP0.90を記録。全試合で好投したものの打線の援護は計6点と少なく、救援失敗などもあって個人成績は1勝(1敗)に終わるも優秀選手賞を受賞した。MVPは3戦に先発し3勝した松坂大輔であったが、松坂本人はMVPは岩隈だと思ったらしく「クマにちょっと悪いな」と語っており、決勝戦直後のシャンパンファイトでは、チームメイトらから「クマ!クマ!クマ!」のかけ声で胴上げを受けた。
シーズンでは開幕戦でダルビッシュと投げ合い、6回1失点で4年ぶりとなる開幕戦勝利を挙げる。しかし、開幕戦は6回59球で降板し、前半戦は100球に達する前での降板が目立った上、6月末には登録を抹消。更に7月12日の対ソフトバンク戦では4回に松中信彦、多村仁志、田上秀則、5回に小久保裕紀の4選手から自身ワーストの1試合4被本塁打を浴び、被安打はリーグ最多を記録するなど精彩を欠いた。それでも、チーム2位タイとなる13勝を挙げ、15勝の田中将大、13勝の永井怜と共に、チーム初の2位に大きく貢献した。
ソフトバンクとのクライマックスシリーズ第1ステージでは第一戦に登板し完投勝利。日本ハムとの第2ステージでは2戦目に登板するも、打線の援護無く8回3失点で第1ステージとは相反した結果となった。3敗で迎えた4戦目にリリーフとして志願登板したが、ターメル・スレッジに勝負を決定づける3点本塁打を打たれ、涙を見せた。
2010年の開幕直前にはNHK仙台放送局の依頼により、サンドウィッチマンと東北向けのアナログテレビジョン放送終了啓発スポットに出演。撮影は開幕直前に行われた。オリックスとの開幕戦では5安打1失点完投の好投を見せるも、打線が金子千尋に4安打完封と抑えこまれ、敗戦投手となった。その後もなかなか勝ちがつかず、初勝利は4月10日の対オリックス戦であった。4月17日の対ソフトバンク戦で初の完投勝利を挙げると、4月24日の対日本ハム戦ではダルビッシュと投げ合い、完封勝利を挙げる。6月5日の対横浜ベイスターズ戦では三浦大輔から三振を奪い、通算1000奪三振を記録。7月10日の対埼玉西武ライオンズ戦では涌井秀章に投げ勝ち、8月31日の対ロッテ戦では通算100勝を6回無失点の好投で飾った。最終的に防御率2.82、WHIP1.09(共にリーグ4位)の好成績を記録するものの、リーグ最下位の得点援護率3.46と援護に恵まれず、10勝9敗に終わったが、3年連続二桁勝利を達成。
オフには団野村を代理人としてポスティングシステムでのメジャー挑戦を表明。球団はポスティングシステム行使を容認し[3]、オークランド・アスレチックスが交渉権を獲得。スティーブン・ストラスバーグと同水準の4年1525万ドルを提示されたが、その後の交渉は難航[4]。交渉期限の12月7日午前0時(米国東部時間=日本時間同日午後2時)までの契約合意に至らなかった[5]。その後、入札額についてはアスレチックスが1910万ドル、次いでミネソタ・ツインズが770万ドルの入札をしていたことが明かされ[6]、8日に仙台市内の球団事務所で記者会見し、改めて残留を表明した[7]。
2011年も5年連続となる開幕投手を務めて白星を挙げた。開幕当初は安定した内容を続け、4月の月間MVPも受賞したが、5月10日の日ハム戦(Kスタ)にて完投目前の所で右肩を負傷して緊急降板。負傷を抱えたまま次の17日の巨人戦(Kスタ)で先発登板したが5回39球で降板し、以降右肩の治療のため2ヶ月戦線離脱。7月の後半には戦線復帰したものの状態は思わしくなく、投球数も多くて100球前後、少ないときは80球前後での交代が多かった。それでもQS率82.4%を記録し、規定投球回には届かなかったものの防御率2.42、WHIP1.05の成績を残したが、打線の援護に恵まれなかったため6勝7敗と4年連続2桁勝利とはならなかった。8月2日には代理人を団野村からポール・コブに変更していたことを明かし[8]、オフには海外FA権を行使してのメジャー移籍を目指すことを表明した[9]。
[編集] MLB時代
2012年1月5日、シアトル・マリナーズと1年契約を結んだ[10]。年俸は150万ドルで、340万ドルの出来高が付く[1]。
[編集] 選手としての特徴
近鉄時代は右腕をダラリとたらす独特なタメから投げ込む特徴的なフォームだったが、二段モーションが禁止されてからは試行錯誤を繰り返し、スリー・クォーターに近いオーバースローとなった。
近鉄時代は球持ちの良い柔らかい腕の振りから投げる最速153km/hのストレートと大きく曲がる縦のスライダーを武器にしたスタイルだったが[11]、故障してからは肩に負担の大きい縦のスライダーを多投しないようになる[12]。楽天移籍後はストレートがシュート回転することを課題としていたが[13]、2008年には下半身が安定したことで自ずと球持ちが良くなり[12]、2010年現在も平均球速142.6km/h、最速152km/hをマークする[14]。さらに左右自在に落とす最速143km/hの高速フォークを中心に、変化の小さい横のスライダーや内角へ切り込むシュート、110km/h~120km/h台で打者のタイミングを外すカーブを使って[15]、近鉄時代からの打たせて取る投球を更に進化させ、アウトの65パーセント近くをゴロで稼いでいる[16][17]。
練習ではラグビーボールを一回り小さくしたボールでキャッチボールしており、ヒジを故障したことを考慮してヒジの位置を確認しながら投げているという。これによりヒジの位置が前年と比べて高くなったことで、フォークの落差が大きくなったと語っている[18]。
通算与四球率1.99と優秀な数値を残している制球力もあり、メジャーリーグのスカウトからは「コマンド(狙ったスポットに投げる能力)と球を低めに集めるコントロール(ストライクに投げる能力)はダルビッシュよりずっと上」、「スプリッターはメジャーでも最高級かも」との評価を得ている[19]。本人も低めへの制球力は故障前よりも現在のほうが良くなったと週刊ベースボール誌のインタビューなどで答えており、2008年にはその低めへのコントロールを生かして失投を減らし、登板200イニング以上で被本塁打3本という驚異的な成績を残した。2009年のWBCでのキューバ戦では18個のアウトの内15個のアウトを内野ゴロで打ち取る6回無失点の好投を見せ、大会通算20イニングで1本塁打に抑えた。
近鉄時代は北海道日本ハムファイターズに特に強く、2003年から2004年にかけて11連勝した。2004年は西武ライオンズにも強く、この2チーム相手の登板が多かった。しかし、楽天移籍後初の日本ハム戦で黒星を喫し連勝はストップ。一方、近鉄時代の2003年・2004年と共に自身の開幕からの連勝を阻止し、2004年に通年で喫した2敗はいずれも千葉ロッテマリーンズ戦だった。しかし楽天移籍後は球団初の公式戦となった2005年開幕戦で完投勝利を挙げ、2005年9月から2008年7月まで連勝を続け、特に千葉マリンスタジアムでの登板では2005年9月から現在まで10連勝中である。また、近鉄時代は福岡ダイエーホークスとの登板が少なく、2003年9月を最後に2007年9月5日まで対戦することは無かったが、2008年は7登板して5勝7失点と抑えた。岩隈は当時のダイエー打線について「自分の中では井口さん、城島さん、小久保さん、松中さんがいた頃のダイエー打線が最強だった」と話している[20]。
[編集] 人物
右投げ右打ちだが、元々は左利きであり、食事やペン等は左手を使っている(例外はゴルフ・ボウリング・ビリヤード)。
ケガをしてシーズンを棒に振った経験から、無理をしない事を信条としているため、大敗しているケースでも無いのに球数100球未満で降板する場面が度々あり、楽天監督時代の野村克也や『サンデーモーニング』に出演している張本勲などに、チームのエースとしての姿勢に反する行動と批判された事もある[21]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | 近鉄 | 9 | 8 | 1 | 1 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 192 | 43.2 | 46 | 3 | 13 | 0 | 3 | 25 | 1 | 0 | 28 | 22 | 4.53 | 1.35 |
| 2002 | 23 | 23 | 2 | 0 | 1 | 8 | 7 | 0 | -- | .533 | 594 | 141.1 | 132 | 10 | 42 | 2 | 8 | 131 | 4 | 1 | 62 | 58 | 3.69 | 1.23 | |
| 2003 | 27 | 27 | 11 | 0 | 1 | 15 | 10 | 0 | -- | .600 | 809 | 195.2 | 201 | 19 | 48 | 2 | 3 | 149 | 2 | 0 | 85 | 75 | 3.45 | 1.28 | |
| 2004 | 21 | 21 | 7 | 1 | 2 | 15 | 2 | 0 | -- | .882 | 647 | 158.2 | 149 | 13 | 30 | 2 | 8 | 123 | 0 | 0 | 57 | 53 | 3.01 | 1.13 | |
| 2005 | 楽天 | 27 | 27 | 9 | 0 | 1 | 9 | 15 | 0 | 0 | .375 | 796 | 182.1 | 218 | 19 | 40 | 3 | 6 | 124 | 7 | 0 | 113 | 101 | 4.99 | 1.41 |
| 2006 | 6 | 6 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 169 | 38.2 | 43 | 4 | 12 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 18 | 16 | 3.72 | 1.42 | |
| 2007 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | 0 | .500 | 388 | 90.0 | 95 | 6 | 23 | 0 | 2 | 84 | 0 | 0 | 47 | 34 | 3.40 | 1.31 | |
| 2008 | 28 | 28 | 5 | 2 | 3 | 21 | 4 | 0 | 0 | .840 | 787 | 201.2 | 161 | 3 | 36 | 1 | 4 | 159 | 4 | 0 | 48 | 42 | 1.87 | 0.98 | |
| 2009 | 24 | 24 | 5 | 0 | 1 | 13 | 6 | 0 | 0 | .684 | 710 | 169.0 | 179 | 15 | 43 | 1 | 6 | 121 | 3 | 0 | 62 | 61 | 3.25 | 1.31 | |
| 2010 | 28 | 28 | 4 | 1 | 2 | 10 | 9 | 0 | 0 | .526 | 821 | 201.0 | 184 | 11 | 36 | 1 | 12 | 153 | 1 | 1 | 68 | 63 | 2.82 | 1.09 | |
| 2011 | 17 | 17 | 2 | 1 | 0 | 6 | 7 | 0 | 0 | .462 | 471 | 119.0 | 106 | 6 | 19 | 0 | 5 | 90 | 1 | 0 | 34 | 32 | 2.42 | 1.05 | |
| 通算:11年 | 226 | 225 | 48 | 6 | 11 | 107 | 69 | 0 | 0 | .608 | 6384 | 1541.0 | 1514 | 109 | 342 | 12 | 58 | 1175 | 23 | 2 | 622 | 557 | 3.25 | 1.20 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
[編集] 表彰
- 沢村賞:1回 (2008年)
- 最優秀選手(MVP):1回 (2008年)
- 最優秀投手:2回 (2004年、2008年)
- ベストナイン:2回 (2004年、2008年)
- 最優秀バッテリー賞:1回 (2008年、捕手:藤井彰人)
- セ・パ交流戦優秀選手賞(日本生命賞):1回 (2008年)
- 月間MVP:5回 (2003年4月、2004年4月、2004年5月、2008年6月、2011年4月)
- ゴールデンスピリット賞:1回 (2008年)
- 報知プロスポーツ大賞(野球部門パ・リーグ):1回 (2008年)
- 第2回WBCベストナイン
[編集] 記録
- 初記録
- 初登板・初勝利:2001年5月29日、対日本ハムファイターズ10回戦(東京ドーム)、8回裏1死に8番手として救援登板・完了、1回2/3を1失点
- 初奪三振:同上、8回裏2死に野口寿浩から
- 初先発:2001年6月10日、対日本ハムファイターズ13回戦(大阪ドーム)、3回5失点で敗戦投手
- 初先発勝利:2001年8月19日、対福岡ダイエーホークス24回戦(福岡ドーム)、6回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2001年9月18日、対西武ライオンズ26回戦(大阪ドーム)
- 初安打:2005年6月4日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、5回表に石川雅規から右前安打
- 節目の記録
- 1000投球回数:2008年8月16日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、4回裏にサブローから三振を奪って3死目をとり達成 ※史上314人目
- 1000奪三振:2010年6月5日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、2回裏に三浦大輔から ※史上128人目
- 100勝:2010年8月31日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、6回無失点 ※史上127人目(205試合登板での100勝達成は史上9位タイ、ドラフト制後では松坂大輔、上原浩治、江川卓に次ぎ4番目のスピード記録:2010年9月13日現在)[22]。
- 1500投球回数:2011年8月23日、対北海道日本ハムファイターズ15回戦(札幌ドーム)、6回裏に稲葉篤紀から三振を奪って3死目をとり達成 ※史上164人目
- その他の記録
- 最多完投:1回 (2003年)
- 最多無四球:3回 (2003年、2004年、2008年)
- オールスターゲーム出場:3回 (2003年、2004年、2008年)
- 開幕投手:7回 (2004年、2005年、2007年 - 2011年)
- 開幕12連勝(近鉄球団記録):2004年
- シーズン21勝:2008年
- WBCにおける1登板中史上最多投球回数7回2/3(2009年に記録)
- 全員奪三振:2009年9月1日対埼玉西武ライオンズ戦 史上5人目(なお、同試合で7者連続奪三振も記録)[23]
[編集] 背番号
[編集] 登場曲
- 『パシフィックアイランドミュージック』 Def Tech(2007年)
- 『小さな掌』 Aqua Timez(2008年前期)
- 『NO.1』 日華(2008年後期)
[編集] 関連情報
[編集] テレビ
- 森田一義アワー 笑っていいとも! (フジテレビ)
- メレンゲの気持ち (日本テレビ)
- おしゃれイズム (日本テレビ)
- Going!Sports&News (日本テレビ)
[編集] CM
- すき家 (スザンヌと共演)
- ジーンズカジュアルショップ アメリカ屋
- スカパー!
- NHK 地上デジタル放送 普及促進
[編集] 著書
[編集] 脚注
- ^ a b “岩隈、来オフFA!来季以降の契約条件大幅アップも”. スポーツ報知 (2012年1月31日). 2012年2月2日閲覧。
- ^ “岩隈投手、今オフに結婚 西武打撃コーチの長女と”. 47news (2002年10月31日). 2012年1月6日閲覧。
- ^ 岩隈入札「例外的に」楽天容認nikkansports.com
- ^ 史上初のポスティング入団交渉決裂 『月刊スラッガー』2011年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、54-55頁。
- ^ 松井秀に専念?アスレチックス 岩隈獲得断念を発表2010年12月7日 スポニチAnnex
- ^ Twins finished runner-up in bidding for Hisashi IwakumaNBC.com 2010年12月21日
- ^ 岩隈久志選手 記者会見2010年12月8日 東北楽天ゴールデンイーグルス公式HP
- ^ 岩隈が団野村氏から代理人を変更日刊スポーツ、2011年8月2日。
- ^ “岩隈 FA明言「どこがいい、とかはない」”. スポーツニッポン (2011年11月6日). 2012年1月6日閲覧。
- ^ “岩隈、マリナーズ入り=イチローの所属球団、1年契約-米大リーグ”. 時事通信 (2012年1月6日). 2012年1月6日閲覧。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクト、2007年、198-199頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクト、2009年、172頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、112頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ プロ野球 投手「球種リスト」 『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、148頁。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、94頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、72頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ 2008年『スポーツ大陸』(NHK)
- ^ WBCで輝いたMLB未経験選手9人の評価は? MLBのスカウトから見た日韓の選手たち 『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、50-52頁。
- ^ [1]
- ^ 張本勲の「喝!」に違和感が……。岩隈久志、異色の“エース論”とは?中村計「野ボール横丁」、Number Web、2010年7月1日。
- ^ 中日スポーツ:岩隈通算100勝 ドラフト制後は4番目のスピード
- ^ 47NEWS:岩隈が全員奪三振 パで4人目
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、The Baseball Cube
- Iwakuma21.com 岩隈久志オフィシャルサイト
- 個人年度別成績 【岩隈久志(東北楽天ゴールデンイーグルス)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
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